モールドクリーナー
逆脚屋
マッド&ハイナ
あの日、世界は瞬く間に変わっていき、そして終わっていった。
始まりは大陸にある、とある小さな山村だったという。
その山村で発生した感染症が、全ての終わりの始まりだった。
その病は、あっという間に人と獣を冒し、大地までも侵食していった。
それは黴だった。たった一種類の黴に、人類は、世界は負けた。
人類の大半は黴に飲まれ支配され、その版図を広げる為の苗床となった。
だが、一部の生き残った人類は、黴の支配を逃れ、奴らに対抗する手段を構築し、幾つかの集落〝シェルター〟を構成した。
その過程で、ある者達が生まれた。
黴に感染し尚、黴の支配を受け付けず、しかしその影響か、ちょっとした刃物や拳銃弾程度では、倒れる事の無い頑強な身体を得た
そして、保菌者と同じ様に黴に感染したが支配されず、頑強な身体と超能力を得た
今から約五百年前に生まれた両者は、
「ねえ、ねえ、起きて」
揺れる車内で、機材の音に紛れて、そんな甲高い声が誰かを呼んでいた。
「あ……、着いたか」
「そ、早く準備準備」
「なら、降りなさい」
のそり、と起きた姿が、籠った声で返事をし、摘まみ上げるかの様に、自分の腹の上ではしゃぐ小さな姿を持ち上げる。
「ひゃー」
「……状況は?」
大柄な姿が問うと、すぐに答えが返ってくる。
「かなり増えてる。当たり前だけど〝ピラー〟にはなってない。けど、〝ポール〟がここからの目視で五本。……〝マッド〟、薬剤足りる?」
「予備も出せば足りるさ」
「また赤字ー?」
「今回はあいつ、〝ラックマン〟経由だから、経費込みの支払いになる。〝ハイナ〟、そっちの準備は?」
身を起こし、片手に持ち上げた少女〝ハイナ〟を下ろすと、〝マッド〟は寝転んでいた荷台、そこに立て掛けて置いた仕事道具を手に取る。
「こっちの準備は終わってるよー。あとはマッドだけ」
「分かった」
立ち上がるマッドの姿、ハイナも似た様な格好だが、それはある意味異質であり、しかし今の時代では当然とも言える姿だった。
旧時代の潜水服と対爆スーツを掛け合わせた様な、分厚い装甲と特殊繊維で編まれた対特異黴用防護服。
くすんだ白と灰色のそれに、頭から足先まですっぽりと覆い隠し、更に黒いタクティカルベストまで身に付けている。
そして、唯一の露出部分である顔は、フードとバイザーで表情を伺い知る事は出来ない。
マッドの体格も含めて、異様な威圧感のある姿で、これから行う仕事の道具を、細かく確認する姿はそこはかとなく可笑しいものがあり、ハイナはその姿を見るのが好きだった。
「ハイナ、変化は?」
「今のところ変化なーし。ポールは目視五本のまま」
「〝コミューン〟がこれ以上広がる前に、終わらせよう」
この世界を覆う黴の繁殖速度は、はっきり言って異常であり、その繁殖速度の原因となっているのが、ポールと呼ばれる特異黴の柱状集合体である。この世界を覆う特異黴は、ある程度繁殖し〝コミューン〟を形成すると、その菌糸を伸ばし、更に繁殖する為の胞子を飛ばす。その為の器官となるのが〝ポール〟、そして〝ピラー〟である。
両者、基本は円柱状で、その全体又は先端にある噴出孔から、大量の胞子を散布し、辺り一帯をコミューンに変貌させる。仮に、その範囲内に生物が居た場合、抵抗も逃げる間も無く苗床になるか、もう一つの結果になる。
そして、現状目視されているポールを無視すれば、ピラー化という最悪の事態となる。
「……よし、行くか」
マッドは立ち上がり、仕事の道具と薬剤を詰めた背負子を背負い、相棒である機械式のハンマーを手にする。
「気を付けてね、マッド」
「お前もな」
マッドが重装備に相応しい、重々しい足音と共に、黴に覆われた世界に降り立つ。そして、黒い特異黴の支配する区域に向けて、足早に向かう。
乗っていたトレーラー、その荷台からコミューンを観察するハイナは、双眼鏡を片手に鞄から、手のひら大の円錐形の容器を、先に置いてあった二つ折りの筒の側に並べる。
「相変わらず、コミューンの近くは暗い」
赤や青、緑と様々な液体の入った容器の中から、赤い液体の入った容器を取り、二つ折りの筒に詰め、連結させる。
金属の固い音と、液体の揺れる音を聞きながら、ハイナはマスクの中で、ゆっくりと呼吸を整え始める。
『おい、チビスケ。指示は?』
通信機からノイズ混じりの声が聞こえる。このトレーラーの運転手である、
マッドとは、ハイナより古い付き合いの男で、二人の事情に理解を示す、数少ない人物の一人でもある。
『静かに待機』
『へいへい、……あいつみたくなりたきゃ、俺に言われる前に指示出しとけよ』
『うっさい』
自分達に理解があり、ある程度は安く仕事を受けてくれるのだが、小言が多い。
『あんたの声、通信機越しだと〝角〟に響くのよ』
『だから、いいマスク買えって言ったろ?』
『……この仕事の給料で買うの』
『マッドも、その辺は甘くねえか』
自分のものは、基本は自分で手に入れる。
マッドとハイナが決めたルールの一つだ。
当たり前だと、アミンに何か言い返そうとした時、コミューンから破砕音が響いた。
『始まった』
短く、それだけ言うとアミンが通信を切った。
信号弾はまだ上がっていないが、マッドがポールの破壊を始めた事は確かだ。
その証拠に、ポールの一本が黒から灰色に、脱色を起こしていた。
それをハイナが確認すると、ハイナの側頭部から生えた捩れた角に、青い光が走った。
──・ マッド、状況は?
──・ 今破壊してるポールは、〝コア〟がまだ形成されてない。多分、このコミューンはポールが立ったばかりだ。
──・ じゃあ、〝モールドマン〟は湧いてない?
──・ ……ハイナ、口は災いの元って教えたっけ?
はて、どうだったかと考える前に、マッドはハンマーを振り抜いた。一応、人の形はしているが、それははっきりと人と違うと言える姿をしている。
特異黴特有の汚泥を煮詰めたタールの様な菌糸を、何重にも寄り合わせて、束ねては捻って、無理矢理貼り合わせた手足と、お飾りの様に取り付けられた鋭い爪。
顔に目や鼻、耳は無く、後から切れ味の悪いナイフで、強引に引き裂いたかの如く、歪つに裂け広がった口には、不揃いに出来の悪い歯が生えていた。
〝モールドマン〟、特異黴がある程度以上のコミューンを形成した際に、コミューンの警備と更なる発展の為に生み出す兵士兼苗床だ。
だが、この厄介者が生まれるには、ある条件が必要になる。
「ふっ……!」
ポールとは違う、中身の詰まった袋を殴った様な手応えの中に、硬い芯の様な手応えもある。
そして、人間なら死んでいるだろう角度に、首が折れ曲がり、半ば千切れた状態でも、構わずマッドに対して反撃を行う。
さて、モールドマンの頭をハンマーで叩き潰しながら、マッドは思案を巡らせる。
モールドマンが湧くには、幾つか条件が必要になる。
1.発展したコミューン
2.豊富な養分と時間
3.その元となる苗床
大体、これらの何れかが満たされていれば、モールドマンは発生する。
そして、この中で一番早く、現状に的確な条件が一つある。
──・ ハイナ、アミンに伝えろ。情報にかなりの誤りがある。撤退も視野に入れる。
──・ せっかくの大口だったのに、残念。
変異者であるハイナは、様々な特殊能力を持つ。この会話も、ハイナの能力の一つである
『アミン、マッドから緊急。情報に誤り、撤退も視野』
『はあ? ラックマンがしくったってのか?』
『まだ分かんないよ』
言いつつ、ハイナは抱き抱える様にして構えるライフルの、スコープを覗き込みながら、マッドに念話を絶やさず送る。
──・ マッド。
──・ 待ってろ。今、終わる。
最後のモールドマンを破壊し、マッドはその残骸を確認する。
崩れた黴の菌糸の中からは、まだ分解されていない人間の骨が出てきた。
──・ ハイナ、このコミューンは既に人間を取り込んでる。応援を呼んで焼却する。
──・ 了解。じゃあ、撤退?
──・ いや、せめてポールは折る。
マッドは背の背負子に載せていた包みを解き、中から巨大な注射器の様な機材を取り出す。
先端部にあるシリンダーには、薬液が満たされ、その薬液を注入する為の針は、銛の様になっている。
マッドはその機材を、思い切り振りかぶると、目の前のポールの根元に、全力で突き立てた。
しかし、針先は僅かにしか刺さらなかった。だが、マッドは気にする素振りも見せず、グリップにある引き金を絞った。
瞬間、注射器内で爆発が起こり、僅かに刺さっていた針は深々と突き刺さり、薬液の注入が始まった。
「よし、あとは……」
ベルトから薬液の入った容器、背負子から太い縄の様なものを出し、薬液が注入されているポールに巻き付け、近くのポールにも繋げていく。
「逃げるだけだ」
言うと、マッドは背負子から何かを撒きながら、脱兎の如く駆け出す。
装備の重量もあり、速いとは言えない速度だが、多少の段差や障害はものともせずに、マッドは黒い特異黴のコミューンを、黒い黴の大地に白の線を引きながら駆け抜け、遠目にトレーラーを確認すると、ハイナに合図を送る。
──・ ハイナ、撃て。
──・ はいはい。
ハイナはスコープを覗き、マッドが引いてきた白の線を確認する。黒に白で非常に分かりやすい目印であり、確実に特異黴を仕留める為の劇薬でもある。
そしてそれは、ハイナが抱えるライフルに装填された薬液弾も同様である。
背負子から薬剤の散布が終わり、マッドが範囲外に逃げた事を確認。ハイナはライフルの引き金を弾く。
重い衝撃が肩に響く。薬液弾は僅かに山なりの機動を描いて、マッドが引いてきた白の線に着弾する。
そして、割れて撒き散らされた薬液は、先に撒かれた白の劇薬と反応し、爆発的な燃焼作用を起こし、その力の赴くままに、ある場所へと向かう。
その場所は、マッドが薬液を注入し、仕掛けを巻き付けたポールだ。
注入された薬液により死滅を始めたポールに、追い討ちとなる熱が加わる。
そしてその熱は巻き付けられた容器を割り、中の薬液を撒き散らし、ポールを連結させた縄にも延焼する。
そしてその瞬間、ポールが倒壊を始める。
「これで暫くは大丈夫だろうさ」
「いや、でも赤字だよ?」
「それに関しては、ラックマンを問い詰める」
「そ、じゃあ帰ろう」
「ああ」
焼けていく黒黴の森を背に、二人はトレーラーに向けて歩き出す。
嘗て、世界はたった一種類の黴に負けた。だが、それでも生き残り、黴に対抗する者達が居た。
その者達を人は〝
「ボク、新しいマスク買いたいんだけど?」
「自分の金でなら、買いなさい」
「マッドのケチ」
「ケチで結構」
これは二人のクリーナーが、ある事件に巻き込まれ、世界の変革に関わっていく話だ。
モールドクリーナー 逆脚屋 @OBSTACLE
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