7.




 久しぶりに外に出た。一人だと怒られるから、中也と一緒に。

 ものすごく仕方がなさそうに、ものすごく眉間に皺を刻んで、いつもの服とは違う格好をした中也。

 わたしも、これを着ろ、と渡されたものを着ている。いつもの服と違うスカートは歩きにくいし、スースーするし、着慣れない。

 そんなことより、わたしが興味があるのは、目の前のスイソウという水の入った大きな入れ物だ。

 べたっとスイソウに張り付いてじっと中の生き物を見つめる。

 白い、イルカ、という生き物が水の中を泳いでいる。

 イルカもスイソウに張り付くわたしに興味があるのか、すいすい泳いでは目の前を通り過ぎて、またわたしのもとに戻ってきては通り過ぎて……を繰り返している。

 中也はそんなわたしとイルカを微妙な顔で見ている。

 中也曰く、今日は仕事はお休み。『クビククリハン』の件が落ち着いたから、『エサ』としての使われたわたしと、それを許可した中也に今日は『ゴホウビ』の休日なのだ。

 わたしは、とくに何もしていない、と思う。いつも通りに紫陽花を愛でていただけ。

 何もしていない、と思うのだけど、中也がスイゾクカンに連れて行ってくれると言った。

 そこが何かはよくわからなかったけど、外に出たかったから、行く、と答えた。そうしたらここだった。大きなスイソウ。見たことのない生き物。

 じっとイルカを見ていると、白い大きな体にピッと筋が走った。

 ぱち、と瞬きするとなくなるそれは、わたしが目を覚ましたときの世界のそこここに存在していて、こうして時折すべてのものに線を引く。


「……あっちはシャチだとさ」

「しゃち」

「コレのもっとでっかいのだ」


 中也の言うシャチは白いイルカよりもっと大きい生き物らしい。

 興味が湧いて、スイソウを離れ、もっと大きいスイソウの前に行く。

 シャチ、という生き物は白黒で、さっきのイルカの倍か、もっと大きかった。

 シャチの頭から尻尾にかけてピッと走った線に、一つ、二つと瞬く。消えない。「………」ごしごしと目をこすってみる。それで消えたらいいのに、線は消えなかった。クビククリハンのときと同じだ。

 あの人の首にもこういう線が見えて、消えなくて、ゴウモン中にその人は死んでしまったのだという。死因は、シンゾウホッサ、だったかな。

 あの人の首に視えた線のことを誰かに話したことはない。

 言ってしまったら、今の緩くて心地の良い生活が壊れてしまうとわかるから。だから、誰にも言っていない。


「ちゅうや」

「ん」

「のどがかわいた」

「……しょうがねェな」


 渇き、を訴えるわたしに自販機の方へ歩いていく彼。彼には線は走っていない。

 たまに見えるこの線が何なのか。なんとなく、察しはついている。

 一度死にかけ、先生の処置で一命を取り留めたという『わたし』という人間。

 死の淵から蘇ったわたしは死に接した。きっとそのせいで、普通には見えないだろうモノがのだ。

 コーヒー缶を手に戻ってくる中也をぼんやり見ていると、ごん、と鈍い音がした。振り返ってみると頭から尻尾まで線が入っていたシャチがスイソウに頭をぶつけていた。まるでわたしに言いたいことがあるみたいに、じっとこっちを見つめている。


(その、せん。わたしには、どうすることも、できないの)


 死の線。ソレが視えても、わたしにはどうすることもできない。

 戻ってきた中也の手から苦いそれを受け取って、ちびちびとコーヒーを飲んでスイソウの前を離れた。

 さようなら。バイバイ。

 あなたは近く、死んでしまうだろうけど。わたしにはどうすることもできないの。

 ふらふらと歩いていってペンギンという二足歩行の鳥の生き物のいるスイソウ前に行くと、微妙な顔をした中也に手を取られた。「?」わたしが首を捻ると中也はぼそっと「はぐれるだろうが」と言って、それきりペンギンを睨みつけたまま黙ってしまう。

 ……居心地のいいゆるりとした時間が、いつまでも続けばいいのに。

 でも、きっと、世の中っていうのは、そんなに甘くはできていないのだ。

 そんな予感を抱きつつ、ペンギンが元気よく泳ぐスイソウの前で二人で立ち尽くす。視界の端にピッと走る線に知らないフリをしながら。

 いつかは向き合う必要がある異能に、今はまだ、気付かないフリをしていたい。



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紫陽花みたいな君を枯らすべきか愛でるべきか アリス・アザレア @aliceazalea

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