第3話

「じゃあ確認ね。

 メガポリスのガードへは私とアーロン、それにシャーロット」

 シャーロットは「はい」と手を挙げる。

「ハイジとシオンと鏡さんはクレアの住居へ」

 それぞれ頷く。

「それから亮二とユーリとメイとイライジャはクラウスの部屋へ行ってからアポカリプスへ戻る。クラウスは医者だから私達じゃわからない資料があるかもしれないもの。でも、亮二ならわかるんだから、覚悟してなさい」

 時折、情熱の方向性が明後日の方を向くナギサであった。

「他の子供達を残して来てるからね。一度戻らないと。それに、実は佐保子にも無断で研究所を空けているんだ。流石に小言を言われそうだ」

 亮二が呟くと、

「大丈夫よ。もし、佐保子に何か言われても私がついているわ」

「そうだよ。俺たちは亮二の味方だから」

 メイとユーリは、佐保子の自分達に対して好意的ではない感情を理解しているので、慰めの言葉を発する。

「僕もガードへ行きたかったな」

 イライジャの呟きには

「あら、イライジャ。私たちと一緒じゃ不満なの?」

 少し、ムクれたメイに気がついたイライジャは、

「不満じゃないよ。早く円路を見つけたいだけ。メイとユーリとも会わせたいと思ってるよ。二人とも大好きだからね」

 と機嫌を取る。

「それなら良いのよ」

 と笑顔になったメイをイライジャは可愛く思った。いつもは、自分がムクれると、クロエやシャーロットが宥めてくれる。でも、今はムクれたメイを宥める自分がいる。面倒を見なきゃならない相手というのは、成程、可愛いのだ。イライジャは少しお兄さんになった気がした。


 



「ナギサ、君はメガポリスへ行った事は?」

 アーロンの問いに、ナギサは胸を張って答えた。

「私、メガポリス出身よ」

「オーケイ。なら土地勘はあるな。メガポリスは居住区及び交通網も上下に広がっている。同心円状の円盤が重なってる空間になってるから右も左も上階も下階も同じ様な景色が広がっている。迷子になるなよ」

 アーロンは車を発進させた。








 ハイジの部屋を出ると、クラウスはナギサとシオンと別れて大通りを渡った。後ろからナギサの声が響いたが、声を出すのが面倒なので頭の中で答えた。それを拾うか拾わないかは彼女の力量次第だと思いながら。

 クラウスの思った通り、ナギサはクラウスの思考を読み取った。それと同時に怒りの感情が伝わったが、それはシャットダウンした。


 コードリライトを受けた人間の居住区はマンションタイプと家族様に住居タイプに分かれている。ハイジの部屋からそう遠くない所にクラウスの部屋もあった。

 マンションのエントランスを抜け、自分の部屋へと向かう。虹彩認証とブレスリングを操作して部屋に入ると、サリーに話しかけ起動させた。

「おかえりなさい、マスター。今回は随分と長い間、部屋をあけていらっしゃいましたので心配しておりましたよ」

 ノーブルな男性タイプの声のサリーがまるで本当に感情があるかの様に話しかけてくる。

「ああ。スキャンをしてくれ」

「かしこまりました」

 数分後、デスクに備え付けのコンピュータの画面に映し出された映像をメモリーにコピーし、自身はシャワー室へと向かった。



 頭上から降り注ぐ水の中、半年前の会話を思い出す。


 D4にあるクリニックでの夜勤を終えた朝、日勤の医師と変わると、アポカリプスに戻り、シャワーを浴びる。その後3時間ほど仮眠をとった後、午後勤務に入るのである。

 医療衣に着替え、仮眠のためのリネン室へと向かう途中、ドクター白石に会った。タイミングという物があるとするなら今だなと思った。アポカリプスの医師はいつも皆、忙しい。

「ドクター白石。質問が」

「何かな?」

 白石は返事を返しつつも、歩みを止める事はない。

「アクシデントが何なのか知っていますか?」

「必要があれば、佐保子からアナウンスがあるよ」

「ドクターイアンは今何処に?」

「それも同様さ」

「俺はコードリライトが出来る医師になります。その為に、知っておく必要がある事は全て知って知っておきたい」

 クラウスに一瞥をくれる白石。

「君は確か、ハーモン医学校の経営者の息子だろう?戻らないのかい?」

「ハーモン医学校の医者の息子です。戻りませんよ。母は尊敬出来る医者です。既に後進の育成にも力を入れています。俺もその一人でした。だが、コードリライトがなければその夢を断念せざる得なかった」

「君はコードリライト被験者だったね」

「はい」

「何歳の時に受けた?それから今の年齢は?」

 白石の突然の質問にクラウスは惑った。

「ドクター白石。何か知っている事があれば教えて欲しい。何故施術の年齢が必要なんですか?」

「知る必要があればいずれ君の耳にも入るよ」

「今じゃないんですか?」

「いずれ」

 白石はそれだけ言うと、一度も止まる事なく病棟へと歩いていった。クラウスの目には小さくなる背中だけが見えていた。




 備え付けのドライヤーで髪を乾かし、ローブのまま部屋へ行く。持っている外出着は殆どシャツとスーツで、あとはパジャマ代わりとそのまま出勤着にも使えるスエットのセットが6組。医者のプライベートなんてそんなもんだろうと思っていたが、異能力が発現してから三ヶ月。患者と接しない毎日が自分の人生に訪れるとは持ってもいなかったクラウスは、デニムとシャツも持っておくべきだったかと一筋考えた。

 


 デスクチェアに座り、時間を確認する。メテロポリスとの時差はあるが、電話をするのに悪い時間ではない。

 専用の電話番号を鳴らすと、1コール目で相手がでた。

「母さん、元気か?」

「ええ。珍しいわね。この電話が鳴るなんて。急な要件?」

「いや、声を聞きたくなっただけだ。俺が地震後に入院したとアポカリプスから連絡が入ったろ?だから、心配してるだろうと思って」

「ええ。そうね。連絡があったわ。それで、あなたは大丈夫なの?」

「・・・ああ」

「よかったわ。他は何か変わりはない?」

「・・・」

「クラウス?」

「・・何かって?」

「いいえ。なんでもないわ、忘れて」

「母さん・・」

「私たちは医学に準じる者よ。それを忘れないで。私の教えは、いつもいつまでもそれよ」

「知ってる。ハーモン医学校は俺の誇りだ。医療の基礎学をハーモン医学校で学べて良かった」

「ええ。ねえ、クラウス。その教えさえ忘れていないのなら、コードリライトに関わる医者でなくてもかまわなのでは?」

「どういう意味だ?」

「クラウス。あなた・・戻ってくる気はある?」

「・・・いや。ない。だが、急にどうした?」

「いいえ。別に。少し思っただけよ。・・声が聞けてよかったわ」

「母さん。あの日、病気が発覚した日、俺はコードリライトが出来る医者になるって決めた。俺はここで生きるよ」

「そう。・・わかったわ」

「医学の灯火は消えない」

「医学の灯火は消えない」





 ハーモン医学校はコスモポリス三大医療施設の一つで、メテロポリスにある総合医療大学病院に属され、多くの人間が学び、在籍している。

 クラウスの母が学校の学長を務め、また、コスモポリタン最高議会のメンバーの医療にも携わっていた。



 カレンはクラウスが病気になったあの日、目の前が真っ暗になったのを覚えている。教える生徒に、育てる医者に、息子も他人もないと、他の人々と分け隔てなく区別なく、接し、教育して来た。それでも、息子が優秀な成績を修める事は誇らしく、人知れずに喜んでいた。そんな時に、定期検診でまさかの発覚。すぐにアポカリプスへ連絡をして、検査を申し入れた。そして、コードリライトが適用になった日。嬉しさの中に一抹の不安を覚えた事もまた事実である。

 医療従事者なら誰でも知っているコードリライト。

 だが、予後、実は完治者は無しという報告しかないのだ。もちろん、コードリライトの処置後、すぐに再発をすることは無い。だが、必ず皆、再発後死亡となっているのである。

 アポカリプスは、その寿命を延ばすべく、鋭意研究を続けているという。それはわかるのだが。

 それにカレンはもう一つ気になることがあった。今までコードリライト被験者たちは誰一人、子を成していないのである。青年期の人間が全くいないわけではないだろうに。

 仮説でしかないが恐らく、何らかの因子により稔性が失われるのであろう。(ここでいう稔性とは、子孫を残す能力の事とする)であるとするならば・・・。

 と、カレンの元にメールが届いた。

「これは・・・」

 たとえ、息子でも医療従事者であるし、一人の人間である。クラウスが病気になった時に、調べられる事は全部調べた。その上で、患者としてアポカリプスへ入院することを、あの子が決めて、私も同意した。

「あの子の人生はあの子のものよ。誰も邪魔する権利はないわ。たとえ、母親でもね」

 カレンは自身に言い聞かせた。





 翌日、クラウスが、メールの送信完了を確認後、

「マスター。来客者です」

 別の画面にドアの外の様子が映し出された。

 歳の頃は二十歳前後で雰囲気は学生といったところか。茶褐色の肌にウェーブされた黒髪が辺りをキョロキョロ見回すたびに揺れている。

「誰だ?」

「この居住棟の人間ではありません。どうしますか?」

 逡巡の後、

「ロックを解除しろ」

「了解しました」

 




 クラウスの部屋の前にいたベネットは、インターフォンを押そうかどうしようか迷っていた。あまり長い事ここにいても不審者だと思われるだろうと、辺りをキョロキョロ見回す。どうか誰も通りません様に。

 と、部屋のロックが解除された音がした。

「わっ。ど、どうしよう」

 ドアが開き、中からクラウスが出てきた。

「何の用だ?」

「あ、あの。俺、えっと、その、アポカリプスで先生を見て、うわっ」

 最後まで言う前に、物凄い勢いと力で部屋の中に引き入れられたベネットであった。



「誰だ?」

 クラウスは探る様にベネットを見つめた。

「お、俺。ベネット・ルイスってい言います。アポカリプスでコードリライトの治療を受けて、それで・・」

「何歳だ?」

「え?歳?」

「コードリライトを受けた年齢と現在の年齢だ」

「あ、はい。コードリライトを受けたのは11歳の時で、今は19歳です」

「学生か?」

「はい。ガラテア大学に通っています」

「そうか。で、俺のところに来た理由は?」

「あの。実はここ一年くらい記憶が曖昧でよく覚えて無いんです。

 経過観察のためにアポカリプスへ通院していたんですけど、ってそれは皆んなしていると思うんですけど、ある時からモヤがかかったみたいにハッキリ思い出せなくて。

 俺は今大学生なんですけど、勉強した記憶が曖昧なのに覚えている箇所とかあったりして何だか気持ちが悪くて。

 で、昨日先生を見かけて。何かを思い出しそうだったんです。それで、先生に声をかけようか迷ってたら、先生はもう家に入られて。で、帰ったんですけど、やっぱり気になって今日来ちゃいました。それでも、ピンポン押すか迷ったんですけど・・・」

 クラウスは地震の前、研修医としてアポカリプス内を歩いていた。その時に見かけていたのだろう。自分の頭の中のファイルからベネット・ルイスを探し出す。だが、

「ベネット・ルイス。お前、確か髪の毛、金髪じゃなかったか?」

「あ、はい。今は染めています。でも、入院していた時は染めてなかったから、ってえ?何で知ってるんですか?」

「俺は医者だ。それから俺もコードリライト被験者だからな。治療を受けた人間のデータは頭に入れている」

「わぁ。全員のデータですか?」

「生きている人間のだけだがな。再発なり、寿命なりで死んだ人間は覚えていても仕方ない。もう助けられないからな。所でお前、何をさっきからドアを見ているんだ?落ち着きがないのか?」

「あ、いや。実はもう一つ気になってる事があって・・」





「あの。先生、何処に行くんですか?」

 クラウスの部屋から出て、二人は通りを歩く。

「いいから、そのまま歩くんだ」

「はい」

 なるほど。確かに誰かがついてきている様だ。

 クラウスは角を曲がった所で、ビルの間にベネットを後ろにして隠れた。

 数秒後、慌てた様子の一人の若い男性がキョロキョロと辺りを見回していた。

「俺たちに何か用かな?」

 クラウスがぬぃっと出ると、相手は慌てた様子で、

「あ、イヤ。友達が・・」

 と、後ろから様子を伺っていたベネットが出てきた。

「ニッキー?」

「ベネット。良かった、無事で」

「え?無事って?」

 ニッキーはベネットの大学の友人で、ニッキーが見知らぬ男と一緒に歩いているのをみて、心配したのだと言う。

「だって、最近、誰かに見張られているみたいだって言ってたから、てっきり・・その」

 ニッキーは言いにくそうにクラウスを見上げた。

「つまり、俺を変質者だと思ったのか?」

「・・はい」

 小さくなるニッキー。

「ニッキー、彼はアポカリプスの先生だよ。お世話になったんだ。

「そうだったのか。良かった」

 ニッキーは胸を撫で下ろした。

「それで?

「それでって?

「何で一緒にいるの?」

「あ、それはだから・・」

「だから?」

「えっと・・」

 クラウスは、何て説明をしたら良いのか助けを求めるように見つめるベネットと、説明を聞くまでは絶対に離れないぞという眼差しのニッキーの二人を連れて、居住区のグラウンドベースにあるカフェラウンジへ入った。

「それで、いつ頃から見張られている感じがするんだ?」

「気がついたのは三ヶ月くらい前です。でも、本当はもっと前なのかもしれません。俺が気がついていなかっただけで」

「その話はガードには?」

「していません。いつもってわけじゃないから、気のせいかもしれないしって思って」

「だから、今日も一緒に行こうって言ったのに」

 ニッキーは不満げにベネットを見る。

「ごめん。先生の事がどうしても気になって」

「誘ってくれたら良かったのに」

「子供じゃないんだから一人で行けるよ。それに今までも大丈夫だったし」

「ばか。それは今まで誰かが一緒にいたからかもしれないじゃん。一人になる所を待って襲うつもりだったらどうするんだよ」

「あ、・・まあ、危ないよね」

 ニッキーは呆れた様にため息をついた。

「だから心配なんだよ。それで、朝、迎えに行ったら知らない男について行ってるし」

「ついて行ってっていうか、先生を見た時に何か思い出しそうだったんだよ。それで・・」

「え?記憶が戻ったの?」

 瞬間、怖い表情をしたニッキーがベネットの腕を掴んだ。

「いたっ」

「あ、ごめん」

 と、その時ラウンジの入り口が開いてガードの人間が現れた。別に珍しい事ではない。が、クラウスは何気に視線を向けたガードと目が合った瞬間、咄嗟に席を立つ。

「ニッキー、ベネットと一緒に大学へ行け」

 それだけ言うと、足早に別の入り口へ向かう。

「え?あ、はい。でも・・」

 二人はクラウスの背中をみつめる。

 


 店を出たクラウスは、旧市街区へ歩き出す。

 何となくだが、あのガードは自分を探してたように思う。こういう勘が外れる事はない。だが何故だ?東雲は何と言っていた?

「出来うる限り市民との接触は禁止だ。部屋に着いたらハイジを説得して連れ戻して貰いたい。能力は万が一の場合を除き使用不可だ」

 万が一って何だ?精神系が後で記憶の改竄でもするつもりか?あるいは邪眼子が忘れさせるのか?

 ハイジの居場所がわかったのはおそらく、虹彩認証とブレスリングの使用からだ。だとすると、俺が自分の部屋に入った事も東雲達の知れる所にはなっているだろう。だが、それは別に構わない。その位は連中も予想の範囲内だと思うだろう。気になるのは、俺が部屋に入った時はガードが現れず、店を利用した時にはガードが現れた事だ。・・データが入院コードにでもなっているのか。

「街ではブレスリングは使えないか」

 クラウスが一人呟くと、後ろから声が聞こえてきた。

「じゃあ、僕達のブレスリングを使いますか?」

 驚き振り向くクラウス。と、そこにいたのは

「お前たち、何で・・」

 ニッキーとベネットだった。


 



「何でついて来たんだ?」

 クラウスの問いに二人は顔を見合わせた。

「何でだっけ?」

 ベネットが聞くと、

「えっと、何となく」

 ニッキーが答える。

「何となくじゃない。帰るんだ」

「先生は?」

「俺は行くところがある」

「僕達、着いていったら駄目ですか?」

 ニッキーが聞くが、

「子供を連れていくわけには行かない」

「え?」

「え?」

 瞬間、微妙な間が流れた。

「ん?違う。そういう意味じゃない。とにかく」

「でも先生、ブレスリング使えないんでしょ。という事は光彩認証も使えない。それらが使えないって事はガラテアの街では何も出来ませんよ」

「まぁ、それはそうだが」


数分後。

「で?何処に行くんだ?」

 ニッキーが運転している車の後部座席にクラウスとベネットは座っている。

「デュイ教授の所です」

「誰だ?担当教授か?」

「はい。僕達、学部は科学技術で、ベネットは宇宙開発学科で僕は理工学科なんですけど、デュイ教授はそこのプロフェッサーです。それで、前にベネットの事を相談したら気にかけてくれていて、今も時々相談に乗ってくれてます」

「そうだったの?」

 それまで二人の話を大人しく聞いていたベネットだったが、驚きの声を発した。

「そうだよ」

「知らなかった。俺、何となくあの教授苦手なんだ。何か怖くて」

「ははは。熱心な人だからね。誤解されやすいんだよ」

 クラウスはフッと笑うと口を開いた。

「信念のある人間は得てして頑固だからな。教授職の人間も押して知るべし、受け入れられにくいさ」




 

 ガラテア大学 

 ジャン・クロード・デュイは自身の研究室で提出されたレジュメに目を通している。

 一般に科学技術と言ってもその範囲は広く多岐にわたっている。以前はその専門性を追求すべく研究分野が分かれていたが、その一方で分野を跨いで帰属的に発展させる事が難しくなっていた。そして現代、統括分野に関する研究が進められて来た今世紀。


移動エネルギーの最小化

 例えば、人物含む物体を粒子程度まで一度極小化(実際に極小化させるわけではななく、現在一つのまとまりとして存在している(くっついている)指令を無効化させ、場所を移動させた後、再び同一の形に戻る様に(形状記憶化)指令を出す。その為に必要な何らかのシステムを人間のDNAに記憶させるための装置の開発研究の提願書なのだ。


 漠然としてはいるが、言いたい事はわかる。粒子程度は恐らく光子の域で、光の速さでの移動に言及したいのだろう。

 そして、その装置が開発され、物質及び人体に適応される様になれば、いずれは各惑星の衛星に宇宙空港を置いて惑星間の移動にも適応する事が出来る。というものである。

 成程、ベネット・ルイスのこの考えは面白い。



 と、ブレスリングの通信アラームが作動した。ニッキー・モーガンからである。

「・・・ふむ。わかった。そういう事なら家の方がいいだろう。場所はわかるね?・・・そう。ミドルタウンの・・君達有志に突撃されてバーベキューパーティーをさせられた家だ。私も今から帰るよ」

 通信を終えるとデュイはデスクに備え付けのキーボードを操作する。目の前に浮かび上がった歳の頃は16歳の少女の立体映像を懐旧と寂寥の眼差しを持って見つめた。

「コードリライトは果たしてどれだけの人々を幸せにしたのか、または不幸にしたのか」







 柏木ダオは、第二セクターの製薬会社勤務である。作業中は茶褐色のワンレングスの腰まである髪の毛をバレッタで後ろに括っている。その日も遅くまでコンピュータルームでデータの処理をしていると、ふと、今は持ち主のいないデスクが目に飛び込んで来た。

 フラン・コミコロノフ。ダオの先輩で何かと面倒を見てくれた。グレーの瞳が特徴的で、仄かに恋心を抱いていたのは内緒である。何故ならコミコロノフは同じ部署のミーシャと恋仲だったからだ。周りから見てもお似合いの二人なのは間違いなく、お互い尊敬し合い支え合っていたのが良くわかった。

 というのも、コミコロノフはコードリライト被験者で、自分が治療を受けれた事は幸運であると理解していた。現在、コードリライトはヘイフリック限界を迎えた細胞には適用されない。ミーシャの母も病気になった時にヘイフリック限界を迎えており、コードリライトの被験者にはなれなかった。そんな二人はお互いが支えであったのだろう。

 ここで働く人達の想いは、『病気になったら誰もが適切な治療を受けれる様に』である。医師ではない自分達は医薬に携わる者として、別の観点から病気の人々を支えれないかと考えていた。

 だが、そんな彼は一年ほど前から体調が優れなくなったのか休職し、アポカリプスへと再入院していた。そして、三ヶ月前、地震に巻き込まれて亡くなったのである。

 その後、恋人のミーシャも現在は退職していて、行方はわからなくなっていた。恋人を失ったショックは計り知れない。

 そんな事を思っていると、頬に冷たい感触が触った。

「きゃっ」

 驚き振り向くと、後輩のプリースカ・ヤンデが両手にドリンクを持って立っていた。水色の瞳がチャーミングな雰囲気を醸し出している。

「ダオ先輩。また、あの席を見つめてる。そんなに好きだったんですか?」

「まぁ、好きは好きだったんだけど、そう言うのとはちょっと違って・・」

「違うって、何がですか?」

「今、見つめていたのは、なんて言うか・・実感が湧かないのよ。元気な姿しか覚えていないの。それがある日突然、体調が優れません。今日から入院します。地震がありました。彼は亡くなりました。はい、お終い。何だか別の人の話を聞いてるみたいで・・」

「ダオ先輩・・」

「現実味がないっていうか。遺体もないからって葬儀も最後のお別れもしていない」

「私はコードリライト被験者なので、そのコミコロノフさんの話は他人事とは思えないです。病気が再発したらと思うと怖いのは怖いですけど、それ以前に事故に巻き込まれないとも限らないんだって思って」

 沈んだ声のプリースカにハタと気が付いたダオは慌てた様子で、

「あぁ、プリースカ、貴方は大丈夫よ。絶対。寿命が来るまで長生きするから」

 強い眼差しで言った。

「そんなの、わからないじゃないですか。寿命が短かったらどうするんですか。そもそも、だからコードリライト被験者なんですからね」

「まぁ、・・そうなんだけど。ごめんね。こんな話になっちゃって」

 ダオは、俯き加減のプリースカの頭を撫でた。

「すっごく落ち込んでるんです。だから・・悪いと思うなら、ご飯連れて行って下さい」

 フッと顔を上げたプリースカは悪戯っ子の笑顔をしていた。

「もぉ、本当に落ち込ませたかと思ったわよ」

「へへ。良いじゃないですか」

「まぁ、良いわ」

「やったー。じゃあ、アーティ先輩にも言っておきますね」

 アーティの名前が出た途端に笑顔が固まったダオである。

 アーティはダオの同僚で、クールな性格のダオと比べると、背はスラリと高いが痩せ型で犬系の可愛さがある男性である。ルーツはダオと同じく旧東南区であると思われる。

「何でアーティも一緒なのよ」

 眉間に皺が寄る。

「アーティ先輩、あんなにダオ先輩の事好きなのに可哀想ですもん。あんなに良い人なのに。ご飯くらい良いじゃないですか。別にデートのチャンスをあげて下さいって言ってる訳じゃないし」

「アーティとデート・・。結びつかないわ」

「それで場所なんですけど、良い雰囲気のレストランがあるんです。旧時代のゴシック様式をコンセプトにしてるんですって。現代に甦るブリック・ゴシックが何たらかんたら書いてますけど、よくわからないですけど何かロマンチックじゃないですか。なので、1週間後の夕食で予約しておきますね」

「あ、プリースカ。私とアーティだけにしようとするなら当日でも帰るわよ」

「あ、・・ハイ。わかりました。ちゃんと三人分予約しますから」

 一瞬泳いだ目は、どうらや図星だった様だ。

「全くもう」

 と、スライドドアが開き、入ってきたのは先月赴任してきた室長のアレクサだった。

「二人とも、今日はもう帰りなさい。特にダオ。貴方、ここ数日働き過ぎよ。オーバーワークには気をつけて」

「はい、室長。そういう室長も毎日遅くまで残っている様ですが?」

「貴方達が帰らないから帰れないのよ」

「会社のセキュリティーはサリーが担っていますから、別に室長が社員に付き合う必要はありませんよ。何かあればセキュリティーガードが緊急対応しますし」

 ダオの態度にアレクサは噛んで含めるように語り出す。

「ダオ。コレは私のやり方なの。まだ赴任して日が浅いわ。みんなのルーティンを覚える為よ。そうすれば小さな変化にも気がつく事が出来る」

「それって、まるで監視されてるみたい」

「違うわ。相互の安全や信頼のためよ」

「前の室長は自分の仕事が終わったら、帰っていましたよ」

「彼は彼。私は私よ。覚えておいて。あぁ、それから、プリースカ。体調は大丈夫?」

「はい。大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「記憶の方は?」

「いえ、まだ。地震以前の記憶は今もモヤがかかっていてハッキリとしていないので、不安はありますけど・・でも、大丈夫です」

「そう。無理はしないでね。何かあればいつでも相談に乗るわ。でも、今日の所は早く帰って寝る事ね」

 言うと、アレクサは部屋を後にした。スライドドアはゆっくりと閉じられた。




 一週間後。

 レストランで食事を終えた三人は、店を出て通りを歩いていた。

「ダオ先輩。室長のことがあんまりお好きじゃないみたいですね」

「まだ好きも嫌いもないわ。私は人を観察するの。簡単には信用しないだけ」








「成程。君はアポカリプスの医者なんだね」

 デュイは「飲むかい?」とブランデーを掲げながら聞いた。「いいえ」と首を振るクラウス。

 庭ではニッキーとベネットが、デュイに頼まれて、芝生にホースで水撒きをしていた。日が落ち行く庭の、照明が二人を照らす。

「はい。医療に従事しています。が、最近は忙しくて自分の部屋に帰ってくる暇が無かったんです」

「地震以降、ガラテアの街も何かと騒がしい様だ。技術の発展から損壊したビルや道路の修復は速くなったが、人間の身体や生活が元に戻るまでには少し時間がかかるだろう」

「ええ。その通りだと思います」

 と、デュイのシルバーの指輪が光った。

「失礼」

 言うと、デュイは席を立つ。


 数分後、部屋へ戻って来たデュイは言った。

「ところで、彼から話を聞いたんだが、ベネット君の記憶が一瞬フラッシュバックしたとか。

それは大きな進歩だ。クラウス君さえ良ければ、このまま少し一緒に過ごしてみるというのは、どうかな?アポカリプスにはここから通えば良い。私は独身だし、この屋敷は一人で過ごすには広くてね」

「確かに、ここは広くて過ごしやすそうだ。ですが、ありがたい申し出なんですが、仕事が忙しくて殆ど帰れないのが現実です」

「そうか。なら、今夜は泊まって行くと良い。ブレスリングの不具合で登録情報がエラーを起こしているんだろう。明日、ガードに問い合わせてみると良い」

「実は友人を迎えに行かなければならないんです。なので、長居は出来ません。申し訳ないが」

「そうか。ところで、君もコードリライト被験者だとか?」

「ええ」

「何歳の時だね?それから今の年齢は?」

 この質問にクラウスは自分でも表情が固まったのがわかった。医者の性格上ある種のポーカーフェイスを意識して生活しているのだが、質問の意図する所が、先程、自分がベネットに訪ねた理由と同じであるならば・・。

「体調に変化は無いかね?」

「・・どう言う意味ですか?」

「なるほど、質問の意味は知っているようだ」

 



 クラウスはソファに座り直すと、徐に口を開いた。

「教授、貴方は何を知っていますか?」

 見つめる瞳の強さにデュイは頷いた。

「コードリライトがコスモポリタンにもたらした物は幸か不幸か?」

「俺は、医者の本分は、適切な治療を必要な人に施す事だと思っています。そしてその為に、真摯な診断をすべきである。と」

「それは君の思いか?」

「俺の本質であり、ハーモン医学校の校訓でもあります」

「ハーモン医学校・・確か・・」

「メテロポリスにある医学校です。そして、学長は俺の母です。俺は母の元で、飛び級をしながら17歳まで学びました。今は27歳です」

「という事は・・」

「このままだと、俺に残された時間は後7年です。時間の長短の概念は見方によりますが、医学の発展という観点で見れば、僅かです」

「それを知っていてなお、アポカリプスの医師であろうとするかね?(コードリライトに異議を唱えないのか?)」

「・・これからの希望にかけます。今、生き長らえれば、この先、何処かの時点で完璧なコードリライトが完成するかも知れません」



 庭では、水撒きに飽きたニッキーがホースの先を潰して上に向けた。

「何の話をしているんだろうね。うわっ、冷た」

 と、霧状になった水が落ちてきた。

「さぁ。大人の話じゃない?」

「教授の所って、時間になったらスプリンクラー作動するじゃんね」

「まあ良いじゃん。水遊び楽しいし」




「アポカリプスでDNAの盗難があった事は知っているかな?」

「・・・」

「まぁ、当たらずとも遠からず予想はしていた。という所かな」

 明確な返事の代わりに片方の眉をクイっと上げて見せる。

「今からおよそ9ヶ月前、コードリライトに必要なDNAが盗まれた。そして、それは今なお見つかっていない」

「ニュースソースは?」

 自身を落ち着かせる様に両手を体の前でゆっくり組むクラウスだったが、

「アポカリプス医師」

「馬鹿な。医者の守秘義務がある」

 身を乗り出した。

「その人間は三ヶ月前の地震で亡くなった」

「・・ドクター白石・・」

「彼は我々の仲間だった」

「我々?」

「とある組織だ」

「何故、それを俺に話すんですか?」


 デュイはフッと視線を庭に向けた。ちょうど、時間になりスプリンクラーの水の中で駆け回ってる若者二人。

「ベネット君の状況を聞いたかね?」

「・・・」

「夢と希望を持った学生だ」

「・・だから、アポカリプスの研究チームは・・ふう・・いや、そんなのは詭弁だ。わかっているんです。この歯痒い状況を」

 デュイはソファから立ち上がると、壁に備え付けのチェストに近付いた。

「確認したいんだが、我々の仲間になる気はないかね?」

「何故、俺を誘うんですか?」

「君には信念がある」

「仲間になって何をしろと?」

「アポカリプスに戻ってDNAを探して貰いたい。恐らくは、まだアポカリプス内にある」

「生憎、俺にはその資格がありません」

 自重気味に笑って答えたクラウスの反応を否と見做したのか、チェストから銃を取り出すと、振り向き様撃った。

「残念だ」

 デュイの撃った弾は先端に極小の針が付いていて麻酔銃の用であった。

 クラウスは即座に能力を発動させ、弾の軌道を変えた。そして、それを驚きの眼差しで見ているデュイの手に握られている銃をも、念動力で飛ばす。

 と、驚いた表情は一瞬で直ぐに戦闘の眼差しになったのをクラウスは見逃さなかった。

 デュイは手近にあったチェストの上に置かれていた置物をクラウスに向かって投げつける。クラウスは念力で置物を壁へと投げつけた瞬間、目の前にデュイの姿が。見えたと思った瞬間に腕を取られ足をかけられ床に膝を着いた。腕の痛みから、能力を使おうにも集中が出来ない。

「君は、東雲の研究所の人間なのか?」

「っっドクター東雲の事か?け、研究所が何を指しているかによる、うっ」

「違う様だな」

 腕の拘束を解いたデュイはソファに座り直した。

「貴方は、ガードの人間か何かですか?」

 クラウスも衣服の乱れを整えると、再びソファに座り直した。こういった所は似たような教育を受けて来た二人だった。

「我々は『ラ・レジスタンス』

 ガードにも引けを取らない訓練を積んだ地下組織だ」




 ノックの音と共にベネットとニッキーが部屋に入ってくる。

「教授。遊び過ぎちゃいました。シャワー浴びても良いで・・」

「・・あの、二人、ケンカでもしたんですか?」

 ソファもローテブルも位置が変わっていて、壁には何かがぶつかった跡がありその下には粉々に砕けた陶器の置物。おまけに銃らしき物までが落ちていた。

「いや。何も無いよ」

「少し地震がね」

 デュイとクラウスだけが穏やかな笑みを携えていた。それが何だか少し不気味だと思った二人だった。

「地震、あったか?」

「いや、分からなかった」

 ベネットとニッキーは不思議に思う。

「二人とも、シャワーを浴びて来なさい。空腹では無いかね」

「あ、はい。少し」

「準備しておこう」

 二人は顔を見合わせた。

「やったー。教授、お肉ですか?」

「あぁ。君達が来るというから解凍しておいたんだ。焼いて食べよう」

 



 食事が終わり、壁のスクリーンに映し出されている夜の海の映像を眺めながら、ワインの入ったグラスを傾けているデュイとクラウス。

 ベネットとニッキーは、隣のゲームルームでカードゲームに興じているようで、時折、ずるいぞとか、俺が狙ってたカードだったのになどのやり取りが、かすかに聞こえている。

「デュイ教授。DNAを欲する理由をお聞かせ願えますか?」

 デュイは暫しじっとクラウスを見つめていたが、徐に口を開いた。


 長い夜、教授の口から語られた事とは・・・。








 レストランに到着したダオとプリースカは席に案内される。二人は仕事終わりに会社でシャワーを浴びて、着替えをして来た。お互いに女性の割には支度に時間のかからない方であると思っている。確かにそうではあるが、自分達よりも先に会社を出て、自宅に戻って準備をして来ると言っていたアーティの方が待ち合わせの時間に遅れて来るとはどう言うことか。

「きっと、ダオ先輩との食事会だから気合いが入ってるんですよ。可愛いじゃないですか」

「人間の本質は中身だと思うけど」

「でも、ある程度見た目も大事ですよ。清潔感ないの、嫌じゃないですか」

「まあ、それはわかるけ・・・ど、アーティ?」

「え?」

 レストランのスタッフに案内されて自分達の方に近づいて来るアーティは普段のモジャモジャ頭と黒縁の度の厚い丸メガネではなく、緩くウェーブのかかった髪は整えられ、メガネの奥に隠れていた瞳はぱっちりと二重でその眼差しには力強さがある。

「やぁ、ダオ。待たせちゃってゴメンね」

 身体のラインに合ったスーツはオーダーで作られたのがわかった。あまりの豹変ぶりに驚いたダオは一瞬反応が遅れた。

「そうね。誰かと思った」

「え?変かな?」

 アーティは慌てた様子で自分の服装をチェックし始める。と、

「アーティ先輩、とっても似合ってます。あまりにハンサムになったからダオ先輩は驚いているだけです。さっきも見惚れてましたよ」

「ちょっと。プリースカ、何を言うのよ」

「へへっ」

 アーティは、あったならば大きな尻尾がぶんぶん振れていそうな満面の笑みを浮かべると、席に着いた。


 和やかな食事の雰囲気を楽しんでいると、ふと視線を感じたダオ。

「室長?」

「あら、奇遇ね」

 背中の空いた黒のイブニングドレスに身を包んだアレクサだった。

「わあ、室長、素敵ですね。デートですか?」

 プリースカが感嘆の声を上げた。

「ありがとう。貴方達も素敵よ」

 と、アレクサの後ろから男性が現れ、腰に手を回す。

「俺のファーストレディはここにいたか」

「ええ。ウチのスタッフよ。とても優秀なの。彼は夫のケンドリックよ」

「わあ、こちらもハンサムさん」

 プリースカの思わず飛び出た様な感想に、ケンドリックは軽く微笑む。

「皆さんも食事を楽しんで」

 遠ざかって行く二人の後ろ姿をジッと見つめるダオだった。




 アレクサは恋人へ向ける様な笑みのまま、ケンドリックと会話をする。

「どう?」

「確かに、怪しまれているかもしれないね。君が現れた瞬間に君の存在を察知した感はあったよ」

「やっぱりね。警戒されているみたい。特に問題がなさそうなのに室長が変わったりしたからかしら。・・・私の手を取って、微笑んで」

「それだけかな。だとしたら神経質すぎないかい?」

「神経質にならざるを得ない事情がある」

「かもね。それで?あの彼女の様子は?」

「今のところは記憶が戻った様子も無いわ。同時期に一緒にアポカリプスにいたであろうコミコロノフの存在についてもわからないみたい」

「それも含めての記憶障害か」

「そのようね。それと、彼女が一緒の部署になったのは偶然みたい」

「本当か?・・にしてもそんな眼差しで見つめられたら一瞬誤解しそうになるよ」

「あら、このまま口説こうかしら。って冗談よ。・・私も気にはなるけど、特に圧力がかかった様子もないのよ」




 食事中のケンドリックはアレクサがレストルームへ立ったのを確認すると、アーロンへ繋ぐ。それとなくダオ達を観察した。

 と、ダオが席を立つ。向かった先はレストルーム。アーロンへ伝えると、

(そうか。こっちの動きを掴もうとしているかも知れないな。適度に情報を操作して、泳がせろ。こっちは朝になったらサリアへ向かう)

(了解。ボス)

 アレクサが戻って来た。

「アーロンから連絡があった。動きがあった様だ」




レストルーム

「ええ・・そうみたい・・いえ、大丈夫よ。警戒されてるならそれなりのやり方があるもの・・ええ、わかったゎ・・」

 ガチャと空いたドアに咄嗟にブレスリングの通話を終えたアレクサの視界に飛び込んできたのは、ダオの姿だった。

「誰かと話をしていたの?」

「いいえ。独り言」

「・・そう」

 ゆっくりとアレクサの側を通り過ぎるダオ。

「ねぇ、いつまでその態度なの?」

「さぁ、別に意識してるわけじゃないから」

 言うと、個室に消えたダオだった。

 アレクサは軽くため息一つ。



 アレクサがテーブルへ戻ると、ケンドリックが一言。

「アーロンから連絡があった。動きがあった様だ」

 目でオーケーと頷くと席を立った二人だった。

 



 レストルームから戻ったダオはアレクサ達の姿が見えない事に気がついた。

「室長達は?」

 仲良く談笑をしていたプリースカとアーティに尋ねる。

「あ、ダオ。おかえり。室長達はさっき帰ったよ。急用なのかな。旦那さんの方がブレスリングで何か話してみたい。その後すぐ席を立ったから」

「そう」

 ダオは、まだ食器の残っている空席を見つめた。




「えっと、この後どうする?お腹覚ましのコーヒーでも飲む?」

 アーティが聞くと、

「お腹覚ましって何?」

 ダオは可笑しくなった。時折、アーティのワードセンスは面白い。

「あれ?落ち着かせるって意味だったんだけど・・」

「アーティ先輩って個性的ですよね?」

「プリースカ、それ、褒めてないでしょ」

「あれ?バレました?」

「もう」

 少し頬を膨らませたアーティだった。

「アーティ、プリースカを送ってあげて」

「え?ダオは?」

「私は行く所があるの」

「え?・・・何処?」

 探る様な雰囲気のアーティにダオの眉がピクリと動く。

「何よ?」

「・・こ、恋人・・とか?」

 視線を泳がせながら聞くアーティに、ダオは呆れながら答えた。

「パパの所。最近会ってなかったから。折角、キレイな格好をしてるから見せてあげるだけ」

「なぁんだー。そっかぁ。お父さんかぁ。ダオ、お父さんに宜しく言っておいてね」

「何であんたが、宜しく言うのよ」

「あ、いや、だって、その、ほら、いつか会うことになるかも・・知れないし・・」

 頬を赤らめながらしどろもどろで語り出す。

「とにかく。プリースカの事、ちゃんと送ってね」

「うん。わかったよ。家はD4だよね、プリースカ」

「ええ」


 






 ガラテアの中心地区、センタービルの中階に掲げられた巨大なスクリーンに様々なCMが映し出されている。

 センタービルの上階に映像会社はあった。柏木龍彦はその会社のプロデューサーである。作業室も兼ねている制御室の壁一面に細かく映し出される映像。ここは統括部署で、各制作会社にコンセプトやモチーフを元に依頼し、出来上がった映像を流すのである。どの映像が人気があるのか、同時に統計も取っている。あまり人気のない映像は早々に打ち切りになる。人気のある映像は趣向を変えながら、長く放送するのである。

 本日もその作業に追われていたが、レセプションより連絡が入った。

「柏木P、お嬢さんがお見えです」

 数分後、ダオが現れた。

「ハイ。パパ、元気?」

「やぁ、ダオ。いつも綺麗だが、今日は一段と綺麗だね」

「ありがとう、パパ」

 言うと二人はハグをする。と、そのままダオは小声で告げた。

「ガードが動いているみたい」

「証拠は?」

「身のこなしが一般人じゃない。私も気をつけているけど、向こうも気をつけてる」

「と言うと?」

 二人はソファに座り直す。

「普通、ヒールを履いている女性は、歩く時にヒールの音がするものよ。彼女は、音を立てずに歩くわ。そうして、私たちに近づいて来て、気づかれても良いタイミングになったら音を立てるのよ。

 それに、知られたくない誰かと連絡を取っていた様だし、口唇術で少し会話が読み取れたけど、夫婦じゃない人間と夫婦に見せかけてデートしてた」

「成程。知らせておこう」

 言うと龍彦はその指に嵌められたシルバーの指輪を撫でた。

「目的はプリースカね。やっぱりあの地震の時に、アポカリプスで何かが起こったんだわ。プリースカの記憶が無いのも関係しているのよ。だから、ガードもプリースカを監視しているんだわ」

「そこにDNAの在処も隠されている・・か」

「ええ。もし、DNAが見つかっていれば、ガードは動かないはず」

「そうだな」

「入った情報によるとDNAの盗難があった後、集められたのは4名。コミコロノフとプリースカ、それに・・ベネットという子と、マリア」

 会社へはコミコロノフは体調不良により入院したという事になっているが、本当はアポカリプスからアクションがあり入院していた。そして死亡した。とされている。

「ああ。その内、二人は記憶が無く、一人は死亡とされ、もう一人はアポカリプスを出た記録が無い」

「ねぇ、パパ。ドクター白石は本当に何か情報を残して無いの?」

「現段階では何もない。地震は突発的だったろう。残す暇が無かったか・・」

「でも、元々、DNAはドクター白石が盗む筈だったでしょ」

「あぁ。だが、その白石から連絡が入ったんだ、あの朝。『DNAが盗まれた』とね」





「パパ、万が一の仮定だけど、ドクター白石が私達に嘘をついている可能性は?」

 ダオのこの質問に龍彦は僅かに眉間に皺を寄せた。

「白石とは大学時代、首席、次席を競って切磋琢磨した仲だ。あの頃の友情はかけがえのない物だが、それとはまた別に私と彼とは共通の信念の元、活動を続けていたんだよ。あり得ない」

『ラ・レジスタンス』

 ダオは音には出さず、口だけ動かす。

「そうだ。ダオのママが病気になった時、コードリライト不適合だった。まだ、若かったのに。後にアポカリプスの検査ミスと判明した。多くの人々がコードリライトの治療を受けている中で、彼女は早々に亡くなったよ。だが、それはそれで良かったのかも知れない。コードリライトの末路を知った今では、そう思う。白石の妹はコードリライトを受けた結果、若くして亡くなった。その瞬間を今でも覚えていると、再会した時に話したんだ。

 このコスモポリスにおいて唯一のコードリライト専門機関、アポカリプス。私はその驕り故に妻を亡くし、彼の妹は被験者という名の犠牲者になった。

 今もその気持ちは同じだと思っている」

「わかったわ、パパ。おやすみなさい。愛してるわ」

「私も愛してるよ。ダオ」

 龍彦はダオの頭にキスをした。






翌朝。

「・・アポカリプスへ戻ったらDNAを探しますよ」

「我々の考えに賛同すると言う事かな」

「一人でも多くの命が助かる事が大事だ。そのために必要ならDNAがある場所は重要じゃ無い」

「コレを使いたまえ」

 鍵を渡す。

「なんですか?」

「登録なしに使える車(1人乗り用)だ。我々の所有でね」

そう言うと倉庫に案内した。








アポカリプス通路

 ジョディ医師は白石医師の荷物の中から見つけた物を持って歩いている。

 ガラスケースに入れられたチップである。「永遠に壊さずに」保存できるガラスのディスクが発明されて以降、DNAはこれに保存されている。ひょっとしてコレがそうなのかもしれないと思うと、思わず握りしめる手に力が入る。

「確かめなくては」







メガポリス


第二セクター 都市開発コンサルタント会社


社長   侯 雨桐 ホウ・ユートン(48)F


副社長  リシャール・ルロワ(54)M



重役会議中

 画面に映し出されている社長、副社長、専務(黒画面)、常務、本部長、部長



「今回の案件は全て再検討と致します」

 一斉に画面越しに抗議の声があがったが、

「・・本日は以上よ。ご苦労様」

 雨桐はスイッチを切ると、ふぅと一息ついた。

 逡巡の後、ボタンに手を伸ばす。

「リシャール、少し話せる?」

 返答は5分後に部屋に行くというものだった。


 キッチリ5分後に現れたリシャールに

「まずは、サラの様子は?今日も不在だったわね」

「妻の容態はあまり良い状態とは言えない」

「医療機関へは?」

「恐らくコード・リライトは適用されないさ。今はサナトリウムで過ごす事を考えているよ」

「そう。力を落とさないでね」

「いずれどんな人達にも訪れる運命だ。妻は少しばかり早く来ただけだよ」

「・・仕事の話だけれど、」

「ああ。人事を考えてくれて構わない。妻はもう戻って来れない」

「わかったわ。プロジェクトを引き継ぐ人間を探します。

 それから、スカイビルの中空ステーション増設に伴い、交通網を整備する必要があるわ。サンプルを提出させて」

「わかった」

「それと、最高議会より通達があったのだけれど、ガラテアの街を二区分広げたいそうよ」

「ガラテア?今の旧市街分という事かな」

「そうなるかしら。ガラテアは北にパルーサの森が広がっているからそこも含めて土地調査をお願い」

「わかった」










 佐保子の部屋のドアの横。壁に背を預け、小型のデバイスで何かを見ている人物。

「・・・クラウス?」

 自分を呼ぶ声にクラウスは顔をあげ、視界に佐保子を捉えると、ブレスリングを見せて言った。

「コード変更してくれ。それと、聞きたい事がある」

 睨んだ。佐保子もまたその視線をクラウスから外さずに、部屋の前までくると、虹彩認証とブレスリングをかざした。

 ピッという電子音。

「こちらもよ。入って」






 昨日のステーキを焼いた串を片付けながら、遊んでいるニッキーとベネット。

「わーれこそは、ドン・キホーテなりー」

 ニッキーが串を剣に見立てると、ベネットもまた、

「これこそ正に、聖剣エクスカリバー」

 と、土を岩に見立て、引き抜く仕草をする。     

 二人とも、古い書物に記された騎士道精神に憧れがあるのやらないのやら・・。

「教授ー。この串は何処に片付けますかー?」

 遠くの方で、デュイは指を差す。


 デュイは通信中であった。

「ああ。クラウスという若い医師だ。異能力がある。彼なら、東雲の子供達と戦える」

(信用できるのか?)

「信念のある若者だ」

(全てはDNAを手に入れてからだ)

「ああ」

 と、外からエンジン音が聞こえて来た。

 車から降りてくるガードが2名。


「ここにクラウス・ハーモンがいると思うんだが、何処かな?」

「クラウス君なら今はもういないが」

「何処へ?」

「アポカリプスの医師だという事だから、戻ったのでは?」

「彼は医師だったんだ。今は要入院コードのアポカリプスの患者だ。本人の為にも市民のためにも早く連れ戻す必要がある」

「そうだったのか。だが、本当にもうここにはいないんだ」

「徒歩で?」

 ガード二人の視線は、シャッターの開いた車庫に向けられていた。

「一台分空いているね」

「登録ナンバーは?」

「・・確認しよう」

 車庫に向かって歩き出すデュイ。

 そして、

「彼の乗って行った車は・・・」

 デュイは、素早い動きで、そばに居たガードの銃を奪うと撃つ。崩れ落ちるガード。

 もう一人に向けた瞬間、銃口がこちらを向いていた。成程、もう一人の彼は反射がいい様だ。一発撃ち込むと避けられた。

 そのまま、車両に乗り込み発進させる。

 と、

「教授!」

 ニッキーが信じられないという表情でデュイを見ていた。

「危ない!下がって」

 ガードに叫ばれながら、体を掴まれそのまま後ろに引き摺られた。

「ニッキー、大丈夫?」

 ベネットが近づいてくる。


 ケンドリックの通報でガード第二部隊ガード4のメンバーが現れた。

「ガラテア大学の教授か」

「ああ。登録外車両保持だ。他にも余罪があるかもしれない」

「わかった。ここは、我々が捜査する」

「俺はあの子達を家まで送るよ」

「頼む」


「ケンドリックです。今から保護した子供達を家まで送り届けます」

 車の後部座席で大人しく座っているニッキーとベネット。

「君達家は?」

「僕はD4です」

 と、ベネット。

「君は?」

「僕もです」

 ニッキーが答えると、「えっ?」という表情をベネットがしたのをケンドリックは見逃さなかった。

「一応、光彩認証で確認をするよ」

 ベネットの確認を終えて、ニッキーに伸びて来たその手を・・素早く掴まえ捻る。驚く隙も与えず、武器を奪いとると、ケンドリックを撃った。

 驚くベネット。

「殺したの?」

「まさか。ガードの武器は人間を制圧する為の物で殺す為の物じゃないよ。気絶させただけだ」

 倒れたケンドリックの体を乗り越えて前の座席に移動し、ハンドルを握る。

「でも、起きられたら面倒だからね、殺す」

 運転をしながら、自身のベルトから細いワイヤーを取り出し、ケンドリックの首に巻いた。

「ダメ。止めて」

 咄嗟にその腕にしがみつくベネット。

「うわ。危なっ」

 ハンドルを操りながら腕を捻り、ベネットの手首を捕まえた。その手首を引き、ベネットのバランスが崩れたところでみぞおちに拳を入れ気絶させると、崩れ落ちるベネットの上半身を優しくシートに倒した。

「アイツが裏切ったのかな」









メガポリス

 コスモポリタンセキュリティー

 メガポリス本部

「さて、着いたよ。お二人さん」

 車が停止した所はキューブ状の駐車スペースであった。上下左右に車が並んでいる。

「すごいわね」

 シャーロットは素直な感想を述べる。

「どうやって建物の中に入るの?」

 ナギサが聞くとアーロンは壁に備え付けのパネルに顔を向ける。虹彩認証。

 するとその横の、一見、壁と思えたドアが音もなく開く。乗り込む3人。

「いいか。ドアが開いたらガードの本部だ。受付がある。俺は本来の役職で入るが、君達はそうはいかない」

 アーロンの説明にナギサとシャーロットは少し緊張の面持ちだ。

「任せて。その為に私が来たんだから。シャーロット、作戦通りに行くわよ」

「オーケイ」



 ドアが開く。

 エントランスは中階にある広い空間で、左右に長いエスカレーターが置かれている。前面がガラス張りの為、太陽光が降りそそでいた。

 受付に座っているのはホログラムのサリー。その前に認証機が並べられている。

 三人は真っ直ぐ歩いて行くと、アーロンがサリーに声をかけた。ブレスリングをかざし虹彩認証を受ける。

「やぁ、サリー」

「こんにちわ。アーロン」

 続いて、ナギサも同じ様にした。

 無効化されたブレスリングは反応がなく、虹彩認証は定まる寸前アラートが鳴る前に、シャーロットの能力でショートさせた。

「認証機、不具合です」

 サリーが言うと数秒後、ガードが現れる。

「ハイ。私は第二部隊のソフィストのナギサよ。こっちは同じく、シャーロット」

 ナギサが暗示をかけると、ガードは頷いた。

「ええ。わかっていますよ。自己紹介は不要です」

 言った。



 エスカレーターに乗って登って行く。

「こっちだ」

 降りると角を曲がり道なりに半円を描くように進む。更に、広いホールに出ると、三叉に分かれている左側を進み、途中を曲がる。また進むも、再びホールに出た。

「乗れ」

 今度はエレベーターに乗ると降りて行く。

「何でガードって迷わないの?」

 ナギサが小声で聞くと

「慣れだ」

 アーロンは短く答えた。

 ポーンと言う音と共にドアが開いた。狭い廊下だった。

 最初のドアを開けると、

「はい。ボス。お帰りなさい」

 ミミとローガンが待っていた。






ガード1

 ミミはソフィストルームで追跡中であった。

「アーロンがガードの本部へ入ったわ」

 ローガンはミミの後ろからスクリーンを覗き込む。

「ボス。上手くやって頂戴よ」

 見えている映像はアーロンが装着しているコンタクトレンズ。超薄型カメラ搭載なので傍目にはわからない。そしてコンタクト特有の黒目の外側に出る歪みを極限まで矯正してあるので、レンズの装着も視認が難しいのである。無論、虹彩認証に問題は無い。

「ところで、アレクサから連絡が入ったか?」

「いえ。まだよ。でも必要な情報は伝えてあるわ」

 ミミは、画面から目を逸らさずに言う。

 と、ケンドリックのブレスリングが点滅した。

「おっと、呼び出しだ。第一部隊の仕事をして来るよ」

「オッケー」

「気をつけて」








 目の前に広がる光景に驚きを隠せないナギサは、攻め口調もそのままにアーロンに詰め寄る。

「どう言う事よ。アーロン」

「ガードは余程特別な理由がない限りは個人で動かない」

 アーロンはナギサに向かってウィンク一つ。

「もう、何よ。あ、この画面。あなた・・そのコンタクトね」

「薄型のカメラさ」

 両手を広げて答えたアーロンに向かい、こちらも怒りの感情を持ったまま、シャーロットは手のひらを上に向けてその中に電気の球を作る。

「ネイションズの中の映像は?」

「いや。あの場所は電波が届かない筈だろ?」

 アーロンはホールドアップの状態で、シャーロットの瞳を真っ直ぐに見つめた。シャーロットは視線だけをミミに送ると、

「ええ。無事を祈るしか無かったわ」

 手から電気の球を消し一同を一睨みした。

「命拾いしたわね」


「わぁお」

「ヒュウ」

 会話だけではなく、異能力を目の当たりにして少し驚くメンバー達。

「ウチのメンバーは頭が柔軟だ。どんな環境にも適応できるように訓練も積んでる」

 アーロンの言葉に、二人に向けて、肯定の笑顔を見せるミミとローガンであった。



 そんなシャーロットを落ち着かせる為にその肩に触れたナギサであったが、ふとある事に気がついた。

「待って。じゃあ、ネイションズ以外での話は全部筒抜けって事?」

「まぁ、市民の安全の為だ」

 信じられないという表情をしたナギサに贖罪の笑みを返すアーロンだった。





 亮二はユーリとメイを連れてクラウスの部屋へ。その後ろからイライジャも続く。

「ユーリ開けてくれ。構わない、後で佐保子へ連絡を入れる」

 頷くと、指先に電気を集めると虹彩認証機とブレスリングの認証機をショートさせた。

 部屋へ入り、サリーを起動させる。

「不法侵入です。不法侵入です」

「緊急事態だ。私はアポカリプス医師のドクター東雲だ。スキャンを」

「ドクター東雲、スキャンを開始します。緊急事態とは?」

「君のマスターは?」

「マスターは仕事です」

「アポカリプスか?」

「医師ですので」

「体調の変化は?」

「細胞質の変化がありました。貴方と似ています」

「データは?」

「マスターが持っていきました」

「コピーが残っているか?」

「デリート済みです」

「誰かとコンタクトは?」

「はい。ありました」

「誰だ?」 

「ベネット・ルイスです」

「・・何処にいる」

「ガラテアのサリーにアクセスします」

 数秒後。

「ミドルタウンにいます。ガラテア大学教授、ジャン・クロード・デュイの邸宅です」

「ガードへ通報しろ」

「ミドルタウンへ行かないのか?」

 イライジャが尋ねると、亮二は視線を向けた。

「子供達が心配だ。一度戻る」

「僕が超加速でミドルタウンに行こうか?」

「いや。イライジャ、タウンで能力を使う時は最新の注意が必要だ。まだ、駄目だよ」

「ふうん。クラウスが会ってるのが、誰か気にならないの?」

「ガードに動いてもらう。それに、アポカリプスへ・・いや、ネオに戻った方がクラウスの動きを掴みやすい」

 亮二の言葉に、

「イト達、心配してるかな」

「多分。ねぇ、亮二、イライジャも一緒に戻る?」

「もちろんだ。イトとリオも紹介しよう」

「やった」

 メイは喜んだが、イライジャは新しい登場人物に警戒の眼差しを持つ。

「誰」

「私達の仲間よ。大丈夫。きっと好きになるわ」




 


 イトとリオはキッチンでエッグトーストを作ると、ミルクとサラダを乗せたトレーを持ってリビングルームのソファへと座る。

 目の前には大画面のテレビが置かれていた。リモコンを操作すると、大画面は無数の画面に分割された。

「イト。どれが見たい?」

 イトはザッと見回したが、特に興味のある内容のモノは無かった。

「別に要らない。それより、亮二達、まだ帰って来ないのかしら」

 ふと卓上で無重量の緩やかな回転をしているカレンダーに視線を向ける。

「心配?」

「リオは心配じゃないの?」

 事もな気にパクリとトーストに齧り付くリオにイトは繭を顰める。

「クレアも見つかってないのに」

「ほらね」

「何が「ほらね」なのよ」

「君は精神系で亮二達の動きを追っているだろ。だから、まだクレアが見つかってない事もわかる。という事は君が慌ててないって事は非常事態は起きてないって事だよ。モグモグ」

 リオの咀嚼音に少しだけ苛立ちを覚えるイト。

「だとしてもよ。ずっと意識を追ってるわけにはいかなもの。距離的にも私の能力には限界があるわ。その間に何かあったらどうしようって心配してるんじゃない」

「んー。それで俺に八つ当たり?」

「別に八つ当たりしてる訳じゃ・・いえ、そうかも。ごめんなさい」

「いいよ。別に。それに・・」

 リオはふむふむと言う様にイトの瞳を覗き込んだ。

「亮二達から全然連絡が無い事に怒っているんだね」

「ねぇ、精神系は私よ。人の心を読むのは私の仕事」

「疎外感でいっぱいの裏返しの怒りの感情なんだね」

「それはっ」

 図星を突かれて思わず声を荒らげたイトに微動だにせず真っ直ぐな視線を向けるリオ。

「だって、俺もそうだもん。寂しいよね、置いてけぼりって」

 リオの素直さにイトは少しだけ昂っていた感情が落ち着いた。ため息一つ。

「仕方ないのはわかっているのよ。私は車椅子だし、足手まといになるわ」

 寂しそうに目を伏せたイトの頭を優しく撫でるリオ。

「俺だってそうだもん。キャリアだからユーリ達みたいに能力がある訳じゃないし。ここにいるしか無いよ」

 その声には深い悲しみがあった。

 イトはハッとした。自分の感情ばかりでリオの事を気にかけていなかった自分に。

「リオ。能力が無くたってリオは私達に必要よ。友達でしょ?」

 イトに差し出された手を取るリオ。

 と、その時ドアが開いたかと思うと賑やかな声が聞こえて来た。

「イト、リオ。ただいまっ」

 部屋に飛び込んで来た勢いのままイトに飛びつくメイ。その後ろからユーリや亮二も姿を現した。イライジャを連れて。









 アポカリプス医療棟の地下。から更に地下へと降るとアポカリプスのメインコンピューターのサリーがある。

 佐保子は自身の虹彩認証及びIDを用い情報の書き換えを行った。この部屋に入れるのは、院長の自分と副院長のイアンだけである。父から職を譲り受けた時にその様に説明を受けた。今までその事実を疑った事は無いが、まだ何か自分の知らない事があるのかも知れない。因みに前副院長は、佐保子の母親でもあり、イアンの指導医でもある、佐和子である。

 

 亮二から指摘があった通り、クレアのオーダーが抹消登録になっている。

 そしてオーダー変更の履歴はデリートされていた。

 ここに来る前に、イアンのいる区域の映像を確認してきたが、彼がフロアから出た様子も無ければ、誰かと接触した様子も無い。

 となると残る可能性は、私自身である。正確には私の虹彩認証とブレスリング。イアンの様に暗示をかけられているのか、それとも情報が盗まれたか。でも、どうやって?


 冬馬・グレイは今も入居中であるし、特に変わった様子はないと担当医師からの報告もある。彼は、コードリライトに関わりはないので、担当医師ももちろん、通常医療の医師である。もちろん、アルビノはその皮膚と、虹彩に異常が出やすい為、いつでも皮膚科、眼科へと受診が可能にしてあるが。

 

 「ふう」と一息ついて佐保子は部屋を後にした。





 亮二は医療棟第4ステーションの廊下を佐保子の部屋へ向かい歩いていると、後ろから声をかけられた。

「私の部屋へ行くところだったかしら?」

 亮二が振り向くと佐保子がいた。

「ああ」

「遅いおかえりで」

 笑顔だがその額には怒りマークが浮かんでいるのが見えた。

「何か怒ってる?」



「貴方まで連絡も無しに行方不明にならないで。何かあったかと」

「通信は切ってた。それに1日留守にしただけだよ」

「今はアポカリプス自体が通常通りじゃ無いのよ。他のデリバー達は?一緒に戻って来たんでしょうね」

「いや。まだだ・・他のって?」

「クラウスが戻ってる」

「クラウスが?いつ」

「昨日よ。

 彼はDNAを探しに戻ったと言ったわ。盗難の事をドクター白石から聞いたと」

「それは、嘘だ」

「ええ。わかってる。だから、今はまだ泳がせているわ」

「わかった。それと、クラウスがベネット・ルイスと接触した」

「ベネットと?何処まで・・いえ。まだね」

「だが、あまり時間に猶予が無い」

「そうね。・・それで?貴方は何処にいたの?」

「コモンウェルス・ネイションズ」

「何ですって?DNAは?」

佐保子は聞いた。

「いや。彼らじゃない」

「信用するの?」

「まさか。だから、土産を持って来たよ」

「土産?何の事」

「超加速の子供」

「それがどう・・いえ。貴方の研究所にはいないわね」

「ハイジと一緒さ」

「ハイジ・・。そうね。そのハイジだけど、まだ戻らないかしら」

「クレアを探してる。

 佐保子。失踪はクレアだけじゃない。僕らの事を知ってる人間が他にいるようだ」

「どういう事?」








「誰?」と睨むリオ。

 亮二達をその視界に入れて破顔したリオであったが、イライジャを見つけた途端に真顔になった。

「僕はイライジャ」

 歓迎されていない事に気がついたイライジャもまた、表情も声も硬い。

 数秒程の静寂を打ち破ったのは、亮二のブレスリングの呼び出し音と、

「ドクター東雲。話がある」

 クラウスの声だった。

 


 

「ドクター東雲。提案があるんだが」

 クラウスは第21ステーションのコモンルームに入るなり、開口一番要件を話し出す。そんなクラウスの態度にフッと笑みをこぼす亮二だった。

「どんな提案だ?」

「アポカリプスへ医師として戻りたい」

「・・ハイジ・リオルッサやサーシャ・ローウェルの事は気にはならないのか?僕は二人を連れ戻せと言ったはずだが」

「見つかったのか?その為にんたもここを留守にしたんだろ?」

「・・半分は見つかった」

「そうか。二人を探してる人間は大勢いる。俺は俺にしか出来ない事をするさ」

「君にしか出来ない事とは?」

「DNAの盗難があったんだろう?そしてまだアポカリプス内にある可能性がある」

「根拠は?」

「とある情報筋だ」

「内容は?」

「ドクター白石だ」

 白石の名に亮二の眉がピクリと動いた。

「既に亡くなっている」

「盗難時には生きていた」

「・・それを信用しろと?」

「医者の信念をあんたと話さなきゃならないか?例えあんたがマッドサイエンティストだとしても、医者になる時に誓った事がある筈だ。ドクター白石もアポカリプスの秘密より医者の信念を優先しようとしたのさ。可能性はある」

「・・・・」

 亮二は少しの沈黙の後わかったと答えた。

「良かった。復帰の件はあんたが良いなら良いとさ」

 部屋を出て行こうと背を向けるクラウス。

「佐保子には僕から伝えておく。それから、ブレスリングの事だが・・」

 振り向き言う。

「聞いてる。コード変更をしてくれと言っておいた」

 クラウスは今度こそ踵を返し部屋を後にすると、医療棟医務室へ向かった。

 

 


 

 亮二がネオの施設 リビングルームで見た光景は。


 円卓の騎士ならぬ円卓の異能者達。

 丸テーブルに均等に椅子を置いてそこに腰掛けている子供達の姿であった。

 そこに会話は無く、静寂がその場を占める。否、亮二の登場で少しだけ空気が揺れた。








ガード内部。

「それで、ボス。サリアでの収穫は?」

「ああ。武器を持って来た。今組み立てるから、情報を探してくれ」

 そう言うと、アーロンは器用に組み立てる。

「へぇ。これがいわゆる実弾銃というヤツか」

 ローガンも同様に組み立て始めた。ガードの基礎知識として、武器の組み立てと解体は必須知識である。コスモポリスとなってから、重犯罪が起きる事は珍しいが、それでも絶対に起きないとは限らない。そして、テロが起こらないとも限らず、その中で、独自の武器の生成が為される事もある。

 全く新しい武器は、そもそもの概念から知る必要があるが、大抵の武器は既存の武器の上位交換である。おおよその形やその目的から推理して組み立てる技術も無くてはならない。


「探し人は見つからずだ。だが、恐らく地下組織が絡んでいる。登録外車両や前世紀の武器を持っていた」

「課長に報告して部隊をサリアへ送る?」

「まだだ。課長を納得させる為にはその他の情報が必要だ」

「コスモポリスになって数世紀が過ぎてもまだ、前時代を引きずっている輩がいるようね」

 組み立て終わった武器を、デスクの上に置く。上からスキャンをかけて形状その他、物質を調べる。


「それと、アカデミーの生徒が行方不明になった。クレア、モリソン。登録抹消になっている」

「アカデミーへの影響力はガードよりアポカリプスの方が強いわ」

「だが、アポカリプスと違い、ガードの出入りがある。本人だけじゃ無く家族もいなくなった。調べられるか?」

「やってみるわ」

 ミミはまた別のネットワークを開く。


「と、アーロン。同じくベネット・ルイスが、そうだ。復学はしてるが、記憶が曖昧らしい。

少し前の情報だが、ケンドリックが教授の家で保護したそうだ。登録外車両を持っていた」

「同型か?」

「ケンドリックから映像が届かないから、何とも言えないが、クラウス・ハーモンが彼の家にいたらしい」

 ナギサが驚きの声を発する。

「クラウス?そんな所で何してたのよ」

「もしかすると、サーシャと円路の失踪に関係してるかも知れないな」

「クラウスも仲間って事?地下組織っていうタイプじゃないわ。それに、そんな素振り・・」

 信じられないと言う様に首を振るナギサに、

「あら。さっきまでは東雲が正体を暴いてやるから覚悟をしなさいって息巻いてたのに。いざとなると動揺するのね」

 シャーロットが言う。

「それは・・単独行動に怒ってただけで・・」

「人って意外とわからないものよ」

 シャーロットの瞳が揺れた気がした。







 ナギサは亮二にクラウスの事を告げると、クラウスが既にアポカリプスへ戻っている事を告げられた。

「じゃあ、捕まえて。実は・・」

「なるほど。わかった。佐保子へも伝えよう」

 東雲は、ブレスリングで佐保子を呼び出した。






 ジョディは、医療棟を抜けて研究棟へと向かった。ポケットに入れたガラスケースを握りしめながら、白石とのあの日の会話を思い出してみる。



 アポカリプスのアラームが鳴って数時間後。佐保子に呼ばれた緊急会議の帰り道。

 医療棟へと向かい歩いている。アラームを押した張本人の二人は、佐保子からもガードからも同じ話を何度も聞かれた。

「貴方は強いわね。私は動揺しちゃってるわ。これからどうなるのかしら」

「どうもならないさ。我々は医療を続けていくしかない」

「コードリライトが出来ないのに?アポカリプスの存在意義よ」

「それだけじゃないさ」

「そうかしら。佐保子はどういうつもりかしら。ガードも撤退させちゃって」

「何か考えがあるんだよ」

「見つかると思う?」

「そうだといいね」

「ねえ。随分と他人事じゃない?アポカリプスの医師でしょう?」

「けれども人間だ」

「どう言う事?」

 この時の白石の眼差しが忘れられない。静憤怒と大悲が混ざった様な、でもどこか微笑んでるようにも思えた、あの眼差しが。





 エリザベスは、サラームに交代の挨拶をすると、セクションルームを後にする。



 佐保子はガードを帰したあと、主任クラス以上を集めて臨時会議を開いた。

「本日未明、アポカリプスにてとある事案が発生しました。

 私とイアンで対処をします。その為、イアンは医療棟から離れ、不在になります。

 最初、ガードの介入も考えましたが、我々で対処する方法を選びました。各病棟の主任医師は各方面でサポートをよろしくお願いします。追加報告があれば都度していきます。

 研究棟も以下同様です。今より通常業務に戻って下さい。

 以上」



 追加報告はないままだ。

 非常ベルが鳴って三ヶ月後。マイク医師を捕まえて聞いた事があるわ。

「何か聞いてる」

「さあ。どうかな」

「何よ。その返事は」

「佐保子は秘密主義だ。聞いても答えないさ」

「じゃあ、質問を変えるわ。気がついた事はある?」

「イアンが不在だ」

「そんなの自明だわ」

「だが、長すぎる。アポカリプスの非常ベルが鳴って3ヶ月だぞ」


 イアンもまだ戻っていない。


 と、センターを出ようとした所で、ブレスリングのアラームが鳴った。

 ジョディ医師からである。

「はい。ベスよ」

「ああ。ベス。今何処?相談したい事があるの」

「センターの入り口よ。西側の」

「医療棟からそっちに向かってるわ。ちょっと待ってて」

「わかったわ」

 エリザベスは医療棟側へ引き返した。



 数秒後。クラウスが入って来た。






 サラームはあの日、何故もっと強くイアンに問い掛けなかったのかと、心に強く思っていた。或いは意識混濁の状態であったのかも知れないイアンを、あの時、引き留めていたら、状況は今と違っていたかも知れないと。


 と、セクションルームの廊下の向こう。

 先ほど帰ったはずのエリザベスとジョディが奥の部屋に入っていくのが見えた。

 エリザベスはDNA盗難のあった日、この席に座っていた。そして、ジョディは亡き白石医師と保管庫に入って行った本人である。



 緊急会議から数日後。どうやら、イアンが不在なのは盗難の第一容疑者らしいとジョディから話を聞いた。

「どう思う?」

「イアンだとは思えないな。いつもと様子が違ったし」

「じゃあ誰?」

「わからないよ」

「まだあると思う?」

「どうかな。でも扱うのは難しいよ。だからアポカリプスが唯一の研究機関なんだよ」

「そうよね。佐保子が院内捜索するって言ってたわ。箝口令が敷かれているけど」

「知っているのはこのメンバーだけだろ?」

「でも、イアンがいない事で憶測が飛び交うわ」

「今、君が教えてくれたみたいに?」

 ジョディの口元がキュッと閉じられた。

「私は、あの日、白石医師と保管庫に入って確認したのよ。本当になかったの」

 どうやら、別の医師から疑われているらしい。

「オーケイ。落ち着いてくれ。俺は君を疑っている訳じゃない」

「早く見つかってくれないかしら」

「ジョディ。君だけじゃない。みんなそう思っているさ。佐保子には考えがあるんだよ。だから、ガードを撤退させた。理由も無しにそんな事はしないさ」

「そうよね」

 ジョディは自分に言い聞かせる様に呟いた。


 サラームはそんな二人を追いかけたかったが、勤務中はこの席から離れるわけにはいかないと思い止まった。

 あれから九ヶ月。一見、いつもの落ち着きを取り戻したかの様なアポカリプスだが、まだ、問題は片付いていない。それでも、可能な限りはコードリライトが続いていくだろうとは思うが、問題は、その後だ。

 





「このガラスケースって・・」

 ジョディの手の平に置かれているソレを上から覗き込むエリザベス。

「ええ、そうよ。DNAを保管してるのと同じよ」

「何処からこれを?」

「白石医師の荷物の中からよ」

「今頃?佐保子が院内捜索をかけるっていった時は、医者や研究員、全員の荷物もPCも調べられたハズじゃないの」

「わからないわ。その時は、何処かに隠していたのかも」

「とにかく調べましょう。何が入っているのか」「そうね」

 ディスクを入れようとする二人。その後ろから気配を感じた瞬間、振り向く間もなく衝撃を感じて気を失った。








 クラウスは研究棟から医療棟へ戻って来た。研究棟、DNAの保管庫と同じ作りの部屋へ行って来たのだ。

 保管庫は二重にロックされているし映像も残る。通常の人間では、痕跡を残さずに盗み出す事は困難だ。でっかい穴を開けてとか、アラームが作動しない様に細工をしてとか、その場にいる人間を、古い手段だが、催眠ガスで眠らせてとかの手法なら可能だろうが。

 DNAを盗み出す為に必要な能力が何であるかを考えながら、ブレスリングをかざす。ピッという電子音と同時にロッカーを開ける。

 と、そこへ亮二が現れた。

「東雲?何か用か?」

「DNAは見つかったかな?」

「いや、まだだが・・」

君に確認したい事があるんだが」

「・・何だ?」

 やけにゆっくりと聞こえる東雲の声。クラウスは不気味に思い、咄嗟に握り拳を作ると、普段は医業の為にと短く切り揃えられた爪を、何とか手の平に当てた。

「先ほど、ジョディ医師が白石医師の荷物の中きらガラスケースを見つけたんだが、確認する前に暴漢に盗られたらしい。研究棟でね」

「君は何処にいた?」

「・・研究棟ですが」

「君のロッカーにあるものは何かな?」

 亮二が指差したクラウスのロッカーの中にあったものは、ガラスケース。

 クラウスはソレを拾い上げた。

「それをこちらに」

 亮二は手の平を差し出す。

「渡せないと言ったら?」

「仕方がない。力ずくで」

「あんたが?」

 クラウスは念力の能力を使うまでも無く、非力の亮二には勝てると思った瞬間、亮二の瞳が金色に光った。

 驚きの感情が生まれたが、直ぐにその感情は平坦になり、亮二に向かってディスクを持った手を差し出す。と、わずかに残る理性のカケラでもう片方の手の平に立てた爪をさらにめり込ませ、痛覚を刺激した。そして、白衣の内側のポケットからメスを取り出すと、自身の足に突き刺す。

「うっ」

 自我を取り戻したクラウスは、能力で亮二を弾き飛ばすとその場を立ち去った。

 直ぐ様、亮二はブレスリングで佐保子に連絡を取る。

「クラウスがディスクを持っている」



 数秒後。佐保子のアナウンスが流れた。

「只今より、非常訓練に入ります。アポカリプスを封鎖します。主任医師は手順通り動いて下さい。その他の医師は主任医師に従って下さい。繰り返します」




 佐保子は放送を終えると、イアンに連絡を取った。

「どうした?この非常事態は何があった?」

「クラウスよ。ガラスケースをを持っているわ」

「出すな」

「ええ。もちろん」

 佐保子部屋を飛び出し、看護士を集め指示を出す。


 アポカリプスでの看護体制は、常に二人一組で行われる。患者がいつ何時暴れるかわからないからだ。本人の意思では無くても、恐怖のためにパニックになったり、または薬品の副作用もあり得るのだ。その為、アポカリプスには屈強な看護士が揃っている。そしてもちろん、出来る背術は限られているが、医療知識はあるのである。


「ハーモン研修医にトラブルが起こりました。彼はまだ、許可が出ていないにも関わらず、院内を歩いています。保護して下さい。身長体重により、薬量の適量計算を。ですが、彼は医師です。知識を悪用されればコスモポリタンにとって悪となります」

「つまり?」

「薬量を少し増やして構いません。確実に保護を」

「了解」








 地下施設へと車で到着したニッキー。

 エンジンを止めて車を降りる。

 後部座席を開けて、ベネットを抱き抱えると、倉庫の扉が開いた。

「教授は?」

 ニッキーは、近づいてくる軍服を着ている二人に聞いた。

「まだです」

「前の座席にいる男を運んでくれ。ガードだ」

「わかりました」


 ベネットをベッドに寝かせて、薬を嗅がせる。もう少し、眠ってもらう為に。今、起きられると面倒だ。

 ニッキーは部屋を出ると、ロックしコントロールルームへと向かった。

 部屋の中に入ると、沢山のモニターの前に座っているダニエルと、その横に立っている凛花が振り向く。

「何故ガードも一緒なの?」

「始末し損ねた。邪魔なら殺す」

「後で良いわ」

「必要ならブレスリングを外して使えば良い」

「そうね」

「教授から連絡は?」

「いいえ」

「おかしいな。俺より先に向かったハズなのに」

「待ちましょう」








 アレクサは会社の室長室にて一人コンピューターの画面を見ている。アレクサが連絡を取っているのはミミで、製薬会社のコンピュータにガードのコンピュータから入っていた。

 出身地区や出身大学などの簡易プロフィールと、在学時に参加したボランティアや受賞したコンテスト等の主に個人の能力に関しての細かなプロフィールは会社のコンピューターから検索が可能であったが、採用時に必要な能力の有無が見られれば性別も年齢も厳密には関係が無いので、それ以外の個人的なプロフィールは他者が見られない様になっていた。

 個人のプロフィールの管理はガードのサリーが管理しているのである。現代社会は、どの企業に於いてもその措置が取られている。

「彼女はメテロポリス出身ね。アロア大学を卒業後、メガポリスの製薬会社へ勤務したようよ」

「かなり優秀な人物だったようね」

「ええ。大学時代に化学コンテストで優勝しているわ」

「それ以前は?」

「母親がコードリライトの対象にならずなくなっているわね。その事で、納得しきれない父親と折り合いが悪くなって、縁を切っているわ」

「じゃあ、父親の方の情報は?」

「ええ。調べるのに時間がかかるわね。どうする?」

「一応、お願い」

「わかったわ」

「それで、彼女の方だけど、退社理由は不適切な言動があったとだけだけど、調べられる?」

「ミーシャ・ホグワイヤー。製薬会社上層部にアポカリプス以外でコードリライトを試験してくれる機関はないか、打診したそうよ」

「そう。社内では、コードリライト被験者のコミコロノフと恋仲だったそうだけど、それは、もしかして・・」

 と、人の気配。

「どうかした?アレクサ」

「いいえ。ありがとう。後はミーシャの携わっていたプロジェクトを調べるわ」

「了解」

 アレクサは人事記録の退社リストを閉じると、ミミとの通信を終了しコンピューターの電源を落とした。PCにソフトを差し込み、プログラムを起動させると、部屋を後にした。


 誰もいなくなった室長室のコンピューターの画面が光る。

 黒い影は手慣れた仕草でブレスリングからチップを取り出すと、データを移行させる。

 数分後。

 突如、部屋の明かりがついた。

「何をしているの?」

 ダオは声の主を見やる。アレクサだった。

「何故、ミーシャの事を調べているの?」

「貴方が知る必要はないわ。それより、何故室長室へ勝手に入って、勝手にコンピューターを動かしているの?」

「貴女の動きが怪しいからよ。とても研究者らしくないもの。それに会社のコンピューターよ。個人の所有物じゃないわ」

「一般社員が知らなくて良いデータが入っているの。これからは使用禁止です。良いわね?」

「ええ」

「帰りなさい」

 ダオは、ゆっくりとアレクサのそばを通り過ぎる。と、アレクサはその手を掴んだ。

 睨みつけるダオ。

「これは置いて行きなさい。産業スパイだと疑われたくないならね」

 その手の平にはガラスケースに入ったチップが握られていた。

「それと、貴方。室長室にどうやって入ったの?ここは、私のコードでなくては開かないのよ」

 睨みつけるアレクサにダオは不敵に微笑んだ。

「セキュリティ、壊れてるんじゃない?ガードを呼んだ方が良いかもね」





 ダオ・柏木

 ガラテア大学を卒業後、製薬会社入社。

 勤務態度は良好。

 

 父親は映像制作会社のプロデューサー。12年前にコードリライト対象にならず母親を亡くしている。

 普通の家庭で育った若い女性の様に思うが、コミコロノフ、ミーシャ、そしてプリースカ、ガードの捜査対象者の側にいつも彼女がいる。

 同じ部署である事を差し引いても、アポカリプスと縁の深い人間と親交が深いのは偶然ではないわ。


 アレクサは手にしたガラスケース入りのチップを少しの間弄んでいたが、不意にゴミ箱へポトンと落とした。




 自身の居住区へと戻ったダオは、地下へと降りて行く。

 サリーには繋がっていない独立のコンピューターを立ち上げ、取り出したチップを差し込む。

 アレクサに渡したのはダミーの方である。

「気付かれている気もするけど、構わないわ。こっちも目的があるもの」

 データを一部必要な箇所を除いてコピーする。

 と、メールの到着音が鳴った。それは龍彦に宛てられたメールで白石からであった。

 今頃?と不審に思ったダオ。時間差で届くようになっていたのか、それとも誰か別の人間が白石のデバイスを使っているのか。 


 読み終えるとダオは、部屋を出て行った。





 製薬会社 室長室

 ゴミ箱の中からチップを拾い上げる人物がいた。




 クラウスはシティセンターを歩いている。スラックスの太ももには血がベッタリと付いていたが、紺色のため、他からではわからない。オキシと包帯を買おうにも、ブレスリングを使うのがためらわれる為、出来なかった。

 駅前のロッカーに来ると、コードナンバーを打ち込み、扉を開く。その中に手を伸ばした瞬間、背後に人の気配を感じた。背中に当てられたのは銃か。

「それ、こちらに貰える?」

 若い女の声。

「いいぜ。だが、ここでそれ使えばパニックだ。テロでも起こすつもりか?」

「怪我をしているわね。血の匂いがするわ。いいわ、そのまま歩くのよ。私の指示通りにね」

「オーケイ」

 クラウスはロッカーの中から取り出したディスクをポケットに入れると、女に支持されるまま、歩き出した。

 この方向は旧市街区らしい。



「旧市街区に入れば、ガードが来るぞ」

「ええ。知っているわ。だから、・・そこのオールドシティの公園に入るのよ」

 鬱蒼としたシティパークに押し込まれた。

 ガラテアの街にはオールドシティと呼ばれる区域がある。オールドシティは、前世紀の街並み、建物を残した区域でいわばテーマパークの様な扱いになっていた。旧型のサリーさえ取り付けられていない。

 それも、地震前までである。地震の時に、建物が崩れて以来、復興の支援はあるものの、完全復旧までにはまだまだ時間がかかりそうだった。特に、公園は後回しにされていた。


「さあ、よこしなさい」

 ダオのセリフに振り向いたクラウスは能力を使い、銃を落とす。

 驚いたダオは、だがすぐに臨戦体制になった。近頃、のパターンが多い気がすると思ったクラウスだった。案の定、こちらの気を反らせようと、手近にあった物を投げるダオ。と、ソレを避けるより、早く、ダオは攻撃を仕掛けて来た。怪我をしている足に向かい。

「くそっ」

 能力を使ってダオの動きを止める。だが、動き自体が俊敏で中々捕まえる事が出来ない。

「何処の組織の人間だ?」

 クラウスが聞くが、

「知る必要はないわ」

 と、帰ってくる。それならと、

「白石医師の仲間か?」

 と聞くと、ようやく動きが止まったダオだった。

「貴方、何者?」



 ダオの住居。

 ダオは薬箱を持ってくると、クラウスに手渡した。自分でするというので。

「俺は、クラウス・ハーモン。アポカリプスの医者だ」

「医者?コードリライトをするの?」

「ああ。将来わな」

「今は?」

「今はまず、他にやる事がある」

 クラウスはオキシドールで消毒をすると、ガーゼに軟膏を取り傷の上に乗せると、適度な圧で包帯を巻き始めた。

 と、そこへ龍彦が帰って来た。

 リビングの光景に思わず、

「何をしている」

 聞くと、

「医者を捕まえたの。良い男よ」

「何故、彼は怪我を?」

「えっと、クラウス。何故、怪我をしているの?」

「ああ、これは自分で・・」

「やだ、自分で?マゾッホ思考にも限度が・・」

「違う」

「大丈夫。人の趣味思考には立ち入らない」

「だから、違う」


「クラウス・・」

 呟くと龍彦は銃を向けた。

「離れるんだ、ダオ」

 驚くそぶりもなく、ダオは龍彦に向かう。

「パパ、彼はこっち側で動いているわ」

「デュイ教授から白石医師の事を聞いています」

「そのデュイだが、今朝方、ガードに追われた。ガードは君を探していた様だ。その説明を出来るか?」


「ええ。恐らく。俺のこの傷と合わせて説明出来ますよ」

「これが見つかったガラスケースですが」

 クラウスが見せると、

「それはDNAか?」

 龍彦が声を荒らげる。

「いいえ。確かにこの保存ケースができて以来、DNAはこのケースに保存されていますが、これは違います。DNAは通常、マイナス温度で保管します。保管庫から持ち出すなら、専用の冷凍ケースに入れますよ。医者でも、研究員でもそれは知っています」

「そうか。そういえば、そうだったか」

「これにはとあるコードが入っていました。

「とあるコード?」

「死と再生のプログラムです」

「それは・・何だ?」

 クラウスはダオに視線を向ける。ダオも首を横に振った。

「コードリライトに必要なプログラムです。コードリライトは最初の少女のDNAだけでは出来ません。

 白石医師は当然その事を知っていた。恐らくDNAと一緒に持ち出すつもりで、コードを保管していた」

「という事は、その二つがあれば、コードリライトが可能という事か?」

「はい。そうです。適切な施設と設備さえ有ればですが」

 クラウスがそこまで説明をすると、ダオが龍彦に詰め寄る。

「ねぇ、パパ。デュイ教授はコードリライトをやろうとしたの?」

「いや。そんな馬鹿な。デュイはアポカリプス内において、いや、コスモポリスにおいて、コードリライトをやめさせたかったんだ。不完全なままでは駄目だと・・」

「はい。俺もデュイ教授からその意志を聞きました。ところが、これは白石医師の荷物から出て来たという事は、彼は何処でコードリライトの研究をするつもりだったのかもしれない」

「いや。そんな筈はない。彼は、復元作業も邪魔をしようとしていた・・」

「復元作業とは?何ですか?」

 今度は、クラウスが龍彦に詰め寄る番だった。









 通りを一本過ぎると、同じD4だがハイジ達の住むマンションタイプの住宅街と違い、戸建の住宅街に入る。

 真紘の運転する車で目当ての番地に辿り着いた三人。

「ここのはずなんだけど、確かに誰もいなわね」

 ハイジは家の中を覗き込んだ。と、突然中年の女性が現れて腕を掴まれる。

「貴方は誰?アポカリプスの人?マリアは何処?」

 その女性は矢継ぎ早に捲し立てた。ハイジが驚いていると、真紘がスッと間に入る。

「どうされましたか?僕はガードの人間です」

 女性は虚な目を真紘に向ける。

「娘が戻って来ないのよ。マリアは何処?病気だったの。でも治ったのよ」

 真紘は頷きながらも、いつもの癖で、胸ポケットから認証機を取り出した。スッと当てたが、それは、ネイションズで渡された物だった。

「マダム。お名前を教えて頂けますか?照会しますので」

「え?ええ。そうよ。私はロゼッタ。 ロゼッタ・ルピー。マリアは娘なの」

 と、その時、

「母さんっ」

 通りの向こうから体格の良い若い男性が走ってくると、ロゼッタを庇う様に抱えた。






「どうぞ」

 そう言って、エイダンはお茶を置いた。彼はマリアの長兄との事だった。

 二人で交代で母親の面倒を見ているという事だったが、弟から母親が消えた連絡を受けて勤務先の病院から戻って来たという。

「あの日、マリアは退院予定でした。ところがアポカリプスから連絡があったんです」

「一時的に封鎖?」

「ええ。アクシデントがあったとか」

「理由は?」

「いいえ。ですが、その後すぐにまた連絡があってマリアの退院が伸びたと。急な容態の変化でもう少し入院が必要だという事でした」

 頷くハイジ。

「マリア・ルピーね。思い出したわ」

「知ってるの?ハイジ」

 シオンが聞く。

「確か、アカデミーに通う予定の子のリストにマリアの名前があったわ」

 エイダンも頷く。

「その予定でした。でも、妹は戻って来る事は無く面会も出来ないまま、半年後の地震で亡くなったと言われました。母はまだその現実が受け止められずにいます」

 

 マリアの次兄のフランドが階段を降りて来るのが見えた。

「母さんは薬で落ち着かせた。今は眠ってる。エイダン、すまない。仕事中だったのに」

「いや、構わないさ。今日の担当看護師はキョーコだったんだ。理解してもらえたよ」

 フランドはエイダンの横に座る。

「先程は驚かせてしまって、すみません」

「いえ。心中は分かりますもの」

「僕らは元々プセノポリスにいました。プセノポリスの僕らのいた地域は旧区の面影が今なお強く残ってる地域です。あまり豊かとは言えない。

 妹の病気が発覚したのも、偶然に行われていた無料診療の日でした。

 その後、コードリライトの適応が認められて、ガラテアに移ってきました」

「引っ越してきた時に僕と弟はD4の病院で看護補助の仕事を始めました。D4はアポカリプスに縁の近い人達の居住区です。なので妹が亡くなってからは母の精神状態を思うとあの地区にいない方がいいと思って、この家に。アポカリプスからは仕事のこともあるし住んでいても構わないと言われていたんですが。

 でも、母は今も時折思い出したかの様に、前の家に行ってるんです」






 気の毒には思いながらも今の自分達に出来る事は無いと、ルピー家を後にする三人。

「マリアの事は・・」

「恐らく地震時の死亡者リストに名前が載ってるはずだ。後でガードの情報を確認しようか」

「遺体も戻らなかったのかな」

 シオンの発言にハッとした様にハイジシオンを見やる。シオンも気が付いたかの様にハイジと目を合わせた。

 コードリライト被験者であり、地震の影響を受けたかもしない人物。だが、自分達と同じ生活エリアにはいない。その意味は・・。

 二人の一瞬のやり取りを見逃さなった真紘であったが・・。




 家の玄関を出たところでハイジは振り向いた。

「ところで、あの家にいた家族についてなんだけれど、何か知っている?」

 二人は顔を見合わせた。

「モリソンさんの家ですね」

「知っているの?」

「エリカは妊娠していて、クリニックへ通っていました」

「クレアのお姉さんだわ」

「ええ。妹さんがいると言ってました、。時折、家まで送っていましたよ。貧血もあったようなので」

「誰もいないようだったけど、引越したのかしら」

「え?まさか。先日も病院で会いましたし、そんな話はしていませんよ」

「そう・・。何でもないわ、私の勘違いかも知れない」


 数日前まで確かにあの家に住んでいたようだ。急に消えたのには理由がある。

 





 ダオの家から出て来た所で、クラウスの指のフィンガーリングがわずかに震えた。

「なんだ?」

「あ、良かった。感度は良好の様だ」

 


 

ネイションズにて。

 シオンは出かける前に、ネルソンを捕まえていた。

「フェインガーリングを僕の分ともう一つ貰えないだろうか?」

「必要なのか?」

「ああ。恐らく、必要になると思う」

「わかった」


 

「お前だと思ったよ。シオン」




 あの日。ハイジの部屋に行く前に二人の間でなされた会話。

「クラウス。何かあれば博物館にメッセージを残してくれ。アポカリプスの敷地内であって、アポカリプスの中じゃない」

「わかった。俺たちが動けるギリギリの範囲内だな」




 D4へ向かう途中。仕事が途中だったからと、ハイジと真紘に先に向かうようにと促したシオンは一人、博物館へ向かった。


 そして、博物館の裏の茂みの中に一人乗り用の車が置いてあった。ドアと窓の隙間に挟んであったのは、チップ。

「こんな所に挟んでおくなよ。飛ばされたらしいどうするつもりだ」

 シオンは、自身のブレスリングに差し込む。クラウスのスキャンコードであった。

 それを使い、ドアロックを解除する。と、中に、フィンガーリングを置いたのである。




「今、何処にいる?」

 シオンのフィンガーリングから聞こえてくるクラウスの声に、ハイジは思わず

「クラウス?貴方、今、何処にいるの?」

「ハイジか?」

「ええ。そうよ。貴方の事をみんな、探しているのよ」

「奇遇だな。みんなハイジの事を探していたぜ」

「クラウスったら」

「体調は変化ないか?」

「・・大丈夫よ。それよりクラウス」

「ああ。俺も話がある。何処にいる」






 キョーコは本日も激務を終えてクリニックの裏から出て来る。家についたら、温かいお湯に浸かってゆっくりしよう。そう思っていると、声をかけられた。

「貴方がキョーコさん?」

 キョーコは声をかけて来た相手を見る。知り合いでは無いらしい。患者かしら。

「ええ。そうだけど、貴方は・・」

「ワタシはハイジ・リオルッサ。貴方に聞きたい事があるのだけれど、お時間良いかしら」

「歩きながらで良ければ。疲れてて早く家に帰りたいのよ」

「ええ。冬馬グレイの事を聞きたいの」

 キョーコは歩みを止めてハイジを見やる。

「話すつもりは無いわ」

「えっ?」

「それじゃあ」

「待って。貴方は冬馬の引き取り親なのでしょう?」

「そうよ。でも、関わりたく無いの。だから、アポカリプスから離れたのよ。私」

 キョーコは話は終わったとばかりに早足で歩き出す。

 剣もほろろ状態のキョーコに、ハイジは困って真紘を見る。真紘は意を決してキョーコに話しかけた。

「あの、僕はセキュリティガー」

「公務なの?」

「いや。今は、プライベー」

「じゃあ、答える必要無いわね」

 真紘はお手上げという様にハイジを見やる。ハイジはシオンにキョーコに声をかける様に促した。

「あの」

「無駄よ」

「はい」

 シオンもスゴスゴと引き下がるしか無かった。どうしようかと途方に暮れていると、

「俺にも話したくないか?キョーコ」

 クラウスが現れた。



 クリニックでの夜間勤務。

 突如、全身に激しい痛みが起こる。頭が割れそうに痛い。のたうち回るクラウスはその時、手を触れずにものが動き、壁に激突し壊れる様を見ていた。激しい物音に、キョーコは医務室へ声をかけた。

「だぃっじょうぶ・・だ」

 およそ、大丈夫ととは言い難い声音であったが、医務室のロックが解除される事は無かったので、キョーコは一旦離れた。

 少ししてようやく落ち着いた頃、ロックを解除する事が出来たクラウスであった。

 電子音を聞き、看護室からやって来たキョーコは部屋の惨状を見て驚く。大丈夫だと伝えるクラウスだったが、今のままでは、自分の体の制御が出来るか自信がなかった。

 発作か何かだろう、アポカリプスへ行くよと告げると、代わりの医者を手配した。

 その日から、クラウスと会ってはいなかった。



「ドクターハーモン。いつから、復職を・・」

「復職はしようにも問題が山積みでな。アポカリプス自体が非常事態なんだ。協力してくれ」

「・・わかりました」

 キョーコは頷いた。




「どうぞ。ちょっと大人数なので、カップが揃ってなくて御免なさい」

 キョーコは紅茶が入ったカップをみんなの前に置いた。外で長話も出来ないという事で、キョーコの家へとやって来たのである。

「構わないわ。急に押しかけたのはワタシ達ですもの」

「それは、そうなのよね。えっと、冬馬の事よね。じゃあ、ジュリの事から話さなきゃ」



 キョーコとジュリはともに看護師で幼馴染であった。堅実な自分とは対照的にジュリはよく言えば社交的で、悪く言えば奔放な性格だった。だが、いつも心配事が先立つ自分と違って明るくみんなに好かれるジュリを羨ましいと思う事もあるが、自慢の親友であった。

 ところが、ある時、ジュリは冬馬の父親と恋に落ちた。だが、相手は優しいだけ優しく優柔不断で面倒事には対応出来ない男であった。

 ジュリは冬馬を産んだ時、アルビノであることを理由に夫に去られている。それが理由で徐々に精神を病んでいく様になった。

 冬馬に対しては過剰に過保護になり、アポカリプスで冬馬の面倒を見れるように病棟に掛け合った。アルビノは病気ではないが、全天候型の施設でなければその生活が難しいとされている。ジュリの必死の説得もあり、冬馬はアポカリプスに入れる事になったが、その内に、ジュリが医療ミスを起こすようになった。最初の頃はキョーコがそのサポートに回るも、段々と難しくなり、次第に精神を病んでいったジュリも入院する事に。

 その後、自傷行為を繰り返す様になった。医療の知識はあるため、の行為は的確で、要注意とされていたが、看護師が一瞬目を離したすきに自死を迎えてしまった。

 冬馬にその事は知らされていない。

 キョーコは親友の忘形見である冬馬を養子にするが、そのタイミングでアポカリプスを離れる事を選んだ。


「それで、冬馬は今もアポカリプスにいるのね」

「待って。なんの話をしているの?冬馬は、ジュリが亡くなった後、遺伝子工学研究に移ったわよ」

「遺伝子工学研究所?」

「ええ。プセノポリスの。ジュリがなくなった今、あの子がアポカリプスにいる理由はないわ。私もね」

「どういう事だ?」

「何が?」

 訳がわからないというキョーコに、シオンが優しく声をかける。

「キョーコ。僕の目を見て」

「え?」

 その瞳が金色に光る。

「君が今日会ったのは、ドクターハーモンだ」

 クラウスは突然出された自分の名前に「おい」という表情をしたが、止めはしなかった。

「ドクターハーモン」

「そう。久しぶりに彼に会って、無事が確認できて良かった」

「はい。良かったです。心配でした」

「そう。これで、明日からむた心置きなく仕事が出来るね」

「はい。出来ます」

「じゃあ、今日はお風呂に入って寝よう」

「ええ。おやすみなさい」

 キョーコはそう言うと、バスルームへ向かって歩き出した。


 ハイジ達はそっと家を後にした。




「謎がまた増えたな」

「ええ。それじゃあ、アポカリプスにいる冬馬は一体、誰なの?」












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アポカリプス 木野原 佳代子 @mint-kk1001

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