第3話

夜の河原は暗く、ぼんやりとした橙色の提灯に照らされている。川の流れる音が、ざーざーと近くから聞こえる。もはや、石の色もわからないが籠の中になるべく多くの石を入れる。背中はまだ痛む。先ほど、椅子に座るときも痛んだ。とことこ、と今度は一人で階段を昇る。石段は提灯に照らされていて、通ってきたところをみれば、明かりが二列の線をくねくねとうねらせている。

胃の中には未だに、あのスープの味が蠢いている。石を入れる穴は、手前側にだけ提灯がつけられている。手前側には階段の最上階があり、木の板の上を歩いて投げ入れる。板は、穴の手前に張られていていて、昼に見たときはその基盤となる木材が穴の下に延びていた。スコリアで埋め尽くされた穴の手前側は安山岩質の溶岩でできてるようだった。

石を投げ入れて周囲を見渡せば、人が少なくなってきていることがわかった。

「すみません」

僕は、石を転がしいれている人に声をかけた。髪に少し白髪の混じった男は、じっとこちらを見た。

「飯盛りをサボった新人じゃねえか!」

大きな声で、彼は僕に向かってそういった。先ほどのすみませんは、ちょっといいですか。のつもりで言ったものだったが、今度は謝罪の意味を込めて同じ言葉を繰り返した。

「教えて頂きたいのですが、石を運ぶ人が減ってきているのは何故ですか?」

男は「ほう」と笑った。

「最近入ってきたやつ。とくに若けえのは根性がなくってな。すぐに疲れただの言って家に帰るんだよ。たしかに、仕事のしすぎは身体には毒だが、飯の後にも少しは石を運ばねえと行けねえのになあ」

僕は「そうですね」と頷いたあとに、一拍入れて「ところで、家とはなんですか?」と尋ねた。

男は驚いた顔をした。籠をもち、石段を下ることにしながら会話を続ける。

「家は家だ。鬼がわれわれに与えた住居だ」

住居。という言葉を聞いて僕は「家があるんですか?!」と大声をあげてしまった。


男の名前は佐々木というらしく、住居が川べりにいくつも並んでいること、行けば自分の寝床がわかる。ということを教えてくれた。また、明日の朝に朝食を取りに行く場所がわからないというと、やはり大声で笑いながら「そんなのも知らないのか」と場所を教えてくれた。石段を降りきるまでに、佐々木さんは石を軽くもつアイディアやスープを味わわずに飲む方法なんかを語ってくれた。

「鬼はともかく、いくら前原君でも新人の飯盛りのことくらいは伝えると思うが…本当に聞いてなかったのか?」

佐々木さんの言葉に、僕はここまでのことを思い出すが、どうしても聞いた記憶はなかった。ただ、どこかに書いてあったのなら見ていないだろうし。石拾いに夢中で聞いていなかったのかもしれないという事を伝えつつ「聞いてないと思うんですが…」と答えた。

階段を降り終えれば、階段を彩っていた提灯の明かりが消えた。川べりの住居だと言う場所へと繋がる道沿いの明かりはまだ消えていない。佐々木さんと別れて、僕は籠を抱いたまま住居がいくつも立っている場所へ向かった。トタン屋根の簡易な作りの建物が並んでいて、玄関であろう割れたガラスの嵌められた引き戸の横に表札があり、暗がりで見辛いが名前が10人分ほど書いてあった。僕は建物をもう一度よく見た。ここに10人……。それは本当に倉庫のように小屋だったため、いったいどんな作りでそんなに人が入るのかと思った。何軒か表札をじっと見て、自分の名前を探す。ようやく見つけた場所は、すぐ裏手で川が流れているようで、流れの音が大きく聞こえた。

なるべく静かに、がらりと扉を開ける。玄関と言えるのか、小さな履き物を脱ぐ場所があり、ばらばらと草履が広がっていた。中には入ると、丸い入り口のある長細い壺を横においたようなものが、2個ずつ縦に並んでいる。佐々木さんの話では「フェリーの2等室」ということだったので、雑魚寝の大部屋の様なものをイメージしていた。

(糞壺……?)

と、小林多喜二の小説を思い出す。しかし、ここは本物の地獄。雑魚寝よりはプライバシーも守られるし、むしろいいのではないかとも思えてきた。がー、がー、という大きなイビキが聞こえる。部屋の奥に男が二人座って何かを話している。

「前原に怒られてた新人じゃん。ここの部屋だったんだな」

あはは。と笑っている二人に僕は会釈をして近づいた。

「僕は、どこを使えばいいですか?」

そう言えば、1人の男が真ん中の2階の壺を指差した。

「地獄ってのは、酒がなくってつまんねえよな」

男らの言葉に僕は悲しくなり「そうですか…」と小さな声で言ったので、彼らはよけいに笑った。

「あんだけ怒られりゃ、酒飲みたくなるよな。まあ、諦めろ。ありゃあ新人の登竜門みたいなもんだからな。俺らや、他のやつらも殴られて強くなったわ」

僕も口許だけ笑った。そして、明日の朝早く起きなくてはならないむねを伝えた。が、

「まあ、いいだろ。もう少し話を聞いていけ」

と、言われてしまえば寝床に向かうわけにも行かずに彼らの話にこくこくと頷く。

この場所の時間感覚はいまいちわからない。そう言えば、彼らは地獄のあちらこちらにある蝋燭の話をしてくれた。蝋燭は鬼が変えているらしく、朝(とおぼわしき、真っ赤な空が少しは明るくなる時間)の飯盛りが終わる頃に、鬼が蝋燭を取り替える。空が明るくとも、食堂前の提灯は常に火がついているらしい。そこから2回、提灯を変えた頃に再び飯が配られる。また、そこから2回で外が暗くなり、また飯が配られるという。蝋燭はどれも、同じ時間に溶けてなくなるようにできているらしく、今部屋を灯している蝋燭も残りの長さは、食堂前のものと同じらしい。

そんな話を聞いていれば、背中が痛くなってきて普通に座っていることが出来なくなった。彼らは、今度は白熱して、ここにいる女性の話と猥談を始めた。

「うるせえんだよ!!」

壺の一つから大声が聞こえてきた。彼らは1度舌打ちをして、しかし声を潜めた。僕は、とうとう背中が限界に達していて二人に詫びを入れて、壺の中に入った。上の壺に入るために腕に力を籠めたが、痛みにひきつった。騒いでいた二人が手伝ってくれてなんとか壺の中に入れた。僕は、しきりに礼を言った。壺の中は意外なことに、ござが引いてあった。もちろん布団などなく、とりあえずうつ伏せに倒れこんだ。明日、早く起きなくてはならない。そもそも死んだというのに、これだけ疲労して眠くなるのかと思った。思った。と思うが、気がついたら僕の意識は途切れていた。



次に目を開ければ、辺りは真っ暗だった。昨晩の男たちの話では、蝋燭1本ぶん寝ると勝手に目が覚めるらしい。もう一度、目を瞑ればまた寝むれる。とにかく、眠い。だが、ここで目を瞑れば蝋燭1本分時間がたってしまう。僕は、身体を起こした。背中の痛みは昨日よりは引いている。壺から飛び降りればさすがに痛むが、籠をもってなるべく静かに戸を開けて小屋を出ていく。

空はまだ暗く、遠くに1ヶ所だけ提灯の明かりがついていることがわかった。方向からも昨日の茅葺き屋根の食堂であることがわかる。足元には、よく見えないがごろごろと石が転がっているようだった。

たどり着いた食堂は、真っ暗で誰もいない。そもそも扉に手をかけるが、鍵がしまっているようだった。僕は仕方なく、あくびをしながら家の前で座っていた。少し時間が経つと、昨日の中年の男性が現れた。

「おお!昨日の!早いな!早速だが鬼のところに行って配膳を預かってきてくれ」

僕は指示された道をまっすぐと歩いた。最初にあったやつとは違う、角が2本ある赤い鬼が立っていた。

「配膳を取りに来ました」

僕が言えば、鬼は「そうか」と頷き10以上あるスープの入った大食缶のほうを顎で指した。

「早く持っていけ」

鬼の言葉尻は、かなり苛立っていた。僕は、1缶持ち上げてみた。なんとか、持ち上がったのでそのままひょこひょこと食堂の方へ進んでいく。指先痛くなってきて、汗が吹き出る。石運びも辛いがこれは使う筋肉が違う。食缶を持つなんて、中学生以来でどうもち運ぶのが正しいかもわからない。短い距離なら軽々と運べるだろうが、距離がありかつ、足元の悪い道を歩くのは中々難しかった。

ようやく食堂につくと、頭の剥げた男性がエプロン姿になっていて戸を開けていてくれていた。そのままキッチンへと運ぶと、僕は走って鬼のところへ戻った。鬼は先ほどのよりも苛立った顔つきで

「もっと急げ!」

と怒鳴った。僕は、しかしそれよりも缶の中身をこぼすわけにはいかなかったので鬼に向かって「はい!すみません」とだけ言い残して、慎重に道を歩いた。

3回往復すると、汗で麻の着物がびっしょりになった。5回ほど往復したところで、空が赤っぽく明るくなってきた。7回往復したところで、食堂の前に高木くんが立っていた。

「みなみん、早すぎねえ。俺、朝起きるの苦手でさあ」

高木くんはそう言って乾いた笑いを洩らした。僕は「おはようございます」とだけ言うと、食缶を取りに向かった。高木くんが追ってくる。

「そんな怒んなって、朝起きれないのってしかたなくね?死んだら治ると思ったたんだけどな。なあ」

同意を求められても、僕は頷く気もなく、さらに喋っているせいでいらいらした鬼に怒られたくもなく、ただ急ぐことだけを促した。高木くんはしきりに「しかたなくね?」と話しかけてきた。

鬼の顔が見えてきたところで、高木くんは黙った。僕は繰り返したように、取っ手を両手で持ち上げた。高木くんは、想像よりも食缶が重かったらしく一度僕のほうを見た。鬼のいる場所から離れれば、高木くんはひたすら缶が重いことや、何故こんなことを自分がやらなければいいかわからない。と愚痴っては、歩を遅めた。

「まあ、頑張ろうよ」

と、僕はできる限り脳天気そうに答えた。高木くんは苛立ったようで

「なに?みなみんって仕事好きなの?ってか、もしかしてドM??」

とけらけらと笑った。

「仕事なんて好きなわけねえじゃん」

低い声がでてしまった。高木くんは、まだからかうような口調を続けた。僕は、大声を出そうと口を開けてから、やっぱりやめて閉じた。高木くんは「やぱりMなの??いいよね、辛いの楽しいって」

と言っていたが、僕は無視して歩を早めた。食缶の中身が大きく揺れたのがわかり、はっとして深呼吸をした。

その後、僕らはばらばらに、一言も喋ずに食缶を運んだ。結局、西原さんは飯盛りの時間になっても来なかった。高木くんは西原さんが来ないことにずいぶんと怒っていた。

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