第9話「全力で抗うまでだ」

 @柊メテオの無感動な面持ちに、一瞬だけ恐怖の色が浮かんだ時。


 ケーネはこれ以上、この戦いを黙って見ていることは出来なかった。


「メタル!」


 ケーネのすぐ隣で戦況を観察する室温感知機能付き空気調節用アンドロイド@光臨メタルは、心なしか不安そうな表情になりながら、ケーネを見上げた。


「何でぇすか」

「さっき俺がこの家から出たら暑さで溶けるか倒れるって言ってたよな」


 @光臨メタルは、コクコクっと頷いた。


「なら、窓はどうだ?」

「窓でぇすか?」

「ここに住み始めた最初の頃、少しだが換気も兼ねて窓を開けようとしたことがある。あまりの熱気に10秒と開けていられなかったが、お前がアンドロイドに進化した今なら、熱気を中和出来るんじゃないのか?」


 @柊メテオが玄関から出立した時、@光臨メタルは舞い込んだ熱気を即座に冷気で中和していた。


 ケーネ本人が外に出てしまえば、流石の@光臨メタルでも守り切れないかもしれない。


 だが窓を少し開けるくらいなら、何とかなるのではないか。


 @光臨メタルは窓とケーネとを交互に見やり、少し思案してから、口を開く。


「全開は不安でぇすが、半分くらいでしたら出来ると思うでぇす」

「本当だな?」

「はぁい。メタル今充電バリバリ全開なので、5分くらい開けっ放しでも全然余裕でぇすよ」

「5分もかからない。すぐ済ませる」


 ケーネは@光臨メタルに合図をしてから、窓を半分程度開けた。


 即座にとんでもない熱気がむわりと部屋中に充満するが、すぐにそれは冷気と混ざり合い、適温へと早変わりする。


「はああぁぁぁぁぁぁっ!」


 @光臨メタルの長い金髪が、風に煽られたようにふわりと逆立つ。


 バチバチとどこからか電気が走り、ブーンといった駆動音が聞こえてくる。


 @光臨メタルの周囲は、真冬のような冷気で包まれていた。さらにスカートの端から小型のサーキュレーターを引っ張り出し、外気が出来る限り入らないように空気をかき混ぜ始めた。


 @光臨メタルは相当努力している。ケーネは開けた窓から、あらん限りの大声を出した。


「めておぉぉぉぉ――――――っ!!!」


 @柊メテオ目掛けて、ケーネは手に持った電気シェーバーを思いっきり放り投げた。




 ◆◇◇◆




 ケーネの声が聞こえた時、@柊メテオに浮かんだ気持ちが、何だったのか彼女自身にもよく理解できなかった。


 だが今にも挫けそうな自分とは違い、ケーネは諦めていなかった。

 こんな自分を――たかが掃除機である自分を、信じてくれている。

 見ただけで戦意喪失しそうな巨大なワイバーンとの戦いを、心から応援してくれている。


「わたしは他でもない――掃除機です。ご主人様が吸い込めと命じたゴミには、最後まで全力を持って立ち向かう所存です!」


 受け取った電気シェーバーを握り締める。

 ケーネの考えは、すぐに理解できた。


 腰の蓋に触れる。力の源は、十二分に溜まっていた。


 本来なら最後の最後に、自分のために使うべきだと思っていたが、この状況ならケーネの意図を尊重すべきだろう。


 @光臨メタルを進化させた時のように、@柊メテオは電気シェーバーに力を分け与える。


 リザード何体分の経験値が、そこには溜まっていたのか。電気シェーバーは光に包まれ、@柊メテオと同じ人型のアンドロイドへ進化を遂げた。


「名前を――貴女の名前を、教えてください」


 @柊メテオの問いに、赤紫色の頭をした小柄な少女は、快活な声で答える。


「電動剃刀専用アンドロイド@星崩ほしくずノアだよ。おねーちゃん!」


 @柊メテオより遥かに小さな少女――@星崩ノアは、既存の二人とは打って変わって無邪気な笑顔で、@柊メテオを見上げた。


「――で、誰のお髭を剃ればいいの?」


 一見ショートヘアに見える髪型だが、よく見ると後ろの髪を編み込み、背中の辺りまで伸ばしている。


 服装もエプロンドレス姿ではなく、健康そうなへそ出しコスチュームだ。


「てゆーか。おねーちゃん、ここすっごく暑くない? ノアあんまり暑い場所得意じゃないんだよぅ……」


 女神の用意した電気シェーバーは、どうやら@柊メテオと同じ世界から来たモノではないらしい。

 品質基準が@柊メテオや@光臨メタルと比較して、やや緩い傾向にあるようだ。


「貴女が剃るのは、髭ではありません」

「えぇーっ! ノアお髭以外の毛剃るのヤダよぅ! 変なトコの毛剃られると、絡まったりして調子でなくなっちゃうんだもん!」

「…………」

「それにね。ノアは男の人の顎とかほっぺた撫でるのがだーい好きなの! わしゃわしゃチクチクしたあの独特な触り心地が、癖になるんだよねー」


 @柊メテオは、家の中にいるケーネの方を見た。


 ケーネは既に部屋の窓を閉めていたので、意思疎通を図ることは出来ないが。


「これからわたしがお願いすることをしてくれたら、後でいっぱいご主人様の髭を剃っていいですから」

「ほんとー? ちゅーもしていいー?」

「……何故、キスを」

「えへへぇ。ノア、男の人にちゅーするの好きなんだぁ」

「ご主人様を傷つけないと約束するなら、構いませんが」

「怪我はさせないよー。ノア、刃の出し入れは徹底してるもん!」


 @柊メテオはふと気になることがあり、ワイバーンの動きを警戒しつつ、@星崩ノアに尋ねた。


「ところで、何故キスするのが好きなのですか」

「えー、なんかぁ。男の人のお口見てると、ムズムズしてきちゃうんだよねぇ。撫でたり触れたりすると、ちょっとドキドキしてくるでしょー?」


 無邪気そうな顔をして、やや大人びたフェチシズムに目覚めているようだ。


 とはいえ@柊メテオもゴミを吸引することに生き甲斐を感じているし、電動剃刀として生まれてきた@星崩ノアにとって、その性癖は至って当然のものなのかもしれない。


「んじゃーぁ、おねーちゃんのお願い聞いてあげるね! 何をすればいいの?」

「簡単です。そこにいるおっきなワイバーンに、飛び掛かってください」

「飛び掛かればいーの? へーぇ」


 無邪気な童女めいた@星崩ノアの顔に、獰猛な黒い笑みが浮かんだ。


「剃刀を投げて遊ぶような悪い子には、ノアの恐ろしさをきょーいくさせてあげる必要がありそだねぇ」


 底冷えする声でそう呟いた@星崩ノアは、ワインレッドの双眸をギンと見開き、口から覗く八重歯をじゅるりと舐め――――すぐにニパっと元の笑顔を浮かべて、ワイバーン目掛けて突貫した。


「とりゃあぁぁぁぁぁっ!」


 尋常ではない跳躍力でロケットのように突っ込んだ@星崩ノアは、虚空を削りながら、全身から細く鋭利な刃のようなモノを幾つも伸ばしていった。


 全身の皮膚が硬質化し、やがてその全てが鋭利な刃へ変形していく。どこを触っても怪我をしそうな危険な形状へ変貌した@星崩ノアは、ワイバーンの膝を蹴りさらに跳躍しする。


「――――っ、ぐああっ!」

「かーらーのー!」


 握りつぶそうとしたワイバーンの指先を斬りつけながら、@星崩ノアは滑るようにワイバーンの体躯を切り裂いていく。


 堅い部位は避けて、刃の通る柔らかい部分を選んで攻撃するその動きは、生え方の違う髭を一本一本吟味し的確な力加減で剃り落とす、電気シェーバーの極致ともいえた。


「あははははっ! 遅いおそーい! そんなんじゃ捕まんないよーっだ!」


 電気シェーバーをアンドロイドに進化させれば、攻撃に転用できるのではないか。


 ケーネの判断は、正しくもあり間違いでもあった。

 確かに全身に刃を持ち暴れ回る@星崩ノアは正規の使用方法から逸脱した使い方をすることで、誰かに怪我をさせてしまう危険性を孕んではいた。


 だが所詮は電動剃刀。毛を剃るためのものであって、竜を狩るための武器ではない。


 いくら誤った使い方をする子に恐ろしさを教育するとはいえ、ワイバーン相手に致命傷を与えるには至らない。


 終わらない追いかけっこに苛立ちを覚えたらしいワイバーンは、一気に片を付けようと、口を大きく開きブレス攻撃の準備を始める。


 @星崩ノアに耐火性能はなかったはずだ。慌てて@柊メテオは、@星崩ノアに向けて叫んだ。


「戻ってください!」

「だいじょーぶ! あれくらい避けれるよ!」


 地面に降り立ち、ゴロゴロ転がるようにして火炎から逃げ回る@星崩ノア。


「あははははっ! 本来投げちゃいけないものってねー、ふざけて投げると、何故か飛んでいくと困る方へばっかり飛んでっちゃう傾向があるんだよねー」


 子供の悪戯を戒めるように、@星崩ノアは奇天烈なステップでブレス攻撃を回避する。

 そして思いもよらぬ地点でいきなり地面を蹴り、方向転換。全身に刃を広げたまま、@星崩ノアが@柊メテオのもとへ吹っ飛んできた。


「戻ったよー!」

「ひゃぁ!」


 危うく正面衝突しかけたが、間一髪で軌道を変えて、@星崩ノアは後方に転がった噴石の陰に身を潜めた。

 一泊遅れて、灼熱のブレス攻撃が@柊メテオに襲い掛かった。


 本来は宙に浮きながらでも、容易に大地を焼き焦がすワイバーンの火炎放射。

 だが此度は状況が違った。コロコロと逃げ回る@星崩ノアを追い求める末に、ワイバーンは身体を低く保ち、顎が地面に触れるスレスレの格好でブレスを発した。


 耐火性能に優れた@柊メテオは、襲い来る灼熱の地獄に挫けそうになりながらも、無我夢中で前進した。


 ケーネは自分を信じている。そのために危険を冒してまで、@柊メテオに電気シェーバーを投擲してくれた。


「ご主人様の機転……無駄には致しません」


 迫りくる火炎。凄まじい熱波。

 危険性を感知し身体の中で警告音が鳴り響くが、@柊メテオはケーネのことだけを考えて突き進む。


「……やっと」


 ブレス攻撃をする際には、当たり前のように口を大きく開きながらでなければならない。


 この部位を吸引するのは、これで二度目だ。要領は分かっている。


 火炎の放射が止まると同時に、@柊メテオはワイバーンの口の中へ飛び込んだ。

 そして――。


「出力最大――全力全開、吸引!」


 口の中に仕舞われたワイバーンの舌を、胸元の吸引口で思いっきり吸い込んだ。




 ◆◇◇◆




 ワイバーンのブレス攻撃が止まった刹那、戦況を見守っていたケーネは我が目を疑った。


 さっきまで間違いなくワイバーンの前にいた@柊メテオが、忽然と姿を消しているのだ。


「なあメタル……。ワイバーンの火炎放射で、メテオが溶けちゃったとか、そんなことないよな?」

「…………分からない、でぇす」


 呑気に大丈夫ですよとか言ってくれると思ったが。

 流石の@光臨メタルも楽観視していられないと思ったか、窓に張り付いたまま頻りに現況を確認しようとしている。


「電気シェーバーさんは無事みたいでぇすね」

「咄嗟に手に持ってたやつ投げちゃったけど、役に立ったのかなあ……」


 直接手渡すならともかく、半分だけ開けた窓から遠くにいる@柊メテオに投擲するとなると、武器に進化しそうなモノが電気シェーバーくらいしか見当たらなかった。


 噴石の後ろで倒れ込む赤紫色の髪の童女は、目を回してしまったのか、転がったまま起き上がろうとしない。


 だが時折身を捩り、ワイバーンの皮膚片らしきモノをペッペと口から出しているので、生命に別状はないようだ。


 アンドロイドに生命という概念があるかはともかく。


「でも、良かったんでぇすか?」


 @光臨メタルは窓の外にかじりついたまま、抑揚のない声で聞く。


「これからご主人様、毎朝あの電気シェーバーさんに髭剃ってもらうことになるでぇすよ」

「…………」

「メタル二階にいたでぇすから、ご主人様のことよく知らないでぇすけど。ご主人様女の子と接するの不得手そうでぇすから」

「まあ、何とかするよ」


 最悪髭なんか剃らなくても、生活に支障はない。


 何を隠そうケーネは引きこもりなのだから。


「どうしたんでぇすかね」


 瞬き一つせず戦況を見守っていた@光臨メタルが、窓に張り付いたまま、不思議そうな声を上げた。


「ワイバーンが苦しそうにしてるでぇす。のたうち回ってるでぇすよ」


 ケーネが@柊メテオの行方を案じ視線をさまよわせている最中、@光臨メタルはずっとワイバーンの様子を観察していたらしい。


 ワイバーンの巨躯が、急に大きく捩じれた。


「うわ!」


 尻尾が横薙ぎに窓を叩きつけるが、振動はおろか音すらしない。

 苦しそうにもがき身体をバタバタさせたワイバーンは、顎を何度も何度も地面に叩きつけ、のたうち回りながら叫ぶように口を大きく開けた。


「あ、あれ!」

「メテオ!」


 ワイバーンの口から転げ落ちた@柊メテオは、全身が真っ赤に染まっていた。

 粘ついた滴り方から推察するに、血ではないだろうか。一瞬最悪の想像が頭を過るが、すぐにケーネは頭を振った。


「いや、メテオが怪我しても血は出ないか」

「多分ワイバーンの血液でぇすね。でもどうしたんでしょう」


 開いたワイバーンの口腔から、おびただしい量の赤黒い液体が零れ落ちた。


 朱色の霧を断続的に吹き散らし、ワイバーンはぐらぐらと総身を揺らしながら、天を昇っていく。

 しかしケーネの視界から全身が消えるより先に、ワイバーンは力尽きて地上へ落下してきた。


「死んだのか……?」

「いえ、あれを見てくださぁい!」


 真っ逆さまに転落し、身を捩りつつも起き上がれなくなったワイバーン。

 そこに同じようなワイバーンが二匹ほど降り立つと、血を吐いたワイバーンを引き連れて、そのまま上空へ戻っていった。


「……これはメタルの想像でぇすが」


 @光臨メタルは、窓の外を見ながら呟いた。


「きっとあのまま放っておくと、地上のモンスターたちの格好の餌食になってしまうでぇすから。仲間が袋叩きに遭わないよう、巣に連れ帰って治療するつもりだと思うでぇす」

「仲間思い、なんだな」

「ワイバーン降りてきたのも、守るべきリザードが一方的に狩られたからでぇすしね」

「俺の家を襲ったのも、リザードの縄張りを侵害されたから、その報復のためだもんな」


 血塗れになった@柊メテオを見つめ、ケーネは目を細めた。


「でも、先に手を出してきたのは奴らだ」

「ご主人様」

「俺はただ女神様の建てた家に、住んでいるだけのこと。女神がこの土地は誰の所有物でもないと判断したのなら、それはきっと正しいのだろう。そこから追い出す権利は、たとえワイバーンだろうとないはずだ」


 ケーネはただ、引きこもり生活を満喫しようとしているだけだ。

 それがたまたま女神の気まぐれで、異世界になっただけ。


「俺はこの世界で引きこもると決めた。他でもない女神様のお墨付きだ。誰にも邪魔させない。邪魔する権利もない」


 それでも邪魔をする輩がいるのであれば、ケーネがすることは決まっている。


「俺を家から追い出すために全力をかけて臨むというなら、俺はそれに――全力で抗うまでだ」


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異世界が引きこもり生活を全力で邪魔してくるので、全力で抗う 新双ロリス @aoyuri

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