生きるも地獄、死んでも地獄…

もなか

第1話

『私の敬愛する作家、芥川龍之介。私も彼と同じくぼんやりとした不安を抱え生きることに疲れたために死にます。これから先、生きていく上で私が私であり続けることを考えれば気が狂いそうです。早い話が人として生きるのに疲れました。河童の世界に行けたら幸いです。さようなら。』



ビルの下から、強く風が吹き抜ける。遠くに濃紺の山脈が連なっている。真下を見れば恐怖もあるが、先に気を失えるだろう。

生きるのに大変疲れた。やりたくもない後輩の尻拭いをし、細かい仕事をしてくれないのに偉そうな上司の小言を聞き、彼女の愚痴に聞きあきて、身体に触ろうとすれば『そういう気分じゃないでしょ』と距離を置かれた。唯一の気晴らしであった、職場での飲み会は流行り病の感染症対策で全て中止…。生きるのに疲れた。よし。この風とともに舞い上がれば解放される。僕は、手すりから手を離した。身体が下へ下へ落ちていく。あ、やば、これ思ったより怖い。もっと早く気を失えると思ったのに…臓器が上がる感覚とともに地面が目の前に迫った。



目が覚めると、目の前に真っ赤な顔をした鬼がいた。

「起きろ!貴様!!何をしている!!サボるんじゃない!!」

鬼の右手には鞭が握られている。鬼の面さながらの顔に、筋肉隆々のいかつい身体がついている。

「えっと??」

小さな声でそういうと鬼は鞭で僕の背中を打った。

「あっつ!え??痛い??」

背中を火傷したのかというような熱さが走ったと思うと、ずきずきと痛みを感じる。

「痛いに決まってんだろう?!馬鹿か?!」

鬼の声はがんがんと耳に響く威圧感のあるものだ。とりつく猶予もないような怒鳴り声に、目をしばたかせてじっと見つめる。よく見れば、周囲には釜のようなものがあり、ぐつぐつという音と、煮えたぎった湯気が出ている。

地面はアア溶岩である。酸化した場所は真っ赤に染まっていて、ぼろぼろと崩れ落ちている。

「す、すみません」

と、つい一言謝ってしまってから、僕は死んだはずなことに気がついた。そして、そのことがいらない勇気として僕の中で沸き立った。

「って俺、死んだんじゃねえの?え?死んだら地獄とかありえねえよ。胡散臭え」

鬼は僕を蔑んだ目で見て、頬を平手打ちにした。口の中が切れた。

「ありえない?だと??自死という大罪を犯しておいて何を言う?!!辛いから死にたいだ?とんだ根性なしが?まずは、その弱い心を叩き直してくれるわ!!」

そう言いながら鬼は、大きな籠を地面に叩きつけた。そして、茶色に染まった濁流の奥を指差した。僕は、何がなんだかわからずに呆然と鬼を見ていた。

「早く行け!!」

鬼は、再び鞭を大きく降るので籠を抱えて僕は上手く体重移動をさせながら、ごろごろとした岩の上を走った。背中がずきずきと痛くて、「あた」と勝手に声が出る。ついでに頬もそうとう痛い。体力に自信はあるがそういう問題じゃなく、痛すぎて走り切れる気がしない。が、あの鬼に何か言われるのも面倒で、どうにか指差された人らしき影の蠢く川原まで走り抜いた。そこまでついて、背中の痛みに耐えられず座り込んだ。

(痛すぎる。これ、やばいやつだわ)

川原には人が何人もいて、多くの人が継ぎ接ぎだらけの、漫画で読む百姓の着ているような物を纏っていた。

「君、大丈夫?」

大きな籠を背負った女性が声をかけてくれた。他の人と同じ着物だが、少し綺麗に整っている。ふわふわとした髪をセンター分けにしている。

「いや、さっき、あっちで鬼にぶたれた背中が痛すぎて…」

女性は「ああ」と納得したように頷いた。

「死んだらこんな場所とか、ビックリしちゃうよね。本当に嫌になる…。歩ける?」

女性の言葉になんとか歯をくいしばって立ち上がる。彼女は、あちらに少し休める場所がある。と、小さな東屋を指差した。一歩足を踏み出したところで、大きな陰が目の前に現れた。真っ青な顔をした鬼が立っていた。

「何をしてる?持ち場へ戻れ!ほう、貴様は新人だな。貴様ら罪人は、永遠とこの川原の石がなくなるまで向こうの山まで運ぶがよい」

鬼は鬼らしく『がははは』と笑って、僕の痛む背中をばしばしと叩いた。女性は小声で『ごめんね』と呟いて、川原の方へ促した。そこでは、多くの人影が石を拾っていた。

「ちょっと拾って山まで持っていけば大丈夫だよ。そんなに無理しないでも怒られはしないから。鬼の機嫌が悪くなければ殴られないし。」

平たく丸い砂岩がいくつも転がっている。先ほどの場所は一面がアア溶岩だったが、ここには火山岩とおぼわしきものはなかった。ほとんどが砂岩で、稀に花こう岩が混じっていた。女性は1つ2つと小さな石を籠にいれると立ち上がった。彼女の爪には、かわいらしいデコレーションがされていて、長い爪が石にあたってかちかちと音がした。

「そんなもんでいいんですか?」

僕が聞けば彼女は頷いた。

「佐々木たち一派なんかは、ずいぶん石をもっていっているけど、どうしたってここの石はなくならないから。生きるの辛くて死んだのに、こんなとこで意味もなく一生懸命仕事するとか、無理だし……」

立ち上がった女に、僕は石を10個ほど選んで籠にいれた。背中が痛むので抱えたまま。

「怪我してるのにそんなに持っていくの?」

非難の目を向ける女性に、僕は曖昧に笑って頷いた。鬼が『なくなるまで持っていけ』と言ったのに、なるべく多くの石を持たないわけにいかないのが僕の性分だ。それに、周囲を見渡せばもっと籠いっぱいに石を入れている男性も見受けられる。

「まあ、いいけど」

女性が歩き出したので僕も後を追った。

石を運びだし持っていく場所は、山の頂上らしい。切り立った岩壁に、大きな溶岩が乗っている。石段は安山岩で出来ている。伊香保温泉街のような直角に近い石段をとんとん、と登っていく。背中は痛いが、石をあれ以上多く拾っていれば、挫けていたかもしれない。通ってきた石段を見下ろして見るが、まだまだ高さはない。進行方向である階段の上を向こうとして、僕の顎は女性の頭にぶつかった。

「すみません」

とすぐに謝ると、女性は「前、見てよね」と言いながら、籠を石段の上に置いて座り込んだ。僕は、それを見下ろした。

「あんたも、座りなよ。大丈夫。ここで座ってても鬼は怒りはしないよ」

僕は籠を抱き抱えたまま立ち尽くした。横を通りすぎて行く男がこちらをじっと見つめて、横を歩くもう一人の男の耳に何かを呟いたようだった。

「えっと……」

女性は、顎にてを置いて爪をかちかちと鳴らした。

「スマホないと不便だよね。地獄にだって、そういうのあってもいいのにね」

真っ白にコーティングされた爪には、きらきらと光るラメがついている。どうしたものかと首を捻っていると女性はじっとこちらを見つめて、ため息をついた。

「男って、見栄っぱりだよね。あんた、なんで死んだの?」

そう言いながら、籠を背負って立ち上がった。僕が勢いに押されて口ごもっていると、彼女は笑った。

「あたしはね、彼氏に振られたの。たっくさん貢いだのにさ……それだけのために仕事してんだもん…」

彼女はゆったりと、1段1段着実に足をあげていく。

「あんたも、あたしを馬鹿な女って思うんでしょ。男ってみんなそうよね。仕事やら名誉やら、そんなのばっかり言って、あたしを認めようともしない…。あたしのことわかってくれるのは彼だけだったのよ」

急に足取りが止まったと思うと、女性は笑いながら泣いていた。光る爪が目元をぬぐう。彼女は、僕の横をすっと通りすぎて、高い位置から「行くよ」と言った。

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