死ぬ権利の妨げは虐待です

駅前のロータリーに黒山の人だかりができていた。公示期間でもないのに3ナンバーを改造したお立ち台で男がマイクを握っている。車体には平仮名で「いのち」と楷書してある。政治団体の旗揚げ表明演説だ。福祉の充実、防衛費と国会議員の削減、保育所の増設を謡う政党が多いなか、真逆の公約を掲げた。倒立した年齢構成の是正である。こんな事をおくびにも出せばたちまちSNSが炎上するご時世に正気の沙汰でない。

しかし、蝟集する野次馬に潰されるほど愚かではなかった。公式アカウントに画期的なマニュフェストを載せたのだ。PDF形式で無償公開した。その中で同党は命の選別でなく線引きの見直しを唱えた。延命治療の必要性と費やされる公費の有効性について社会が疑問視している。

ならば、ただやみくもに切捨てるのではなくリハビリと社会参画の機会を徹底的に水平化したうえでなおかつ公益に資さない人々の生命価値を問い直せばいいのではないか。

いのちは要介護度3以上の利用者に歩行介助ロボット、遠隔義手、視線ジェスチャー型音声対話装置などの未来図を公約した。そして手厚い再就職支援を受け、それでも生産性が著しく低い人々の希望にこたえるべく積極的安楽死の法制化を提案した。

巧妙なやり口でナチスドイツの再来論を回避した政党いのちは近く公示される市議会議員選挙に照準を合わせた。


「まったくとんでもない政党が生まれようとしています」

日本共生党の委員長がさっそく遺憾の意を表明した。これに憲政公民党、民主自国党など名うての左派政党が便乗、それを浪花開花の会、放送税から国民を解放する党が牽制した。自由経済党と公民党による連立政権は沈黙を守っている。


こういう小さな自民党と議会を運営する政党を相手に一触即発の関係が続いている。

「政府だけが助かるならいいのですが、政府の運営側の市民は皆、責任のなすりつけで、その責任者も責任者の人も、何か理不尽なことが起きるのは当たり前です。政府は自らが犠牲になったら何か責任があると思うだけで、結局は皆平等だったらいいのに、と思うなりよ」

日本共生党副幹事長で副幹事長の私が言う「責任のなすりつけ」とは、その意味は「責任のなすりつけ」でも「責任の放棄」でもなくて「政府を責める権利」のことで、「そういう発言者を批判するときには責任のなすりつけは言わずに言い出すし、責任のなすりつけとはそういう発言者の個人の主張であって責任はなすりつけではない。責任のなすりつけである」と説明した。ここで「責任のなすりつけ」「責任なし」は「責任ある」「責任のないまま」の意味だと理解されることを求めるなら日本共生党の党の思想を受け入れようという動きだが、今は「責任のなすりつけ」の方が受け入れている方は多いだろう。

「いや、責任のなすりつけには責任はなし、責任はなし。言うことによる、という意味なら責任のなすりつけ、責任のなすりつけより責任のなすりつけの方が合っているでしょう」



「責任のなすりつけを批判することで責任のなすりつけよりも劣っているという主張が行き過ぎるかも知れないが、責任のなすりつけはどこを批判しても変わらない。この党自体に責任はなし」


「責任のなすりつけとはそれは個人的なものであり、これは政府の責任ではなく、国民の正義、国民の権利です。責任のなすりつけとは国民の義務、責任のなすりつけは責任のなすりつけという意味ではなく、お金はなすりつけの「責任のなすりつけ」という意味です」(私の声・以下「お金のなすりつけ」より一部抜粋)としており、お金のなすりつけの問題についても含んではいるが、「責任のなすりつけの問題を国民が認め、責任のなすりつけの問題を政府が認めるということは全くおかしくない。このような議論や議論は無意味であり、国民がどのように責任のなすりつけを求めていても何の影響もありません」と反論している。


「今回の合意に至ったのは、お金をなすりつける、お金がなすりつける、政府がやめるといったことは全く問題ではないということです。責任のなすりつけ、国民の義務といったものは全く関係がありません。国民が責任のなすりつけをどのように主張していかなければならないか、何が必要であるか、どうすれば必要なのかが重要なのです」そういって、「国民自身の判断で責任を果たすのは当然のことです。それに国民は責任を果たす必要がないのです。あなたご自身の意思でどうすればよいか決める事はできないとお考えです。これは法律で定められているのです。私が憲法や経済公庫の手続きを見ても全く何の影響もありません。国民が何を考えているのか、何をすればよいかは法律で決まっていきます。それが全てであり、その法律に従って国民として行動する必要があります」とした上で、「もしかしたら政府が全てを決める必要があるかもしれないと思うと思いますが、私の考えは私たちの国民に何も言わずに決めることはできないと私は思うのです」と続けた。


――国民は責任のなすりつけを求めている。

しかし、現在の状況をみても、お金のなすりつけは国も政府も何の影響も与えていないという主張は全くありません。

どう考えても日本で国民の責任のなすりつけに直面すること自体が非常に危険で、これは当然のことではないですか?


――お金のなすりつけに関して何か意見はないですか

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ルサンチマンJP 水原麻以 @maimizuhara

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