第8話 2人の関係

「うぅ……疲れた……疲れたよぉ……」


「お疲れ様です。初日であるにもかかわらず、想定の倍の知識を身につけていただいたのですから、疲れて当然です」


 ノアの王としてまず最初の仕事である『勉学』を終え、王が日頃疲れを癒す為にある一室、その浴場にて。ノアはひどく疲弊した様子で項垂れている。


「あのさ、イザベル。ちょっと聞いてもいいかな?」


「はい。なんでしょうか」


「……何で浴室にイザベルがいるの?」


 当然の疑問である。勉学の疲れを1人湯に浸かって癒そうと考えていたノア。だがイザベルがさも当たり前かのように浴室に入り、ノアの毛髪を洗っている始末である。これにはノアも納得しかねる要素はあるだろう。


「言ったはずです。私は我が主の身の周りのお世話、護衛を担当すると。入浴時や就寝時に無防備な主君の護衛も仕事の1つです」


「それはすごくありがたいんだ。頼もしいよ。でもね、わざわざイザベルも一緒に服を脱ぐ必要はないんじゃないかな!?」


 イザベルから目を背けた状態でノアは声が反響する程の大声で問いかける。ただ護衛するだけであるのなら衣服を着た状態でも何ら問題は無い筈。にも関わらずイザベルは衣服を全て脱いでおり、一糸纏わぬ姿でノアと浴室を共にしている。


「その方が効率が良いからです。護衛をしつつ自分も入浴すれば我が主の無防備な時間を短縮できますし」


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ……」


「いいえ。この情勢の中、どんな輩が我が主を襲うか分かったものではありませんから。私が如何なる時も側にいて守ります」


「うう……嬉しいような、ちょっと恥ずかしいような……」


 小声でそう呟いたノアにイザベルは桶で毛髪に付着した石鹸を洗い流す。


「昔はこうして一緒に入浴していたではありませんか。恥ずかしがる理由は無い筈ですが」


「昔の話でしょ!? 今じゃ僕たち身体付きが全然違うし……」


「それが理由ですか。お気になさらず。私は我が主になら全てを曝け出す所存ですので。少しは私の姿を見てお話を……」


「あー! 駄目ぇっ! それは駄目っ!!」


 ノアがこんなにも恥ずかしがっているというのにイザベルはいたって冷静沈着。異性の前で裸体を晒しているというのにまったく動揺の素振りを見せない。ノアの言う通り、入浴を共にしていたのは自分達がまだ幼かった時の事であり、思春期を迎えた状態での混浴は幼少期の頃とは訳が違ってくる。故にノアは浴室に入ってからずっと目を閉じたままイザベルに髪や身体を洗ってもらっていた。


「……お背中、お流ししました。次は私が身体を洗いますので、我が主は先に湯に浸かっていてください」


「う、うん。ありがとうね」


 両手で顔を覆いながらノアはイザベルに礼を言いつつ、十数人なら余裕で入れそうな程に広い浴槽にその身を沈ませる。


 湯に浸かりながら、ノアは今一度イザベルとの現在の関係性について考えた。イザベルの家系は元々アルフォード家に仕える一族であり、スティーブンが幼いノアとイザベルを食事会という形で会わせたのが2人の関係の始まりであった。心優しいノアと気遣いに長けたイザベルはすぐに意気投合。毎日のように顔を合わせ、王宮の敷地内でいつも行動を共にしていた。ある時を境にイザベルの方がノアに顔を見せる回数が少なくなり、ノアが12歳になる頃には完全に疎遠の状態であった。


 月日は流れ、今2人は再度行動を共にしている。その筈なのだが、今は昔のような仲睦まじい関係とは言い難い。イザベルがノアに一歩身を引いた態度を取るが故にノアもイザベルに対し何と声を掛けて良いか分からず、一度言葉を交わしてもすぐに会話が終わってしまうのが常である。それにノアは少し心を痛めていた。自分と接するのは単に仕事であるからか、それが責務であるからか。そう思うと、本当に自分を気遣っての行動ではないのではないかと不安がよぎる。


 もう、イザベルとあの頃のような気楽な関係性ではいられない。それはノア自身よく分かっている。だが自分と接する理由が『仕事であるから』と片付けられるのはやはり悲しい。ノアの脳内に複雑な感情が取り巻いている。


「お隣、失礼致します」


「あ、はいっ! ど、どうぞ!!」


 横からイザベルの声を聞いたノアは上擦った声で了承。それを指摘することなくイザベルはお構いなくノアの隣で湯に浸かった。


「……イザベルがこうしてくれるのは、仕事だから?」


「左様でございます。我が主の側にいることが私の仕事であり、責務です。それに変わりはありません」


「そっか。やっぱり、そうだよね」


 分かっていた筈なのに、ノアは聞かざるを得なかった。すると予想通りの答えが返ってきて、閉じた眼からじわりと熱いものが込み上げる。自分達はもう友人ではないという気がして、ノアの心を貫く。湯に涙が零れ落ちそうになったその時、イザベルは口を開いた。


「ですが……異性と入浴を共にできるのは我が主だけです。先代にはこのようなこと、1度たりともしていませんよ」


「え……?」


「そもそも先代は守られるようなお人ではありませんでしたし。それに……尊敬しているのと裸体を見せる事はまったくの別問題ですよ。……ノアくん」


 その名前の呼び方にノアは目を見開いてようやくイザベルの姿を間近で見た。その呼び名で呼ばれたのは何年ぶりだろうと懐かしむよりも先に、隣のイザベルの胸に目が行ったノアは頬を赤く染めながら即座に目を逸らした。


「イ、イザベルっ……」


「ふふっ。少々お巫山戯が過ぎましたね。無性に、我が主をそう呼びたくなったんです。申し訳ございません。無礼をお許しください」


「いや、無礼なんかじゃ……! あと別問題ってそれ、どういう……」


「我が主のご想像にお任せ致します。ああ、長時間の入浴はお体に障ります。そろそろ上がりましょうか」


「もう、ずるいよぉそれ……」


 目を右腕で擦りながらノアはイザベルに不平を口にする。そうしているノアの口元には、確かな笑みが浮かべられていた。

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王様の言うとおりに 龍弥 @ryuyadoragon

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