7 思いやりは美しすぎる

「先輩。俺、どうしたらいいですか」

「……だから!得意先の看護師は気を付けろって言ったろ」

「でも……」

大通り公園の地下駐車場の営業車の中。二人は、その問題に頭を抱えていた。

「俺の判断では決めらないからな。これは部長に相談するぞ」

「はい……」

こうして元気なく夏山愛生堂中央第一営業所に帰って来た風間と姫野に、松田女史は眉をひそめた。

「何か飲み物淹れますね」

「助かります。隣の会議室に、俺と部長の分もお願いします、ほら、行くぞ風間」

姫野の真剣な顔。競馬新聞を読んでいた石原もすっと席を立った。隣接の会議室に飲み物を運んだ松田は、男達の無言に会釈し、一人営業所で留守番となった。

「さてと。本題に入りますね」

会議室。鍵を掛けながら姫野は話出した。

「部長。風間の得意先のラベンダー皮膚科のお嬢さんとトラブルなんですよ」

「ドクターの娘か?何でそんな女に手を出したんだよ」

「だから出してないですよ!」

 風間は必死に話し出した。

「そもそも。俺、彼女が院長の娘だって知らなくて。それに俺は頼まれて二回、食事に行っただけなんですよ?それなのに、魔美さんは、俺と付き合っているって思い込んでいたみたいで。今度集まりがあるから俺に彼氏として一緒に来て欲しいって言うんですよ」

 話を聞いていた石原は腕を組んだ。

「と言うことは。風間としては、付き合ってないんだな?」

「はい!なーんにもしていません!」

「それで?断ったんだろう」

「はい。それが……」

ここで姫野は目を伏せながら口を開いた。

「父親の院長が責任取って、参加してくれって言ってます」

「責任とは?」

「心を傷付けた責任とか」

「……どんなお嬢さんなんだ?」

石原の問いに、姫野椅子に背もたれて答えた。

「世間知らずというか、思いこみが激しい感じですかね」

「俺にはヒステリックに怒ったりするんで。参りましたよ」

風間はそう言ってテーブルに突っ伏した。

「一番やばいやつだな。しかも……院長が直々に出てきているのか。そうか」

三人は腕を組んで押し黙ってしまった。しかし石原は姫野に向かった。

「で。その集まりってなんだ?」

「同級生の集まりで、全員彼氏を連れてくるとか……彼女の話は一方的で、訳がわからないんですよ」

風間は力なく下を向いた。石原は風間に真顔を向いた。

「その集まりを一回だけ付き合って、おサラバできないか?」

「できるかもしれませんが。とにかく彼女が怖くて。俺は自信ないです……」

「……姫野はどう思う?」

 数々の修羅場を潜ってきた姫野。女トラブルも経験済みの彼は今回の魔美がS級ランクのヤバさだと説明した。

「この集まりで彼女と関係が切れれば良いのですが。これを口実にさらに交際をせまってきたら面倒ですね」

 クソと石原は天井を仰いだ。

「分かっている事は、風間には無理だという事だな。よし!明日、俺と姫野で挨拶に行って、これを断るか」

「承知してくれるかな……」

「良いから!風間は心配するな!」

立ち上がった石原は風間の髪をくしゃと撫でた。笑顔だった。

「部長……?」

「後は俺が責任持つ。なあに、頭なんか何回下げたって減るもんじゃねえし!お前は今夜、歯を磨いて早く寝ろ!いいな?」

「部長!」

感激で涙しそうな風間の肩に姫野はそっと手を置いた。こうしてこの会議は終了した。




そして翌日。ラベンダー皮膚科の診察終了後に石原と姫野は院長室で話をした。

「しかしだね。うちの娘は風間君と出かけると友人に話をしてしまったんだ。これは今更取り消せないし、娘が恥をかくだけだ」

娘を溺愛する父親。これに石原も眉間に皺寄せた。

「では、どうしろと」

「風間君がダメなら、姫野君でいいじゃないか。君が魔美と出かけてくれよ」

「自分ですか?」

 呆れる間も無く。医師は椅子を回転させた。

「おい!魔美。こっちに来なさい。今度の集まりは姫野君でもいいだろう?」

挨拶もせず父親の背後にやってきた白衣姿の娘は黙ってうなづいた。

「しかし……そうはいってもな。姫野?」

「行きます。院長」

「そうか?」

「姫野。いいのか」

 見守る中。姫のは力強くうなづいた。

「はい。でも約束して下さい。今後はこういう私的な付き合いはできませんので」

「まあ、いいだろう。良かったな?魔美?」

うんと頷き、姫野を見た彼女に彼は、目を伏せた。

その帰り道。石原は夜空の星を見上げた。

「姫野……。嫌だったら、あの得意先は切っていいからな」

「切るとは?」

 ポケットに手を突っ込んだ石原は夜風の中、呟いた。

「あのクリニックと取引を止めるって事だよ。薬は他の卸売りから買ってもらえばいいさ。どこから買っても同じ薬なんだからよ」

「部長……」

「お前はああ云ったけどな。あの様子だと、院長の言っていることも俺にはわかんねえな。俺は薬は売るが、部下は売りたくないんだ」

その背に、姫野はジーンときた。

「わかりました。今回の風間の件は、自分の責任でもあります。魔美さんは今回の集まりでけじめを付けて来ます。それでも問題がこじれたら、取引は止めますね」

「済まないな?いつもお前に面倒な事、頼んじまって……。でもな。いざとなったら俺が全部泥をかぶってやるからよ。さあ……帰るぞ」

こうして姫野は週末に魔美の彼氏の代行をする事になった。



「さ。行きますか」

「……これは風間さんの車ですよね?」

「自分の車は修理中ですので。どうぞ」

愛車に魔美を乗せたくなかった姫野は風間の車を借りて来た。姫野はろくに顔を見なかったが、香水の甘い匂いが苦しかった。

「今夜はどういう集まりですか?」

「それよりも姫野さんて。いつも何をしているんですか?パパからはゴルフが上手だって聞いたんですけど」

「……それほどでもありませんよ」


「ね!今度、魔美も連れて行って下さい!」

運転している姫野の腕を慣れ慣れしく組んできた彼女に、姫野は一回目の我慢をした。

「危ないので、お離し下さい。それよりも今夜の」

「あのね。魔美の友達がね……」

一方的な話。会場のホテルに着くまで、彼は七回我慢をした。

 立食パーティーは、すぐに女同志のお喋りになったので、姫野は何気なく壁に寄りそって時間が過ぎるのを待っていた。すると彼の隣に、男性が寄って来た。

「今晩は。お互い大変ですね」

一目で分かる高級なスーツを身につけた男性は、姫野にそっと話しかけて来た。

「あなたの彼女は楽しそうですよ」

「ああ。そのようですね」

輪になって話し込んでいる女性達を、姫野は呆れて眺めていた。この時、男は静かに話し出した。

「失礼ですが。あなたはお仕事の関係か何かでここに?」

「……あなたは?」

「そんなに怖い顔しないで下さいよ。実は私は、こういう者です」

そういうと彼は名刺を出した。

「これって。いわゆるレンタル彼氏ですか?」

「そうです。実は今夜ここにいる男性は、あなた以外はみんな私の同業者です」

「ええ?だって。あの若い人は?」

「彼は大学生ですが、うちの社員ですよ」

彼はそういって煙草に火を付けた。姫野はただ驚いていた。

「この仕事を長い事やっていると、わかるんですよ。本物の彼氏かどうか」

「驚きですね。全員ですか?」

姫野は思わず腕を組んだ。

「知らぬは女性だけですが。もしかしたら、レンタル彼氏の自慢をしているかもしれないですね。ところで、正体をさらしたのにはわけがありまして。あなたもやってみませんか?」

「俺が?レンタル彼氏ですか」

「はい。プライベートでもモテるんじゃないですか?品もあるし、動きも綺麗だし」

「冗談でしょ?まあ、自分は今日のお付き合いで限界ですよ」

「アハハ。残念です!」

けらけらと笑った彼に、姫野は思い切って訊ねた。

「興味の範囲でお聞きしますが、どういう女性が利用しているんですか?」

すると彼はゆっくりと煙草の煙を吐いた。


「……普通の女性ですよ。独身ばかりじゃありません。恋人がいるのに、本音を言えなくて私達とデートする若い娘も多いですよ。ホストよりも独占できますしね」

「彼がいるのにですか」

「寂しいとか。ストレス発散でしょうね。こっちは話を百パーセント合わせますから癒しになるんじゃないですか。まあ、あなたも気が変わったら連絡下さいよ?それではこれで」

そういって煙草の火を消した彼は、女性の輪の中へ行ってしまった。


やがてお開きとなったので会場のホテルを後にした姫野は、まだ帰りたくないと言う魔美を、有無を言わさず彼女の自宅に急ぎ向かった。

岳人がくと。さん。今度は買い物に付き合って下さいね」

「いいえ。自分は今夜だけの約束です」

「だったら。連絡の交換を」

「魔美さん。お付き合いはこれきりです」

「う、うううう」

彼女は泣きだした。

「ひどい。私がこんなに頼んでいるのに」

「……ご自宅に着きましたよ」

降りようとしない彼女。姫野は冷たく話した。

「お家の方を呼びますね」

「どうして?どうして私と付き合ってくれないんですか……」

そういって魔美は姫野の膝に手を置いた。

「降りてください」

車から降りた姫野は、玄関のチャイムを鳴らし、家族を呼んだ。そして助手席のドアを開けた。

「……お願いします」

「彼女にしてくれるんだったら降りるわ」

「魔美!姫野さんに迷惑でしょう。早く降りなさい」

やって来た母親に即されて、彼女は渋々降りた。

「じゃ、姫野さん。またね」

「……魔美さん!私は……」

この彼の声に彼女は嬉しそうに振り返った。

「私は、あなたと交際する気はありません。では、これで」

そういって彼は、車を走らせた。




このまま風間の車を返し自分の愛車に乗り換えた姫野は、気が付くと小花の家の近くにやってきた。逢いたいけれど今の自分のいら立ちを、彼女に癒してもらおうとするのは、先ほどの魔美と同じになってしまう気がして嫌だった。

……でも。

やはり声が聞きたくて、電話をした。

『……姫野さん。ちょうどよかった』

静かに囁く彼女の電話の向こうからは虫の声がした。

「どこにいるんだ?」

『庭にでて、理科の宿題の星の観察です。夏の第三角形を見上げていたんです』

中島公園の駐車場。姫野は車から降り、空を眺めた。

「今夜は星が綺麗だからな……」

『首が痛くて。でも。どれが織姫星かわからないのですよ』

「ベガだろう。北だぞ?……お前の家の玄関を背にすると、左か?」

『そうか!北極星があれですものね』

「……わかったか?」

『はい……綺麗ですね』

「ああ」

天頂を見上げている二人の会話は途切れたが、耳から聞こえる吐息と、虫の音のBGMせいで、姫野には彼女が隣にいるような気がしていた。

『……助かりましたわ』

「いや。良いんだ……これくらい……」

『ところで。何のお話しだったのですか?』

「用件は済んだけど、そうだ?明日プラネタリウムに行こうか」

『どこにあるのですか』

「新札幌の青少年科学博物館だ」

『嬉しいですけれど、姫野さんはせっかくのお休みですのに』

「嫌ならいいんだ」

『……お元気がないようですが、何かありましたか?』

思わず彼は沈黙してしまった。

『お仕事でお疲れでしたら、明日はお休みになってください』

「そこまで疲れてない」

『星なら今、一緒に見たではありませんか。それよりも、やっぱり声に覇気がありませんもの……。そうだわ?明日は私が姫野さんのマンションに伺います』

「はあ?」

 電話の向こうの小花は話を続けた。

『姫野さんのお好きなホッケを持って行きますね。だから今夜は早く休んで下さい』

「どうして俺がホッケを好きな事を知っているんだ……」

『だって。いつも美味しそうに召し上がっているんですもの。そばにいればわかりますわ』

コロコロと笑っている彼女に、つい姫野も笑みがこぼれた。

「わかったから、また明日連絡する!今夜はもう、家に入りなさい。ほら、鍵を掛けて」

『……掛けましたわ。姫野さんは、今どちらにお出でですか?』

彼女の家のすぐそばの中島公園にいた彼は、今、近くにいるとは言えなかった。

「自宅のそばだ」

『お気をつけてお帰り下さいね』

「ああ。お休み」

『おやすみなさい……』

電話を切った姫野は、星をそっと見上げた。満点の星と彼女の優しさに心を押しつぶされそうになった彼は、目を閉じふうと息を吐くと、愛車に乗ん込んだ。

帰り道、彼の操るハンドルは、とてもとても軽かった。



Fin

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ぞうきんガール2 みちふむ @nitifumu

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