第4話

スープは黙って盛っていった。ある程度の人数がいると思っていたこの地獄には、男女90人ほどがいることがわかった。老若男女は関係なさそうだが、ひどく年の食った人や、反対に子供はいなかった。石を運ぶという作業のできる、適齢期のみが人選されている様子だった。前原さんは、食堂にきて僕らの様子を聞いているようだった。西原さんが来ていないことに気付き「来たら、すぐに俺のところに来させろ」と息巻いた。全員分のスープをよそい終えたところで、自分の分を器にうつす。おばさんやおじさんに「ごくろうさまー。また、お昼ね」と見送られて、器を持ったままキッチンから食堂へ出る。手前側の机に、昨日最初に話しかけてくれた女性が座っていた。

「おはようございます」

僕がそう挨拶をすると、女性は前髪を掻き分けながらこちらを見た。

「おはよう。朝から元気だね」

女性は、僕に隣に座るように促した。僕が座ろうとすれば、高木くんもついてきて彼女の向かいに座った。女性に昨日、名乗り忘れたといえば、安藤という名前を教えてくれた。高木くんは楽しそうに自分の名前を伝えているが、安藤さんは適当に相づちをうっていた。

「ところで、もう一人はどうしたの?」

僕は「わからないんです」と言って首をかしげてみたが、高木くんは急にものを知ったように

「たぶん、俺に会うのが気まずいんすよ」

と吐き出し、大きくため息をついた。

「アスミちゃん、俺のこと気に入ってたじゃん。俺にばっか話しかけてさ。でも、みなみんいなくなった後に聞いたんだけど、あの人さ、前原ってやつに、俺たちを探して配膳準備に来るよう伝えろ、って言われてたらしいんだよ。それをわかんなくて、言えなかったの…って…俺、ムカついてちゃって、『あんたのせいで怒られたんじゃん』ってけっこうきつく言ったよ。みなみんなんか、殴られかけたんだぜ。」

高木くんは、うんうん。と自分の言葉を噛み締めている。

僕は、緑色のスープをスプーンで掬い上げて、出来る限りスプーンを舌に当てて、汁を喉の奥に流し込んだ。安藤さんは聞いているのかいないのか、あからさまな感じに、鼻をふさいで飲み込んでいた。

「西原さんが、高木くんをどう思っているかはともかく、最初の時点じゃあ誰が誰だかもわからなかったから、伝えるのは難しかったんじゃないですか?」

僕がそう言うと、高木くんは噛みぎみに

「だったら、やるって言わないのが筋なんじゃないか。しかも、きっと俺に強く言われちゃって、ショックで来れないんだと思うんだよね」

と、大きくため息をついた。僕はとりあえずスープを口に運び、ごくりと飲み込んだ。高木くんも、それを見て、スープを口に運び、またため息をついた。

「体調悪いのかも…」

ぼそりと僕は呟いたが、高木くんはまた反論をする。僕は面倒になって、スープを飲む以外に口を開くのをやめた。そうすると、高木くんは何かにはっとしたような顔つきになり口を閉じて、こちらを伺う。

スープをよそっているときから、高木くんは気がつくと僕のことを気にして、気を使おうとしているようだった。安藤さんは相変わらず、興味なさそうに肘を立ててスープを飲んでいる。

「このスープ飲まないと、どうにかなるとか、ありますか?」

僕は安藤さんの方を見た。高木くんは首を傾げた。彼女は、「うーん」と少しだけ考え込んでから答えてくれた。

「あ、何?その女、スープ飲まなかったわけ?」

昨日、河原で男性に言われた言葉をそのまま安藤さんに伝えると、彼女は声をたてて笑った。

「言い方……言い方だよね。確かに身体中は痛くなるけどね…」

安藤さん曰く、『スープを飲まないと身体が痛くなる』ことはないらしい。むしろそれは逆で、地獄の食事という名前にふさわしい味のスープは、飲めば身体の痛みを和らげたり、疲労回復を早める効果を持っているらしい。

「最初のうちなんかは、ちゃんと飲まないと筋肉痛で動けなくなるよね」

僕は高木くんと顔を見合わせた。確かに、昨日あれだけ無理をして石を運んだものの、残るような疲労感や筋肉の痛みはない。

「そのまま飲まないでいたらどうなるんですか?」

西原さんの断固として、飲めるわけがない。という姿勢を思い出して、僕は恐る恐る聞いた。

「筋肉痛は治らないから、ずっと痛いわね。それに加えて、空腹感と倦怠感がひどくでるんじゃないかな。放置しすぎたら、ベッドから出られなくなるみたい。そういうやつ部屋にいたでしょ?

ここは地獄だから、痛いとか苦しいとかはずっと続くけど、死にはしないから」

安藤さん曰く、そういう人は最初は同室の人が声をかけてくれるが、痛みを押して疲れはてる現場にでて、不味いスープを飲む生活に耐えることができない場合が多いらしい。そもそも、スープを飲めば一瞬で痛みが和らぐわけでもなく、石運びの仕事も慣れるのには時間がかかる。

たいていの人が、永遠にベッドから出られず、痛みにうめき、不眠症とストレスと倦怠感に悩まされ続けることになるという。

「俺、アスミちゃんが飲みたくないってうるさいから『別にいんじゃねえの不味いし』って言っちゃったよ」

高木くんは悪びれもせずにそう言った。西原さんの体調は気になっていたが、いつまでも喋りながら食堂にとどまるわけにも行かず、僕たちはまた石拾いに戻った。昨日聞いた蝋燭の換算だと、男の足で止まらずに山を登り、石を置いて降りてくるとちょうど蝋燭1本分になるようだった。よく見れば、石段の脇に定期的にある提灯の中で蝋燭が明るくとも灯っている。僕は、昼の準備を考えて2回目の石運びの登りはなるべく急ぎ足で段差を上がろうとした。が、高木くんに止められた。僕は、蝋燭の話と昼の飯盛りの話を階段を登りながらした。高木くんは「下りで追い付くから先に行ってて」と唸った。僕は、ずんずん登って降りた。段差を全て降り終えると、上の方から高木くんが大きな声で僕を呼んだ。

また食堂へ行くと今度はドアが空いていた。食缶を取りに行くと朝と同じ鬼が朝より苛立って立っていた。金棒を振り回され「急げ」と怒鳴り散らされた。僕らは、溢さないように注意を払いながら急いで食堂との往復を繰り返した。


スープをよそっていると、前原さんにケチをつけられ高木くんは悪態ついていた。僕は、そこで初めて昨日の夕方に僕に声をかけてくれた男性を見つけた。前日の礼を言えば、何のことかわからないという顔をされた。こちらが名前を言うと、穐山だと名乗ってくれた。

また人のいなくなった食堂でスープをごくりと飲み干す。安藤さんは、のんびりと石をもって上に上がって戻ってきてから食事をするらしいので、やはり遅くあらわれた。


籠に入れる石の量は、たしかに人によってまちまちだった。朝、河原にきて気がついたが、昨日の夜より石の転がっている量が多い。今日は、石灰岩やチャートのような石も含まれている。もちろん、花こう岩や砂岩もたくさん落ちている。昼過ぎても、昨日と同じ量にはならない。僕は穐山さんを見つけて声をかけた。

「ああ、夜になると石の数が増えるんだよ。毎日、流されて堆積してるみたいだから…」

『ちなみに』と彼は続けた

「増える量は日によって違うが、勝手に減ることはないよ。しかし、今日は多いな…………覚悟したほうがいい」

穐山さんは、それだけ言うとほいほいと段を登っていってしまった。僕は、黙ったまま後ろについていった。

石を落としながら、穴を除き混む。安藤さんが崩れていると言っていた奥の方につまれていた石が、確かに少なくなっている。足場の部分は、安山岩質の溶岩を削って板を置いているようだった。全てがごつごつした岩とスコリアで真っ黒だ。穴のなかに転がる石も粒径も形もまちまちである。

背中の痛みは、少し強くなってきた。酷使しているわりには、悪化はしていない。次の一回は籠を背負うことは出来ないかと思案する。

そういえば、西原さんはどうしているのだろうか。と急に思い出した。夜におばさんに頼んでスープを持って行ってもらったほうがいいか……。どうやら、スープは水筒の用な蓋のしまる器にいれて持ち出すことも構わないようだった。


2週目を終えると、へとへとになっている高木くんと合流して、食缶をもらいに行った。朝の鬼とは違い、濃紺色の肌に一本の大きな角が頭のてっぺんについている。腕を組んで、あきらかにイライラしたように、足が震えている。高木くんは一度、鬼の前に立ったが様子を見て、戻ってきた。

「いや、あれやばいって、イカツすぎるっしょ」

それは、鬼にも聞こえるほど大きな声で、鬼はこちらをきつく睨み付けて口を開いた。

「あん?うるせえんだよ!てめえら、ちんたらとやりやがって、こんなとこで何やってやがる!?」

僕は、鬼の前に急いで近づき頭を下げた。

「夕方の分の食缶を取りに来ました」

言うと同時に、大きな声で威嚇をされた。顔をあげれば胸ぐらを捕まれてかなり苦しい。

「食事だあ??舐めたこと言ってんじゃねえぞ!河原見てきてんのか?まずやることがあんだろうが!!ああ?!」

鬼の口が近く、唾が浴びせられるほどに飛んでくる。背中がヒヤリとして、穐山さんの言葉が甦った。とっさに大声で謝罪の言葉を述べた。

「謝罪なんていらねえんだよ!さっさと仕事しろ!」

鬼に大きく振り落とされて、どうにか受け身をとる。とは言え、腕の下にごつごつの岩がぶつかり、血が滲んだ。地獄でも赤い血が出るらしい。いたいたと呻きながら立ち上がると、高木くんがずいぶんと離れたところにいた。

「いや、まじで鬼やべえよ。みなみん、よく話しかけられんな」

僕は、どうやら食缶の用意がないようだということを高木くんに話した。

「それ、やばくね?前原に怒られんじゃね?どうにかなんねえの?」

高木くんはおろおろとそういうが、鬼にこれ以上食事の話をすれば、今度は殴られるだろう。前原さんにそれを伝えても殴られるかもしれないが、今朝も昼も並んでいた食缶がないという現状から、鬼に何を行っても食事は出てこないのだろう。この状態をありのままに前原さんに伝えるしかない。

高木くんは、どこまも前原さんに言うことを嫌がり、食堂に戻ることを嫌がった。ここで高木くんと言い合っても仕方がないので、前原さんを含む食堂に伝えるのは僕がやることにして、高木くんには石拾いの再開を頼んだ。




食堂に行くと、何ももっていない僕に対しておじさんやおばさんはそれほど焦らず、ただ残念な顔をした。

前原さんにこのことを伝えようとすれば、佐々木さんと何かを話していた。僕がその話が終わるのを斜め横でじっと待っていると、佐々木さんが気がついてくれて声をかけてくれた。僕は前原さんに食缶をもらえなかったことを話した。

「ふざけんなよ!!!」

前原さんは、機嫌が急降下したように怒鳴った。僕は反射的に謝った。

「てめえが謝ってんじゃねえよ!悪りいのは働かねえ連中だろうが!!」

佐々木さんが苦笑いをしてその様子を見ている。

「それとも、てめえもそうか?!!」

前原さんの大声に僕は咄嗟に「違います!!」と答えた。彼は舌打ちをして食堂を出ていった。

「前原君、君がよく安藤君と話しているから、彼女の仲間で仕事する気のないやつだと思っているみたいだよ」

僕は心の中でなるほど。と頷いた。地獄に酒がないのは悲しいが、これから時間をかけて前原さんとも話をしていかなくては思った。

「さあ!若者は石拾いに行ってこい!食堂にきたやつに、今日の食事抜きは俺が伝えとくさ。何、最近はよくあることだ。文句を言いたいならまずは、言わせてやるよ」

佐々木さんは、右手で作った拳を左の手のひらに当てながら、にたりと笑った。僕は深く頭を下げて河原に向かって走った。息が勝手に上がっていく。心臓がばくばくしている。

石の転がる場所につけば、高木くんが籠に石を積めているところだった。

「前原どうだった?」

高木くんが僕を見つけて言うと同時に僕は焦って首を振った。高木くんは何事かと不満を口にする。

籠を投げ捨てる音がした。高木くんの真後ろに前原さんがいたのだ。高木くんは、「あ…」と声を上げたが、ふてぶてしい姿勢は崩さなかった。前原さんは大きく舌打ちをした。

僕は、見ないふりをして籠を置いて石を拾った。前原さんがいなくなると高木くんが、僕に愚痴を言う。僕は曖昧に返事をしながら、籠を背負い石段に向かった。

提灯の灯が煌々と燃えていた。

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生きるも地獄、死んでも地獄… もなか @ionhco3

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