第8話「掃除機は戦うためのものじゃない」

 おおよそ10体は、この身に吸引しただろうか。


 より鋭利に、より凶悪に吸引口を進化させゆく自律思考型清掃用アンドロイド@柊メテオは、開け放たれた胸元の吸い込み口の出力を上げた。


 火山帯に生息するリザードに、もはや抗う術はない。

 鉤爪を立て、迫りくる突風から何とか逃れようと試みるが、最終的にその体躯は宙に浮き、@柊メテオの胸元へ吸い込まれ、細切れにされる。


 獲物を狩るために特化した鋭利な爪も牙も、四散した噴石の欠片が衝突しても傷一つ付かない灼熱の鱗も、@柊メテオにかかれば瞬く間に見るも無残な姿へ早変わりだ。


 排気口は躍動を続け、唸るような音を立てる。腰の蓋を開け、溜まった屑をそこらにまき散らした。


「ふんっ!」


 空吸引をし、タンクにこびりついた屑の破片を吹き飛ばす。

 血糊や糸のような器官が、風に乗って散っていく。

 音もなく腰の蓋を閉じると、@柊メテオは無感動な瞳を瞬かせ、蒼穹を仰いだ。


「そろそろですかね……」


 赤く焼けた大地を闊歩する、空の王者の忠順たる下僕リザード。

 悠々と空を翔けるワイバーンも、己の領域で好き放題されれば、黙ってはいられないだろう。


 家が一軒建っただけで、幾度となく噴石を落下させる――危険かつ悪趣味な嫌がらせに勤しむモンスターである。


 己の下僕たるリザードを手当たり次第に狩られれば、ワイバーンも報復のために地上へ降りてくるはず。


 果たして@柊メテオの推測は的中した。

 上空を旋回していたワイバーンは、棒立ちする@柊メテオ目掛けて噴石をこれでもかと落下させてきた。


 障害物を感知するセンサーをフル稼働させ、@柊メテオは迫りくる爆撃をひらりひらりと躱していく。ロボット掃除機としての本領発揮である。


 埒が明かないとみたワイバーンはやがて噴石を落とすのを諦め、大きく円を描くようにして滑空し、地上へと降り立つ。


「…………」


 虚空を旋回するワイバーンの姿に、一瞬だけ――@柊メテオの表情に曇りが差す。


 二階建て住宅の屋根の高さまで降下してきたところで、@柊メテオの予感は良い方も悪い方も同時に的中した。


 確かにワイバーンは、リザードを惨殺されたことに憤慨し、外敵を直々に始末してやろうとその姿を眼前へ晒しにきた。


 しかし@柊メテオには、あってはならない一つの誤算があった。


「……思った以上に、大きいです」


 空の王者ワイバーン。それはケーネの住む二階建て住宅より、遥かに巨大な体躯をしていたのだった。




 ◆◇◇◆




「……嘘だろ」


 部屋の中から@柊メテオの奮戦振りを眺めていたケーネは、中空でホバリングするワイバーンの姿に、茫然としてしまう。


 想像していたより、遥かに巨大な身体。否――体躯自体は、そこまで大きくはない。せいぜい全長5メートルくらい。それでもケーネからすれば、相当な巨躯ではある。


 ワイバーンの体躯を大きく見せているのは、羽ばたくだけで強風を巻き起こすほどの翼であった。


 翼の全体像は、家の中にいるケーネからは確認することが出来ない。下手すると片方の翼だけで、屋根を覆い尽くすほどのサイズはあるかもしれない。


 対峙する@柊メテオの姿を視界に入れる。

 室内清掃用のアンドロイドというだけあって、全長はおよそ150センチ前後。平均的な女性の身長そのものである。


 そんな小さな女の子が、二階建て住宅より巨大な飛竜と戦おうとしている。リザードを華麗に殲滅する勇姿に興奮していたケーネは、一気に肝が冷えた。


「勝てるのか。そもそも、メテオはアレと戦えるのか?」


 品質基準で戦車に踏まれても壊れないと自負していた。進化した今の@柊メテオが、どれほどの耐久力を保持しているのか、ケーネには想像もつかない。


 だがそれにしたって限度はある。身体が大きいということは、それだけ質量も多くなるのだ。


「@柊メテオの吸引力、メタル限界知らないでぇすけど……。あんなにおっきぃおっきぃの、吸い込めないんじゃないでぇすか……?」


 @光臨メタルも窓に顔を張り付け、@柊メテオとワイバーンとを交互に見やっている。


 不吉な予感が走り、ケーネは縋るような面持ちで@光臨メタルに視線を送る。その眼差しに気付いたのか、@光臨メタルは優し気な目付きでケーネを見やり、残念そうに首を振った。


「メタルには無理でぇす。メタルはエアコンでぇすから、攻撃したり吸い込んだりとか、荒事は不得手でぇす」

「メテオだって掃除機だ! 本来掃除機は戦うためのものじゃない。ゴミを吸い込むためのものだ」


 何かないかと、ケーネはリビングを見回した。


 頭の中で、家の中にある使えそうなものを考える。

 洗面所に電気シェーバーがあった。寝室に電気スタンドがあった。キッチンに電子レンジがあった。


 髭を剃る要領で、敵を傷つけることは出来ないか。熱くなった電球で、攻撃することは出来ないか。マイクロ波をビームのようにして、内部から組織を破壊することは出来ないか。


「メタルに聞きたいことがある」

「何でぇすか?」

「メタルはどうやって進化した? 戦えないはずのメタルが、どうして小型エアコンからその姿になれたんだ」


 そのカラクリさえ分かれば、ケーネも自発的に家電をアンドロイドに進化させることが出来るかもしれない。


 ロボット掃除機である@柊メテオはニジイローチなる虫のモンスターを吸い込んだことで、今の姿になったはず。


 元はエアコンだった@光臨メタルが進化したということは、戦う手段がなくてもレベルアップして進化する抜け道があるということだ。


 現状を打開する案を搾り出せないかと、@光臨メタルを問い詰める。

 しかし@光臨メタルは優しげな双眸を僅かに伏せ、申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。


「すみません、ご主人様。メタル、自分がどうやって進化したか、分からないでぇす」

「……何だと」

「@柊メテオに連れられて、家の外に出されたのは、覚えてるでぇすけど……。その後@柊メテオが、リザードを吸引して――メタルに何かしたら、メタルいつの間にか今の姿になってたでぇす」


 偶発的な進化ではなかった。@柊メテオは進化の手順を理解しており、それを@光臨メタルにやらせたのだ。


「つまりメテオなら、その方法が分かるってことだな」


 洗面所から電気シェーバーを引っ掴み、ケーネはリビングを通って玄関へ飛び出そうとする。


 ――と、そこで。


「だめ、でぇす!」


 @光臨メタルに飛びつかれた。


「何をする、離せ!」

「メタル、@柊メテオに言われたでぇす。ご主人様を任せたって、そう言われたでぇす。家の中にいれば、ご主人様絶対ぜったい安全でぇすから。だからここにいてくださぁい。メタルはご主人様を守るためにアンドロイドになったでぇす」


 @光臨メタルは、必死でケーネにしがみ付く。


「ご主人様生身の身体だから、あんなトコ少しいたら溶けちゃうでぇす。熱気と湿気で倒れちゃうでぇす。家の中だから平気なんでぇす。メタルの仲間たちが一生懸命空気調節してるから、ご主人様は快適な暮らしができるでぇす」

「…………」

「だからご主人様、家の中にいてくださぁい。@柊メテオは大丈夫でぇす。@柊メテオ強いから、きっと大丈夫でぇすよ……」


 @光臨メタルに説得され、ケーネは電気シェーバーを掴んだまま、やるせなさに俯くしかなかった。




 ◆◇◇◆




 ワイバーンの薙ぎ払いを、即座に感知して軌道から飛び退く。


 回避の合間を縫って、何度か吸引を試みてみたものの、今の出力では巨大なワイバーンを取り込むことは出来なかった。


「……どうすれば」


 @柊メテオは充電式のロボット掃除機だ。このまま無暗に逃げ回るだけでは、孰れは充電がなくなって撤退せざるを得ない。


 家の中まで逃げ込むことが出来れば、暫くは安泰だろう。

 だがそれではリザードを狩り、ワイバーンを地上へ呼び寄せた――せっかくの計画が無駄になってしまう。


 ここで@柊メテオが撤退したら、もう二度とワイバーンは挑発に乗って地上へ降りることはないだろう。


 今まで通り、安全圏から噴石を落下させる陰湿な嫌がらせを続けるだけだ。


「それではご主人様が安心して生活出来ません。だからここは、何が何でもワイバーンを……」


 最悪、倒しきることは出来なくてもいい。

 致命的な傷を負わせれば、あるいはこちらの脅威を見せつけることが出来れば、ワイバーンも小賢しい嫌がらせを続けることはないだろう。


「そうです。撃退することに意識を向け過ぎては、チャンスを見逃してしまうかもしれません。ここは慎重に、攻撃の機会を見極めなければ……」


 ワイバーンの咆哮。大気が振動するほどの音波だったが、有害電波対策もされている@柊メテオには通用しない。


 顔の接近をチャンスと見極め、@柊メテオは最大出力で吸引する。

 開け放たれた口から、岩のように大きな歯が一本飛び出し、@柊メテオの胸元に吸い込まれる。


 ゴリゴリと凄まじい音を立てながら、すり潰す@柊メテオ。そのまま吸引し続けると、ワイバーンの厚い舌が、ベチンと音を立てて上顎に引っ付いた。


 蛇のように割れた舌先が、じわじわと@柊メテオの胸元に接近する。ダメ押しに口腔の吸引口をも起動させ、ワイバーンの舌先を、胸元の吸引口にほんの少しだが取り込むことが出来た。


「――――――――っ!!!」


 バチンと音を立て、ワイバーンの舌先が微かに千切れ飛ぶ。


 矮小な傷ではあったが、痛撃にはなったらしい。ワイバーンは大きく身を捩り、のたうち回った。


 狭い地上でそんなことをしたため、噴石と火山と住宅とで挟まれ、思うように身動きが取れないようだ。


 家の壁に何度も身体をぶつけるが、ケーネの家はビクともしない。打ち付けられた翼が岩肌を削り、死角から@柊メテオに迫りくる。

 全方位に用意されたセンサーで難なくそれを躱すと、@柊メテオは翼の先端に向けて、吸引口を回転させた。


「……ギチ、ギチ、ぎち」


 翼の尖った部分が@柊メテオの吸引口に取り込まれ、少しずつだがズタズタに切り刻んでいく。


 巨大な翼が災いし、ワイバーンは地上では自由が利きにくい。暴れて@柊メテオの攻撃範囲から逃れるが、今度は反対側の翼が@柊メテオの目の前に叩きつけられる。


 それを悠々と回避し、@柊メテオはまたしても棘の先っぽを吸引した。


 コツが掴めてきた。吸引口に取り込み可能な小さな部位を一つずつ、確実に粉砕していけばいいのだ。


「出来ればあと一押し、致命傷とはいわずとも痛撃を与えられれば――」


 @柊メテオはそこで、少しばかり攻撃の欲が出てしまったか。


 翼に生えた棘を一本吸引し尽くしたその瞬間、@柊メテオの背中に、重い一撃が走った。


「――っく、あっ!」


 長い尻尾の薙ぎ払いがクリーンヒットし、@柊メテオの体躯が宙に浮いた。


 センサーは感知していた。だがあと一瞬、吸引中だった棘を根元まで飲み込んでしまおうと欲張ったせいで、回避しきれなかった。


 刹那@柊メテオは、火山帯の岩肌に総身を思い切り打ち付けていた。


 戦車に踏まれても壊れない。@柊メテオの身体に傷はなかったが、衝撃から精密機器を守る本能のためか、瞬間的にスリープモードになってしまう。


「――っあ、再起動」


 躍進した化学力は再起動の時間も短縮したが、動物的本能で動くワイバーンからすれば、それは充分過ぎる隙として映った。


 リザードのものとは比べ物にならない火力の灼熱が、ワイバーンの喉奥から吐き出される。


 燃え盛る業火は@柊メテオには効かなかったが、本来なら致命傷になり得る全力の連撃には、流石の@柊メテオも心が挫けそうになってしまう。

 

 自律思考型清掃用アンドロイド@柊メテオ。所詮は機械であったはずの@柊メテオの中に、怖れにも似た感覚が芽生える。

 欲張って攻撃することに、忌避感が生まれてしまう。


 再起動が完了し、動きはまた以前の通りに戻る。


 だがその吸引は精彩を欠き、またあと一歩踏み込めるという状況になっても、一歩後退してしまっていた。


「……も、これ以上は」


 減り始めた充電にも意識が向き始め、@柊メテオは最悪撤退する羽目になることも視野に入れ、立ち上がった。


 そこで――。


「めておぉぉぉぉ――――――っ!!!」


 聞こえるはずのない声が、@柊メテオの耳に届いた。

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