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 ラーメンを食べ終えると、俺と後輩ちゃんは早めに帰途についていた。

 後輩ちゃんはもう暗闇を怖がる様子も薄れて、機嫌よさげに歩いている。


「ラーメン美味しかったですね~せんぱ~い」


「だな。煮干しベースの芳醇な香りを纏うスープはキリっとかえしが効いていて味覚に強烈なインパクトを残しつつも癖がなくて無限に飲めてしまうし、仕上げに散りばめられたネギ油がこれまた宝石のようにキラキラと美しく、風味のアクセントになっていて、具材についてはシンプルながらも全てが高クオリティにまとまっており、そして何よりも深夜のラーメンという絶対にしてはならない背徳感がより食欲を掻き立てることに役立ち通常の何倍もの――――」


「せんぱい長い、キモい。もっと簡潔に」

「深夜に食べる伝説のラーメン美味すぎぃ!!!!」

「美味すぎ~! いえーい!」

「いえあー!」


 おっと。いかんいかん。

 テンションが上がりすぎて後輩ちゃんとハイタッチしてしまった。

 しかしそうなるのも仕方ないと思えるほどに、衝撃の美味さだった。


「はぁ~、でもさすがにお腹いっぱいですよ~食べすぎ~」

「そりゃおま、五杯も食えばな……。毎度毎度食いすぎなんだよ……」


 何を隠そうこの後輩、大飯食らいである。


「え~? 女子はこれくらいがふつうですよ、ふつー。前から思ってましたけど、せんぱいってあんまり食べませんよね。それとも男の人はみんなそうなんですか? たくさん食べられなくてかわいそう」

「そうやって自分が異常じゃないみたいに話を進めていくのやめよう? 自分でもよく分かってるよね? じゃなきゃこうしてないよね?」


 知り合ってから彼女はよくよく、それこそ毎日のように俺をメシに誘う。

 学園にたくさんいるであろうお友達ではなく、何を思われたってどうでもいい便利な陰キャオタクの俺を、だ。

 それこそが、彼女が自分の大食いを自覚している証明になる。


「え~そうですか~?」


 後輩ちゃんは惚けたように笑う。


「それだけじゃないって思いますよ」

「あん?」

「私が、せんぱいだけをご飯に誘っちゃう理由」

「なんだよ」

「ふふっ」


 一歩距離を詰めてきた後輩ちゃんは上目遣いにこちらを見つめてくるが、俺は必死こいて身体を仰け反らせる。

 男女が向かい合ったこの姿勢。ラーメン屋の店主の言葉が自然と脳裏にチラついてしまう。


「だって、美味しいですもん。せんぱいと食べるご飯」


 にへらと口元を緩める後輩ちゃんの頬は、ラーメン屋での興奮が冷めないのか少しだけ上気していた。


「私最近、せんぱいと食べるご飯がいちばん美味しいかも」

「…………さいですか」

「はい♪」


 満面の笑み。

 一瞬だけでも場違いなことを考えそうになった自分がバカらしくて仕方がないくらいには、純粋な微笑みだ。


 それから後輩ちゃんはぴょんと跳ね退くと、早口にまくしたてる。


「ほらほら、せんぱい相手なら裸でレスリングするくらいのノリで爆散会話できますからね~。もう天丼親子丼どんとこいって感じでっ、カツ丼でっ」

「……ちょっと情報量多くてせんぱいよくわかんない」

「すみません知性があふれ出ちゃってて」

「あ、そう……」


 もうどうでもいいわ。

 要するに、それくらいに都合がいい相手ということだ。それはきっと、俺にとっても同じことなのだろう。


「ところでなんですけど、せんぱい」


 帰路も半分以上を過ぎ、まもなく互いの家に帰るため別れようかと言う頃。珍しく言いにくそうに口元をもにゅもにゅさせながら後輩ちゃんが口を開いた。


「こ、ここで後輩ちゃんマル秘じょうほーう!」

「お、おう、……なんだよ。嫌な予感しかしないから聞きたくないんだが」


「後輩ちゃん、なんとこのままでは進級が危ういとのこと」

「はあ」


 いや、え……?


「はあ!?」

 

 留年ってこと!?

 どの口で知性が溢れてるとか言ってんですか!? バカなの!? アホなの!? いつもバカでアホだったわ!


 後輩ちゃんはウルウルとわざとらしく涙目を浮かべる。


「どうしようこのままじゃ来年せんぱいと同じクラスになれなくなっちゃう……!」

「ナチュラルに俺を留年させるのやめような。危機に瀕しているのはおまえだからな」

「せんぱいが留年……しない……っ!?」

「残念ながらせんぱいの成績は上の下。おまえが普段からバカにしているせんぱいは陰キャでオタクだが、優等生の皮を被るのが得意だ」

「なんと……!」


 後輩ちゃんの瞳が煌めく。それはもう、新しい玩具を前にした子供のように。

 

「そんなバカでアホだけど、優等生なせんぱいにご相談があります!」


 えぇ……もうヤダお家帰る……。



 ◇



 ということで、一人暮らしのお家に帰ってきた。


「せんぱいコートどこー?」

「あー、そこらへん掛けとけ、そこらへん」


 もれなく後輩ちゃんが付いてきたことだけは、誠に遺憾である。

 なんで後輩お持ち帰りしてんだよこんなことなら夜食の餃子お持ち帰りしたかったよ。

 夢のような深夜メシの後にとんでもないイベントが待っていたものである。


「さてやるぞ。はよやるぞ。今すぐやるぞ。俺は早く寝たいんだ」


 俺は普段しまっているちゃぶ台を引っ張り出して、バンバンと叩く。


 後輩ちゃんを家に連れてきた理由としてはこうだ。

 先日、留年したくなければこれから課される宿題は必ず提出日に出すこと、と担任教師にたっぷり釘を刺された後輩ちゃん。

 それから日は巡り、明日が(すでに今日になろうとしているが)その課題の提出日であるのだが、案の定、全く手を付けていないらしい。

 そうして優秀なことこの上ない先輩にヘルプを求めるに至ったわけである。


 この後輩、よくも余裕な顔してラーメン5杯も食ってられたな……。


「私は寝ないから、はやく終わったとしてもそこからはパーティナイトですよ? 私ゲームやりたいです。シュワッチ」

「いや帰れよ」

「今から帰って寝たら寝坊しちゃうじゃないですか」


 皮被り陰キャ優等生の俺は一日くらいの遅刻どうってことないんですが……聞いてくれませんよねそうですよね。


「まあなんにしてもさっさとやるぞ。それだけ言っといて課題終わる前におまえが潰れたらぶん殴るからな」

「ダイジョーブです! 私、自分のベッドじゃないと寝れないので!」

「変なとこで潔癖なやつ……」


 そうして始まった勉強会。


 だったのだが――――1時間後。


「すぅすぅ……」

「いや、フラグ回収速すぎない……?」


 ペンを持ったまま、ちゃぶ台のノートを枕に気持ちよさそうな寝息を立てる後輩ちゃんが君臨していた。


 何が自分のベットじゃないとだ? ちょー熟睡ですけど?


 今度こそ本気でぶん殴る。または頬っぺたを思いきりつねる。そして頭を無限にグリグリしてやる。


「むにゅ……せんぱぁい……ラーメン……また行きましょうねぇ……むにゃむにゃ……」

「……寝言かよ」


 殺気につられて起きたことを期待したが、未だその瞳は開く様子を見せない。

 その上、舌ったらずな寝言に毒気を抜かれてしまった。


「ったく……あークソ、仕方ねえなぁ……」


 呟くと、俺はそっと後輩ちゃんの身体を抱き上げる。想像よりもずっと軽くて華奢な身体は簡単に持ち上がった。

 静かにゆっくりと、起こさないようにベッドへ運び、布団をかけてやる。


「えへぇ……」 


 なにわろとんねん。

 なんとなく頬を数回突いてやって、俺は再びちゃぶ台に腰を下ろす。


「さて、やりますか……」


 甘やかすつもりもないが、先輩として後輩が留年するのは忍びない。

 だから、今回だけだ。次からは、もっと時間をかけてしごいてやる。

 俺はペンを取って、1年前に学んだ問題たちに挑み始めた――――。



「あれ……? せんぱい……? 私、寝て……もう朝……?」

「……ようやく起きやがったか」


 しっかりと朝陽が昇ったころ、後輩ちゃんは目を覚ましたらしい。

 俺はその眼前へフンと投げやりにノートを差し出した。


「ほれ、これ」

「え……? せ、せんぱいもしかして私の宿題、やってくれたんですか……!?」

「さすがに筆跡は誤魔化せないから、解いてやっただけだけどな。だからさっさと写せ。死ぬ気で写せ。朝には無理でも、放課後くらいまでなら教師も待ってくれんだろ」


 ノートを後輩ちゃんの胸に押し込める。

 すると後輩ちゃんは大事そうにそのノートを抱きしめた。


「あ、ありがとうございます……せんぱい……! 今世紀最大のてんきゅーです……!」

「おう」


 もっともっと感謝してほしいものだ。いつもいつもいつも。まあ、言わないが。


「もう~せんぱいやっぱり私のことだいしゅきですね~、もうもうっ~」

「いやそれはねえわ。生意気だしお調子者だしバカだしアホだし敬意が足りてないし」


 可愛くもないし。


「でも、心配してくれたんですよね?」

「……あ……?」

「ふふっ。だから私も、そんなせんぱいしゅきしゅき~」


 にししと白い歯を見せて笑う後輩ちゃん。

 それはやっぱり、時に純粋に過ぎて、勘違いする必要などまったくなくて、それが俺に安心を与える。


「うっせえよ」

「あ、せんぱいまずは朝ごはん食べましょう、腹が減ってはなんとやら」

「マジでうっせえよこの寄生虫が!」

「な、なんですか寄生虫って! めっちゃキモいじゃないですか! せめて金魚のフンくらいにしてあげてください!」

「ああうっせえうっせえマジうっせえ! 朝飯は用意すっから黙れよもう!」

「私目玉焼き10個で。お願いしまーす、せんぱい♪」


 こうして、後輩ちゃんとの長い一日が終わった。いや、地続きに、どこまでも繋がっているらしい。


 ところで、こんな話を誰もが一度は耳にしたことがある。あるいは、実際にその身をもって知っている人も多いかと思う。


『誰かと一緒に食べるメシは美味い』


 ひとりでいることが多かった俺にとって、それは世迷言のひとつのようなものだった。ひとりでだって、当然だが美味いメシは美味い。


 だけど、もう知っている。

 それがどんなに楽しいことで、嬉しいことで、食事のとびきりなスパイスになるのかを。毎日のように気の合う誰かと、もしくは家族や、大切な人と一緒に食事できることが、どんなに幸福なことなのかを。


 もしかしたらそんな何気ないことが、この世界で1番の奇跡なのかもしれない。


 だから、俺がこの生意気にすぎる後輩のお誘いを断れないのも、けっこうホイホイと付いていってしまうのも、仕方ないのだ。


 俺はもう決して、その味を忘れられないのだから。



 ◇



 後日。

 これは余談だが、課題の提出日は深夜の罪を犯したあの翌日ではなかったらしい。

 後輩ちゃんが勘違いしていたのだ。

 ぶっ殺すぞ、マジで。


「てへぺろりん♪」

「ぜんぶ台無しだよバカ野郎!」






〜〜〜〜〜〜〜〜〜



これにて完結です。

短い物語でありましたが、お付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m

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いつもご飯に誘ってくれる後輩ちゃんと深夜の罪を犯してお持ち帰りした話。 ゆきゆめ @mochizuki_3314

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