人生の値段

津島はるか

人生の値段

Kが宝石のコレクションを始めたという噂は交流の浅かった私の耳にも届いていた。私とKとの付き合いはほとんどないのだが、初めて会ったのは私がまだ二十代だった頃である。小説家やら絵描きやら詩人やらといった芸術家を目指す者たちが集まる社交の場で、知人から出版業界の人間だとKを紹介されてKを知った。その知人は私が小説家として世に出ようと奮闘しているのを知っていたから、出版社の人間に顔を売っておいた方が良いとお節介を焼いたのだろう。そのときのKは、一目で鍛えたのだろうと分かるほどがっしりとした体つきの男で、イギリス風のダークグレーのスーツと紺のネクタイといった格好がいかにも洒落者といった印象を与えた。

 その後、社交の場で幾度かKと会う機会は幾度かあったが、いずれも当たり障りない世間話を交わしただけで、彼の人となりについてははっきりとした所感を持っていない。だが、K自身は社交界では噂話の話題にあがりやすい人物であった。編集者としての辣腕ぶりを誉めるものもあれば、あの伊達男ぶりだと色町の女にもさぞかしもてるだろうと羨む者もあり、収入もあり地位もある男が独身主義を貫いているのは変人に違いないと断定する者もいた。そんな話の中から、どうやらKが宝石のコレクションを始めたらしいという話題が出てきたのである。それもダイヤモンドばかりを好んで買い集めていると、頻りにKの屋敷を出入りしている商人から聞いた者がいるということである。だが。まだKのコレクションを実際に見た者はおらず、K本人に聞いてみてもちょっとした知りあいへの義理のために購入せざるを得なかったのだ、と噂を否定したらしい。そのため、その噂の真偽を判断できる者はいなかった。

 ある時、私はとある先輩小説家主催の立食パーティに参加した。人との対談に辟易した私は逃げるようにバーへ向かい、そこにKの姿を認めた。私は迂闊にもKがこのパーティーに参加していたことに気づかなかったのである。Kのほうは私に気づいていたらしく、私の姿を見ても驚いた様子もなく、やあ、とにっこりとした。幸運にも、私の小説は少しずつ売れ始めていて、Kは私の小説について、感想を述べ、一言二言、鋭い批評を加えた。その後共通の知人のことが話題にあがったのだが、私はそこでふと例の噂を思い出した。私がその噂のことを持ち出すと、Kは噂を否定せず、苦笑を浮かべて聞かれた。

「興味ありますか?」

 私は正直なところ、宝石に詳しい訳ではなかったし、収集趣味もない。だが、目の前にいる、噂話でしか知らない男がどういう訳で熱心な宝石収集家となったのか、聞いてみたくなった。

「興味がおありなら」

とKは微笑みながら言った。

「今度、私の家にいらっしゃったらいいでしょう」

私は初め、それを社交辞令かと疑ったのだが、Kは懐から名刺を取り出し、名刺の裏に、都合のいい日があれば電話をください、と言いながら十桁の番号を書いた。

「ええ、是非」

と私は名刺を受け取りながら答えた。



 Kの家は、閑静な住宅街の一角に、埋まるようにひっそりとあった。周りに並ぶ家々と双子のようにそっくりな、二階建ての一軒家だ。インターホンを鳴らすと、ポロシャツとズボン姿のKがドアを開けて、顔をひょっこりと出した。

「やあ、よく来てくれました」

私は丁寧な口調で、招かれたことへの礼を言いかけたが、Kはそれを遮り、

「まあ、あがってください」

と扉を開いて身を引いた。玄関は靴箱と傘立てが並べて置いてあり、靴箱の上の、磁器の花瓶にはネモフィラが十本程挿してある。玄関から薄暗い廊下が正面にまっすぐ続いていて、左右にドアが幾つか並んでいた。Kはスリッパを私に差し出し、先に立って歩き出した。

「独り身で気ままに暮らしているからずいぶんと散らかっているけれど、勘弁してください」

とKは肩越しに振り返って苦笑しながらそう断ると、廊下の途中にあるドアを開けた。Kに続けて入った私は、私を出迎えた銀色の輝きに目を奪われた。大きな木製の飾り棚に、宝石がキラキラと輝きながら並んでいたからである。やはり噂は本当であったのだと私は思った。

「それは、本物ではないんですよ」

後ろからKの声がした。振り返るとカウンターがあり、その向こうのキッチンにKがいた。

「コーヒー、飲みますか」

「ええ、ありがとうございます」

私は答え、手に持ったままのシュークリームの箱を渡した。Kが甘いものが好きだと聞いていたのである。

「ああ、気を遣わせてしまって」

Kはにこやかに礼を言い、背を向けて食器棚を開ける。コップや皿を取り出す背中に私は問いかけた。

「本物ではない、とはどういうことですか」

Kはコーヒーカップを手に振り返り、

「そのままの意味ですよ。本当のダイヤではなく、合成なんです」

私は再度飾り棚をのぞき込むが、宝石店に並ぶそれと代わりはないように見えた。これが偽物だとしたら、一体、何を目的にこんなに集めているのだろうか。私の目には、Kがやたらと飾り立てたり、誰かに見せびらかしたり、裕福さを誇示するタイプではないように見えていたので、益々不思議であった。Kがお盆を持ってキッチンを出てきて、

「コーヒーどうぞ」

 と言う。ふんわりとコーヒーの香ばしい匂いが漂う。

「ありがとうございます」

 私は礼を言ってテーブルに近づく。テラス窓から日の光を部屋に注いでいて、窓から見渡せる庭に目を向ければ正面に薔薇が絡みつくアーチがあり、その向こうにはレモンバームやローズマリー、ラベンダーなどが植えられている。

「Kさん、ガーデニングの趣味があるのですか」

「ええ。初めてからまだ二、三年くらいですがね」

とKは答え、コーヒーを啜ると、

「あのダイヤモンドは」

と話し始めた。

「ジンコツなんですよ」

私は咄嗟に理解ができず、Kの言葉を咀嚼した。ジンコツー人骨。

「えっ」

大きな声が出た。Kは私の反応に、くつくつと悪戯っ子めいた笑いを漏らした。私はKの言っていることが本当のことなのだと悟り、ぞっとして思わず椅子を引いた。Kは笑みを収め、話し続ける。

「あれらは、人の骨で造られた宝石なんですよ。最近、それを収集しているんです」

Kの視線は私の頭を越えて、飾り棚に向かっているようだったが、私はもう振り返って見る勇気はなく、声を振り絞るように

「どうして、そんなものを集めておられるのです」

と聞いた。  

「その理由を話すためには、宝石になる前の彼らがどういう人間だったのか、お話をしましょう」

とKは言って立ち上がった。

飾り棚から何か透明の入れ物を取り出し、私の前へ戻ってくる。それは、硝子の箱で、小さな座布団の上で、宝石が三つ鎮座していた。宝石は、見れば見るほどダイヤモンドに酷似していたが、太陽の光を浴びた三つの宝石が、それぞれまったく違う色を帯びていることに気づいた。Kは、そのうちの一つ、鈍色に輝く宝石を指さした。

「これは、親の借金を返すため、工場で働いていた男性の骨です。少しずつ、借金を返していたのですが、もうすぐ返済が完了するというところで病気で亡くなりました。亡くなる前に自分の骨を宝石にして売ってそのお金を借金の残りの返済に充てて欲しい、と遺言を残しました。私はその話を聞いて、この宝石を、男性の残した借金の金額で買い取ったのです」

脳裏で、ベルトコンベアーの前で単純な作業を黙々と続ける男の姿を思い描く。日が傾き、終業の鐘が鳴る。男は立ち上がって、工場主から給料をもらうため列に並ぶ。わずかなお金が入った封筒を持って、アパートへ帰っていく。ワンルームの部屋で、帰路の途中にあるスーパーで買ったお弁当を食べながら、ぼんやりテレビを見ている。

「私はその男性の話を聞いて、なんと報われない話なんだろうと思いました」

とKの言葉で私ははっと我に返った。

「自分のせいではない借金の返済に、自分の人生を費やしたのですからね」

Kは私が聞いているかどうかなど気にしていないのか、視線をただ鈍色の宝石に注いだまま喋り続けている。 

「こう聞くと、あなたは私が慈善のためにこの収集をしていると思うかもしれませんが。そうではないのです」

Kは、鈍色の宝石の隣を指さした。その宝石は深い紅色をしていた。

「これは、DVの夫と離婚した後一人で夜の仕事をしながら子供を育て続けた女性でしてね。彼女の実家も裕福ではなかったから頼ることもできず、子供を抱いて夜の海へ飛び込みました」

淡々とした口調で語られる他人の人生は、私をぞくりとさせるものがありながら、それでも耳を傾けざるを得ない力があった。

「子供は亡くなりましたが、女性は助かりました。無断欠勤を訝しんだ店のオーナーが異変に気づいたためです。その後、女性は一切結婚することもなく夜の町で働き続け、痴呆症になって施設で亡くなりました。亡くなる寸前まで、夕方になると、赤い口紅だけは必ずし続けたそうですよ」

赤い口紅。私は紅色の宝石を見下ろした。宝石の色は、人の人生を反映するのか、と私は悟る。感傷に浸ることもなく、Kは、あっさり紅色の宝石から視線を離した。

「そしてこの緑の宝石。人生の大半を刑務所で過ごした男性です。泥棒、強盗、ひったくり、置き引き、詐欺、麻薬取引、その他罪状は色々とあったのですが、忘れました。刑務所を出たり入ったりして、最後は刑務所で亡くなったようです」

「この宝石は、なぜ、緑なんでしょう」

「この男性が唯一、心を許した刑務官がいまして、その刑務官に話をしたそうです。田舎を嫌って飛び出したのに、独房から窓を見ていると、故郷の、幾重にも重なって連なる山々の鮮やかな緑を思い出すのだと」

そこで、Kは口をつくんだ。私も黙ったまま、どうしてKは、こんな話を私にしようと思ったのだろう、と思った。大して付き合いも深くない私に。

「この宝石は、オークションで競り落としたものです」

Kは再び口を開いた。

「どうして、こういうものを集めようと思ったのです」

と私は訊ねた。私ならば、こんなものを集めようという気にはならない。人骨だったものが部屋の中にあると思っただけで眠れなくなりそうだ。

「私は、人の人生そのものに興味がありましてね」

とKは微笑んで言う。

「人生を収集したくなったのです」

「それでは、それぞれの人生を知っておられるのですか」

と私は聞いた。先ほど飾り棚には、優に五十はあっただろう。

「ええ。会場では、まず、出品される宝石になった人の人生が語られます。その後、オークションが始まるのです」

結局のところ、人骨で作られた合成品の石である。普通の宝石とは違うのだ。「一体、どうやって価値を判断しているのですか」

「それは、語られる人の人生を聞いてから、それぞれの判断するようですね。まあ芸術品と同じようなものですよ」

 とKは答え、皮肉げに言った。

「でも、不思議なことですね。不幸であれば不幸であるほど、値はあがっていくようです」

 

 

その後、私はKの家を辞した。それから私はKと会うことはなく、風の噂でKの死を知った。Kの遺言で、自分の骨を宝石にして欲しいと言い残していたそうである。私は幾度か、Kの人骨で造られた宝石がオークション会場の、高い台の上に載せられるのを想像してみた。一体どのくらいの価格で売れるのだろう?誰かのコレクションに加えられたKの宝石は何色だったのだろう?私にはわからない。

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人生の値段 津島はるか @tushimaharuka

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