6 半分以上、青い

「はい。今日の分だよ」

「またですか……」

小花は彼に渡されたコップ一杯の青汁をぐっと飲んだ。

「どう?」

「まずいですわ」

そう言い残し夕刻の掃除を終えた彼女は営業所を出て行った。得意先のクリニックの医者との電話をやっと終えた姫野は彼に向かった。

「おい風間。お前、小花に何を飲ませているんだ?」

「そんな怖い顔しないで下さいよ、姫野先輩。うちの薬局で販売している青汁です」

「青汁?なぜそれを小花に?」

「あ。時間だ。俺もう帰りますね、お疲れ様でーす」

澄まし顔で営業所を出た新人社員の風間は、会社の駐車場へと足を進めた。車に乗る前、スマホが点滅した。着信音の狸小路商店街のメロディが鳴った。

「もしもし。ああ、大丈夫だよ。うん。今日も何とか飲んだよ。詳しくは後で。じゃ……」

風間は電話を切ると、愛車の白い35GTRのエンジンを掛けた。その顔は微笑んでいた。


◇◇◇

翌朝。中央第一営業所の掃除にやってきた彼女は、笑顔の風間に驚きの顔を見せた。

「おはようございます。お早いですね」

「ハハハ。小花ちゃん。おはよう!はい。今朝の分!って、あれ?」

背後からそれを奪った姫野は、ぐいと緑のジュースを飲みほした。

「この味。酷すぎるぞ……。これは商品化されて良いものなのか?」

苦すぎで顔が潰れた姫野。小花も彼に同感でうんうんとうなづいた。しかし風間はムッとした顔を見せた。

「もちろんですよ。人気商品です」

けろりと話す風間。姫野は小花がくれた水道水を飲んだ。

「風間。お前、これを飲んだことないだろう」

「え?そうなんですか風間さん」

「……俺にはね。飲まなくてもわかる能力があるんですよ。それよりも」

ぶつぶつ言いながら風間は営業所の冷蔵庫から紙パックの青汁を取り出し、グラスに注いだ。

「はい。小花ちゃん、どうぞ!」

「でも」

すると風間はじっと小花を見つめた。

「お願い!モニターで飲んでもらうのはこれでおしまいだから!頼むよ」

「本当に最後ですよ?」

飲む前から苦い顔をしていた彼女だったが、目を瞑って飲み干した。風間は嬉しそうに彼女の頭を撫でた。

「……よし、よし。今日も飲んだ!偉いぞ小花ちゃん」

彼女の苦悶な表情。姫野の疑いの目の中、風間は鼻歌混じりにグラスを片付けた。


◇◇◇

「お前。何を企んでいるんだ?」

「別に?何でも無いですよ?」

そう澄ましている風間に姫野は眉をひそめた。小花は派遣会社に出向く日。午後の清掃はしないと言い残し、去って行った。

「本当になんでもないですよ、ふふふ」」

「なんだ風間?突然笑い出して。石原部長みたいだぞ」

 意味深長に笑い出した風間。姫野は不気味で一歩引いた。風間はさっとテレビを見た。

「あんなのと一緒にしないで下さいよ!さ?先輩、リボンちゃんが八時をお知らせしましたよ」

営業所のテレビ画面。ジュースのキャラクターのCMが流れていた。姫野は深くため息をついた。

「話は後だ。さて、そろそろ行くぞ」

医薬品卸会社の会社の夏山愛生堂のツートップ。とりわけ急ぎの仕事はないが、わがままドクターに顔を出すのが使命である。何件回れるのか、それが勝負。こんな二人は今日も得意先の病院へ出かけて行った。

その日の午後。小花は、自身の所属する派遣会社に来ていた。月に一度の仕事報告。一人オフィスの個室で待つ小花は、冷房で眠くなるのを我慢していた。

「お待たせしました。小花さん。今の職場はいかがですか」

「は?はい。気持ち良くお仕事させていただいております」

 自身の教育係だった女性上司の渡辺。小花は思わず背筋が伸びた。彼女はバツ一で三人の子供を育てているシングルマザー。最初は掃除のパートから入った彼女であるが、子供のために本気で働くその熱い姿勢を社長に見込まれ、こうして正社員となり教育係をしていた。彼女はきりりと話を進めていた。

「そうですか。うちにもあなたの評判が寄せられているわよ」

「え?」

もしかして苦情?と小花は不安になった。夏山愛生堂の総務の部長、権藤。小花にいつも小言を言ってくる意地悪親父だった。小花は必死に言い訳をした。

「そ、それはどういう評価ですか?私の審査をしている人は会社ではモラハラ気味で。はっきり言って嫌われ親父ですわ」

「そうなの?でもこの資料にはね。会社がいつも綺麗だって、総務の方から評価をもらっているのよ」

「訂正しますわ。私の勘違いでした」

渡辺はうなづくと資料をさらにめくった。

「他には特にないわ。あとはね。何か、小花さんから夏山さんに申し出たい事は無いかしら。仕事を通じて思った事とか」

「そうですわね……」

彼女は頬に手を当て一瞬考え込んだ。

「三階の女子トイレなのですが、お手洗いの鏡がとても大きいのです。私、いつも気にして水を拭いているのですが、一度手を洗っただけで、鏡に水しぶきがどうしても広く飛んでしまうのです。あれを何とかして潰してくだされば、綺麗を保てるのですが」

小花の話。想像がついた渡辺は眉間に皺を寄せた。

「建築デザイナーは狭いとすぐに鏡をたくさん使うのよね。でも掃除をする身からすればあんな憎いものはないわ」

「おっしゃる通りですわ。私、叩き割りたい心境なんですもの」

拳を作る小花。渡辺はまあまあと彼女を制した。

「わかった、わかった!いつものように、掃除が大変な鏡の一部にスモークシートを張ってもらう様にお願いしておくわ。許可がでれば小花さんも張れるでしょ?」

要するに。鏡にシートを貼り鏡の面積を狭くする派遣会社ワールドの手抜き作戦。渡辺の企みに小花も手を叩いた。

「やった!。では後は……二階の廊下の壁と床の隙間に埃がたまってしまうんですよ。そこを充填剤で埋めて隙間をなくて欲しいですわ」

「はいはい」

「廊下にあるシュレッダーなのですが、細かい紙がいつも床に落ちているのです。あれはどうしようもありません。常に扇風機で細かい紙を部屋の隅に吹き飛ばすか、あるいはシュレッダーを別の場所に変えていただくか検討いただきたいですわ」

「わかったわ」

「他にもですね」

小花は渡辺に要望を上げていった。

「あそこのトイレの洗面台は汚れじゃなくて、古くてキズになってそう見えるのです。何度ご説明をしても磨きが足りないとおっしゃる社員の方がいまして。先日はその方に実際に磨いていただいて、汚れではなくキズである事をようやくご理解いただいたところです」

「よくやった!確かにこれは清掃員の宿命よ。でも私達も嘆いているだけではなく、他の仲間のためにも、敵を味方に変えていきましょうね」


「はい!」

この他にも、掃除が楽になる悪知恵を小花は女上司に提案した。

「わかったわ、ところで小花さんに相談があるの」

話によると、一日だけ店頭販売の仕事をしてみないか、というものだった。

「あなたはうちの会社に来た時、定時制の学校に通っている理由と、掃除の仕事を極めたいと言って、今の業務になっているのだけど。そろそろ他の仕事もチャレンジしてみない?」

 突然の話。小花は戸惑った。

「店頭販売……。賃金によりますが、私。お金を扱う仕事は全く無理ですわ」

「いいえ。今回は商品を紹介するだけでOKなのよ」

渡辺はそっとコーっヒーを飲んだ。

「それにあなた、仕事を始めてしっかりして来たし。キャリアを増やすのは、掃除の仕事の充実につながると思うわよ」

「掃除の仕事の充実」

……怖がってばかりでは、何もできないままかしら。

日頃。頑張っている姫野と風間を小花は思い出した。彼らに負けたくないと思った。

「やってみます。お仕事は一日だけですよね?」

渡辺はにっこり微笑んだ。

「よかった。これが資料よ。早速だけど明日お願いね。明日は丁度、夏山さんにはうちの清掃チームが入ってワックス掛けの日だし。あなたはこの現場に行ってね」

女上司の言葉ともらった封筒は軽かった。札幌の涼しい風の帰り道、明日の仕事に力は入る彼女だった。



◇◇◇

翌日。小花は派遣先にやってきた。

「おはようございます!」

「良く来てくれたね。ハニー?小花さんが来たよ」

繋がり眉毛の風間社長は、薬局奥にいる妻を呼んだ。ふくよかな妻はどっこいしょっとやってきた。

「そんなに大きな声を出して……まあ?あなたが小花さん?諒が可愛いって言っていたけど。近くで見るとまさかこんな清楚なお嬢さんだなんて」

ポッチャリ体型の風間の母は、ピンクの白衣を着ていた。小花は丁寧にお辞儀をした。

「派遣会社から参りました。小花すず、と申します。本日は宜しくお願い申し上げます」

「こちらこそ。どうぞよろしくね。私は諒の母です。早速だけど、こっちに来て」

小花は太い腕に手を取られて、薬局奥の化粧品コーナーの椅子に座らせられた。


「じっとしていてね。今日はあなたに店頭で、青汁を売ってもらうのよ。それには少しだけ御化粧させて頂戴ね」

「わ、わかりました」

ノーメイクの彼女はじっと目を瞑った。風間母はメイク道具を取り出した。

「まあ?綺麗な肌ね。どんな化粧品を使っているの」

「……手作りです。母のオリジナルの」

「聞かなかった事にするわね。今日は販売してもらうのだから……。まあ、お化粧しなくても十分綺麗だけど、さ。できた!」

長い髪を三つ編みにしてもらい小花は風間夫人の用意した白いエプロンを身につけた。今度は風間父が資料をくれた。

「君は。ここ一週間。青汁を飲んだだろう?その実績をPRして欲しいんだ」

「……青汁?……あ?」

彼女は風間のいたずらな顔を思い出した。

「あのまずいくて、青臭い、どろどろしたジュース、というか液体ですか?」

「そう。それを売らないと、うちは秋を迎えられないのだよ」

すると夫人がにこっと笑った。

「大丈夫よ。この青汁を7日飲んだらこうなりましたって言えば。嘘では無いし」

確かに試飲していた小花。彼女はこうして店頭販売を始めた。





◇◇◇

「いらっしゃいませ!青汁いかがですか。あ。お客様、お一つどうぞ」

午後の狸小路商店街。札幌のシャンゼリゼ通り立つ彼女は通りすがりの初老の男性に勧めた。

「青汁か。それ。おいしいのかい」

「いいえ。苦くてまずいですわ」

彼女の顔を見て、男は笑った。

「まずいのに。あんたは売るのかい?」

 不思議そうな男。小花は自信満々に答えた。

「はい。仕事ですから。それに確かにこれはまずいのですが。これを飲んだ後、他の物を食べるととても美味しい事を発見したので、私は一週間飲むことができました」

真面目な顔。男性は言われるまま緑の液体を飲んだ。

「どれ?う!本当にまずいな」

「私は嘘は申しません。そして?パクチーをいかがですか」

 味にクセのある野菜。彼女はこの葉を男性に食べさせた。

「う?うまい」

「ね?その青汁を飲めば、なんでも美味しく頂けますわ」

 すると男性はしみじみ感心し始めた。

「なるほど。うちの奥さんは料理が下手だからな。これ飲んでみるか」

こうしてお買い上げになった。この他の通行人もこれを飲めば小花のように美しくなれると勝手に思いこみ、商品はどんどん売れて行った。風間薬局夫妻は笑みを浮かべた。

「よーし。火が付いた。『みんな買うからみんな買う』というゾーンに入ったぞ!」

「ね!ダーリン!こっちに来て」

夫人の声に夫は店の奥に駆け寄った。

「この在庫を見て!あの子に美容関係の物をもっと売ってもらいましょう。このクリームと、その美白グッズを店の外に出して!」

「はいよ!なんでも出しちまえ」

 そうとは知らない彼女は必死に売っていた。

「いかがですか?苦くてまずい、青汁はいかがですか?お高いのは良質の証拠。信用できる商品です!」

初日はこの辺で終えた小花。翌日は朝からエンジンを吹かせ午前中で店の青汁を完売させた。

「おい。ハニー。このまま午後も彼女に店の在庫を片っ端から売ってもらおうな」

「でもダーリン。そろそろお昼にしましょうよ。小花さん!お昼にするわよ」

多くの通行人が飲食店に入る時間。小花は風間薬局奥の座敷で昼食となった。

「本当によろしいのですか?ご馳走になって」

「いいのよ。しかも私の料理でご馳走じゃないし」

テーブルの上。風間夫人のつくったちらし寿司と、北海道ソウルフードの『グリン麺』が茹でてあった。小花は嬉しそうに箸を持った。

「手作りは何よりのごちそうですわ。いただきます!」

「嬉しいことを言ってくれるね」

夫人の喜ぶ中。聞いた事のある声が聞こえていた。

「ただいま!俺もそれ食べる!」

風間は小花の隣にちゃっかり座り、母親に箸を出させた。小花は食べていたグリン麺を慌てて飲み込んだ。

「風間さん……どうしてここに?」

「ぶ!」

風間は飲んでいた水を吹きだした。

「親父から聞いてなかったの?ここ俺の実家の薬局だよ」

驚きの風間。小花は驚きで返した。

「まあ?そうだったんですか。私、社長さんが早口で、おっしゃっている事が半分くらいしかわからなかったものですから。つい適当に相槌を打っていました」

「オヤジの弾丸トークは俺もそうだから別にいいよ。ね?青汁売れたんでしょう」

 そう言って風間は肩をぶつけてきた。小花も笑みで答えた。

「はい!おかげさまで。あ、そうだ?風間さん、私の分の薬味のおネギ、どうぞ。お好きですものね」

「サンキュー」

「ちらし寿司も取って差し上げますわ。ええと、これくらいですわね。ガリは、無しっと」

まめまめしく息子の世話を焼く小花。これを店から隠れてみていた風間夫婦は、すっかり感心していた。

「……優しさでできている、という石原の話は本当のようだな」

「我儘で横柄な諒に、あんなに尽くしてくれるお嬢さんがいるとは。ダーリン。これは逃がせないわね」

風間夫婦の企みを知ることも無く、小花と風間は楽しランチタイムを過ごした。

「あのですね。風間さん。私、思う事がありまして。これから店頭販売するものを選んでもよろしいでしょうか」

「……いいけど。何を売るの」

するとまるで悪戯を思い付いた子供のように、彼女は手を叩いた。

「もちろん!お店の商品ですわ」

 そんな彼女はご馳走様と立ち上がった。風間も慌てて後に続いた。


◇◇◇

「いかがですか?お腹の脂肪が気になる方にお薦めの商品です。食後に飲むお薬です」

彼女の声に、ランチを済ませたサラリーマン達が集まってきた。

「それは?」

「こちらは身体に脂肪が付くのを防ぐお薬ですわ。食後三十分が効果的と書いてあります」

「買って行くかな……最近気になっているし」

「レジお願いします。ではせっかくですので。今、お飲みになるとよろしいですわね」

 そう言うと、彼女は客に紙コップの水を渡した。

「あ、ありがとう」

「こちらこそ。効果がでるのが楽しみですね」

「俺も……買うかな……」

彼女の満面な笑みを見た他の客も、買うと言い出した。

「ありがとうございます。お水をどうぞ!風間さん。レジをお願いします」

この黒山のひとだかり。これが消えたのは、二時間後だった。


「すげえ……。ダイエット関係のクスリが完売だ」

空になった棚を見て、風間は驚いた。しかし彼女はまだ元気が残っていた。

「そうだわ!せっかくですので、ぞうきんをお借りします」

彼女は嬉しそうに、普段は掃除ができない箇所を拭いて行った。これを風間夫婦が見ていた。

「諒よ……彼女は一体何者なんだ」

「だから。天使だって言ったろう」

「お前。小花さんの事、好きなのか」

「もちろん!でも、姫野先輩が」

父子は彼女が嬉しそうに掃除している彼女を店外から見ていた。

「姫野?あいつも参戦しているのか……これは負けるな……」

「親なのに、なんだよその低評価?」

「ハハハ冗談さ!諒、勝負はまだこれからだぞ」

「ああ。当たり前だよ」

 健気な彼女。掃除を必死にやるその姿。風間もなぜが心を打たれいた。

「見て!風間さん。こんなに綺麗になりましたわ」

真っ黒になったぞうきんを手にした彼女の微笑みに、風間父子は頬笑みを返した。



「石原部長。仕事中にテレビを見ないで下さいよ」

「うるさい。俺は『どさんこテレビ』の『ばあさんじいさん』の占いを見たいんだ」

「全く……風間も消えたし」

その時、中央第一のテレビはススキノからの中継になった。

『私は今、夕方のススキノに来ています。今の時間、繁華街へ行くサラリーマンが増えて来ました。あ。あそこの薬局に人がたくさん集まっているので、インタビューしてみますね。こんばんはー。店主の方ですか?』

『はい。社長の風間です』

『大変賑わっていますね』

この画面を見て、松田女史がつぶやいた。

「あの……。店の前でエプロン付けているのって。小花ちゃんじゃないかしら。後ろにいるのは風間君でしょう」

パソコン操作をしていた姫野は画面を食い入るように見た。

「……すみません。俺、得意先に行ってそのまま直帰します」

どこか苛立つような声の姫野はスッと立ち上がった。石原は全く空気を読んでいなかった。

「そうか。それよりも今日は『ばあさんじいさん』のコーナーは?」

 老人夫婦の占いコーナーの話。姫野はこれを無視して行ってしまった。

「こんな時間?すみません。私も帰ります」

誰もいなくなった営業所。石原はさみしくテレビを見ていた。



その頃。風間の店は、あまりの客にレジが崩壊し始めていた。

「小花ちゃん。もう販売ストップして!全然、間に合わないよ」

「でも!?外国のお客の方には通じませんわ!」

「どけ!レジは俺がやる」

疾風の如くやってきた姫野は、驚愕のスピードで商品を清算していった。風間は目をしばしばさせた。

「リアルで勇者かよ?」

「いいから!お前はカゴを片付けろ!小花は店先で売れ!」

「はい!」

こうしてようやく客が途絶えたのは夜8時だった。

「はあ。疲れましたわ」

小花を奥の座敷に座らせた姫野は、店の前に風間を呼んだ。

「今夜の仕事は終わりなんだろう?」

「はい。もう売る物無いし。これから小花ちゃんに夕食をごちそうして家まで送ります」

 風間の計画。姫野は止めもせず話をぶつけた。

「お前の事だから良い店に連れて行こうとしているんだろうが。あいつは疲れているし。食べるのが遅い。明日の仕事もあるから簡単なもので済ませてやれ」

「簡単なものって」

「ラーメンが好きなんだ。一人で店に入れないからな喜ぶぞ。後な……」

姫野は後輩にアドバイスを与えると、そのまま帰ってしまった。

風間は小花とラーメン店に行った。そして彼女をススキノに出来たばかりソフトクリームの店に連れていき、小花ご機嫌にさせた。こうして中島公園近くの彼女の自宅へ送った。

「今日はありがとう。小花ちゃん。さ。家に入って。鍵を掛けたら俺は帰るから」

「はい!お休みなさい」

小花の家の明りが灯り、玄関から施錠の音がカチンとした。それを確認してから車に乗った風間は、車の内部を見て、彼女の忘れ物を確認した。自宅に帰ると父親が風呂から出た所だった。

「お疲れさん!どうだ?彼女に良い所をみせられたんじゃないか?」

「……風呂に入る……」

そしてくそ、と脱いだ服を叩きつけて、彼は風呂に入った。


……あんな気配りって。今まで俺は何してたんだ?

熱いシャワーを頭から浴びた。窓の外からはススキノの喧騒が聞こえてきた。

……しかも俺にアドバイスなんてしてさ。男として敵わないよ……全く。

風間は湯船に身を浸すと、お湯をそっと手ですくい、顔にかけた。

……でも。小花ちゃん、可愛かったな……。お嫁さんってあんな感じなのかな……。

イケメン御曹司の風間が歴代の彼女を思い出していたが、彼女のような家庭的な人は初めてだった。

「……ま、いいか!」

こうしてススキノプリンス風間諒は湯船に足を延ばして、そっと目を閉じた。札幌の夏は始まったばかりだった。





fin



 

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