がらくたラヴァー

秋冬遥夏

がらくたラヴァー

暗闇のなかを歩いていたら、釘を踏んだ。その拍子によろめいて、僕は錆びた冷蔵庫に頭をぶつけた。釘は足の裏から甲のほうへと突き出ているが、。ただ傷だけがついて、それがどうしようもなく苦しくて。僕の目にあたる赤い豆電球から涙が溢れ出るのだった。

 街灯の灯りさえ届くことのないこの場所には、毎日とゴミが送られてくる。かくいう僕もそのゴミのひとつで、今日も纏った鉄くずをガシャガシャ言わせながら生きている。

「おまえってやつは、また釘を踏んだのか」

 そう言うのはガラクタ兄貴。ゴミ山に埋もれて動けなかった僕を助けてくれた恩人であり、憧れの存在でもあった。ゼンマイ式の僕とは違って電池式の兄貴は、体も大きくて、とても強い。僕みたいに釘を踏んで泣いたりなんかしない。いつか怪我をした彼が言った「最初は痛かったが、今はもう慣れちまったな」という言葉が、今も胸に響いて離れなかった。

「こっちへ来な。それ、抜いてやっから」

 兄貴は僕の足を指さして言う。僕は故障した右足を引きずって歩み寄る。少し動くたびにズキンと痛みが走るので、僕はまた尻もちをついてしまった。ほんと、情けない。自分一人で歩くことさえも出来ないなんて。それでも兄貴がすぐに駆けよって「大丈夫か」なんて声をかけてくれるものだから、僕はこんなゴミだらけの世界でも生きていようと思えるのだった。


 彼は手慣れた手つきで釘を抜き、ボルトとワッシャーを素早く交換してから、仕上げに傷ついた部分にオイルを差す。それが体にも心にも沁みわたって、また涙が滲み出てしまった。

「いてぇか」

「うん、痛い」

「そうか」

 下を向くと大きな機械音を響かせる兄貴の足にも、釘が3本ほど刺さっている。それだけじゃない。彼の太ももやお腹、胸に刺さっている釘は、もうとっくに錆びていて抜けそうになかった。

「兄貴、それ……」

「あ?」

「その釘とか……」

「ああ、これか」

 兄貴は、気にすんな、とまた笑った。そしてその笑顔を見て、僕と彼はどうしてこうも違うのか、と考えてしまった。彼の体は鉄鋼で出来ているのに対して、僕のはブリキ。あんなにカッコよく黒光りはしない。いわばオモチャみたいなもので、弱いし、脆い。だからこそ釘が刺さったくらいで泣いちゃうし。傷つきたくないから、とすべてのことから逃げるように過ごしてきた。そんな自分に嫌気が差して「僕なんか」と考えてしまう夜が何度あったことか。

「なんだおまえ、まためそめそして」

「ごめん……」

 今日も夜は長い。朝が来るまで、僕は外を出歩けない。また釘が刺さっても嫌だし、それ以上の不幸が襲いかかるかもしれないと思うと、一歩も動けなかった。僕はこの間に兄貴が作ってくれた簡易的なベッドで、出来るだけ小さく丸まった。


 その後も僕がずっとそうしていると「そうだ、今日いいもんを見つけたんだ」と兄貴は嬉しそうに言った。彼の手にあるそれは、ずいぶんと汚れていて題名こそ見えなかったが、形からDVDだということだけはわかった。こんな風に、兄貴はいつもゴミ山の中から使えそうなものを拾ってきてくれる。しかしそれらも所詮は捨てられたゴミで、使えないものがほとんどなのであった。

「今回のは見れるかな」

「さあな、見てみねぇとわからん」

「そうだね」

 僕と兄貴は心を躍らせながら、それを先日拾ったポータブルDVDプレイヤーにセットする。ウーー、ウー、と音が鳴り、小さな画面が白く光った。僕たちはお互いに見合ってから、ハイタッチをした。


 音が鳴り響き、画面の向こう側には外の世界が広がっている。僕たちはその映像に魅入ってしまった。ジャンルはSFコメディ。主人公の男の子が、ある博士が作った車型タイムマシン通称『デロリアン』に巻き込まれていくその物語は、展開が読めずハラハラが止まらなかった。

 映画の中で『魅惑の深海パーティー』と呼ばれるプロムに参加する人々は、みんな楽しそうにしている。ステージで演奏するバンドの曲に合わせて、男女が躍る。親に隠れて2人、愛を交わしてキスをする。そんなシーンを見て僕はひとり、自分との違いに胸が締め付けられていた。僕だって男だから、本当はこんな風に大切な人と一緒に踊りたいのだ。休日にデートになんか誘って、駅前のカフェでお茶をして、季節外れの海に連れて行って。隣でヘタクソな愛なんてものを歌ってみたいのだ。

 でも現実は違う。ガラクタの僕には大切にできる女の子なんていないし、『デロリアン』みたいなカッコいい車もない。少しの勇気も、人を愛せる余裕もない。自分の理想や夢だけが大きくなって、それもいずれ夜空に消えて行ってしまうのだった。

 映画もクライマックス。博士のために主人公が『デロリアン』を走らせる。ふと隣を見るとガラクタ兄貴はそのシーンをじっと見て「この車ええなぁ」なんて呟いている。僕はなんだか安心して、やがて深い眠りについた。


 それからというもの、僕はその映画を何回も見ていた。その度にいつかはこんな素敵な人生を送るんだなんて考えて、ひとりニヤニヤとした。一方ガラクタ兄貴はというと、この映画を見た翌朝から「やりたいことができた」と言ったきり姿を消してしまった。

 そんなこんなで僕は今日も家でひとりきり。映画も見飽きたし、兄貴もいないんじゃつまらない。そこで僕は勇気を振り絞って、家を出てガラクタ兄貴を探しに行くことに決めた。ずっと見ていた映画が少しだけ背中を押してくれたのだった。


 久しぶりの外の世界。上を見れば青い空が広がっているが、下は相変わらずの景色である。コンクリートの破片やワイヤー、歩道用レンガなどが重なる上では、何匹ものカラスが群れている。ところどころ地面から突き出たパイプは、メタンガスを抜くためのものだと兄貴が言っていた。見渡す限りゴミであったが、この中にあれほど感動できる映画が隠れているかも知れないと思うと、それは急に宝の山に思えた。そうだ。いつも兄貴が持ってきてくれるように、今度は僕もプレゼントのひとつくらい探してやろう。そしたら兄貴はきっと喜んでくれるだろう。そんなことを考えたのちに僕は「何事も為せば成るさ」と主人公のセリフを真似てみるのだった。

 しかしそんな主人公気分もつかの間。走り出した僕の足は、すぐに錆びたホイールに嵌まってしまった。右足にまた深い傷ができる。相変わらず血は出なかったが、今回は不思議と

「こんなところで終われない」

「僕だって、兄貴になんか持って帰るんだ」

 ちからこぶも作れない僕じゃ、大したことはできないかもしれない。それでも変われると信じて、自分の腹にあるゼンマイを目一杯に回した。ホイールの中で足が暴れて、するりと抜ける。その勢いで体が倒れ、今は動かない洗濯機に頭をぶつけた。なんだかこの前にもあったようなその光景に、僕は声を出して笑った。その声はどこか兄貴のそれに似ているのだった。


 歩き続けてどれほどの時間が経ったのだろうか。辺りにはすでに夜が漂っていて、僕はしゃがみこんでしまう。やはり僕は小心者だ。夜になると動けない。明かりなどがあれば良かったが、兄貴とは違い僕の体にはライトが搭載されていない。僕はいつも通りうずくまっているしかないのか。やっぱり僕という人間は変われないのか。そんな風に考えて悲しくなったが、その夜は違った。

 どこかで猫が鳴いたから、恐るおそるその声のする方へと向かってみたのだ。足元の見えない中、僕はまた釘を踏んだ。それは深く食い込んで、痛い。それでも僕は足を止めずに、やっとガラクタに囲まれて動けない仔猫を見つけ出した。

 にゃー、と助けを求める猫。僕は引っ張り出そうと手を伸ばすが警戒してより奥に入っていってしまう。そこで僕は猫の上にあるゴミをひとつずつ退かしていく作業へと取り掛かった。何度もゼンマイを巻いて、その力で粗大ごみを動かしていく。時計、パイプ椅子、電子レンジ、鉄骨……次は自転車。途中から限界がきて、体の中の歯車が悲鳴をあげたが、僕は猫を助けたい一心で手を動かした。なぜここまで必死になっていたのかは、わからない。でもきっとこの猫が、自分と重なったんだと思う。暗闇のなかでひとり怯えて、泣き続ける姿が、僕そっくりだと思ったのだと思う。

 作業をしていると、月光に照らされた何かがキラリと光った。ゆっくりと手に取ると、それはDVDであった。ほとんどが汚れて読めないが、題名には『B■■K TO ■H■ ■UT■■E partⅡ』との表記。穴あき文字のようになり、普通であったら解読は不可能だが、そのオレンジ色で独特なフォントの文字と、運よく消えていなかった「partⅡ」。そして汚いながらも微かに写る博士の顔を見れば、このDVDがだと、はっきりとわかった。僕はそれを兄貴が作ってくれた鉄カバンに大切にいれて、また猫の救出に移った。


 朝焼けと同時にゴミを退かし終わった。猫は感謝しているんだか、いないんだか。にゃー、とだけ鳴いて、足元にすり寄ってくる。見れば僕の手も、足も、傷だらけ。すっかり懐いてしまった仔猫も足を引きずっている。生きていればみんな傷は負うもの。そう自分に言い聞かせて、猫を抱いてまた歩き始めた。


 しかし探しても一向にガラクタ兄貴は見つからない。そしてもう一つ問題が発生した。猫の食料不足である。僕や兄貴はなにも食べずに生きていられるが、猫は違う。もうだいぶ痩せ細っていて、いわば衰弱状態に陥っていた。

 さすがにこのゴミ山を探しても「食べもの」なんてものは見つからないだろう。どうしたものか、と悩んだ挙句、僕はこのゴミ回収場を抜け出すことに決めた。少し可愛そうであるが、動けない猫も鉄カバンに入れて、僕は急いで外へと向かった。


 遠くの方にそびえ立つ建物と、それに併設された天へと伸びる煙突。その下では、何台もの収集車やショベルカーが動いている。たしか兄貴は、そこに向かって進んでいけば外への出口に通じる、と言っていた。煙突から出る煙はもくもくと立ち上り、やがて雲と混ざって空を漂う。僕はその煙を目指して、できる限り一生懸命に走った。

 釘が刺さろうとも、ホイールに足が嵌まろうとも、なんのその。僕は必死であった。せっかくこんな僕に懐いてくれた猫だ。自分の足なんか投げ打ってでも、救いたかった。途中、クレーンや埋め立て作業をする人から逃げながらも足を進めると、だんだんと周りのゴミがなくなっていった。代わりにあるのは、埋め立て地とその一部を覆う防水シートくらいであった。

 いつの間にか足元がコンクリートになって、燃えるゴミ用の焼却炉を抜けて、最終的にひとつの看板にたどり着いた。『七ヶ街クリーンセンター』。それがこの場所の名前らしい。そしてその看板も超えて、ようやく僕は本当の意味で外の世界へ出られたのだった。


 少し歩くと大通りに出た。車道を走っている車がどれ一つとして錆びていないことに驚いた。帰宅途中の小学生が僕のことを見るなり、指をさして笑った。なにあれ。へんなの。その言葉は体への傷にはならなかったが、心は十分に傷つくものであった。人間からみたら、所詮僕もただのゴミ。そんな風に考えて苦しくなったが、カバンの中の猫はより苦しそうに鳴く。めそめそなんてしている暇はなかった。

 ふと風が吹いた方向を見たら、田舎道にひとつコンビニが佇んでいた。僕は走る。ちっぽけな勇気と、猫を抱えて。ひたすらに走る。自動ドアを潜り抜けて、「いらっしゃいませー」なんて店員の声をかき分けて牛乳と猫缶をすばやく手に取る。それをレジに持って行ったとき、僕は膝から崩れ落ちたのだった。


 ああ、お金が足りないじゃないか。ポケットの中にあるのは、今までゴミ山で拾った53円。全く足りない。涙が止まらなかった。大切な猫一匹守れないなんて。僕はなんて無力なんだろう。

「あのう、どうかしましたか?」

 バイトの女子高生が優しく聞く。僕に警戒心はないのだろうか。彼女はレジから出てきて、大丈夫ですか? としゃがみこむ。僕は、彼女が自分になぜこんなにも優しくしてくれるのか、と不思議に思いながら、鉄カバンを開けて猫を見せた。

「すみません……この猫をどうしても助けたくて。でも見た通りゴミでできた僕ですから、お金なんて持ってなくて」

 彼女はぽかんとした顔をしてから、少々お待ちください、と小さい声で言いレジ裏に消えていった。


 数秒後、彼女は財布を持ってやってきた。こんなに痩せ細った猫、うちだって見捨てられないよ、なんて言って牛乳と猫缶の代金を払ってくれた。

「ほらこっち」

「え?」

「今日は店長いないから、裏でゆっくり餌あげていいよ」

 僕はその言葉に甘えて、レジ裏に入った。店長には内緒だからね、と言い捨ててレジに戻っていく彼女は、赤い豆電球の目にも素敵に写るのだった。


 仔猫は必死に猫缶を頬張る。もう少し落ち着いて食べればいいのに、と思いつつ、ほっと一安心。牛乳をひと口飲んで「んにゃお」と鳴く猫を僕はゆっくりと撫でた。金属越しに生命の温かさを感じる。生きてる、という鼓動が伝わってくる。

「無事でよかった」

 やがて猫は傷ついた足を丸めて、寝てしまった。猫缶を見ると、キレイさっぱりなくなっていて、僕は微笑ましい気持ちになった。手や足に刺さった釘も、今では誇らしいまである。こんな僕でも守れた。大切なものを救えた。なんていう満足感を抱えて、僕も一緒になって寝転がった。天井に着いてる蛍光灯が、スポットライトのように僕たちを照らしていた。


 おまたせー、と声が聞こえたので、振り返るとバイトの終わった彼女がレジから帰ってきていた。彼女が遠慮なく制服を脱ぐので、僕は少し目をそらす。

「猫、大丈夫だった?」

「はい……あの、ありがとうございました」

「うちはなんもしてないよ」

「でも、お金……」

 僕が言い終える前に彼女は、それは気にせんでいいって、と言葉を重ねた。その時に見せた無邪気な笑顔が可愛くて、つい見惚れてしまった。そんな僕の気も知らずに、彼女は隣に座り込み、一緒に猫を眺める。

「名前、なんていうの?」

「名前は……まだない、です」

「なにそれ、ソーセキかよ。ウケる」

 なにがウケたのか僕にはさっぱりだったが、彼女を笑顔にできて嬉しかった。そしてこの瞬間、僕はいつか恩返しをしようと決めた。こんな自分にできることは、限られているかも知れない。今持っているのは53円。ダイヤやプールはおろか、牛乳のひとつも買ってあげられない。それでもなにか僕なりにお礼がしたかったのだ。


 彼女と僕は裏口からこっそりとコンビニを抜け出した。じゃあうちは帰るから、とカブに乗る彼女。家はどこなのだろうか。なぜ僕に優しくしてくれたのだろうか。色々聞きたいことはあったが、それは飲み込むことにした。兄貴よりも大きいエンジン音を響かせる彼女は最後に「うちは木曜と金曜の午後にバイト入ってるから、困ったらまた来なよ」とだけ言い捨て、去っていった。


 よし。そろそろ僕たちも家に帰ろう。せっかく救った仔猫を連れて、危険を冒すなんてことはもうできない。僕はガラクタ兄貴を探すのは諦めて、元に来た道を戻ることにした。

 看板や焼却炉、埋め立て地を抜けて、またスクラップ集積場に足を踏み入れる。しかし一難去ってまた一難。またもや問題が生じた。道に迷ったのである。行きは煙突を目掛けて歩いたらから良いが、さて自分がどこからやってきたか、わからなくなってしまったのだ。


 僕は猫を抱えてただ歩き続ける。進んでいる方向があっているのかすら微妙だが、歩かないよりはマシだと思った。目の前には相変わらずのゴミの海が広がっている。その海は波を起こして、私の視界を揺らす。世界が歪んで、天地が逆転して、その波にのまれる——それは目眩であった。

 思えば昨日の夜は猫を救出していて寝れず仕舞い。今日もひたすらに走っていたので、体にガタがきたのだろう。見ると1本で泣いていた釘も手足合わせて3本も刺さっている。今まで強がっていたが、本当は痛かったのだ。我慢していた涙が急に溢れる。猫は擦りよって、慰めてくれる。僕は最後の力を振り絞って猫を撫で、その場に倒れてしまった。



 夢のまた夢を見ていた。未来や過去を旅してきた『デロリアン』が、時空を飛び越えて、僕のもとへやってくるのだ。遠くの方から、徐々にエンジン音が近づく。博士の笑い声が高らかに響く。ああ、これはきっと「お迎え」が来たのだろう。僕は最後まで猫を守れなかったことと、兄貴にDVDを渡せなかったことを、悔やみながら目をつむった。

 遠くから光が近づいてくる。僕はこれから、どうなるのだろう。「あの世」なんてところを、一生とうろうろするのだろうか。もし叶うのであれば、次はライオンとか、シャチとか、ニンゲンみたいな強い生き物に生まれ変わることを願いたい。大切な猫一匹くらい、簡単に助けられる存在でありたいと思うのだ。光も、エンジン音も、徐々に近づいて、やがて僕の前で止まった。

「そろそろ……お迎えの時間、か……」



「ああ、お迎えの時間だ」


 聴き慣れた声に目を開けると、そこにはガラクタ兄貴が立っていた。後ろには錆びた軽トラが覗いている。兄貴は猫を抱きかかえて、ほら帰るぞ、と言った。僕は急いで立ち上がり彼の背中を追いかける。

「ねえ、どうしたのこの車」

「ああ? 拾ったんだよ」

 僕は声を出して笑ってしまった。兄貴の言っていた「やりたいこと」とは、このスクラップ場から、乗れる車を見つけ出すことだったのだ。

「……『デロリアン』みたい」

「はは、そんなカッコいいもんじゃねえよ」

 兄貴はヘンテコな音のクラクションを鳴らした後に、強いて言うなりゃ「ボロリアン」だな、と笑った。過去や未来には行かない。ナンバープレートだって取れてしまって、付いてない。それでも、こんなオンボロが。それを片手で運転する兄貴が。カッコよく見えて仕方がなかった。

 僕は幸せだった。プロムで楽しく踊ったり、カフェでお茶したり、海を見に行ったり……なんて、いつか夢見たことは全く出来ていない。それでもこのゴミ山の中をガラクタ兄貴と過ごす毎日は、きっと素晴らしい思い出になるだろう。


「お前、ぼろぼろじゃねえか」

「ああ、うん」

 気づけば僕の体は、家を出る前とは別ものになっていた。腕も、足も、傷ばっかり。兄貴が交換してくれたボルトやワッシャーもすごい形に変形している。

「家帰ったら、手当してやるから」

「あ、それなんだけど。大丈夫……かも」

「あ? 大丈夫ってこたねえだろ。痛くねえのかよ」

「痛かったけど、もう慣れちゃった、かな」

 僕はいつかの兄貴の言葉を真似して言った。そして今になって、兄貴が自分の釘を抜かない理由がわかった気がした。軽トラの荷台で、猫が鳴いた。太陽がやさしく微笑んだ。

「そうだ、兄貴に渡したいものがあるんだ」

「ああ、なんだ?」

「それは……帰ってからの秘密」

「なんだそれ」

 鉄カバンの中で拾ったDVDが、カタカタ、と音を立てていた。


 その日は午後から兄貴に車のキーを借りて、軽トラに乗り込んだ。手にはゴミ山からせっせと集めた計541円と、そこら辺の野草で作った花束。そして「I Love you」と書いたノートの切れ端をポケットに隠した。そう、見てわかる通り、僕は恋をしてしまったのだ。それもコンビニの彼女に。ゴミ山からお金を見つける度に猫缶を買いに行って、何度か話すうちに、もう彼女に落ちてしまって、抜け出せなかった。あのなんとも言えない、優しい笑顔が愛おしくてたまらないのだ。

 そして今日の良き日。僕は告白をしようと準備と覚悟を揃えた。「男になってこいよ」なんて送り出してくれた兄貴の熱い想いも抱えて、僕はコンビニに軽トラを乗り入れる。いつも通りの手順で猫缶と牛乳を小銭で買えば、レジにて彼女が対応してくれる。小銭を出し終えて「400円、頂戴いたしますね」と彼女が言うのを合図に、僕は勇気を振り絞って花束と愛の切れ端を渡した。

「あの、これ……」

「え?」

「いつも助けていただいてるお礼です」

 彼女は満開の笑顔で、ありがとう、と受け取ってくれた。少しの間の後に「では、こちらレシートとお釣りです」と言われ、僕はそれを受け取る。彼女がふと手紙の存在に気づき、開く。ああ、ついに僕の恋心がバレてしまう。僕のゼンマイ音が世界中に響いた後に、彼女はゆっくりと目線を僕に移して言った。

「ありがと。うれしい。でも……うち彼氏いるんだよね。ごめんね」

 釘が刺さっている胸が、急に痛み出すのを感じた。

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