強者と弱者
多賀 夢(元・みきてぃ)
強者と弱者
「あんたみたいなバカは、高卒で職もなくて野垂れ死んたらいいわ!」
何かの説教の際に、母はニタニタ笑いながら私にそう吐き捨てた。
いや、あれは笑顔ではない。威嚇。サルがよく唇をひっくり返して歯を剥き出しにする表情。
説教はもう攻撃に変わっていた。最初の趣旨など、私も母も覚えていない。
私は必死になって応戦した。
「高卒で職もないのはお母さんやん!じゃあなんで生きとん、なんで死なんのん!」
母の顔は一瞬固まった。そして私の頬に平手をした。
「親になんて事を言うの、アンタは――」
母の言葉が終わらないうちに、私は母の頬を打ち返した。
負けてなどやるものか、そう決意した中学の夏だった。
私は大学を卒業して実家を出た。
月日が流れたある日、仕事中に母から私のスマホに電話があった。
『おねえちゃん、どうしようっ』
あまりの狼狽ぶりに異変を感じ、私は席を立って廊下に出た。
「何があったん」
『ようちゃんがおらんなったって、工場から電話が』
ようちゃんとは弟の事だ。頭は悪くないのだが高校に馴染めず、ほぼ恩情で留年を免れて今年の3月に卒業をした。それから寮付の工場に就職したのだと、母が「情けない」と泣きながら電話をしてきたのが4月。2ヶ月ほど前の事だ。
『死にますって書き置きがあったって! 本当に死ぬ気やったらどうしよう!』
「本当に死ぬ気やと思うよ」
淡々と答えてやったら、母が電話の向こうで吠えた。
『他人事みたいに言わんといて!ほんまアンタは、昔っから冷たい娘よね!アンタに人の心はあるん!?』
「――あんたこそ。ようちゃんに、私と同じ事を言うたらしいな」
『何を!』
「【高卒になって野垂れ死ね】」
『言ってない!』
被せるように母が叫ぶ。嘘をつく人間の行動パターンだ。
「ようちゃんから、泣きながら電話あったわ。俺は死ぬしかないって。卒業したら人生が終わるとか、俺みたいな社会のお荷物は死ななきゃ世の中悪くなるとか、工場に入る直前まで毎日」
『そんな、なんでお母さんに言ってくれんかったん』
「あんたが元凶やのに、言うわけなかろうが。言ったところでその口つぐむんか? あんたの言葉に傷付いて、あいつは死ぬって決めたんやぞ」
『そんな、あんたは傷ついてなかったやん――』
私の頬がぴくっと動いた。反撃した事は、傷付いていない証明にはならない。
「ようちゃんと私を一緒にするな。あいつの反応が普通なんだよ、この」
人殺し、という言葉は呑み込んだ。傷つけてやったところで、母は反省しない。
「私じゃなく警察に電話しな。今勤務中だから、切るよ」
返事を待たずに電話を切って、初めて弟からの着信に気付いた。私は慌ててリダイヤルをした。
コール2つで繋がる。
「ようちゃん!どした!」
『おねえちゃん……俺、死ねんかった。川入って死のうとしたら、浅かった』
「マジで? あ、あははは。超間抜けじゃん」
『うん、あははは』
異様に明るい弟の笑い声。泣いているのをバレないよう、必死で明るい声を出す私。
「てか今どこよ?泊まるところないなら、とりあえず私んちに来な。迎えに行くから」
『うん、行く。夕方に着くように行く』
「うん。待ってるね」
私はほっとして電話を切り、仕事に戻った。長い離席の理由を聞かれたので素直に話したら、みんなが驚き、怒り、同情してくれた。
世界はこんなに優しいのに、あの母はなぜ私や弟に牙を剥くのだろう。
何が怖くて、回りに言葉のナイフで傷つけているのだろう。
私に分かるのは、母こそが一番弱い人間だという事、それだけだ。
強者と弱者 多賀 夢(元・みきてぃ) @Nico_kusunoki
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