後編 紅色の部屋

2人にやっと静寂が訪れた。


「よく私に話しかけようと思ったね。」


彼女はさっきまでとは違い、はっきりと落ち着いた口調で言った。

話しながら彼女はガラステーブルの上に肩にかけていた黒い革のバッグをコトンと置いた。


「あ、うん!

だって気になったからさ」


「こんなメイクもしてないような女によく話しかけてくるなって思ったよ」


そっかノーメイクか。


顔や唇の色に違和感を感じたのは、それか。


「そっか。

全然気にならなかったよ!

1人で寝込んでる子がいるから、大丈夫かなって思ってさ」


会話の緊張から、無駄な事をいちいち口にしがちになるメンタルの一歩手前にいる。


「うん、、

ほんとに心配してくれてたね、、」


そう思ってくれてたのか。


「変な奴にも絡まれたしね」


「あれまじでヤバい人だったよ、、

でも、れいくん助けてくれた、、。」


「助けてくれた」の言葉にだけ、か弱さがこもっていた。本能に響いてくるような言い方。抱き寄せたい。


「こんなことあるんだ。

、、、ま、渋谷ならあるか、、」


彼女は語りながら悟ったようにそう言った。


「よかったよ」


「でも結局捕まっちゃったけど、、」


おれは歩み寄って、彼女の背中に手を回し反対の腕をゆるく掴んで、言った。


「捕まっちゃったね」


すると彼女はにっと口角を上げた。


彼女のトークは、どこか彼女の中だけで完結しているような所があった。ゆうかというヒロインを自分でナレーションするような。


おれとのやりとりに相槌がないこともしばしばだった。それでもおれは彼女のワールドに受け入れられてるのかな。彼女のふわふわした意識の中に。酔い潰れて意気消沈な所に、ふらっとやってきた男に助けられては捕まり、今ではもう2人だけの空間に追いやられてるという事実が。


彼女は下着も黒かった。

そしてパンティはスパッツのようにピチピチで太ももまで隠すものを履いていた。スポーツ用のタイツのようなパンティを脱ぐ女をこの時初めて見た。


「エッチする時の下着じゃない〜」


ブラまで外してくれた所で、また抱き寄せてみる。


スリムで白い肌。

出会った時の、夜明け泥酔女の印象が焼き付いているのか、青白くも見えた。


タイツもどきまで脱ぐと全ての素肌が露になった。

裸で歩き出す彼女の後ろ姿を眺めると、片方のお尻に焼け跡のような、黒っぽいアザのようなものが見えた。


「ごめんね。私汚いの」


「ううん。

めっちゃ綺麗」


心を込めて言ってみる。


「えへへへへへ。

うそ、

汚いの〜」


、、、独特な笑い方だな、、

笑い声が思ったより大きいことに少しびっくりした。しかもその声は何かがつっかえたような、「へへへへへ」の文字一つづつを区切っているような発し方だった。「え、え、え、え、え、え」

と聞こなくもない。


その辺りから彼女にちょっとビビり始めていた。彼女は無意識かもしれないが、こちらの我に迫ってくる何かを感じて、若干引き気味に構えている自分がいた。普段の流れよりも距離が縮まってない。


裸から伸びた細い手を握りそのまま浴場へ向かう。


シャワーを浴びながら、目の前に見ず知らずの女の子がいる。その事実に更に現実味が湧いてきた。さっきまで、バーを出たらそのまま帰るつもりだったのに。その頃の記憶が走馬灯で流れてくる。ついさっきまでのことだ。今日も恵まれた、、


抱き寄せて唇を重ねる。背中をなぞると伝わる曲線がより強い実感になった。


今日も寝てくれる女がいる。

目の前に女がいる、いい女が、、


ベッドに入ると仰向けの彼女の上にそのまま重なる。


その時ふと、彼女のことが思い出されるが気持ちがモヤつく前に振り払った。

今は今だ。この子を見てたい。


相手と2人だけのベッド。意識も含めて。それが理想になっていた。相手に飽きてくると、だんだん彼女の方を見なくなってくる。他の子の記憶や場面で補おうとするようになる。それが楽しめないというわけじゃない。ただ、冷めた気持ちを他で穴埋めしてるようで好きではない。2人で2人きりがやっぱりいい。


ただ、彼女とは違うゆうかの白くスリムな体つきは、スイッチが入るに十分だった。

中にはゆっくり入れたつもりだったが、彼女は断末魔みたく大きな喘ぎ声を上げた。唐突に降ってきたその声にちょっと引いた。


不意にドアの方に視線をやる。

あの薄っぺらいドアから外に思いっきり声が漏れてないだろうか。ちょっと気になる。


「あたしもナマがすきいいいい!」


「れいくんの形になってるうううー!」


夢中になってる。

でも静かに絡み合うのが好きなタイプの俺からするとリアクションがオーバーでちょっと引く。

AVかよ


無我夢中な今をそのまま口から発してるようにも見えたし、そうやって言葉にして言い聞かせてるようにも見えなくはなかった。なり切ろうとしてるみたいな、、


しばらく動き続けて少し息が上がり、繋がったまま彼女の胸の中で落ち着こうとした時、

ゆうかはこちらの目を見て言った。


「中でいって、、」


「、、、

まじで?」


シリアスそうに聞き返してみる。


「いいの?、、」


ゆうかは、コクっと素っ気なく頷く。


まじか。

許されるならやってしまうか。体はすでに動いていたが、心に少しの躊躇いを残していた。


しばらく動き続け、再び彼女の上で動きを落ち着かせた時、消えない躊躇を言葉にした。


「ゆうか。ほんとにいいの?」


「うん」

コクっと深くうなづく。


「、、、ありがと」


「うん」


潔いゆうか様を確認して、こちらも躊躇が消えていく。


抱きつくうちに彼女の体も熱くなる。自分も汗をかき始めそうな所で、終わりが見えてきた。


彼女の中で果てる。

2人繋がっているこの感覚

浮遊してるに近いかも

何もかも混ざってる、今ならきっと


静かになった部屋の中。ハッとして、彼女にまたがるおれはゆっくりと彼女の外へ出て行った。


すると、中で出したはずの精液がシーツの上に丸く広がっていた。一緒に出てきたようだ。抜くのが早すぎたのか。


「ああ、、出ちゃった、、、」


彼女は仰向けのまま残念そうにそう言った。

ほんとに中に出して欲しかったのか、、この子は。

行為中の彼女の気持ちが、ちょうどその時になって理解できた気がした。


シャワーを浴び直してまた2人でベッドへ、とぼとぼと向かう。

時間は午前7時前。


「これ邪魔じゃね?笑」


シーツのど真ん中についたでかいシミが邪魔で2人でどう寝ようか迷う。結局、シミの上には畳んだバスタオルを敷いて寝ることにした。


ハグしたまま2人は沈んでいく。


チェックアウトは10時だからもう3時間ほどしかない。


「眠っちゃうと、もう出る時間になっちゃいそうだ。」


「うん

ずっとこのまま居られないなんて」


そうだね。


「、、だから眠りたくないな」


おれがそう言うと、彼女はおれの胸の中に収まった。


、、、

、、、


ポロロンポロロン、、、

大音量のアラームで目を覚ます。

出勤日の朝の感覚を毎回経験するから好きじゃない。

やっぱり時間はギリギリ。


お互い淡々と服を着て、準備する。

その最中、ふと連絡先を交換していないことを思い出す。でもあと一歩を踏み出す気になれない。

お互い黙々と着替えるので、何か話題を振ってみた。


「ゆうかってどこに住んでるの?」


「さんちゃだよ〜」


当時、その略語の意味を理解できず、「えっ」と聞き返す。


「さんちゃ!

さん・げん・ちゃや」


「どうやって帰るの?」


「うんー、歩いて帰るわ」


「あ、井の頭線じゃないんだね」


「うん。すぐ隣だしね」


「そっかあ」


彼女の言動、挙動にはもう酔っ払いの面影はなかった。


ホテルを出ると手を繋いだまま歩き出した。もうお昼の晴れ間になっていた。


「明るいな〜」


結局ここに来るまでLINE交換してない。聞こうかな。いや、今回はこれでいいんだ。そう言い聞かせてみる。その時はそれが最も気持ちにしっくりくる答えだった。交換するにしても、相手が聞いてくれたらにしよう。

ホテル街を突っ切る道が終盤に差し掛かる。その先は道玄坂との交差点だ。明るくて人通りと車の往来で騒がしい空気が迫ってきてる。


「どっち行くの?」


「あたし右行く」


「あ、まじっ?

おれ左だわ」


それ以上の言葉は出ず、ただ優香の手を少し強く握った。

道玄坂に出た所で互い逆方向へ歩き出すことになる。


ついに道に入り、バイバイするために手を振るのを理由にしてすっと彼女から手を離す。


「じゃあね!

ありがとう」


「うん。」


おれの「ありがとう」に反応する彼女は、真顔と変わらない冷めた表情で、目は見開いてこちらを横目で覗いていた。興醒めた目つきは奈落の底でも見るような目だった。


横手に並ぶ2〜3軒の店を超えた辺りで後ろを振り返ってみたが、彼女を見つけることはできなかった。

重なってた時の彼女の反応が思い浮かぶ。繋がった時の彼女。なんか含みがあって生々しかった。シンプルに快楽だけには見えなかった。何かの諦めみたいな。それを思い出せば、重い。そして、残る。


やっぱ連絡先聞けばよかったかな。

いや、これでいい、、


おれがもっと図太く彼女に接して一緒になってれば、もっと彼女と繋がれていたかもしれない。

いやいやいや、、、

結局この決断がベターだと思っていても、情は残っていた。いつもより強く。


彼女との一期一会がおれに与えた影響はでかかった。あの日以来、街中で女の子となかなかマッチしない時は終電後の閉ざされた駅前で孤立して佇む女に希望を抱くようになった。それは1:1でマッチできる新しい形だった。探し回っている間は期待と惨めさで次第にスパイラルに入っていった。満たせない性欲と寂しさがあの日の再現を求めてしまう。ナンパが楽しめなくなってきたのはこの頃からだった。


-後日-


「うんでもそれでよかったと思う。

その子エグいね、、、

もしかしたら今日も酒に溺れて夜の街、徘徊してるのかな〜」


「どーなんかね」


シーシャをすーっと多めに吸い込んで、語りを終えた後の心のざわつきを落ち着かせる。


「てか朝5時にやったんだよね?」


「うん」


「それまで何してたの?」


「飲んでた」


「ずっと?」


「ん」


「元っ気だなあ、おまえーwww」


満を持して、また積み重ねてしまったワンナイトをシェア。楽しい。こうやってなんの邪推もなく聞いてもらえることが嬉しい。話しただけで重みを理解してくれる相手がいるのは尊い。もやもやと残留していたゆうかへの情が自分の元から広がって和らいでいく。


シーシャの味が薄くなってきたので、パイプを咥えて勢いよく2、3度吸引した。底の瓶に入った透明な液体がブクブク音を立てて泡がはじける。


ブクブクブクブク、、、

シャボン玉みたいなその様子を眺めていた。その時、ゆうかは居なかった。それに安堵して肩を下ろした。

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刹那的快楽 @TheYellowCrayon

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