第10話 はるか道を行ったところで

 静寂にきしむ足音。

 コツコツと階段を上がってくる気配にダグラスは立ち上がった。

 彼の秘密のアパートに訪れる者といえばハリーかブライアン、そしてベルザしかいない。


 生きる上での最低限の、実に質素なベッドとテーブル、椅子、ラジオと食器。僅かな衣服。

 一筆描きでおさまるほどの白塗りの殺風景な空間で煎ったコーヒー豆を見つめ、芳醇な香りだけをいつまでも味わいたいひと時に、彼はやってきた。

 背筋の張った歩き方、足音でわかる。

 ドアを開けるとコート姿のベルザが立っていた。


 部屋に招き、ダグラスはベルザに丁寧にコーヒーを淹れた。

 ベルザは持ってきた救急箱とささやかなケーキをテーブルに。


「メリー・クリスマス」


 しばらく音楽を聴きながら語らい、窓の向こうの白銀を見つめ、笑ったりもした。

 ベルザ、俺はあなたについて行くしか道がない――あらためてそう感じながら。



「……ということでダグラス。今度お墓参りに行こう。中部のデスプリンスへ」

「え?」

「前に君が話したアナザーサイドに来るまでの経緯から、牛乳配達の男までたどり着いた。当時テロの武装集団に襲撃された、君の家族が住んでいた村を突きとめた」

「まさか……」


 一度だけぼそりと打ち明けた幼少期の話を、ベルザは胸に留め、調べていた。

「今その土地はロレンツォに埋め立てられ、リゾートホテルが立ち並んでいる。マフィン・グループはその組織に資金を提供していた……」


 ****


 ベルザが調べた情報のもうひとつが巷間に明るみになる。

 それはマフィン・グループの人身売買の実態だ。

 しかし程なく〝闇〟の圧力で証拠は隠滅され、警察の捜査は頓挫した。


 マスコミの目は枝分かれし、他方面に向けられた。

 かつてクラレンス・デイヴィスはグループにまつわる訴訟を穏便に処理してきた。

 ロレンツォ・マフィンに買収されていた過去と多額の政治献金を受け取った事実が晒された。

 デイヴィスの信用は大きく失墜し、朴訥で清廉潔白な牧師ブラッドレーの次期市長当選が確実視された……。



 ****



 年を越し、寒さが厳しくなってきた。

 ダグラスはシェリルを駅まで送った。

 二人は昨夜、気の済むまで話をした。

 ダグラスは彼女にだけ自分の素性を明かした。

 彼の宿命づけられた人生みちをシェリルは理解した。理解しようと努めた。

 そして彼女は故郷に帰る。

 先日彼女の従兄いとこから電話があった。

 母親が脳卒中で倒れたという末路……。



 ――『〝ビッグ・ボス〟を捕まえに行った

 伝説の大ナマズを捕まえに

 日曜の礼拝をさぼって丘を越えたんだ


 ボスは僕を湖へ引きずり込んだ

 針も釣竿も一緒に引きずり込んだ

 ビールの空き缶と共に僕は泥の中へ沈んでゆく


 湖の天使が囁く

 お願いする前に考えるの

 願いをかけるその度に

 必ず呪いもかけられる


 俺は彼女に恋をした

 この町最高の美人に恋を

 俺のものにしたくて、あいつらに嫉妬した


 彼女は落ち着いてと俺に言う、

 お願いする前に考えるの

 願いをかけるその度に

 必ず呪いもかけられる


 君が蒔いた種は君が刈りとるんだ

 君が蒔いた種は君が刈りとらなければ

 この道の先で、君は思い知るだろう

 この先の十字路で悪魔に魂を売る前に……』――



 ベンチに佇むブルージーンズの若者がギターを爪弾く。

 次の列車を待ちきれず、歌い始めたようだ。

 若者が感極まって声を張り上げると駅長がこれ以上は通りでやってくれと彼の手を止めた。

 呪いか……とダグラスは肩をすぼめ、シェリルに笑いかけた。



 やがて鎮まり、気を取り直す二人。

「……ダグラス。私はあなたが好き」

「わかってる。俺もそうだから」

「そうじゃなくて、『好き』って言って」

「……好きだ」

 シェリルは照れながら胸に手を当てる。

「お金も助けてくれてありがとう。いつか返す。ずっと、元気でいてね」

「うん。お金はいい。お母さんへのお見舞いもこめて」



 シェリルはバッグから一つ、小さな箱を取り出した。

 雪の結晶柄の包装紙に包まれた、赤いリボンが慎ましい小箱。

「ん? 何」

「もちろん、プレゼント」

「うわ。感激」

 渡され、しっかり胸に抱えるダグラス。

「あなたの好きなチョコレート。手作りでどうかと思うけど……味が甘すぎたり苦かったり、イビツだったり……あはは。あんまり上手じゃないの。でもたくさん入ってるから許して」

「何が出てくるかわからないわけか」

「そう。人生と同じね」

「ありがとう。愉しみながら頂くよ」



 シェリルはダグラスの手を両手で握った。

 見つめる瞳は輝いている。

 彼は頷き、微笑んで言った。

「……君の夢、いつか叶うといいな」

「ううん、いいのそれは。もういい夢見たもの。……そう、あなたの夢は? それ聞いてなかった」


 返されて、ダグラスは困惑しながらベルザとの話をふと思い出した。



《……俺にはまだよくわからないけど……じゃあ、ベルザの夢は、復讐を果たすこと?》

《……うむ。実はその先にある》

《その……先?》

《いつか、キャプテンに会うことだ。それがはるか天の上でもだ。大切な人に逢うため。そのために動く。それは尊く、最たる力だ》



「夢……か」と呟いて彼女を見つめる。

 汽笛が鳴る列車の前で、ダグラスはたまらなくシェリルを抱きしめた。

「愛してる」

 シェリルもダグラスの顔を引き寄せ、キスをした。



「……泣かないよ。私」

「うん。また会える。逢えるさ。……行き先は暗く冷たく、凍えるかもしれない。でもある朝必ず太陽は輝き、蘇るんだ。だから、はるか道を行ったところでまた君に会う。それが俺の夢だ」



【ファーザー・オン END】

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ファーザー・オン FURTHER ON(UP THE ROAD) 宝輪 鳳空 @howlin

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