廃墟放火殺神事件

水原麻以

連続放火事件


「自業自得っちゃ、自業自得なんだが……」

焼け落ちた民家から男の子の声がする。消火活動はまだ続いていて、あたり一面がきな臭い。

しゅうしゅうと立ち込める白煙が涙腺を刺激する。

野次馬の中に年の離れたカップルがいた。どちらも未成年だ。

「ある意味、これも天罰かな。いい気味だ」

薄紫色の上下にリュックサックを背負った少年がなじる。地元の小学生ではなさそうだ。いや、国籍すら不明だ。

背中のリュックサックを地面におろし、中身を点検している。

「聖斗、それは言い過ぎよ」

女がそれをたしなめる。成熟していないがみずみずしい声だ。

聖斗、と呼ばれた男子が言い返した。

「甘やかしたらチョづくだけだぜ! だいたい、常識人なら引き際をわきまえるだろ」

おおよそ子供らしからぬ発言だ。

「痛ッ!」

黒いパンプスが脱げ落ちて、乳白色のつま先が露わになった。黒い布地が乱れており、その奥は暗くなっている。

「言わんこっちゃない!」

「きゃっ! 覗かないでよ!!」

少女は助け起こそうとした聖斗を突き飛ばした。彼は隣家の壁にしたたか背中を打ち付けた。

「いてて……何すんだよ。姉ちゃん!」

    

激痛が走り、顔をしかめる聖斗。しかし、視線はしっかりと姉の胸元に刺さっている。

前が大きく開いたシャツ風のブラウス。ピンク色のレース飾りが深い谷間に橋を架けている。たわわな果実の中央から、はだけたワンピースの裾まで、金ボタンが黒い海を飛び石伝いにわたっている。

そのいくつかは紐がほつれ、布を結び合わせる役割を放棄している。

「もうっ、いつまで鑑賞してんのよ!」

聖斗の視界を白い生地が過った。




「ひで~~よ。姉ちゃん……って、咲凛?!」

聖斗が身を起こすと見知らぬ部屋にいた。枕元には氷嚢があてられ、ポニーテールの女の子が心配そうに見下ろしてる。

「聖羅は現場に戻ったよ」

野太い声で答えた。赤い法被に青のタンクトップなんか着ているから、よくその方面の人と間違えれるが、れっきとした男性だ。黒いズボンに覆われた脚は格闘家のようにがっしりとしている。

「何でてめえが居やがるんだよ!」

聖斗がいつものように喧嘩を吹っ掛けた。

「それはこっちの台詞だよ」

「うるさい! 姉ちゃんにちょっかいを出してねーだろうな?!」

聖斗はどこからともなく護符を取り出した。すると、咲凛も包丁を突きつける。

間髪をいれず、ごつん、ごつんと拳骨が降ってきた。

「「いてえよ!」」

大の字になって呻く二人をぶっとい足がまたいでいく。

    

「しょうもない駆け引きをしている暇があったら、手伝ってよ!」

聖羅がガラガラと台車を部屋に運び入れた。ちょうど人数分ある。

「ちょっ、ねーちゃんいつの間に戻ったんだ?」

「聖羅、やっぱりあれが見つかったんだね?!」

咲凛は事情を知っているらしく、台車と姉を見比べている。

「ちょ、俺を置いてけぼりにしないでくれよ」

聖斗はぷうっと頬を膨らませた。



聖羅が言うにはここは町はずれの洋館だ。大正時代か、それよりもっと古い建築物らしく、有名な廃墟としてネットで話題になっている。

しかし、荒れ放題というわけでもなく、管理されているようだ。最近では警備会社のセキュリティーがしっかりしていて、聖斗たちが不法侵入者として通報されていてもおかしくない。それを聖羅の特殊能力が防いでくれている。

彼女の「あらゆるものに命を吹き込む」能力が建物全体に作用して、生活感を醸し出している。それで警備会社のAIはてっきり持ち主が住んでいるのだと勘違いしてセンサーを解除してしまった。

    

こんな芸当が出来るのも神谷姉弟が由緒ある浄化者の家系に生まれたからだ。とはいっても、両親もその親もスピリチュアルな生活とはほど遠い。父親に至っては大学でプラズマだか何かの物理学に没頭していて、幽霊否定論者としてテレビに呼ばれる始末だ。

だいたい黒船が来航したころから名ばかりの襲名が続いていて、このままではアカンと聖斗が50代目を継いだ。

彼は何とかしようと躍起になっている。

まず姉がSNSで心霊スポットの紹介をはじめた。それも詳しい解説つきで霊視したものだから、興味本位のフォロワーがつき始めた。

それを見た地元の古老たちが「そういえば、そうかもしれない!」と断片的な証言をしてくれたものだから、アクセス数が跳ね上がった。


やがて、個人的な鑑定依頼が舞い込み、今では浄化の仕事が半年先まで詰まっている。


「いつまでも寝ている暇はないのよ」

聖羅はスケジュール管理アプリの画面を聖斗につきつけた。今夜から明朝にかけて浄化の予定がぎっしりだ。

彼はそれらを一瞥するなり、とんでもないことを言い放った。

「それ、全部キャンセルしろ」

「は?」

「いいからさっさと断れ」

冗談で言ってるのかと思ったが聖斗は本気のようだ。

「それマジで言ってんの?」

姉にしてみれば、お家再興の一助になればと一生懸命に取ってきた仕事だ。そりゃあ、天井裏で死んだ野良猫の成仏とか轢かれた犬の地縛霊を浄化するとかチョイ仕事ばかりだ。

    

しかし依頼する方は眠れない夜を過ごしているわけで、むげにできない。ここで断れば積み上げてきた信用を一気に失う。

聖羅がぶっとい二の腕を振り上げる。すると、弟は静かな声でいった。

「そいつら……陽動だ」





「そういえば、おかしいと思ったのよ」

聖羅は山積みになったパソコンの最後の一台を床に降ろした。

かき集められた機材はデスクトップ型やノートパソコンを含めて13台。どれも出火した家の近隣住民から提供されたものだ。

姉がとりたての免許を駆使して原付バイクでかき集めた。依頼人たちが口をそろえて言うには、電源を切っても人の顔が浮かぶという。


「なるほどな……一世風靡ってやつだ」

聖斗はフンと鼻を鳴らした。

「で、こいつらが出火原因だというの? 放火じゃなくて?」


聖羅はパソコンモニターにどっかりと腰をおろし、半信半疑で聞き入っている。

「パソコンに霊障だなんて、どこのB級ホラーだよ」

咲凛が馬鹿にしたように言う。

「ああ。CPUの性能があがって人工知能、つまり思考する機能が芽生えるまで奴らは待っていたんだ」

「でも、聖斗。どうして『今』になってなの?」

「将棋や囲碁で人間を負かしてるだろ。先手を読む機能は予知能力そのものだ。そう思わないか、ねーちゃん」

「つまり、霊感」

咲凛もようやく腑に落ちたようだ。

    

「ともかく、いちいち誰かに憑依しなくても、機械が霊媒になってくれるんだものな。奴らにとっちゃ天国だ」


聖羅はびくっとしてモニターから降りた。黒いワンピースドレスがめくれあがる。

「ねーちゃんのパンツなんか拝んでも有難くもねーだろ。しかも死んでんだ」


死人が欲情するわけないだろう、と聖斗。


「ちげーよ!」

姉は怒り心頭でスマホを掲げる。

彼女のSNSはクレームで炎上していた。フォロワーが激減している。


「どーしてくれんのよ」

「幽霊アカウントなんか放っとけよ」

「うるさいわね」

聖羅は弟にかまわず、せっせとフォロワーに詫びている。

「だから、構うてはならぬ!!」

突然、聖斗の眼が光った。ピンと背筋を伸ばして、しっかりとした足取りで聖羅に近づく。

そして「やめなさい」とスマホを取り上げた。



「先達!」

咲凛は慌ててひれ伏した。あたふたと聖羅も腰を低くする。


「挨拶はよい。久しぶりに本気だすとするかの」

聖斗はグッと背伸びをすると、打って変わったように険しい表情をした。振る舞いも大人そのものだ。

声変わりもしている。


「神谷家初代としてお前たちに言うておく」

聖羅はドキッとした。弟に憑依しているのは浄化者の始祖とあがめられる人だ。咲凛もたじたじだ。


「人の話は聞くものじゃ。ところで咲凛」

とつぜん、話を振られて少年は凍り付いた。

    

「は、はい。何でしょう?」

「お前は『鬼』としてどう思う?」

咲凛は答える代わりに前髪をおろした。すると額に一本の角が生えているではないか。

「そうですね。悪霊どもが徒党を組んで俺たちを陥れようとするなんて無理ゲーでしょう」


彼はそういうと、長い髪をふり乱した。滝が落ちるようにするすると肩を滑り落ち、床に届く。

房のいくつかが細かく枝分かれして聖斗に絡みついた。


「何をする?!」


不意打ちを食らって初代は身動きがとれない。

咲凛がニヤリと笑い、包丁を構える。

その間にも触手は育って、聖斗を簀巻きにしてしまった。


「こらっつ。咲凛ぉぉぉぉ」


聖斗は正気を取り戻し、もがき苦しんでいる。しかし、じたばたすればするほど触手がきつくなる。


「やめなさい」

聖羅が護符を構えた。物の怪を浄化できる強力アイテムだ。

咲凛はご覧の通り、鬼である。本来ならば人間界にあってはならない存在であるが、神谷一族と特別な関係が許されている。

通常、浄化者が能力を発揮するためには悪霊の類いと真っ向から対立しなければならない。

しかし、儀式に集中すればするほど無防備になる。その間は鬼に護ってもらうことで共存共栄が成り立っているのだ。

    

それでも鬼の生態はまだ不可解な面がある。大人しかった筈の鬼が浄化者を殺すこともある。応仁の乱の頃には実際にあった。

そこで鬼を制御するための護符がつくられた。最強レベルの物になると鬼を消し飛ばす。

「いいかげんにして」

できることなら使いたくないと聖羅は心より願った。彼女をめぐって咲凛と咲凛は三角関係にある。これまでもいさかいを静めてきた。

だから、今回も簡単に収まると思っていた。


「甘く見るなよ」

鬼は別の触手をひょいと伸ばして護符を奪い取った。


「なにすんの?」

すかさず聖羅をがんじがらめにする。これで咲凛の敵はいなくなった。


「ご、護符が効かないってどういうことだ?」

聖斗は自分の眼を疑った。

「それはお前が与えたものだからだよ。なぁ、悪霊」

鬼は少年を締めあげた。

「ぐはあっ!」

彼は苦痛にもだえた。

「聖斗が悪霊ですってえ? なに馬鹿なことを言ってんのよ」

聖羅が目を丸くする。

「火災現場で転んだ時にお前は気づいておくべきだったな聖羅。霊障の仕業だというのに聖斗は浄化しようともしなかった」


確かに変だ。彼が見逃したなら悪質だし、見落としたというのなら浄化者として致命的だ。

「じゃあ、今の聖斗は聖斗じゃないって言うの?!」

「咲凛に騙されるな!」

聖斗が必死で叫んだ。

すると、鬼はニヤリと笑った。

    

「ほう。じゃあ聖羅の護符が俺に効いていないって、どういうことだ?」

「それは……」

鬼に問い詰められて少年は黙りこくってしまう。


「それは、悪霊が作った護符だからだ。だから俺にも効果がない」

咲凛はさきほど奪った護符を姉に向けた。

「きゃあ! やめて」

「この通り、人間を攻める道具だからだ」

御札から強力な邪気が放たれる。バリバリと電流が聖羅を痛めつける。すぐに彼女は気絶した。

「この野郎!」

聖斗が怒りに身体をくねらせる。しかし、触手はもっときつくなる。

「火災事件を『自演』して、俺たちをここに仕向けた。そして、俺たちに呪いのPCをかき集させた。そこまでは順調に運んだ」


咲凛が喝破すると、パソコンがぶんぶん唸り始めた。画面に浮かんだ骸骨どもが睨みつける。


「そうやって俺たちを罠にハメたフリをして聖斗に退治される。一件落着めでたしめでたしってわけさ。神谷一族の評判もあがる」


”鬼であるお前にとっても好都合だろう。人間に化けなくても堂々と表を歩ける”


悪霊たちは聖斗の声帯でなくスピーカーを使った。


「いいや」


咲凛はもう一本、触手を壁際にのばした。そこには警備会社のセキュリティー端末がある。緑色のLEDが灯っていてインターネット回線につながっている。

それが赤に変わった。ジリジリと火災報知器があちこちで鳴り響く。


”命を吹き込む力が失せた。じきに人が来る。お前のせいだ”

骸骨が失神した聖羅の方を向いた。


「そうだよ? 行けよ。負けたと見せかけてネットに拡散する作戦だったんだろ? 見逃してやるっつてんだよ?」


咲凛が面白そうに言う。


ぐぬぬ、とスピーカーが鳴った。


「何をグズグズしてんの? 今回だけは許してあげるんだよ?」


くっくっくと鬼が笑う。


”それでは話にならない”


「は?」


”それでは意味が無いのだ”


「だろうな」


咲凛は高らかに笑った。


「最強のチームに浄化されたら箔がつくもんな? やられ経験値とでも言うのかな? 警備会社の回線はあちこちの廃墟物件につながってる。そこで騒いでまた聖斗に倒される。神谷の評判はあがる。お前らは耐性をつける。ウインウインって奴だな」


”そこまで見抜いておきながら、なぜ人間に味方する?”


悪霊がありがちな質問をした。


それに対して鬼は意外なリアクションで返した。



触手が緩んで聖羅が地面にドサリと落ちる。


「人間が好きだから……とでも言うと思ったか?」


鬼は包丁を構えた。そして、聖羅のドレスを切り裂いた。



「ひゃっ?!」


下着姿の姉が赤面した。


「聖羅が好きなんだ!」

「え?」

    

思いがけない告白に彼女の胸が高鳴る。

ドキドキと脈拍数があがって、命を吹き込む能力もパワーアップする。


「騙されるな!」


触手を振り切って自由になった聖斗が姉に駆け寄った。


「聖斗?!」

「ねーちゃん。いい加減に目をさませ。これは全部あいつの自演だ。しょせん、鬼は鬼だ!」


そういうと背中のリュックサックを姉に渡した。気休め程度に肌を隠せるだろう。


”戦ってくれるというのか?”


スピーカーの声は驚いているようでもあり、喜んでいる風にも聞こえる。


「ふざけんなよ! よくも俺たちを騙しやがって」


聖斗は右手で鈴を掲げて浄化の儀式を開始する。


”どっちにしろ俺たちはネットに広がる。倒されようがされまいが。聖斗、いい加減に負けを認めろ”



今度は咲凛が襲い掛かってきた。



「うるさい! つべこべいわず祝詞を聞けぃ!」


かまわず、浄化を始める聖斗。そのかたわらでパソコンが弾けた。


ノートパソコンも連鎖して発火する。たちまち火の手があがる。

「なるほど、放火の手口か」

「聖斗、お前に何ができる? 俺の支援はないのだぞ」



咲凛は館ごと焼き殺す気まんまんだ。


「ねーちゃん。ごめん!」


真っ二つに裂けたスカートを拾い上げた。コロンと四角い何かが転がり落ちる。


「ヤダ。あたしの携帯!」


    

スマートフォンが勝手に起動してカメラを聖羅に向ける。顔認証システムが働いたのだ。


「ロック解除。Wi-Fi接続確立、よしきた!」



聖斗は横目で睨みながら、鈴を鳴らす。


「なるほど、生主の最期か! しかも、パンツ姿の姉フラ付きとはな!!」



咲凛が燃え盛る炎を触手であっちこっちに放り投げる。


「浄化(しね)ええええ!」


仁王立ちする聖斗。


鈴を奪い取ろうと触手をのばす咲凛。


「お前がしねえええ!!」


ゴウっと火が勢いを増した。


煙を吸って聖斗がむせた。鈴が手から離れる。


咲凛は勝ったと思った。


しかし。


「? 何だと?」


鬼の身体がボロボロと崩れていく。


聖斗の横でパンツ姿の姉が必死で実況していた。


「コメ応援ありがとうございます。チャンネル登録もよろしくお願いします」


彼女は物怖じせず、笑顔で答えていた。


「そ、そんな!!」


鬼は断末魔の悲鳴を残して消え去った。


「みんなの応援が励みになります。お気に入りやいいね!もよろしく」



「ねーちゃん。早くこれを!」


聖斗が畳んだ服を持ってきた。広げてみるとひだのスカートや襟の大きな上着がある。


「ちょっと、これって?!」

「勉強部屋にかけてあった。裸よりマシだろう」



聖羅はぶつぶついいながらスカートに足を通した。




二人は焼け落ちる洋館を遠目に見ている。


    

「廃墟動画でアクセスを稼ごうなんてするから、こんな事になるんだ」

聖斗は放火現場の住民をなじった。

彼らは有名な生主で、不法侵入の現場を得意げに実況していた。



「咲凛……」


すすり泣く姉を弟が優しくハグした。


「きっとどこかに本物のあいつがいるよ。そのうち、ひょっこり現れるんじゃないかな」

「気休めで慰めないで」


聖羅はさらに号泣する。


「おちつけよ。あいつはねーちゃんの事、何て言ってた?」

「……?!」


姉の脳裏に必死な台詞がよみがえった。


「聖羅が好きなんだ!」


    

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廃墟放火殺神事件 水原麻以 @maimizuhara

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