第2話

女性につれられてようやくたどり着いた山の頂上は、一面真っ黒なスコリアので埋め尽くされた大きな穴があり、そこに白や灰色の質の違う石がつまれている。コロコロコロ、と穴の奥側が崩れている。

通りすぎていっていたはずの、こそこそと耳うちをしていた男が二人、階段の下から現れて、籠いっぱいの石を穴に放り投げた。石は、ころころと穴のなかを転がる。

「奥崩れてるでしょ?あそこから転がった石が、水に流されてまたあの河原にたどり着くの。馬鹿らしいでしょ?まあ、仕事なんて生きてるときもそんなもんだったか」

女性は、爪先でまた石をこつこつと鳴らして、穴に2つ投げ入れた。それは、こつんと中の石にぶつかった。




山から降りると辺りが暗くなり、橙色の提灯が河原に並んでいた。女性とわかれてもう一度河原に行くと、同じ年くらいの男がこちらを見た。

「あんた、新人?飯、行かなくていいの?」

睨み付けるように、そう言うと彼はより川岸の方へ歩いていった。僕はあわてて右手を伸ばした。

「飯…ですか?」

出来る限り、笑顔を作って言えば、男は心底嫌そうな顔をした。

「あそこの小屋で食うんだよ。全部食わないと、次の日身体中痛くなるぜ」

そう言うと、もはや話すことはない。と、僕の制止を無視して石を拾いだした。男の言う「あそこの小屋」とは、きっと彼がちらりと視線を向けたアア溶岩の切り立った崖の上に、バランスよく建っている小さな茅葺き屋根の小屋のことだろう。僕は振り向きもしていない男性に向かって1度頭を下げた。

小屋は近づくとわかりやすい湯気がたっていた。のれんのような布を潜ると、木製の机が入り口にたいして横向きに、平行に何個も並んでいた。久しぶりにこんなに人が密集しているのを見た気がした。僕はどうすればいいのかわからず入り口付近で様子を見ていると、奥から来たトレーを持っていた男がこちらを見て、奥に走り戻った。しばらくすると、屈強な体つきの、いかつい男が肩をいからせながらこちらに来た。

「おい!てめえ、何考えてんだ!!」

突然、怒鳴られ僕は驚き目をぱちくりさせて何も言えなくなった。

「てめえもこっち来い!」

きょろきょろと辺りを見回せば、テーブルに腰をかけた人々が、ため息をついたり、こそこそと耳打ちをしたり、あえて顔を上げないようにしていた。僕は、とぼとぼとその男の後ろへついていくと、奥にはキッチンがあり、そこにひどく目をきょろきょろとさせている女と、見るからにやる気の無さそうな態度の若い男が立っていた。

「てめえら、今日から入った新人のくせに飯の手伝いにこないったあ、どういうことだ!!」

男は大きな声でそう怒鳴り付けた。女はびくりと肩を震わせてしくしくと泣き出した。茶色に染められた髪を1つに縛っている華奢な女だった。

「泣いてんじゃねえ!」

怒鳴り声は女のみに向かった。もう一人の男は足を組み、斜めに立っていて「ちっ」と舌打ちをした。

「何をそんなに怒ってるんですか?ってか、新人に準備させるとか前時代的じゃないですか?」

足を組んだ男は挑発するように鼻で笑いながら吐き捨てるように言った。厳つい体つきの男は「ああ?」と歯を片側で食い縛りメンチを切った。側にいた女が声を上げて泣き出した。僕は、姿勢を正したままその様子を見ていたが、視線だけを移動させてキッチンの様子を見た。キッチンでは、何人かの老若男女がてきぱきと働いている。全員、エプロンを着て、頭には三角巾を巻いていてマスクをしている。先ほどの食堂側と同じように、こちらにきょろきょろと視線を送る人もいれば、まったく無視してもくもくと容器にスープの様なものをついでいる人もいる。挑発的な若い男は、

「まあ、いいですけど」

と、気のない返事をした。厳つい身体の男は怒りが収まらないらしく、床にあった鍋を思いっきり蹴飛ばした。大きな音がして、キッチン中の人がこちらを向いた。泣いている女はうずくまった。

男はイライラしたように、右足を震わせている。

「あの、すみませんでした!飯の支度があるとは知らずに…今から、すぐにお手伝いさせてください!」

僕は、とりあえず今言える精一杯のことをできるだけ大きな声ではきはきと言った。厳つい男は、床をだん。と踏んだ。

「遅せえんだよ!!てめえは、心にもなく謝んじゃねえよ!」

そう言った男に、僕は髪の毛を捕まれた。すでに、石を拾いに行く前に殴られた頬は少し膨らんでいる。追い打ちのように殴られるのも、両頬が膨らむのもできれば避けたい。そう思いながら、相手の目をみて歯を食い縛った。しかし、衝撃はなかった。

「ちっ。さっさと手伝え。先輩たちがやってんだろ。てめえら、明日以降の朝一の飯運びは忘れんじゃねえぞ」

厳つい男はそう言いながら、また肩をいからせてキッチンの入り口を出ていった。完全に出きったところで、キッチンに立っていた中年の男と女が僕らの方によってきた。

「あんた達。大丈夫だった?偉そうで困ったもんよね。あいつ、前原って言うんだけど、ああやって新しく来た子たちに威張り散らしてんのよ」

中年の女性はため息をつきながら言った。

「僕は来たばかりで、何が何だかわからないのですが…」

僕が言うと、先ほどまで挑発的な態度をとっていた男は機嫌が悪そうにこちらを見た。泣いていた女も落ち着いたようで、真っ赤な目でこちらを見た。

「俺たちも俺たちの知っていることしか喋れないが…」

中年の男は、自身の禿げ上がった頭の登頂部を撫でた。

「ここが地獄で、あんたらもそうだろうがここにいる連中は人一人の命を奪うと言う罪を犯した連中のなかで比較的……あー、情状酌量の余地…というのか?のあるやつらが集まっている。日々やることは、河原の石を山の頂上へ運ぶこと。あとは、日に3食のまずいスープを飲み、夜になったら寝る。そして朝から石を運ぶ。そうやってここの連中は暮らしてる」

中年の男性の言葉を理解しようと思考を巡らせていると、未だに斜めに立っている態度の悪い男が言った。

「それやってると何があるんですか?」

僕は、彼の言葉にこくこくと頷いた。しかし、中年の女性はあっけらかんと

「知らないわよ」

と答えた。そして、「ただ、鬼にやれって言われてるからやってるだけだよ」と続いた。

中年の男は、麻のような服の上に似合わない濃紺のエプロンをしていて、煮立てたスープをおたまでかき混ぜている。

僕が手伝いを申し出ると、エプロン・三角巾・マスクの場所を教えてくれた。態度の悪かった男も、泣いていた女も同じように配膳の準備をした。

「ねえ、名前なんていうの?」

男の方が、三角巾を結ぼうとしているとそう声をかけてきた。僕が自分の名字を答える。女はもくもくとエプロンを着ている。

「俺は、高木圭太。きっとさ、俺たちもおんなじくらいの歳でしょ?畏まらないでさ、仲良くしようぜ。圭太でいいよ、みなみん。で、君の名前は?」

『みなみん』というのは、僕が『南』だからだろうか。高木君はマスクをつけて、ぼうっと立っていた女に話しかけた。女は「私?」と焦ったような返答をした後に『西原 明日美』という名前を伝えた。高木君は

「アスミちゃんね。宜しく!」

と笑った。

準備が終わると、キッチンに僕らはそれぞれ立った。鍋をかき混ぜては器によそる。鍋の中身は緑色で、ほうれん草のポタージュの様な色だが、もっとどろどろしていて、ひどい悪臭がマスク越しにもした。先ほどの中年の二人も手際よくスープをついでいる。僕もその様子を見ながら、同じように器をいっぱいにして、カウンターに置いていった。キッチンの湯気はどんどん籠っていきひどく室内が暑くなった。

「さあ、終わりだよ!ほら、あんたらも。終わりだから、食べちゃって、石拾いに戻んな」

中年の女性がエプロンを脱ぎながら言った。高木君も西原さんもマスクと三角巾を取りに行った。

「あなたは、石拾いにはいかないんですか?」

女性は「ああ」と唸って少しだけ考えていた。

「わかんないけどね、どうもあたしらはそういうんじゃないらしいのよね」

女性の言葉にもっと質問をしたかったが、早くスープを食べて外にでなければならなかった。

のれんをくぐり、食堂の方へいけば、すでに座っている高木君が右手を上げた。僕は器をもって近づき、もうほとんど人のいない木製の机と椅子に腰をかけた。

「頂きます」

手を合わせてそう言い、スプーンでどろりとした液体を掬う。マスクをしてない鼻に直接ひどい臭いが伝わる。

「うええ。なんだこれ。こんなの飲めないだろ…」

高木君が、眉をひどくしかめた。西原さんも一口口に入れて「うえ」と声を出した。僕もスプーンに口をつけてみる。

雑草の味がした。なんの味付けもしていない草を口のなかに押し込められている気分だ。しかも、ひどく舌に残り、少しだけぴりぴりとした。僕も、これはやばいと思った。しかし、出されたものを飲みきらないわけにいかず、スプーンで啄むのは無理だと判断して、器を持ち上げ一気に飲み干そうとした。が、想像以上に喉に残る。そもそも、粘性が高くてごくごくは飲めない。口のなかが緑のスープで一杯になり気持ちが悪い。しかし、喉に追い込むように飲み込む。残った分も同じように一気に流し込む。胃の中がひどく気持ち悪かった。

「やっべえ、よく飲めんな。なあ、俺のも飲まね?」

月賦というのか嘔吐感というのかがせり上がってくるのをなんとか耐える。高木くんの言葉に首を振り、僕は立ち上がって食器をキッチンへ返した。

高木くんは「うええ」と言いながらスプーンを動かしていたが、西原さんはまったく動かなくなった。

「食べないんですか?」

僕が聞けば、彼女は驚いたように目を丸くした。

「無理ですよ」

そう言って、立ち上がりまだずいぶんと残っていたスープを返却口付近の流しに捨てた。僕は驚いて彼女を見つめた。

「え?捨てるんですか?」

西原さんは大袈裟に肩をびくつたせて、僕を見上げた。

「無理だっていってるじゃないですか。それに、こんなよくわかんないもの飲んだら具合悪くなると思いません?」

彼女の言葉に、僕は「うーん」と唸った。彼女は、ため息をついて元座っていた席へ戻って、高木くんに話しかけていた。僕は「先に行きますね」と言い残して、小屋の外へ出た。

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