短編集「革命の火の粉」

ていたせ

ihr Geburtstag 2033

ヒルデちゃん誕生日おめでとうございました(2021/05/16)


!注意!

45



 ドアを開けると、砂混じりの風がヒルデガルトの全身に吹き付けた。


「大丈夫ですか?」


側にいた兵士が彼女の顔を拭うハンカチを探してポケットを漁ったが、ポケットからは何も出てこなかった。


「うん……大丈夫だよ」


ヒルデガルトは顔をゴシゴシと袖で拭った。口の中で細かい砂粒がジャリジャリと音を立てた。


「ようやく砂まみれの風に苦しめられる生活からはおさらばですね、お嬢様」


その言い方にヒルデガルトは笑った。


「いつものことで諸君らはうんざりしているかもしれないが、私にとってはちょっと新鮮な体験だったよ」


彼女の笑顔を見て、兵士は寂しそうな目をした。


「お嬢様と過ごした2週間は我々にとっては宝です。まして我が部隊でお嬢様のご生誕をお祝いできるとは……」

「いつもと違う趣きで楽しかったよ」

「ありがたいお言葉です」


二日前にここで開かれたヒルデガルトの誕生日パーティは、いつもと違ってこじんまりとしたホームパーティーのような趣きだった。毎年恒例のセレモニーの挨拶をするのがあまりにもそぐわず、簡単な乾杯にしてしまったくらいには。

 部隊の兵士に別れを告げ、迎えの装甲車に乗り込む。分厚い防弾ガラスから兵舎を振り返る。すぐにその窓は装甲板で塞がれた。

 ドイツから強制退去となり、フェーゲラインに帰国したヒルデガルトは、各地の第4軍の駐屯地を転々として身を隠していた。フェーゲライン草原に置かれた部隊に留まる2週間が終わり、次はまた別の部隊に移る。ヒルデガルトは兵員と物資を輸送する車列に紛れて移動することになっていた。

 車が走り出し、フェーゲライン草原を横断していく。

 草原とは古い呼び名に過ぎない。窓を開ければ、ようやく生えてきた短い草が点々としているだけで、乾いた砂の平原が広がっている。

 ここはかつて、フェーゲラインで最も激しく戦われた最前線だったのだ。縦横無尽に張り巡らされた塹壕から無数の躯が回収され、不発弾や銃弾が拾い集められ、ようやく塹壕が埋め立てられた。こうして安全に輸送車が走れるのも、獣の兵士たちの労力の賜物だった。


 少し走ったところで、後方車両から無線が飛んできたのをヒルデガルトは感知した。前の座席の兵士が通信機を取り、話している。


「しかし車を停めるわけには……」

「どうかしたのか?」


ヒルデガルトが首を出すと、通信兵は恐縮した。


「あっ……、そ、その……後方からコンスタンツ・ヴェルフ少佐が追いかけてきたそうです」

「何だろう、かれを乗せるまで待つくらいなら停めても大丈夫だろう?」

「……了解しました」



 車が停まり、重いドアを開けると後ろから黒い人影が走ってくるのが見えた。何か大きな荷物を担いでいる。


「コニー! どうしたんだ?」


狼の将校は息をついた。


「ふうふう……お嬢様……」


ヒルデガルトはコニーを装甲車に乗せた。車列は再び走り出す。


「まさか草原を走って追いかけてきたのか?」


コニーは笑って肩をすくめた。


「車でですよ」


ヒルデガルトは従者がようやく冗談に反応する余裕を見せたところで、不満そうに頬を膨らませた。


「お前……、私の誕生日にも来なかったのに一体何なんだ?」

「ああ……お嬢様、申し訳ありません。国外にいたものですから。でも贈り物は受け取っていただいたでしょう?」


狼は生意気に言い訳をする。


「まあいいよ、プレゼントと電話で勘弁してやるよ。それで今日は何だ?」


ヒルデガルトはコニーが担いできた一抱えの荷物を見つめた。


「これを届けるように言われて参ったのです。残念ながら輸送中に襲撃を受けて、間に合いませんでした……。申し訳ない」


コニーは何重にもなった袋を開いて、焦げ臭い袋を取り出した。


「プレゼント……?」


いくつか品物が入っている。ヒルデガルトは袋の中に手を入れて探った。熱ですっかり軟らかくなってしまったチョコレートがいくつか。分厚くて大きな書籍。そして小さな封筒。フェーゲライン人からのものではないことは明らかだった。

 封を切って手紙を開くと、几帳面な筆跡で祝福の文章が綴られていた。


「ヘルマンか……」


包まれた本は無事だった。開くと鮮やかな写真が大きく刷られている。北海の砂浜に並ぶカゴ編みのソファ。エメラルドグリーンと白い石灰岩の街がまばゆいコントラストの地中海。霧に包まれたラインのブドウ畑。世界各地の美しい景色を紹介した写真集だった。

 ヒルデガルトはコニーが一緒に本を覗き込んでいることに気付いた。


「汗臭いぞお前」

「えへへ、すみません」


コニーはハンカチを取り出して汗を拭った。


「粋なプレゼントじゃないですか。箱入りのお嬢様にあちらの世界のキレイなものを紹介したかったのでしょう」

「うん……」


ヒルデガルトにとっては行ったことのない景色だ。


「…………」


ヒルデガルトはページをめくりながら黙り込んだ。


「お嬢様?」


コニーの暑苦しい手が頬に触れる。


「いや……、一昨日のパーティはいつもと違ってホームパーティーみたいな感じで……、もしも今年もドイツにいたらあんな感じだったのかなって思ったんだ」


去年の誕生日はドイツ連邦軍人も交え、合同旅団のホールで行われた。ドイツ人にとってはセレモニーで個人の誕生日を祝うのはいささか仰々しいものに感じられたようだった。


「今年のパーティは楽しかったですか?」


うん、とヒルデガルトはうなずいた。


「では、来年は彼らドイツ人にもっと楽しいパーティを期待するとしますか」


コニーは明るくそう言ったが、ヒルデガルトは返す言葉がすぐに浮かばなかった。


『ソウダネ、タノシミニシトク』


疑似感情モジュールが彼女の代わりに返事した。


「……もう、暑いぞコニー!」


ヒルデガルトは手に重ねられたコニーの手を振り払った。


「そんな~、お嬢様~……」


狼はわざとらしく耳を垂れてみせた。


「うん……、楽しみだな、来年の誕生日」


ヒルデガルトは疑似感情モジュールが放った言葉を自ら繰り返した。




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短編集「革命の火の粉」 ていたせ @Teetasse-B

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