氷の魔女の旅

北咲優介

氷の魔女の旅

 氷の魔女は、素敵な思い出を残すため、世界中を旅している。

 

 訪れた国や街では、たくさんの素敵な思い出を残してきた。氷の魔女の記憶に浮かぶ思い出は生きる糧となり、一人で旅をする彼女の心を支え続けている。

 

 素敵な思い出を残すため、氷の魔女は今日も旅をする。

 

 「ふふふーん」

 

 青空だけが続く雲の上を、氷の魔女はほうきに乗りながら漂っていた。

 ほうきに乗り空を飛ぶ魔女はえらく上機嫌で、雲の上では彼女の鼻歌が響き渡っていた。

 

 全身を覆うマントと頭に被せられたとんがり帽子は漆黒に統一されており、カラスのような風貌は不気味で、怪しげな雰囲気を感じさせる。

 

 しかし、不気味な風貌に反して、氷の魔女は実に美しい容姿をしていた。

 整った顔つきに吸い込まれそうな黒い瞳。口元のほくろは色気を感じさせ、見る者すべてを虜にするほどの潜在能力を秘めている。街を歩けば周囲の男たちの視線を釘付けにしていただろうが、黒ずくめの不気味な風貌のせいで、そんな経験は魔女には一度もなかった。

 

「ーーさて、そろそろつく頃かしら」


 鼻歌を止めた魔女はそう呟くと、飛行速度を落として雲の中へと降下した。

 雲の中は霧に包まれたように視界が遮られるが、魔女は気にする様子はない。迷いなく雲の中を一直線に突き進んでいく。

 

「空の旅もようやく終わりね」

 

 雲を抜け、氷の魔女の視界が開ける。すると、魔女の目には雄大な自然が映っていた。

 そよ風になびく草原、神秘さを感じさせる深緑の森、天高くそびえる山々。空から眺望した絶景を見て、氷の魔女はようやく地上に帰還したのだと自覚した。

 

 そして、氷の魔女が広大な自然をほうきで駆け抜けると、遠くの方から防壁に囲まれた街が姿を現した。


「ここが、白鳥の街」


 防壁に囲まれた街は、防壁を含めた全ての建造物が白で統一されていた。名前の通り、白を体現する街の美しさに、氷の魔女は静かに目を輝かせる。この白鳥の街こそが、長い空の旅の果てに魔女が訪れたかった場所なのだ。


「素敵な思い出、見つかるといいな」


 素敵な思い出を残すため、魔女は今日も旅をする。

 

 次なる目的地へと胸が高鳴る氷の魔女は、急げ急げとほうきに魔力を込めて飛行速度を上げる。初めて訪れる土地に期待を膨らませながら、魔女は白鳥の街へと飛び去って行った。




※ ※ ※ ※ ※ ※




「わぁ、人が大勢ね」


 白鳥の街にたどり着いた氷の魔女が向かった場所は、街の中心にある大きな市場だった。

 市場はたくさんの人で雑踏しており、街道には様々な露店が隙間なく並んでいる。お客を呼び込む屋台の主人たちの声、買い物を楽しむ街の人々の光景は活気に溢れていた。

 右手にほうきを持つ氷の魔女は、賑やかな街の空気を存分に感じながら、人込みの中を楽しそうに歩いていた。


「あら、何だかいい匂い」


 氷の魔女の鼻に、食欲をそそる香りが流れ込んでくる。立ち止まった魔女は美味しそうな香りに思わず大きくお腹を鳴らしてしまったが、賑わう人込みのその音はかき消された。

 氷の魔女もお腹を鳴らしたことは気にしておらず、それよりも香りの正体の方が気になっているようだ。

 

 氷の魔女は方向転換すると、匂いのする方へ食欲の趣くに突き進む。魔女が人込みを掻い潜るように抜けると、目の前には肉を焼く音とともに『名物』と大きく書かれた看板の屋台が建っていた。


「おじさん。これは何かしら」


「おう、お嬢さん! これはこの街の名物、白鳥の串焼きだよ」


 香りの元へたどり着いた氷の魔女は、屋台に立つ男主人に尋ねた。男主人が陽気な声で答えると、串に刺さった鶏肉を魔女に見せる。

 串に刺さった鶏肉はこんがり焼きあげられており、鶏肉には白いソースがたっぷりと塗られていた。初めて見る白いソースによって、鶏肉は屋台飯とは思えないほど上品に仕上がった串焼きに、氷の魔女はよだれを垂らした。

 

「おじさん、それを一つもらえるかしら?」


 氷の魔女はよだれを拭うと、男主人に白鳥の串焼きを注文する。男主人は快く承諾すると、出来立ての串焼きを魔女に差し出した。

 



「この街は食べ物も美味しいのね」


 白鳥の串焼きを皮切りに、あれから氷の魔女は何軒もの屋台を巡り食べ歩きをしていた。

 

 お腹が完璧に満たされた魔女は満腹の胃を休ませるべく、市場から少し離れた広場のベンチで休憩していた。

 全ての建造物が白で統一された白鳥の街では地面だけでなく、魔女の座るベンチまで白い。雪や砂糖で作られたような真っ白の景色を眺めながら、氷の魔女は青空を眺めている。


「さて、次はどこへ行こうかしら」


 休憩を終えた氷の魔女は、満腹だったのが嘘のように軽やかにベンチから立ち上がった。ベンチに立てかけていたほうきを掴むと、魔女は左手に顎を当てながら、次の行動を考える。

 白鳥の街にある名所を巡るか、お土産を探すか、それとも宿屋を先に確保するか。豊富な選択肢に、氷の魔女は頭を悩ませていた。


「ん? 何だか騒がしいわね……」


 氷の魔女の思考を遮るように、広場の外から騒がしい音がする。その音は広場から続く小さな通りから聞こえてきて、魔女の意識は小さな通りに向けられる。

 

「――面白そうだし、行ってみましょうか」


 新たな選択肢を投げられた氷の魔女は、次の行動を決断する。

 進路を決めた魔女はゆっくりと歩き始めると、騒ぎする小さな通りへと向かっていった。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

「ちょっと、離してください!!」


 ここは、白鳥の街にある小さな花屋。

 街の外観のように真っ白な内装は清潔感を感じさせ、余計な色を含まない空間は花たちの色鮮やかさをより際立たせていた。

 

 ガラスの扉から日光を浴びる花たちの中で、金髪の女性が三人の男に囲まれていた。

 金髪の女性は痩せた男に左腕を掴まれ、その腕を振りほどこうと必死に腕を振り回すが、掴まれた腕が離れることはない。痩せた男はそんな嫌がる女性の反応を楽しそうに眺めていた。

 

 三人の男は全員が育ちの悪さを感じさせる格好と顔つきで、一目で街のゴロツキだとわかる。幼い子が見ればすぐさま泣き叫ぶような悪人面は周囲を寄せ付けず、巻き込まれたくないと花屋の近くからは人影が消えていた。

 

「いいから仕事なんかサボって、俺たちと遊ぼうぜ」

 

 小さい男が「いひひ」と笑いながら金髪の女性に話す。

 

「おらっ、さっさと来やがれ!」


 小さな男に続くように、巨体の男は脅迫するような大声で叫んだ。叫びに反応するように、痩せた男は金髪の女性を力強く引っ張る。


「やめてください!!」


 金髪の女性は抵抗するが力及ばず、男たちと比べて非力な体はその場から引き釣り出された。女性を連れ去ろうと、巨体の男が花屋の扉を開く。

 

 その時だった。


「女の子に乱暴するのはいけないことよ」


 巨体の男が扉を開くと、目の前には漆黒に身を包んだ氷の魔女が立っていた。右手にはほうきの柄が握られており、左手には先枝のような杖が握られている。

 

「あ? 誰だてめぇ!」


「私は氷の魔女。素敵な思い出を探して、遥々この街に来たの」


 予想外の邪魔者に苛立ちを見せる男たちに、氷の魔女は平然と自己紹介をこの場にいる者たちに聞かせた。


「魔女だと? 田舎の国の異端者どもか」


「魔法とかいう、変なもん研究してるやばい奴らが何しにきたんだよ!」


 氷の魔女の自己紹介に、痩せた男と小さい男は順番に魔女を挑発する。続けざまに挑発を受けた氷の魔女は、それでも平然とした態度を崩さない。

 

 実際、魔女という存在は世界から異端として扱われていた。

 世界の隅に追いやられ、遠い国でひっそりと研究に没頭する魔女たちはそもそも認知すら疑わしいほどで、自ら魔女と名乗らなければ気づかれることは決してない。そのため、白鳥の街に訪れてから、氷の魔女を魔女だと気づいた者は一人としていなかった。


 男たちの言葉を、氷の魔女は何度も言われてきた。挑発されたところで、魔女はどうとも思わなかった。

 

「それよりお前、よく見れば中々いい顔してんじゃねえの。どうだ、これから俺たちと一緒に来ねえか?」


 カラスのように不気味な風貌だが、氷の魔女は美しい容姿をしている。それに気づいた巨体の男は、苛立ちから興奮した顔つきに変わった。男は氷の魔女に馴れ馴れしく近づくと、長い腕を魔女の後ろに回して肩を乱暴に掴んだ。

 

「俺たちと一緒に楽しいことしようぜ?」


 女性を口説くにしては、あまりにも下品な見た目と言葉。さらに、巨体の男は凶悪な悪人面を氷の魔女の顔に近づけ、なめまわすような視線で魔女の顔を眺めだした。

 

「女の子に乱暴するのはいけないことよ」


「あ?」


 巨体の男への返答は、氷の魔女が最初に男たちの悪行を止めたときと同じ言葉だった。しかし、込められた感情は全く別物に変わっていた。

 

 冷酷。穏やかだった声音からは温情が消え去り、抑揚のなくなった声は非常でどこまでも冷酷だった。

 

 氷の魔女の異変に気付いた金髪の女性と男たちは、彼女に視線を集める。すると、魔女が握る枝のような杖が青白く光りだした。

 謎の現象に小さい男が「何だ!?」と叫ぼうとするが、それよりも早く周囲に異変が起きた。

 

「あああっ!! 冷てえ!!」


 突然、巨体の男は絶叫しながら氷の魔女から手を放す。魔女から離れた男はその場にしゃがみ込み、愕然とした表情で自分の腕を眺めていた。 

 

 魔女の肩を掴んでいた男の腕は、氷に覆われていた。


「わたし、素敵なものは何でも大好きだけど、それ以外は死ぬほど嫌いなの」


 氷の魔女は冷酷な声で、うずくまる巨体の男に語り掛ける。しかし、男は言葉を返す余裕はなく、強烈な冷たさと体温が奪われる感覚に悶え苦しんでいた。人知を超えた魔女の力を見て、二人の男の顔に恐怖が宿る。


「あなたたちは私の思い出には必要ないから、今すぐ消えてちょうだい。さもなければ、今度はあなたたちの心臓を凍らせるわよ?」


 震えあがる男たちに、魔女は杖を突きだして睨みつける。自分たちの心臓目掛けて向けられた杖を見て、男たちは心臓が凍結される瞬間を想像してしまう。

 

 「ひっ、ひーー!」

 

 一刻も早く逃げなければと、二人の男たちは情けない声を上げながら巨体の男を抱えて花屋から逃げていった。

 

「――無事かしら?」


 男たちが花屋から立ち去ると、氷の魔女は穏やかな表情に戻っていた。邪魔者がいなくたったことを確認した魔女は、解放された金髪の女性の元へ歩み寄る。

 

「あ、あの……ありがとうございました」


「礼には及ばないわ。私は目障りなものを排除しただけよ。せっかくの素敵な思い出が台無しになってしまうもの」


「いいえ、本当に助かりました。よければ、何かお礼をさせてください」


 お礼は必要ないと言う氷の魔女の言葉に対して、金髪の女性は首を横にふる。お礼をすると言われた魔女は「お礼か……」と思案を始めた。


 どんなお礼を頼まれるのか。金髪の女性が緊張した面持ちで待っていると、氷の魔女は短い思案を終えて女性の顔を見る。


「じゃぁ、今晩ここに泊めてくれないかしら?」


 氷の魔女は、今宵の宿を金髪の女性の自宅に決めた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 


 金髪の女性と氷の魔女が出会ってから暫くたち、時刻は夜を過ぎていた。

 

 あれから氷の魔女は、金髪の女性と一緒に日が暮れるまで街の名所へ足を運んでいた。道中で多くの会話を重ねて距離を縮めた二人は花屋の二階に戻ると、紅茶を片手に世間話を弾ませていた。

 

 「そういえば、魔女さんは旅をしていると言ってましたよね。どうして旅をしようと思ったんですか?」

 

 たわいもない話を繰り広げていると、金髪の女性が思い出したように氷の魔女に尋ねた。氷の魔女は紅茶を飲み干すと、カップを置いて女性の質問に答える。


「私は素敵な思い出を残すために旅を始めたの。とにかく、たくさんの素敵なものを思い出として残すのが私の夢よ」


「素敵な夢ですね。――この街は素敵でしたか?」


「ええ、とっても素敵だったわ。街も綺麗だし、食べ物もとっても美味しかったわ。何より、あなたという素敵な友人に出会えたことが」


「えっ」


 氷の魔女の言葉が意外だったのか、金髪の女性は驚いた様子で思わず紅茶を飲むのを止める。


「この街の一番の思い出は、あなたと過ごした時間よ。短い時間だったけど、あなたと出会えて良かったわ」


 出会えてよかった。まだ半日しか一緒に過ごしていない相手に、氷の魔女は最大限の感謝を金髪の女性に伝える。

 

「私も、魔女さんと出会えて本当に良かったです。今日という思い出は、一生忘れません」


 少し照れくさそうだが、金髪の女性も最大限の感謝を氷の魔女に返す。感謝の言葉を交わした二人は微笑み合い、互いの絆が深まるのを確かに感じていた。




「もう行ってしまうんですか?」


「えぇ、この街ではもうたくさんの素敵なものを見つけたから」


 翌朝、金髪の女性は旅立つと氷の魔女に急に伝えられると、魔女を見送ろうと女性は寝巻のままで花屋の前に立っていた。女性の前には、氷の魔女が街から飛び立とうと、宙に浮かぶほうきに乗っていた。


「私も、魔女さんと素敵な思い出を作れて嬉しかったです。良ければ、最後にこれを受け取ってください」


「これは……」


 金髪の女性はポケットから何かを取り出すと、それを魔女の手のひらに渡す。受け取った魔女が自分の手のひらを見ると、手には白い花のコサージュが乗っていた。


「これはこの街でしか咲かない、とても希少な花で作ったものです。これを見て時々この街のことを思い出してください」


 街の景観と同様の純白の花を付けたコサージュ。街を思い出してと言われた魔女だったが、コサージュを見て最初に思い浮かんだのは金髪の女性の姿だった。

 

「確かに、この街にふさわしい花ね。ありがとう、大切にするわ」

 

 そう言った氷の魔女は、漆黒のマントを開いてコサージュを自分の胸に飾り付ける。

 漆黒で統一された魔女の服に咲いた純白の花は、どちらかと言えば似合っているとは言い難い。しかし、氷の魔女は胸のコサージュを嬉しそうに眺めており、それを見た金髪の女性は少し照れくさそうにしていた。


「それじゃあ、さようなら」


「はい、さようなら」


 互いに別れの挨拶を告げると、氷の魔女はほうきに魔力を込めてゆっくりと上昇していく。そして、白鳥の街から次の街へ向かうべく、魔女は空の彼方へ飛び去っていった。

 

 

 

 ――――はずだった。


「とっても素敵な思い出だったわ。――だから、ずっと残しておかないとね」


 白鳥の街から旅立つはずだった氷の魔女は、未だに花屋の前にいる。乗っていたはずのほうきは魔女の右手で握られており、魔女の足は街道をしっかりと踏みしめていた。

 

 飛び立つ気配のない氷の魔女を見て、疑問に思った金髪の女性はその理由を魔女に尋ねる。

 

「魔女さん、どうしたんですか?」

 

「素敵なあなたを、ずっと素敵なままで残しておくわ」


 魔女が穏やかな表情で金髪の女性に告げた。しかし、魔女の言葉に金髪の女性が反応することはなく、辺りは静まり返っている。

 

「素敵な思い出をありがとう」


 氷の魔女の左手には枝のような杖が握られている。杖の先端は青白く光り、魔女はその光を正面に向けていた。

 

 そこには、氷漬けにされた金髪の女性が立っていた。

 

 氷の中で動かない金髪の女性を、思い人を見るかのようなうっとりとした表情で氷の魔女は眺めている。

 

「また会いに来るわ」


 今度こそ別れの挨拶を済ませた氷の魔女は、ほうきではなく徒歩で花屋を後にする。

 旅立つ魔女に、金髪の女性が見送ることはなかった。

 

「この街は本当に素敵だったわ」


 氷の魔女は街の景観を見渡しながら、思い出に浸るように市場を歩いていた。


「街も綺麗で、食べ物も美味しい」


 市場は朝でもたくさんの人で雑踏しており、通りには様々な露店が隙間なく並んでいた。

 しかし、街の人たちは全員が不自然に動きを止めており、昨日は飛び交っていた街の人々の声も、聞こえてくる様子はまるでない。

 

「街の人たちも活気に溢れていて、おまけに素敵な友人もできたわ」


 動かない人込みの中をゆっくりと通り過ぎ、氷の魔女は市場から抜けていく。

 

 昨日までは活気に溢れていた市場が、街の人ごと氷漬けにされていた。

 

「今回も素敵な思い出が残せたわね」


 街の外れにある草原を訪れた氷の魔女は、満足そうに微笑みながら白鳥の街の外観を眺めている。

 

 かつて純白だった街の景観は、まるごと巨大な氷によって覆われていた。

 真っ白な建造物も、街に住む人々も、凍る直前の形を保ったまま永遠に動くことはない。凍てついた街を見た氷の魔女の顔は、夢を叶えられた達成感に満ちていた。

 

 そして、氷の魔女はほうきに乗ると、天高く上昇して今度こそ白鳥の街から旅立たった。

 

 「さて、次の思い出に残るのはどの街かな」

 

 雲の上に辿り着いた氷魔女は、次の旅路へと胸を躍らせる。そして、目的を果たすべく、速度を上げて空の中へと消えていった。



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