トラックに跳ねられて死んだので絶対異世界転生したと思ったのに、ただの浮遊霊になってしまったようです

加藤伊織

思い込みと勘違い

 金曜の夜、私は重い足取りで自宅への道を歩んでいた。


 週末だからいいだろう感覚で残業入れないで欲しいよ。


 こっちは金曜の夜から土日は最大限にハッピーに過ごすつもりなんだよ。帰ったら意識が落ちるまで溜まった録画を見て大好きなゲームをして、ブクマしてるWEB小説の更新が来てないかチェックして……とにかくやることがいろいろあるんだから。




 せめて、何作くらい更新されてるかチェックしとこうかな。




 私はスマホを取りだして、片手で操作しながら歩いた。




 人生最大の反省は、「歩きスマホ良くない」だった。


 うちの近所は抜け道代わりに使われててそれなりに交通量があるんだけど、路側帯を歩いていた私は正面から突っ込んできたトラックに気付かなかったのだ。




 運転手に何かあったのか、私がスマホに気を取られすぎて路側帯をはみ出たのか、そんなことはわからない。




 とりあえず、念願の土日を前に、しかも愛する乙女ゲーの発売日を目前にして、私は死んだ。








 ふわふわと浮いている感じがする。


 あのトラックに跳ねられた衝撃はまざまざと覚えている。私は間違いなく死んだ。


 だって、手が透けてるもん。




 これは――チャンスだね!?


 トラックに跳ねられるのは異世界転生の定番フラグ!


 多分私はこれから悪役令嬢に生まれ変わったり、乙女ゲームの世界の入学式の瞬間に転生したり、もしくはチートスキルを与えられて世界を救ったり、そうでなければ知識チートで乱舞しながらスローライフを送ったりするんだ!




 あー、どうしよう、どこがいいかな。


 やっぱり乙女ゲーがいいな!


 イケメン王子様たちとラブラブしたいし、悪役令嬢も好感度で落として楽しくファンタジックな学園生活を送りたい!




 私はワクワクとしながら「その時」を待った。




 待って、待って、待って――何故か、そのまま何事も起こらず、見知った街並みを漂い続けていた。








「という訳なんですけど、なんで私は異世界転生できないんでしょうか……」




 私はとあるアパートの一室で、空中に浮いたままで器用に正座していた。


 目の前には頭を抱える30歳ほどの女性。




「えーと、『希望の徒花ラフレシエンジェル』さん、でしたっけ」


「長いのでラフレシで結構です」




 彼女に名前を呼んでもらうだけでも、すっごい気持ちが上がる!


 彼女は、なんと私の推し作家「ぶんぶん新生姜」先生なのだ!




 私がここを知ったのは生前サイン会で会って顔を覚えていたぶんぶん新生姜先生と、たまたま近所のスーパーで出会ったからだった。


 もちろん、ストーカー行為なんてしてないよ。家の場所は確認したけど!




 死んでしまったものの、異世界転生する気配が一向にない私は、だんだん退屈してきた。


 あの話の続きが読みたい。あのゲームの続きがやりたい。


 そんな未練ばかりが募る。




 その時ひらめいたのは、「ぶんぶん新生姜先生の家に行けば、書いてる途中の小説が読めるかもしれない!」という我ながら神な発想だった。




 唯一の誤算は、ぶんぶん新生姜先生が本物の霊感持ちで、私の存在に秒で気付いてしまったことだ。




「亡くなられたことは、純粋にお悔やみ申し上げます。――あれ? お悔やみ申し上げるって本人に言っていいのかな? 後で調べておこう。それはそれとして、なんで『トラックに跳ねられたら異世界転生できる』なんてトンチキな思い込みをしちゃってるんですか……」


「えええ……だって、異世界転生のテンプレと言えば過労死とトラックですよね? ぶんぶん新生姜先生が先月書籍化した作品も」


「あーれーはー、お話! フィクション! わかりますか?」


「わかりますよぅ。でも、あんなにたくさんそういうお話があるってことは、実際にそういうことが起きてもおかしくないってことですよね!?」


「どんだけWEB小説脳になっちゃってるんですか? 実際に起こるわけないでしょう」




 ぶんぶん新生姜先生ががくりと肩を落とす。


 えええ、そんなぁ。




「じゃあ、私は、更新した分の小説を読むこともゲームをすることもできず、しかも異世界に転生もできず……そんなの死に損じゃないですか!」




 涙は出ないのに、目が熱くなる。そのままぶわっと身体が熱くなってきた。


 手が、足が、先端から黒く染まってくる。私は「私」の輪郭を保てなくなってきて――。




 その時、ぶんぶん新生姜先生が慌ててファブ○ーズを手にして噴霧してきた!




「うっぎゃー!? なにこれ、なんか力が吸い取られる!」


「物凄い理由で悪霊化しようとしないでくれます!? しかも人の部屋で! ファブ○ーズ、マジで効きますよ。もう一回掛けますか?」


「……それ、何度も掛けられたら、私は消えるんですか?」




 私の弱々しい言葉に、ぶんぶん新生姜先生はファブ○ーズを手にしたまま戸惑ったような表情を浮かべた。




「弱い霊ならこれで散りますからね。ラフレシさんは……ああ、ずっと妄執に囚われて形を保ってたけど、やっと『気付いた』んですね」


「はい……気付きました……私は本当はとっくに終わってたってことを」




 ファブ○ーズの一撃が、爽やかな緑茶の香りと共に私に正気を取り戻させていた。


 このまま漂い続けたら、きっと「私」の記憶は消えて、暗いところでカビみたいにジメジメするんだ……。


 なんとなく、そう悟ってしまった。




「ファブ○ーズ、お願いします。ぶんぶん新生姜先生に最期に会えてよかったです」




 そしてぶんぶん新生姜先生の指が、ハンドルを引いて霧状のファブ○ーズが私に降りかかってきた。




 弱い霊ならこれで散る、かぁ……。だろうな、確かに、凄く気持ちが軽くなって、意識がふわふわして消えてしまいそう……っていうか、凄い、10回くらい連続で噴霧されてる。なんでー。




「生まれ変わったらまた先生の小説読みたいです。だから、それまでに50冊くらい書籍化して下さいね」


「それは出版社にお願いします! ていうか、結構頑固な汚れレベルで消えないですね!? ファブ○ーズが太刀打ちできない! とりあえず、成仏する覚悟はあると思っていいんですよね?」


「はい、お願いします」


「奥の手だー。えいやっ!」




 ぶんぶん新生姜先生が、壁に飾ってあった刀を抜く。って、刀!?




「大丈夫、本物じゃないです。模造刀です」


「なんだー、よかった」




 正直、霊だから本物でも模造刀でも関係ない気もするけど。


 ぶんぶん新生姜先生は、呼吸を整えて刀を構えた。そして、私の身体をすっと切った。




 ああ……切られたところから、ファブ○ーズの比じゃないくらい力が抜けていく。




 私は、今度こそ完全に意識を消し去った。








 元々ひとりしかいなかった部屋で、その女性は物理的には何も切っていない模造刀を鞘に収めた。


 それを壁に戻しながら、さっきまで霊体の女性が漂っていた辺りに視線を向ける。




「ラフレシさん……。今まで、投稿する度にいつも感想を付けて励ましてくれてありがとうございました。――正直、突然感想が付かなくなってがっかりしてたんですが、まさか亡くなってたなんて。


 私こそ、最後にあなたにお礼を言えて良かったです……」

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トラックに跳ねられて死んだので絶対異世界転生したと思ったのに、ただの浮遊霊になってしまったようです 加藤伊織 @rokushou

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