迷子

哀原深

迷子

 今にも泣き出しそうな曇天が、僕の頭上に重くのし掛かる。


 足を運んだ馴染みのない公園で、適当に見繕った見渡しの良い場所を陣取った。


 芝生の上にそのままどかりと腰を落とす。


 使い古しのスケッチブックを開きながら、視線を右へ左へ、上へ下へとさ迷わせる。


 切り取るべき彩を見付けられないまま、スケッチブックに唯一残っていたまっさらなページに視線を落とす。


 ――汚れを知らない白の海に、とぷんと落っこちて溺れた。


「きゃははは」


 溺れた意識の中に、甲高い音が響く。


 気だるさを掻き分けて浮上すれば、はっ、と吸い込んだ空気と共に、ひらりと舞う何かが掠めた。


 ふわぁり、ふわり。ひら、ひらり。


 曇天を泳ぐ迷子の蝶が一羽、孤独とは無縁そうに幼い少女と戯れていた。


 少女は肘の擦り傷を気にも止めずに、小さな両腕を目一杯に伸ばす。


「きゃははは」


 風にさらわれた歓声を視線だけで追えば、少し離れたベンチに腰掛ける人影に目が止まる。


 今ふうに着飾った、若い女性だ。


 ド派手な長い爪が、スマートフォンの液晶を不定期にコツコツと叩く。


 身動ぎすらしないその姿に興味を削がれ、再び視線だけを巡らせて蝶を捕らえた。


 ひらり、と蝶が舞うたび、よろり、と危なげに少女が歩を進める。


 ひら、ひらり。ふら、ふらり。――ぐらり。


 あっと思う間も無く、少女の体はつんのめって転けた。


 驚きの表情を見せた少女は、次の瞬間には瞳に痛みを滲ませつつ頭をもたげた。


 両の掌と両膝を地面に擦り付けたまま、くるりとベンチの方を振り返る。


 石像のように一心に視線を注ぎ続け、数秒の後、少女はきゅっと口を引き結んで危なげなく起き上がると、しっかりとした足取りで飽きもせず蝶を追いはじめた。


 浮かせていた腰を落ち着け、僕はじいっと少女を見やった。


 少女の片膝に咲いた赤い花の鮮烈さに、思わず黒鉛で白い海を塗り潰す。


 ふわぁり、ふわり。ひら、ひらり。


 曇天を、迷子の蝶が泳いでいる。

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迷子 哀原深 @aihara_sin

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