-第十七話- 憂帝の五皇子

華歴二百三十五年 新春


 華歴二百三十五年の新春節。


 この日の開封府は大いに賑わい、市中に人出が絶えることは無かったと言う。


 これも、ここ数年に華を連続して襲った災厄の種が取り除かれたことが原因なのであろう。


 四年前清人の蜂起。

 三年前の北京府の壊滅。

 二年前の清討伐軍の実に半数あまりが未帰還だった事実。


 開封府の人々にとって、とにもかくにも暗い話題ばかりであった。


 だが、去年ぐらいから、少しずつ華にも光が差し出してきたようであった。


 清人の蜂起を率いた東原女真の族長が開封府で処刑され、大喝采が起きた。

 その事で、清地方が華に再統合されたのである。


 その一連の戦において、大いに女真討伐の功が有った草原の王が帝国に頭を垂れ、元王として封じられ皇族の姫を娶った。


 これからは平和な時代が始まる。

 開封府の人々の多くはそう信じた。

 いや、そう信じようとした、と表現するのがより正確であろう。


 そういう民が大部分ではあったのだろうが、中には寄り冷静に世の動きを眺める民もいた。


 つまりはそういうことであるのだろう。

 ここ、開封府は西市場の大通りに面する一件の酒楼の女主人も、そういった冷静な視点を持った民の一人であった。


 「……って、わけだよ!あんた!!聞いてるのかい?いやぁ、それで元王って方がこれまた美形でね!涼やかな目元ときりりとした眉なんて……そりゃ、あたしがもうちょっとだけ若ければ女官としてお傍に近づいて、上手い事にその御寵愛を……ぐへぇへへぇ」

 「……おいおい、水蓮姉さん……折角の別嬪さんが、そんな顔をしちまったら台無しだぞ?」

 「あらやだ、変な顔なんかしてたかい?やだねぇ、この子ったら!」


 べしんっ。


 無意味にはたかれる……これも由緒正しき姉弟の図なのであろうか。

 太郎は不意に故郷の家族のことを思い出してしまった。


 年が改まり、華歴二百三十五年の正月。

 この日は、朝堂に皇帝の勅命により全ての皇族男子が集められた。


 そう、皇帝の命令は「全ての皇族男子」であり、遠隔地に赴任している皇子も含めての「全て」である。


 つまり、呉王でもある立人も例外ではなく、少なからぬ家臣団と警護兵を引き連れ、広州府より遠路はるばる開封府に来ているというわけである。


 その護衛隊の一部を率いる形で開封に戻ってきた太郎、彼は今日一日だけ、この開封府にて自由が許された身分なのだ。


 「しっかし、あの「冒険者一の伊達男、開封西市場通りは花太郎の旦那」と呼ばれていた倭人のあんたがお貴族様に婿入りするとはねぇ……驚いたよ。……そんで、相手の娘さんはやっぱり陰気で陰謀好きで庶民いじめが大好きないけ好かない女なのかい?」

 「……馴染みの男が身を固めるって報告に来ているのに、なんだい姉さん。そんなに俺の嫁さんを極悪貴族に仕立て上げたがるかね?……まったく、んなことはねぇよ、良い子だよ、玉は。性根は真っすぐ過ぎて色々と大変ではあるが……おお、そうよ、いつぞや俺と兄者がこの店で酔い潰れていた時に貴族の馬車が兄者を迎えに来たことがあっただろう?その時の娘が、俺の妻となる女性だよ」


 華では庶民と貴族の間には溝がある。

 特に貴族が多く住まう、天下の都、ここ開封府では他所の大都よりもその溝は顕著であったりする。


 そして、酒楼を女で一本、長年切り盛りしてきた水連にとって、貴族とは揶揄すべき、唾棄すべき存在でもあった。


 「……そうかい、お貴族様にそんな殊勝な娘がいるとも思えないが、他でもないあんたが言うことなんだ。多少はマシな貴族なんだろうさ。……精々が幸せになりな!」


 ぱしんっ。


 「いって……だから、ことあるごとに人の背中を叩くなっつうの。……まったく……だが、今日はこうして二人っきりで会ってくれたってことは、あの話は受けてくれるんだろ?」

 「そうさねぇ……」


 水連は太郎の話を受けて、些か寂しそうに自分の店を、二階奥、子竜と太郎が「いつもの部屋」と呼び習わす個室から首を出して覗いた。


 「今はまだ時間が早い、早いが……まぁ、これ以上夜が更けてきても以前の様な人出は見込めないさね。新春節どうこうを抜きにしても、この数年で開封府の景気は悪くなる一方さ。なじみ客がどこそこで死んだ、どこそこで兵にとられた……そんな話ばかりさ」

 「……」


 水連は悲しそうな顔で自分の盃をぐいっと空けて、もう一度店内を見渡す。


 「そんな不景気な開封府だってのに、店で働きたいと言ってくる女たちは逆に増えてくる始末……本当に世も末だね。流石の、開封府産まれ、開封府育ちの水連姉さんといえどこの土地を離れる決心をせざるを得ないってもんさ」

 「おお、それじゃ、やはり!」

 「……ああ、あんたの話をお受けするさ。実のところ、今までは開封府から一歩も外に出たことは無い子の身だけれども、状況が状況さ、これからは呉国に向かって……広州府かい?そこで一旗揚げてやるさね!」

 「ははは、そうかい、そいつは有難い!どうにも、広州府には兄者も俺も、心から気に入るような酒楼が無かったんでねぇ、水連姉さんに来てもらえるのならば百人力さ!」

 「良く言うよ……まぁ、良いさ。子竜の旦那も呉国じゃ大した文官様に大出世なされたそうじゃないか、あんたも将軍様だというし。こんなあたしに付いて呉まで行っても良いって娘もそれなりにいることだしね。お望み通りのってやつを広州府で経営してやるさね」

 「……助かる」


 そういって、太郎は倭式の礼なのであろうか、両手を床に着け深々と頭を下げた。


 (これで兄者も俺も広州府でも息の付ける店を確保できるぜ!……ってことでもあるが、やはり情報集めには馴染みの酒楼の一つでも持たんことにはな。

 水連姉さんなら信頼できるし、その手の能力もばっちりというもんだ!)


 太郎が、結婚前日のこの日に酒楼へと赴いた理由。

 それは、子竜が自前の諜報部隊の根拠地を欲していたところに始まる。


 六商家は滅亡したが、その血筋が完全に途絶えたわけでも、配下の者達が消え失せたわけでもない。

 彼らは現在の旗色が悪いとして、皇太子軍に降伏をしただけで、別段、恒久の忠誠を誓ったわけではない。これから先、旗色が自分たちに有利と見れば、色々と蠢動をしてくることだろう。


 だが、子竜たちとしても、その動きをただただ黙って見過ごすわけにも行かない。


 今回は六商家を皇太子が潰した。

 その中ではそれなりの流血もあった。


 ……流血もあったということは、これが逆の力関係となった場合は、子竜たちが血を流すことにもなりかねない、いや、確実に血を流すこととなるだろう。


 子竜にも太郎にも自虐趣味は無い。


 どちらかと言えば、世の愉しみは大いに謳歌したいと考えている者達だ。


 ならば、どうするか。


 その第一歩としての諜報部隊の根拠地作りであった。


 どの時代、どの場所でも男は酒と女のいるところでは口が軽くなる。


 そこで、開封府で長年に渡って酒楼を経営してきた水連に白羽の矢を立てたのであった。


 「……旦那も戦で死んで、南京府への義理も何も消え失せたわけだしね。これからは誠心誠意、皇太子様にお仕えするし、その配下のあんたたちの役に立たせてもらうさね」


 ……

 …………


 太郎が市井の暮らしのど真ん中いたとしたら、同じ日の数刻前、皇太子立人は帝国の権威の象徴そのものと言える朝堂にて文武百官と共に居た。


 「……うむ。皆の者、大義である」


 立人が父である皇帝を見るのは一年ぶり以上となるはずだが、彼が抱いた印象は以前と何ら変わることは無かった。


 (父上……実に鈍重そうなお身体は相変わらずか。

 ただ、肌の血色は相変わらずよろしいので、まだまだ保ちそうではあるな)


 皇帝と皇太子。

 立人は皇后唯一の子であるので、ある意味、皇帝が残した唯一正当な子であるとも言えるのだが、この親子の間には広く言われる親子の情愛という物が薄かった。


 皇帝は皇太子のことを、皇后との間に生まれた我が子として認識はしていた。

 皇太子は皇帝のことを、母親の相手であり、帝国の名目上の支配者であると認識していた。


 「さて、朕は六十も近くなってきた。そんな中、新しい息子を迎えることとなった故、皆にお披露目するとともに、改めて皇子たちを賞したいと考える」


 ずざっ!


 百官が皇帝の声を聴くと同時に、一斉に両手を前面に合わせ、声を合わせて唱和する。


 「華は偉大なり、皇帝は偉大なり、万歳万歳万々歳わんせぇぃわんせぇいぃわんわんせぇぃ!」


 皇帝は特に感情を表に出すでもなく、淡々と一つ頷きをいれ、次の言葉を語る。


 「では、宰相よ……皇子たちに褒賞を……」

 「ははっ!」


 皇帝に促され、文列の最上位より宰相が進み出て皇帝に一礼、皇帝の座る最上段の階下、中段正面に進み立つ。


 「これより、陛下のご意向に沿い、皇子殿下の皆さま方への褒賞を行なう」


 ここまでの言は臣下としての物である。


 ばさっ。


 やや大仰に、宰相は勅が記された書を広げ、読み上げる。


 勅を開く、この瞬間から宰相は臣下の文官頂点職の者ではなく、帝国の皇帝、天下を統べる子、天子の代理人となる。


 「皇太子立人ふぁんたいつぅりーれぇん、華の混乱に先立ち、皇太子としての職責を見事に果たし、呉国の平定、南海航路の回復を遂げた事、誠に見事である。その功績を称え、新たに越王、閔王、お呼び鄭州島総督に任じる。以後も南海航路の維持と発展に努め、能く帝国を栄えさせることを期待する」

 「はっ!皇太子立人、聖恩に深く感謝し、以後も帝国の為に尽くすことをここに誓います!」


 名を呼ばれた立人は中段、皇子の並ぶ最上位の位置から前に進み出、天子の代理人たる宰相の前に跪き、勅を受け取る。


 (……先生とは閔王と鄭州島の総督地位を貰えるような形での根回しはしっかりとしてきたつもりだったが……。

 流石に越王までをも押し付けられるとは思わなかったぞ。

 やはり、四珠皇子派も一珠皇子派も一筋縄では行かんか。

 南に私たちが勢力を張るのは構わないが、越討伐の任も付け加えることによって、力を付けることは許さず、逆に削いでしまえという魂胆か……実に面倒なことだな)


 呉は地元の商家が太守の地位を私していたとはいえ、実際も名目上もれっきとした華の領土であった。

 そこに住まう人々は、身分の上下の関わりなく、己が華の住民であることの意識を持っていたし、中央の開封府に思うところは多々有るが、華の帝室には一定以上の敬意をもっていた。


 これは新たに立人の領地と宣告された閔も鄭州島も同じであろう。

 どちらも太守、総督が地元の人間達で抑えられてはいるが、自分が住んでいる土地が帝国の一地域である、との考えは全ての民に根強く広まっている。


 だが、問題は越であった。


 越は呉の西端、化州の更に西に位置する国である。


 化州の南には雷州れいちょぅ半島があり、瓊州ちゅぅんちょぅ海峡を挟んで巨大な南海なんはぁい島がある。

 この一連の土地を東の壁とみなし、大陸が西側にへこみつつ南下をしている形の海岸線を西の壁とみなす、南海湾がある。

 そして、この南海湾に面した南北三百里ほどに及ぶ細長い地域が越である。


 鬱蒼とした密林と山々に覆われた異民族の国、それが越である。


 南海島に遮られて、直接に華の南海交易路に関わってくることは無い地勢のために、華もその前の王朝もそれほど強い姿勢で越に対して臨んでは来なかった。

 そのおかげか、越は隣の大国、華帝国に影響を受けつつも独自の文化を発展させ、海と密林と山々を融合させた独自国家を形成している。


 そんな越も、この数百年では南北に国が分かれ、それぞれに、それぞれが越の正当な主であると宣言し、越の主としての地位を主張して争っている。


 領土、人口の面では圧倒的に北の地域、北越が劣勢ではあるのだが、彼らは華に朝貢し、その形式的保護下に入ることで、南の越、南越と拮抗することが出来ているのであった。


 さて、皇太子立人への勅命にあった越王に封じるという物、それはこの越を征服しろという勅命と同義なのであった。


 「……皇子零。其方を正式に皇子に取り立て、零珠皇子とするとともに、長年居住していた湖南県を領することを認め、湘王に封じる。また湘の西、貴の地域を治めることも合わせて認めるものとする」

 「はっ……謹んで聖恩に感謝いたします」


 立人が物思いに耽っている間にも、宰相の読み上げと各皇子の勅拝受は続いていた。


 (ふふふ……やはり、年少の私と零は貧乏くじを引かされるか。

 私は越の討伐、零は貴の討伐を押し付けられるか……そうだな、こうして零が正式に皇子として取り立てられ、開封府にも呼ばれたのだ。

 これ以降は、影で連絡を取り合うだけでなく、表立っても付き合いをしていかねばな。

 なんといっても、私も多くの人材を湘国には送ってきたのだし、湘と呉は人跡未踏の山々を挟んでとは言え、隣国なのだからな)


 ……

 …………


 華歴二百三十五年の新春節。

 この年のこの式典に関わる部分になって、初めて憂帝よぅでぃの息子たち、五皇子の名が史書に揃う。


 華史、憂帝の伝で紹介されるのは以下の五名。


 皇太子、呉王、閔王、越王、姫立人。

 五珠皇子。

 三珠皇子、趙王。

 一珠皇子。

 そして、湘王、姫零じぇりん


 残念ながら、五珠皇子、三珠皇子、一珠皇子の名は今に伝わってはいない。


 また、この年の新春節でお披露目となった元王、本来ならば憂帝の養子として書かれていもおかしくはないのだが、正史である華史だけでなく、他の史書にも皇子としては扱われることはない。


 ただ、元王が憂帝の下で元王に封じられ、帝室の公主を娶り、憂帝を義父とした、と書かれるのみなのである。


 その理由となる事件が起きるのは、この年より三年後、華歴二百三十八年においてである。

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大陸の皇太子 平良中 @kankrostalker

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