第53話 はじまりの女の話
生まれた時にちょっとした祭りが催されるくらいに美しい娘だったのだ、その娘は。玉の様にとか輝かしいとか光るようだとか好き勝手に多くの大人たちから美の慣用句を引っ張り出したその子供は、当たり前の様に美しい娘に育った。
タングラスケルドを当時支配(経営とか運営とかそういう優しい物ではなかった)していたセラフェン家に仕える家の当時の女主人も思わず厳格な鉄面皮をにっこり崩してしまうほどの美しい娘は、最初その女主人のお気に入りの側仕えとして仕えていた。きっと己の宝石箱に一番の気に入りの宝石を入れる様な気分だったのだろうが、まあそこそこに重用していただけていた。
長い年月をかけてセラフェン家を、タングラスケルドを牛耳っていた女主人が身罷ったのは、まあ致し方ない話だった。医療のあまり発達していないこの街で90歳を超える大往生だったのだ、まあよく生き延びた方であろう。
セラフェン家を継いだのは、その女主人の親戚筋の脛齧りだった。それが、モーリックと言う男だった。
今考えると、モーリックの先代は、為政者としてそこそこに強欲ながら中々の采配をしていたのだろう。そして、きちんと為政者でもあったのだろう。経済はちゃんと回っていたし、粗相さえしなければ女主人は無関心であった。早くに死に別れた夫を想っての事か少しばかり男女の中とか色欲とか言う物に関しては癇癪が強かったように思えるが、其れだけの純愛だったのだと考えれば厳しい思いも抱けまい。
だからみんな、ちょっとばかり厳しい『戒律』の下でもにこにこへらへらと彼女に頭を下げていれば、何の危険も無かったのだ。何せ老婦人の布いた『戒律』は厳しいものの、どれもこれもこの街を、領地を護る物だと分かっていたからである。
当主として様子見を受けていたモーリックがその素直すぎる色欲を顕にしたことが発覚したのは、奥方が夫が侍従に浮気していたことに噴飯して騒いだからである。そしてその相手こそが、娘だった。
その頃には娘の体はぼろぼろになるまで弄ばれていて、その体のままに屋敷から追い出されたのだ。
胎の中には既に子供が宿っていた。
奥方によって屋敷から追い出された娘はそのまま街を出て行こうとして、しかし衛兵によって引っ立てられた。そのまま屋敷からしか入り込めない造りになっている山に連れて行かれて、山小屋に住む様に強制されたのだ。それを知らされたのは偏に、女が母親だったからだ。
身籠ってすぐだった娘は体調を崩していて、山を歩くことなど出来もしないほどに衰弱していた。だから女は娘をその幽閉先で世話することにしたのだ。
生まれてきた孫は、母親である娘によく似ていた。初産でひいひい泣きながらどうにか生んだ赤ちゃんを抱いた娘は、きちんと母親の顔をして微笑んだ。医者にもかかれず、母親である女しか手伝いは居ないような不安の中でひり出した赤子を抱いて、あかちゃんって本当に赤いのねと呆然としながらも嬉しそうに呟いたのを今でも覚えている。
元々女は娘を産む前からセラフェン家の侍女だったものだから、娘の面倒を見るのは手が空いた時間になってしまう。それでも薄給の中で娘の環境を整えるふりをして、赤子である孫がそこそこに育ったら逃げ出そうと、夫と共に決めていたのだ。
だと言うのに、モーリックはその辺りも抜け目が無かった。
少しばかり産後の肥立ちが悪かった娘に精の付く物をと思い至って山を下りて戻った時には、娘はベッドの上で血塗れで酷く弱っていた娘が息絶え絶えになっていた。
モーリックが突然衛兵を連れてきて、その足に剣を滑らせさせたというのだ。そうして手当なんてものも無く、薬なんてものも無く、モーリックは上機嫌で帰って行ったという。
どうにかある物すべてを使い切って手当てをして暫くして、彼女の足は言うことを聞かなくなっていた。多少そう言う物に詳しい夫が言うには、腱を切られていたそうだ。
幼子を抱えた女と言うだけでも生きづらいというのに、足すら奪われた。そんな可哀想な子だったのだ、女の産んだシャロリーンと言う娘は。
セラフェン家の血筋を『ありがたい事に』引いている孫娘はモーリックの二番目の子供だったそうで、しかも最初の女の子だったものだから、『ありがたい事に』モーリックから直々に名前を『賜った』のだ。
彼の先代の女主人である『トリシラ』の名前を。
そんないい加減な成り行きで山に幽閉されて十年以上もたったころには、シャロリーンによく似た赤子もトリシラと同じように生まれた。そちらに対してモーリックが無関心だったのは、赤子が女だったと詐称したからだ。これが男であればまた何か――跡取りの競争がどうのとかいう理由で手を出されたかもしれないが、生憎とシャロリーンやトリシラとよく似た顔立ちの赤子は、ようやくシャロリーンの名前を引き継いで名付けられたのだ。
シャルロッテ、と名付けたのは性別を偽らせるためである。可哀想なことをしたとは思うが、死なせるわけにはいかなかった。男としての名前も与えるべきかと夫婦で話し合ったが、それはこの山を脱出できてからゆっくり決めることにした。
女と夫は、この可哀想な子供たちを連れ出そうと足掻き続けていた。
足掻き続けていたのだ。
シャルロッテが生れて三年も経っていないような頃だった。元々シャルロッテが産まれる前から体調を崩していたシャロリーンは、シャルロッテが生れてから頓に伏せることが多くなっていたが、ある一等寒い日に息を引き取ってしまった。
見つけたのはトリシラで、丁度女が週に一度様子を見に来る約束の日だった。シャルロッテは不思議そうにそれを見ていた。
結局碌な最後を迎えさせてやることも出来なかった可愛い娘は、あっけなく土の中に眠ることになったのだ。
シャロリーンを亡くしてからは、いつの間にか家の事はトリシラがやる様になっていた。元々やる事なんて早々無かったけれど、掃除とか食べ物の保存とか、そう言う細々とした仕事に力を入れる様になっていた。
そうすると山の奥に入って行って食べ物をとってくる役目を負う人間がいなくなるかと思っていたから二年ほどは適当に色々と持ちこんでやっていたが、五つほどになったシャルロッテがいつのまにやら猪と仕留めて来たので、心配はいらないと言い出したのには流石に腰を抜かした。
家の事を姉がやり、外の事を弟がやる。そうやってこの兄弟は、いつの間にか祖父母の助けがいらないほどになっていた。あまりにも不甲斐無かった。
セラフェン家の従者なんて立場では経済的にも恵まれず、時間にも恵まれなかった。だからいつの間にか、山小屋に行ける時間が作れなくなってきていたのだ。
それでもどうにか二週間に一度は様子を見に行っては、バター菓子とかそう言う嗜好品を僅かにでも持って行ってやったのだ。山の中なんて言う広いだけの狭い世界で生まれ育った子供たちの慰めになればと、そう思って、夫婦で連れ立って会いに行っていた。
子供たちは女の持ち込んだカレンダーに予定の日にマルを付けて、祖父母に会える日を指折り楽しみに待ってくれていた。
だというのに、其れがなんだというのか。
ある日、いつも山小屋の前で今か今かと待ち続けているはずの子供らが居なかった。
可笑しく思って小屋に入ると、静かな部屋の中で子供らが横たわっているのが見えた。
下の子の名前を呼ぶと緩やかに起き上がり、娘とそっくり顔を酷く不思議そうにしてこちらに寄ってきた。眠り続けていたはずなのに嫌に体が冷たくて、その体を抱きしめてベッドを覗き込むと、上の子供が静かに眠っていた。
可愛い可愛い、可哀想な孫娘の頬に触れるといたく冷たくて、首に触れると心臓が止まっていた。
「さんかいねたの。でも、おねえさま、おきないのよ」
末の子が空っぽな声でそう言って、女は全てを悟って末の子を離して孫娘に縋った。
「なんてことを」
「わたしは」
「ころせ」
「もう」
「あいつは」
「だめ」
「なんてことを」
「わたしから」
「ねえ」
「ゆるせない」
「ごめんなさい」
「やめて」
「どうして」
「これいじょう」
「ごめんね」
「このこがなにを」
「ゆるしたくない」
「ころして」
「なにを」
「いや」
「ころせ」
「うばわないで」
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
ある剣士の話 苗場 伊澄 @mumu0304
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