-第十六話- 呉国の軍制

華歴二百三十四年 春


 恵州の陥落をもって、皇太子立人による呉統一は成し遂げられた。


 広州府を中心に、呉国の歴代太守を配してきた六商家が根拠地としていた都市とは、西から化州ほぁちょぅ高州かぉちょぅ清源ちんゆぇん恵州ふぇぃちょぅ梅州めいちょぅ潮州ちゃぉちょぅであり、それぞれの都市をりぃん家、ちゃん家、つぁお家、たん家、るぅ家、かぉ家が影響力を有し、事実上の私領地としていた。


 彼ら六家のうち、最も力が強く、立人の呉王即位に一番反抗的だったのは、当代呉太守であった恵州の譚家であり、彼らは早々に根拠地の恵州に籠って兵を募り、公然と呉王の治世に反抗を示した。


 恵州は広州府からほぼ真東に、東江を溯って三十里ほど行ったところの街である。

 広州府周辺の大動脈、珠江の上流ということもあり、まさに呉の交通の要衝といった場所であった。


 その要衝、恵州に拠る譚家が皇太子に反旗を翻した。


 このことは立人の幕僚達、子竜を初めとした者達にとっては想定内のことであった。


 故に、皇太子軍の主力である紗渾率いる魯王家に連なる者達、五千の軍勢が真っ先に恵州への対応軍として遣わされたのであった。


 真っ先に派遣されたが、一番最後に平定された恵州。

 譚家の財力に物を言わせた、異常な数の火砲配置によって、紗軍による恵州攻略は時間が掛かってしまったのだが……。


 「勲一功!紗渾将軍!」

 「……」


 今日、広州府は皇太子府において、呉国統一の論功行賞が行われていた。


 立人の呉国統一の宣言と参加諸将への労わり、そして直接的に反抗姿勢を示さなかった官吏へは咎め無しの沙汰発表があった後、統一戦を戦った者達への褒賞が行われた。


 まずは勲一功の発表であったが、当の勲一功、紗渾はその発表を受けても非常に厳しい表情をしたままであった。


 そんな紗渾の想いは他所に、粛々と皇太子府の官吏が功績を称える文面を読み上げる。


 「……紗渾将軍は恵州を落とすとともに、彼の地を戦の初端から良く抑え、敵勢力を分断し、また広州府を脱出した陸家、高家の者達を捕縛した。まさに呉の東半分を平らげたのである。よって、ここに紗渾将軍を勲一功とし、大いにその名誉を称える物である!」

 「「おおおぉ!!!」」


 官吏の発言と共に、参列した多くの者達から感嘆の声が上がる。


 (……儂が勲一功か。

 城の一つも落とせず、ただただ街道と川を抑えていただけであったのだがな。

 なんとも不甲斐ない話であるな……これで殿下の右腕を名乗るなど……)


 「紗将軍。誠に見事な働きであった。私が広州府から動かず、皆の報告を受けるだけでいられたのも、文官たちが珠江を抑えることに注力できたのも、全ては恵州にて見事な攻囲を敷かれた紗将軍の力によるものだ。また、東の遠隔地である梅州、潮州まで遠征軍を送らずに統一が成ったのも、ひとえに将軍の力によるものだ。この立人、深く感謝する。……これからも力を貸して欲しい」


 立人はそう言って椅子から立ち上がり、段下で膝を折る紗渾の下に歩み寄り、その両手を強く握った。


 「で、殿下!!そ、そのように非才なる我が身を……今後もこの紗渾、殿下の御為に命を賭けて働かせていただきます!」


 (なんと有難い……そうじゃな。

 儂の功績の評価など、どうでも良いことだ。

 儂は立人様をどこまでも支えて行くだけ……それこそが、魯の軍人としての我が一族の矜持!)


 紗渾はここまで己を大事にしてくれる立人に改めて、最上の忠誠を誓った。

 立人の手を両手でいだいた後、深く叩頭を行なう。


 その光景を壇上脇の位置から子竜は眺め、ほっと胸を下す。


 (いやいや、なんとかあの頑固で偏屈な老人も気分を落ち着けてくれたかな?

 なんといっても、今の皇太子府の軍の内、まともに「軍」と呼べるもの、軍の威容を誇れるのは紗渾将軍が中原より引き連れて来た者達しかいないのだ。

 彼らの忠誠の対象たる紗渾将軍には、どうしても殿下の「武の右腕」で居続けて貰わなくてはいけないのだ……)


 子竜は何とか紗渾将軍を皇太子軍の第一軍として扱うことに成功して、大きく安堵の息を吐いた。


 そう、恵州降伏の報告を受けた時、立人は大層、紗渾に対して腹を立てていたのだ。


 その怒りを宥めるべく、頑張って説得した自分を褒めてやりたい。

 心の底から子竜はそう思った。


 ……

 …………


 「紗渾はここまで何をやっていたのだ!?中原から連れてきた軍のほぼすべてを与え、装備も一級の物を揃えて出立した挙句、結局最後まで恵州を落とすことが出来なかったではないか!?片や、腹心の者達数十名を率いていただけの耶蘇将軍は、ここ広州府で兵を整え、瞬く間に三千の軍を編制して、東の高州、化州を落とし、更には化州を越国の侵攻から防ぐ不落の要塞化まで成し遂げたというのにだ!……唯一の攻略、恵州にしたって、清源を僅か一月で落とした太郎がその足で落としたようなものではないか?!紗渾は一体何をしておったのだ?数名の逃亡者を捕まえただけではないか?!」


 ばさっ。


 顔を真赤にし、恵州落城に至る報告書を読み込んだ立人はそう言って、報告書を床に投げ捨てた。


 「……殿下……そのようなお怒り、紗渾将軍に対するお気持ちは、どうかこの場でお捨て下さいますよう……」


 この時も子竜一人だけが立人の部屋に呼ばれ、今後の方針に関する相談を受けていた。


 ぱんっ、ぱんっ。


 子竜はそっと、床に放られた報告書を拾い上げ、表面を手で払い、机の上へと戻す。


 「……しかしだな!先生!」

 「殿下……。確かに紗将軍に対しては、耶蘇将軍や太郎と比べ、軍の将としての働きに物足りなさを感じることも御座いましょう。されど、どうか将軍の真の役割を見損なうこと無きようお願いいたします」

 「……真の役割?」

 「左様でございます……」


 意表を突く言葉、表現。

 立人との付き合いも長くなった子竜は、彼の注意を曳く方法、感情の方向をずらすことで、怒りを和らげる術というものを身に着けていた。


 「今の皇太子府には、実質、三人の将軍がおります。紗将軍、耶蘇将軍、太郎の三名です。この三名、皆が「将軍」という役目を背負ってはおりますが、その実、その役割は大いに違います」

 「……師よ、続きを……」

 「はっ」


 立人は怒りを忘れた。

 椅子に深く座り直し、子竜の話を聞く姿勢を取る。


 「先ずもって、耶蘇武律将軍。……かの御仁の役割は純粋に「武」の行使です。二十年にも渡る武の輝きは大陸随一、東方不敗の異名は伊達ではありませぬ。兵を集める手腕、鍛える手腕、軍を編制する手腕、戦場で戦う手腕、そして己の武も天下随一の将です。かの御仁を幕下に加え、その忠誠を尽くさせているという事実。このことは他の皇子では比すること敵わぬことでございます」

 「……ふむ」

 「此度も、呉統一に先立ち、最大の懸念としておりました南の越国への対処を、まさに光陰、瞬きをする間も無く、一気に成し遂げられました。……このような軍事的才能、大陸の東側のみならず、西を含めても、更には南や東の島々を見渡したとしても、比肩し得る人材がいるとは、想像をすることすら出来ませぬ」


 立人は子竜の言に深く頷く。


 耶蘇将軍は彼が直々に幕下に欲しいと願い、自ら動いて獲得した人材である。

 そう思っているため、その才能に対する信頼と信仰は誰よりも厚い。

 その耶蘇将軍を手放しで褒められ、悪い気はしなかった。


 「次いで、太郎になりますが、この男こそこれからの我が軍に欠かせぬ男でありましょう」

 「……この一年、私もあの男は見てきたつもりだが、どうにも先生程の評価を下すことは出来ぬ。……確かに、此度の清源、恵州の攻略はあの男が奇才を持って成し遂げたようではあるが……」

 「殿下の仰られることは、私も十分に理解できます。されど、これからの殿下の道には彼のような存在が必要となることは間違いありません!」

 「ふぅ……詳しく」


 立人は子竜の熱にあてられたように、一つ大きく息を吐き、また深く吸う。


 「第一の理由、それは彼が帝国のそして、大陸の人間ではないからです」

 「そう!そこだ!そこが私にはわからない。……帝国のことは帝国の人間が成さなくてはいけないのではないか?異人は所詮異人ではないのか?」

 「……逆に問いましょう。まさにその異人だからこそです、殿下。……殿下は帝国の民と異人、どちらの方がこの世界に多く住まうと思われているのですか?」

 「それは帝国の民であろう!華の大帝国は中原を初め、大陸の東をあまねく統べておる!周辺の国々も帝国にかしずく、いわば帝国の民なのではないのか?!」


 帝国の皇太子、帝国の帝室の一員。

 彼のこの発言からわかるように、若者特有の斜に構えたような立人の振る舞いも、結局のところ、自分の血筋への信仰からは離れていないのであった。


 「殿下……どうぞ物事の本質を見落とすこと無きよう……。華は中原に興った帝国です。大陸の東において、地理上、最も人が住むのに適した地域を支配している故に、周辺諸国を従えることが出来ているだけなのです」

 「……中原か。……つまり、師は華は中原の国であり、この呉を初め、帝国の領土のほとんどが周辺国であると申すか」

 「左様でございます。……中華とはそもそもが中原とその周辺の地域を合わせた総称に過ぎませぬ。中原の……」


 (あ~、いかんな……紗渾将軍を持ち上げるための発言がどうにもずれてきてしまって、このままでは戦乱を逃げて来た俺の献策との整合性が取れなくなってしまうではないか……方向転換が必要だな)


 「つまり、中原を回復するまでに殿下が必要とされる「力」とは、帝国の外にある「力」なのです。その外の「力」の象徴こそが異人であり……」

 「冒険者その物か……なるほどな。確かに冒険者の力に目をやっている兄弟はおらぬ……つまりは、この世で最大の力に目をつけ、それを取り込もうとしているのは私一人だということになる、と……」

 「左様でございます、殿下。……他の皇子殿下の勢力は狭い中原での権力争いに始終しているに過ぎませぬ。太郎を使い、我らは広く天下の才を集め、用いて行く。……太祖の考えを受け継ぐのは皇太子である、と世に示すのです」


 自分の発言が望んだ方向に行かずに子竜は焦ってしまったが、何とか立人への説明に辻褄を合わせることに成功した。


 (う~ん、間違ったことは言っていないと思うのだが、どうにも殿下の、帝室の人間、貴族の人間には好きな論調、思考方法という物があるからな。

 そこを外さずに献策し続けるというのは、中々に骨が折れる)


 「だが、それでは師よ。やはり、紗渾を厚く遇する理由がわからんぞ」

 「殿下、まさにその点でございます」

 「……ん?」


 立人は訝しげな顔をする。

 紗渾を評価できないと言っているのに、評価すべきという子竜が「その通り」と言う。

 中々に混乱してしまうやり取りである。


 「ここまで、耶蘇将軍と太郎について語ってきたのは、言うなれば「実」に関することです。一方、紗将軍に関することは「名」の部分となります」

 「……そうか!功績の評価という名誉の部分には「名」をあてておき、それ以外の実権の部分に付いては「実」に与えるべし。そう言うことだな!」

 「……ご理解頂き誠に有難うございます」


 子竜は深々と、そして軟らかく叩頭をしたのであった。


 ……

 …………


 華歴二百三十三年の呉での軍政区は大きく三つに分けられるとされる。


 広州府を中心とした中央区、化州を中心とした西区、恵州を中心とした東区。


 中央区には呉王立人を頂点に、香絹と紗太郎の下で冒険者の軍が力を持ち。

 西区は耶蘇武律を筆頭に、呉人で編成された軍が力を持ち。

 東区では紗渾を筆頭に、魯人で編成された軍が力を持った。


 この三つはそれぞれ、後代、直営軍、東山軍、西海軍と呼ばれることとなり、姫立人の覇業を助けた四中核軍のそれとなって行くのであった。

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