凄惨たる魔王の黙示録~目覚めると勇者になっていた魔王は、斯くして世界を救う。番外編

幕画ふぃん

人狼との共宴

メンシスにある魔王が棲む古城。そこの中央に位置する大広間に、獣人の男は落ち着かない様子で椅子に腰をかけていた。

 普段は魔王と七魔臣が会議などをする際に用いられる場所だが、現在ここにいるのはそわそわした様子の獣人の姿しかない。黙って目を瞑り、黄金色の短毛で覆われた屈強な身体を押さえつけるように腕を組んで、どうにか落ち着かせようと試みている。


 そうしてかれこれ三十分ほどが過ぎた頃、椅子に腰かけた獣人が呼び出した人物が、悠然とした仕草で大扉を開き大広間へと姿を見せた。

 その姿を見た獣人はすぐに椅子から立ち上がり、即座に跪く。目上の者に対する最上級の挨拶だ。

 跪く獣人を見下しながら、黒いマントを羽織った赤い瞳の男は声をかけた。その表情には僅かに困惑の色を浮かべている。


「……マルバス。一体どうしたのだ、わざわざ私を呼び出すとは…………まぁよい、まずは座れ」

「はっ」


 短く答えると、マルバスは円卓の下座に位置する椅子に腰をかける。それと同時に、赤い瞳の男はマルバスと対極に位置する上座に腰をおろした。そこに座る事が許されているのは、メンシスにおいて――いや、世界においてただ一人。魔族を統べる魔の王――テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールだけだ。


「――で、何用だ?」

「はっ、テネブリス様。まずはご多忙の中、ここへ足を運んで下さった事に感謝を」

「よい。貴様からの呼び出しとは滅多とない事だ、気にするな。これがベルフェゴールであれば無視していたところだったが……」


 冗談とも本気とも取れる言葉を受け、マルバスは獅子の表情を少し曇らせる。だがすぐに頭を切り替え、恐る恐る本題を伝えた。


「実は、折り入ってテネブリス様にご相談がありまして……」

「ほう……何だ、申せ」


 恐縮した様子のマルバスを見て、テネブリスは眉をひそめた。

 わざわざ大広間に呼びつけ、しかも一対一。マルバスに対する信頼は揺るぎないが、何かあったのか――と、胸の内に覚悟を決める。


「人狼の村……はご存知でしょうか?」

「人狼……?」


 テネブリスは脳内の記憶を辿るが、ピンと来ない。その様子を察してマルバスは言葉を続ける。


「わたくしと……グラシャラボラスが古くから懇意にしていた村なのですが……」

「ほう、奴が…………で、その村がどうした?」

「実はこの度、その村に新しい村長が誕生したと聞いた次第で、ささやかながら祝いの品を贈ろうと考えていたのですが……どうも妙案が出ず…………」


 項垂れるように頭を落としたマルバスを見て、テネブリスは心の底で安堵した。そんな事、と言えば語弊があるが、七魔臣である者がそんな事で魔王を呼び出したのを思うと、どこか微笑ましくもある。


「で、私に何か良い案はないか、と……そういう事だな?」

「恥ずかしながら……仰る通りでございます」

「ふん……そうだな……」


 テネブリスは腕を組み、思案する。

 相手は人狼。狼と人間、両方の特徴を持つ魔族の遠類だ。魔族を統べる者として、貧相な品を贈るなど許されない。ここは大きく威厳を示す必要がある。


「マルバス、試しに貴様の案を聞いておこう」

「はっ。一番最初に思いついたのはテネブリス様の銅像で、次に考えたのがテネブリス様の肖像画で――」

「いや、待て。それは違うだろう」


 意気揚々と口にしたマルバスに対して、テネブリスは頭を抱えながら制止する。そんな贈り物をしても喜ぶのはせいぜいベルフェゴールぐらいだ。テネブリスの馴染みのない人狼の村に、そんな物を贈っても困惑されるだけなのは想像に難くない。

 万人受けのするもの、そして魔王としての尊厳を顕示できるもの――そう考えたテネブリスはひとつの案を思いつく。


「……確か、私が作っておいたとっておきの蒸留酒がまだあったはずだ。それを祝いの品にしてはどうだ?」

「おぉ……! テネブリス様直々の……!! それはさぞ喜ぶ事でしょう!!」

「フフフ、そうか? 五十年ものだぞ?」

「なんと……! それほどのもの……本当によろしいので!?」

「なに、構わん。酒など無くなればまた作ればよいだけだ。それに、祝いの席には酒は必需品だろう? ありったけ持っていくとしよう」


 自慢げに語るテネブリスに対して、マルバスはこれでもかと大きく頭を下げる。だがその直後、マルバスは違和感を感じた。それを確かめる為、ふとテネブリスを見上げ口を開く。


「もしや……テネブリス様が直々に……!?」

「あぁ、そうだが? 何か問題でも?」

「い、いえっ! そのような事は……ですがわざわざテネブリス様が足を運ぶ必要は……もしや、何か理由がおありで……?」

「ふん……大した事はない。人狼の村に興味が湧いただけだ」


 どこか煮え切らない雰囲気を感じ取ったマルバスだが、本人がそう言うのだからこれ以上の詮索は失礼にあたる。そもそも事の発端は自身がテネブリスに相談を持ちかけた自分であるのだから致し方ない。

 慎ましく了承の意を示したマルバスはその後、出発の日時などを伝え即座に準備に取り掛かった。



 * * *



 晴天澄み渡る荒野の下。土煙を上げながら魔獣化した金色の獅子マルバスが颯爽と駆けていた。

 その背には大きな酒樽と、漆黒のマントと金髪を風になびかせる魔王――テネブリスの姿と、その身に肌をこれでもかと密着させる妖艶な魔女の姿があった。


「……どうして貴様がいる、ベルフェゴール…………」

「そんなぁ……テネブリス様が向かう所、常にワタシあり! です!」

「……マルバス。貴様、口を滑らしたな?」

「……申し訳ありません。ベルに執拗に問い詰められ、つい…………」


 走りながら深々と謝罪するマルバス。諦めるように小さくため息をついたテネブリスは、背中にぴったりとしがみつくベルフェゴールに対し釘を刺す。


「これから向かう所は聞いているな? くれぐれもくだらぬ真似はするな」

「重々承知しております。魔王の妻として、恥ずかしい真似は出来ませんもの」

「……それをやめろと言っているのだ」




 しばらくして、辺りの景色は鬱蒼と茂る森林に変化していた。

 木漏れ日が僅かに差す中、迷路のような道なき道を進む。未開の地――そう言っても差し支えないほど入り組んだ森林の奥に、それはあった。

 それは木で造られた小さな小屋。その周囲から漂う甘い香りで、何者かがそこで生活している事が伺える。


「ここが人狼の村……ではなさそうだが」

「うぅむ……確か村はこの先にあったはずなのですが……。この小屋は一体……」


 すると、小屋の前で佇むテネブリス達に気が付いたのか、入り口の扉を僅かに開け、恐る恐る様子を窺う影が姿を現した。そして扉の隙間から鋭い眼光をテネブリスたちに浴びせ、警戒心を露わに口を開く。


「お前たち! 何者だ!!」


 聞こえたのは男の声。それに答えるように、テネブリスはマルバスに顎をしゃくる。

 主人の意を汲んだマルバスは小さく頷き、獰猛な魔獣化した姿から獅子の獣人の姿へと戻った。

 この場で人狼たちと面識があるのはマルバスしかいない。無駄な誤解を生まぬ為にも、ここは彼に全てを委ねるしかない。


「儂はマルバス! 事情を説明したい、出てきてくれ!」

「マルバス……!? ほんとにマルバスなのか……!?」


 マルバスの名と姿に反応するように、扉から覗かせていた影は少しづつ姿をさらけ出していく。やがて扉が全て開かれた頃には、一匹……いや、一人の恵まれた体躯を持つ青年が唖然とした表情で立ち尽くしていた。

 荒々しさが残る黒の短髪からは、獣じみた耳が生えている。獣人にも似たその姿を確認したマルバスは、懐かしさと再会の喜びを滲ませながら、その青年の名を呼んだ。


「おぉ……お主、グレイルか! すっかり逞しくなりおって……!」

「ははっ、ありがとう。あっ、ちょっと待ってくれ。おーい、レティ! マルバスが来てくれたぞ!」


 グレイルは小屋の奥に向かって声をかける。慌ただしくどたどたとした足音の後、ひょっこりと姿を現したのは、陽の光を反射させる白銀の長髪を揺らす可憐な女だった。その女もグレイルと同じく、頭部から獣耳を生やしている。


「ど、どうもはじめまして。レティリエといいます。グレイル、この方があの……?」

「あぁ、そうだ。彼がマルバス、俺たちの村は昔から彼にお世話になってる。レティも話ぐらいは聞いたことはあるだろう?」

「えぇ。まさか実際にお会いできるなんて……」


 仲睦まじい様子のグレイルたちに向かって、マルバスはふと気になった事を確認する。


「ところでグレイルよ。えらく親しげだが彼女はもしや……?」

「あ、あぁ、そうなんだ。改めて紹介するよ、彼女が俺の妻……レティリエだ」


 グレイルは恥ずかしげに頭を掻きながら、隣に佇む白銀の人狼の肩に手を寄せる。レティリエもまた羞恥の表情で頬を紅く染めながら、小さく頭を下げた。

 見ている方が恥ずかしくなるほど初々しいやり取りは、彼らが婚姻して間もないという事を十分に知らしめるものだった。


「あの小さかった雄狼が一端いっぱしの男になったとはな……おめでとう、グレイル」

「ありがとう。ところで……後ろにいる方は一体……?」


 グレイルはマルバスの後ろに凛と仁王立ちするテネブリスと、その横からぴたりとも離れないベルフェゴールの存在に言及した。漂わせる圧倒的な威圧感と気配は、彼らが只者ではない事を予感させる。


「あぁ、紹介が遅れたな。後ろに控えるのは、儂が生涯仕える魔王――テネブリス様だ」

「ま、魔王……!?」


 驚愕するグレイルとレティリエ。初めて目の当たりにした、生きる世界が違う存在。魔族を統べる最凶の存在。人狼の村でもその噂はしばしば語られる事があった。

 それが実はマルバスの主人だったとは、自分たちは何という存在と関わっていたのだろうと、肝を冷やす。

 そこへ、口を尖らせた女の声が響く。


「ちょっとマルバス! ワタシの紹介がないわよ!!」

「おぉ、すまん、ベル。つい……」

「つい……じゃないわよ! ちゃんとテネブリス様の妻として――」


 声を荒げるベルフェゴールの口を手で抑え無理やり黙らせたテネブリスは、魔王然とした鷹揚な態度でグレイルたちに陳謝する。


「私の配下が煩くてすまないな。此奴の事は気にしなくていい。さて、マルバスから紹介された通り、私が魔を統べる王……テネブリス=ドゥクス=グラヴィオールである」

「ど、どうも…………」


 テネブリスの雰囲気に気圧されたのか、グレイルとレティリエは恐縮しながら頭を下げるだけで精一杯だった。そんな様子を察してか、テネブリスは努めて朗らかに語りかける。


「そのように萎縮せずともよい。で、見た所……貴様が村長か?」

「い、いえ……俺たちは今、訳あって村の外れに住んでるだけで……ローウェ、いや、村長はおそらく村にいるはず。村長に何か用で?」


 テネブリスはマルバスに目配せする。それに応じたマルバスは、持ってきた大きな酒樽を指し示しながら事情を説明した。


「お主たちの村に新しい村長が就いたと聞いてな、ささやかだが祝いの品を持ってきたという訳だ」

「そんな……! 俺たちの為に……! ありがとうマルバス! それと、魔王……様……!」

「フフフ……なに、構わん。さて、では早速案内してもらおうか。その新しい村長のところへ」

「わかりました。レティ、そういう事だから一緒に来てくれるか?」

「えぇ、すぐ準備するわ」



 しばらくして、身なりを整えたグレイルとレティリエを先頭に、テネブリスたちは細長い道が拓かれた森林の中を進んでいく。

 小鳥のさえずりや、葉と葉が擦れる音を小耳にしながら辿り着いたのは、広場を囲むように小屋が建っている小さな村。所々で白煙を上げ、子供と思しき賑やかな喧騒が村の平和を歌っている。

 ここがグレイルとレティリエたちの出身であり、人狼たちが暮らす村であった。



 * * *



 村長の家に案内されたテネブリス一行は、グレイルの案内で客人として丁重にもてなされた。

 だが、決して広くはない住居で慎ましく生活している様子が垣間見え、人狼が置かれている環境をテネブリスはおおよそ察する。


「ローウェン! まさかお主が村長とはな! グレイルもそうだが、ひよっこだったお主らも随分と立派になったものだ」

「ありがとう、マルバス。まだ村長になって間もないけど、今は俺にできる事を精一杯やっているつもりだ。ところで、今日はグラシャラボラスは一緒じゃないのかい?」

「あ、あぁ……」


 マルバスは煮え切らない返答で言葉を濁す。祝いの席という事もあり、グラシャラボラスがもう死んでいる事を伝えるべきか迷ったのだ。

 しかしそこへ、テネブリスが淡々とした口調で真実を伝える。


「グラシャラボラス……奴は死んだ」

「えっ……そんな…………」


 ローウェンだけでなく、奥にいたグレイルも驚愕して言葉を失う。

 数ある狼の魔族の頂点に君臨していたグラシャラボラス。この人狼の村も、直接的ではないが彼の庇護下にあった。長年、この村の住民たちが預かり知らぬ所で、グラシャラボラスとマルバスは悪意を持った人間や他の魔族から人狼たちを守っていたのだ。

 近すぎず、遠すぎない距離感で村を見守ってくれていたグラシャラボラスの存在を失った事に、ローウェンたちは表情を暗くする。


「私たちは魔族だ。ましてやグラシャラボラスは七魔臣……激しい種族争いの最中、死ぬ事など珍しくない」

「……はい」

「だが、貴様たちは生きている。奴をとむらい、懸命に生きてみせよ」

「…………はい!」


 テネブリスの言葉に、ローウェンは拳を強く握り決意に満ちた表情で返答した。

 もう誰かに守られたままではいけない。村長となった今、自分が先頭に立ってこの村を守るのだ――と、ローウェンは心に誓った。


「さて……では折角持ってきた特上の酒だ。皆に振る舞ってやらねばな、マルバス?」

「はっ。ローウェン、どこかに皆を集めてくれ」

「……あぁ! じゃあ村の広場で火を焚くから、そこで皆を集めて盛大に宴をひらくとしよう! グレイル、お前も手伝ってくれよ?」

「あぁ、勿論だ」



 * * *



 澄み切っていた晴天が、遠くに斜陽する橙と混ざりあい始めた頃、人狼の村にある広場では幾つもの丸太を積み重ねた大きな焚き火がくべられていた。

 それを囲むように、人狼たちが親しい者と身を寄せ合い賑やかな時を過ごしている。


 そんな中、皆が一様に手にしているのは、テネブリスが持参した特製の蒸留酒だ。薄く黄色みがかった液体は、五十年の熟成の時を経て芳醇な香りと濃厚な味わいを含んでいる。それは一杯口にしただけで、存分に酔いしれる事が出来る代物だ。


 そんな特上の酒を片手に皆が口にしているのは、日中マルバスとベルフェゴールが狩った獲物うさぎの肉。人狼たちの貴重な食料を使うわけにはいかない、とわざわざ遠方まで行って調達したものだ。

 マルバスらにとって狩り自体は容易いものではあったが、普段、グレイルらが一狩りで得られる量を遥かに超える獲物を数時間で調達した事に、住民たちは驚愕するしかなかった。

 だがそのお陰で、年に一回あるかないかの大宴会が催されたのである。


 そんな宴の端で、丸太に腰をかけたマルバスとグレイル、そしてテネブリスが談笑していた。


「魔王……様、こんな良い酒をどうもありがとうございます」

「ふん、気にするな。もっとも、人狼である貴様らの口に合うかはわからぬが」

「グレイルよ、この酒はテネブリス様のお手製だ。つまり……」

「大丈夫さ、マルバス。そんな事言わなくても俺も皆もわかってる。それを無下にできる奴なんて、この村にはいない」


 そう言うと、マルバスとテネブリスと小さく盃を交わし、蒸留酒をくいっとに口に含む。すると、今まで飲んだ事のない濃厚な味わいがあっという間にグレイルの口中に広がった。


(うっ……この酒はかなり強いな。レティにはあまり飲ませないようにしないと……)


 顔をしかめるグレイルとは対照的に、テネブリスとマルバスは蒸留酒を一気に流し込んだ。顔色ひとつ変えずに飲み干す様は、見ていて気持ちがいいほどである。しかし彼らが口にした感想を耳にして、魔族とは恐ろしいものだ――と思い知らされる。


「ふむ……少々薄いな。もう少し熟成が必要だったか」

「いえ、テネブリス様。むしろこれぐらいの方が大量に飲めるので丁度良いかと!」

「そうか? 酔うにはあの酒樽だけでは足りんだろう」


 そこへ、顔を真っ赤にした深碧の髪をした女が近づいてくる。腰から生やした二本の尾が左右に振り回され、覚束ない足取りでテネブリスの隣に腰を下ろした。


「テネブリス様ぁぁ……ちゃんと飲んれますかぁぁ?」

「う……ベルフェゴール……貴様、何杯飲んだのだ?」

「えぇ~? たったこれっぽっちですよぉぉ、えへへへへへ」


 そう言ってベルフェゴールは、人差し指と親指で飲んだ量を示す。その量はコップ約一杯ほどだろう。

 そして困惑するテネブリスをよそに、べたべたと腕に絡みつく。まるで人目など気にしていない。ただ欲望のままに、甘い吐息を漏らしながらテネブリスの強靭な腕に火照った身体をこすりつけていた。


「グレイル、すまんな。ベルはおかしいんだ」

「あ……いや…………俺が邪魔なら去るが……」

「そうよ、みんな邪魔よ! テネブリス様と二人っきりにさせなさぁぁい!!」


 暴れるベルフェゴールに対して、テネブリスは怒気に満ちた真紅の瞳で見下した。言葉もなくただ蔑むだけであったが、その迫力は周囲にいるマルバスやグレイルであっても呼吸を忘れさせるほどの圧を放っていた。


「邪魔なのは貴様だ……ベルフェゴール。少し酔いを冷ましてこい。これは命令だ」

「は……はい」


 肩を落としたベルフェゴールはすっと立ち上がり、とぼとぼと木陰の方へ歩いていく。やがて人影が無い場所まで来ると、覚束ない足取りだった名残は消え失せ、しっかりとした足取りになっていた。

 そして大きな木陰のところまで来ると、そこにもたれかかって落胆したように呟く。


「ちっ、酔っぱらっちゃった作戦は失敗か……あれ以上絡んでたら、まじで怒られてたわね……危ない危ない」


 そう言うと、手にしていた蒸留酒を一気に飲み干す。これぐらいなんてことはない、ベルフェゴールは七魔臣の中でも随一の酒豪だ。ただの酒では永遠に酔う事はないと自負している。

 そうして空になったコップを持て余していると、隣にしゃがんでいる人狼がいるのに気がついた。暗がりでもはっきりとわかるほどの見覚えのある白銀の髪。ベルフェゴールは、軽い気持ちで声をかけた。


「貴方……レティリエ?」


 声に気づいたレティリエは、ほんのりと紅く染まる頬で見上げる。そこには妖艶な微笑を浮かべた美しい女性が木にもたれていた。


「……あっ……あなたは確か……」

「ふふっ、ベルフェゴールよ。ちゃんと話をするのは初めてね。ところでどうしたの? こんなところで?」

「ちょっと酔いを冷まそうと思って……もう、だいぶマシにはなったんですけど……」


 レティリエは木に捕まり、ゆっくりと立ち上がった。目は虚ろで顔はまだ赤いが、意識ははっきりしている。彼女の言う事に嘘はないだろう――と、ベルフェゴールは推察した。


「そう。じゃあちょっとワタシとお話しない?」

「は、はぁ、私でよければ……」


 ベルフェゴールとレティリエは大きな木に背を預け、遠くに聞こえる宴の喧騒を背後にしながら言葉を交わし始めた。


「貴方……あの男らしい彼、どうやってモノにしたの?」

「モ、モノって……そんな……」

「確かに貴方は見た目も可愛いし、守ってあげたくなるような魅力も感じる。でも、それだけじゃ彼みたいな男と一緒になるのは難しいと思うの。だから……何か男を落とす必殺技みたいなもの、実はあるんじゃないの!?」


 ベルフェゴールは興奮気味にレティリエに迫る。

 彼女の圧に困惑するレティリエだったが、実際そんな必殺技などはない。二人が経験した苦難と、グレイルとレティリエが歩んだ生い立ちが自然と彼女らを結びつけたのだ。

 しかしそんな事を上手く伝えられる訳もなく、レティリエは無難に言葉を選んだ。


「はは……そんなもの、ないですよ。私も、彼も、お互いが自然に惹かれ合って、恋をして、結ばれた。本当にそれだけなんです。そこに至るまで、ちょっとした困難はありましたけど……」

「へぇ……貴方も大変だったのね」


 ベルフェゴールは空を見上げる。

 困難ならあった。それも、とびっきりの困難だ。世界を覆い尽くすほどの混沌。それを、ベルフェゴールが愛した男は乗り越えた。絶対的な強さを持つが故に、ベルフェゴールが助けるまでもなく、だ。


「あの、どうかしましたか?」

「ううん。きっと……ワタシが愛した方は、ワタシがいなくても生きていけるんだろうな、って少し思っちゃっただけよ」


 そう口にしたベルフェゴールは、寂しげな微笑みを浮かべていた。

 レティリエはその姿に、過去の自分を重ね合わせてしまう。ベルフェゴールこの人は、恋をしているのだろう、と。そして、その恋が想像も出来ない程、険しく困難な道のりなのだろう、と。


「それって……魔王様のことですか?」

「ふふ、そうよ。ワタシが唯一、そして生涯愛する事を決めた御方。でも、近くにいるのに凄く遠く感じる。こんなにも愛を伝えているのに……なんて、関係もない貴方にこんな話しても意味ないのに……ごめんなさいね」

「い、いえっ! でも、応援してます! きっと魔王様もベルフェゴールさんを必要としてるはずです! じゃないと、いつまでも傍に置いたりしないじゃないですか!」


 レティリエの無難かつ適当に励ました言葉を鵜呑みにしたベルフェゴールは、目を輝かせレティリエの手をぎゅっと握った。


「そうよね! やっぱりテネブリス様にはワタシがいないと駄目よね!! ははーん、テネブリス様ったら、みんながいるから冷たくあしらっただけなのね。ふふふ、メンシスに戻ったらもう一回酔っ払っちゃった作戦を実行よ!!!」

「は、はは……頑張って下さい……」



 * * *



 ――すっかり日も暮れ、広場にくべられた焚き火だけが優しく村を照らしている。

 子供や若者はそれぞれの住居に戻り、広場に残っているのはテネブリス、マルバス、ベルフェゴール。グレイル、レティリエ、村長のローウェン、そしてその妻であるレベッカだけだ。


「魔王様……主人の為に、今日は本当にありがとうございました」


 赤い髪に鋭い目をした雌狼――レベッカはローウェン共々、深々と頭を下げた。細身ながらも筋肉質な四肢は女性でありながらも力のある逞しい人狼である事を証明している。そんな彼女レベッカつがいにしたローウェンという男もまた、村長という立場を手にした立派な人狼だ。


「よい。顔を上げろ……これくらい大した事はない」

「それでも……魔王様が直々にお越し頂いたのは恐縮しかありません。今はお礼など何もできませんが、いつかまた――」

「いらぬ。別に私は貴様らに見返りなどを求めている訳ではないのだ。せめてもの……いや、気にするな」


 何故か口籠るテネブリスに、周囲の者は疑問を浮かべるが決して口にはしない。魔王が気にするなと言えば、気にしないのが当然である。


「グレイルにローウェン。久しぶりに会えて儂は嬉しかったぞ。お主たちがいれば、これから村の心配はいらなそうだ」

「俺たちも会えて嬉しかったよ、マルバス。次に会う時はもっとご馳走を用意しておくからな! そん時は頼むぜ、グレイル」

「あぁ、任せろ村長ローウェン。とびっきりの獲物を狩ってやる。それと、レティが作るジャムもな。甘酸っぱくて美味いんだ」


 グレイルは隣にいるレティを見つめ、微笑む。それに応えるように彼女も柔らかい微笑で見つめ返した。


「ひゅーひゅー、熱いわねぇ。ワタシに見せつけてるのかしら?」

「えっ、いや、そんなつもりじゃ……!」

「ふふっ、冗談よ。でも今度会う事があれば、次はワタシが見せつけてあげるから!!」


 何をだ――とテネブリスは聞こうとしたが、ろくな答えが返ってこない事を察し、ベルフェゴールを無視する。

 そうこうしているうちにローウェンらに別れの挨拶を済ませたテネブリス一行は、村を出る支度に取り掛かる。魔族ではない人狼の村に、魔王が長居するのは危険が伴う。それに、七魔臣を連れてメンシスを長時間留守にする訳にもいかない。



 村を出て最後まで見送りに来たのはグレイルとレティリエ。彼らは普段、村にある孤児院で生活しているが、夜も更けた為、村から離れた場所にある昼間出会った小屋に帰るまでのついでという事だ。


「では達者でな、グレイル。それとレティリエ」

「あぁ、マルバスも元気で」

「レティリエ、いつまでも彼と仲良くね」

「えぇ、ありがとうございます。ベルフェゴールさんも……あっ、そうだ」


 レティリエは何かを思いついた様子で、慌ただしく小屋に入っていった。間もなくして小さく息を切らしながら戻ってきたレティリエは、ベルフェゴールの元へと近づき何かを手渡した。


「あの……これ、ほんとはもっとちゃんとしたやつをプレゼントしたかったんですけど……いま手持ちがなくて」

「……? よくわからないけど、ありがとう。大事にするわ」

「ふふ、応援してます。では、また」

「えぇ、またね」

「人狼よ、貴様らの武運を祈っているぞ。ではマルバス……帰るとしよう」

「はっ」


 ――魔獣化。獣のような唸り声と共に、マルバスの身体がむくむくと大きく膨らんでいく。獣人だった時の二足歩行から四足歩行に変化し、雄々しいたてがみが夜風に揺らいでいる。

 テネブリスとベルフェゴールは獰猛な獅子の姿に変化したマルバスの背に乗り、人狼が暮らす森林を颯爽と後にした。



 * * *



 ――静寂を取り戻した森林の中、レティリエは隣にいるグレイルの手を握り、小さく呟いた。


「行っちゃったわね、魔王様たち……」

「あぁ、とんでもない存在感だったな」

「えぇ、とても強そうだったわ。でも――」


 彼らが目の当たりにした魔王という存在。まるで住む世界が違うそれは、グレイルだけでなく多くの人狼の目に畏怖をしっかりと焼き付けた事だろう。


「――思ってたより怖くなかったわ。というよりむしろ、優しい雰囲気すら感じたわ」

「そ、そうか?」

「えぇ、じゃないとこんな所までわざわざ足を運ばないでしょう?」

「確かに、それもそうだ。あの魔王は、俺たちが思ってるよりいい奴なのかもしれないな」


 微笑したグレイルは、慌てて小屋に戻って何かを渡した先ほどのレティリエの行動を思い出す。


「そう言えばレティ、さっきあの女に何を渡したんだ?」

「あれは、あなたにもらったこのペンダント……みたいなもので……」


 レティリエは首からぶら下げた桃色の首飾りにそっと触れる。グレイルがレティリエに贈った、ヤマモモが描かれた慎ましくも可憐な形のペンダントだ。


「桃色の石に緑色の鉱石をくっつけたおもちゃみたいなものだけど、上手く作れたから仕舞っておいたの。でも私が持っていても使い道がないから、ベルフェゴールさんにあげようと思って」

「そうか……よくわからんが、喜んでくれたならいいんじゃないか」

「えぇ、きっと喜んでくれるわ」


 レティリエは首飾りに手を添えながら、ヤマモモの意味を思い出す。

 一途にただひとりを愛する――その花言葉の意味を。



 * * *



 幾つもの星が瞬く夜空の下、荒野を駆けるマルバス。

 その背に乗ったテネブリスに背後からぎゅっとしがみついたベルフェゴールは、テネブリスがわざわざ人狼の村まで出張った意図を訪ねていた。


「テネブリス様……今更ですが、どうしてわざわざ人狼の村まで足を運ばれたのですか?」

「ふん……別に、特別理由がある訳でもない。グラシャラボラスが手をかけた人狼の村に少し興味が湧いただけだ。それより、貴様こそ何か受け取っていたではないか。あれは何だ?」


 ベルフェゴールは、胸の谷間に挟んでいた桃色と緑色が重なった鉱石を手に取る。作りは雑だが、まるで何かを模しているような造形だ。


「あぁ、これですか? なんでしょうね……人狼に伝わるお守りか何かでしょうか?」

「どれ、見せてみろ」


 テネブリスは生暖かい鉱石を受け取ると、いぶかしい表情でまじまじと見つめる。そのまましばらく熟考すると、ある植物の名を思いついた。


「これは……ヤマモモに似ているな」

「ヤマモモ……ですか……?」

「あぁ、おそらく人狼の好物なのだろう。確か花言葉は――」


 そこまで言ったテネブリスは、言葉に詰まる。この先を言えばベルフェゴールが暴走してしまうかもしれないと察して。

 まだメンシスまでは距離がある。ここで暴れられては落ち着いて帰路に着けないと考えたテネブリスは、咄嗟に誤魔化した。


「――いや、そこまでは覚えていないな」

「えぇ……気になるじゃないですか! メンシスに帰ったらハーゲンティに教えてもらおうっと」

「いや、ハーゲンティは忙しい。今度にしておけ」

「そうですか……でも今日は楽しかったですね、テネブリス様! まるでデートみたいで!」

「ベル、儂もいるぞ」

「あっ、いたの? マルバス」

「お主がいま乗ってるのが儂だろうが」


 マルバスは呆れた口調で返す。

 だがこうして、同じ魔族の仲間と敬愛する魔王と共に人狼の村へと訪れたのは間違いではなかったのかもしれない、と心に思う。グラシャラボラスの亡き今、どのような面持ちで彼らと会えばよかったのかマルバスにはわからなかったのだ。


 しかしテネブリスが同席し、彼の口からグラシャラボラスの死が語られた事で、自然とマルバスの肩の荷は下りた。村長の家でテネブリスが告げた”生きてみせよ”という言葉。それは、魔王という立場でなければ語る事のできない重みのある言葉だった。


 マルバスは背の上で凛と佇むテネブリスの存在を感じながら、心の底で感謝の念を抱く。

 敬愛する御方の慈悲深き御心に。そして――亡き盟友の遺志を弔い、残された人狼たちへの心遣いに。







 _____________________________________



いかがでしたでしょうか。

今作初めてとなる他作品とのコラボ回。


コラボさせて頂いたのは「白銀の狼」作:結月花 様 (https://kakuyomu.jp/works/1177354054901321103)


世界観がファンタジーベースという事と、私の作品の物語との親和性も相まって、今回特別にこのような物語を書かせて頂きました。


「白銀の狼」は恋愛カテゴリーですが、非常に趣向を凝らした素晴らしい作品ですので、もし気になった方はご覧になってみて下さいね。

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