鼻にティッシュ
宮明
鼻にティッシュ
「あ」
鼻血が出た。
それは、朝の人ごみが嫌いな僕がわざわざ早起きして、少し速い時間の電車に乗っているときだった。
右手を染めた赤い血。そんなものに驚いて目を見開く。
とくに興奮しているわけでもなく、もちろん鼻の中に指を突っ込んでいたわけでもない。
それなのに、
(止まらないっ)
読んでいた漫画をしまい、あと三分くらいで駅に着く…、とか考えながら、むずむずする鼻を適当に右手の甲でこすった。そしたら右手が赤く染まっていた。
ただ、それだけの話。
が、現状は色々致命的である。
振り返って、確認するが連結部にトイレがない。この電車は2両しかないからか。トイレがないならトイレットペーパーも手に入らない。
あうとー!間の抜けた声が頭の中に響く。
「どうしたらいいんだよ、これ…」
小さくつぶやきつつ、鼻を押さえる手に力を入れる。
制服についたら母に怒られるだろうなー、いやだなー。この思考は現実逃避である。
現状確認。早朝と言うほどは早くないが、普通よりは少し早い時間の電車(正直なところを言うと、僕の住んでいるところは田舎なので1時間半に1本くらいしか電車がないのだ)、周りには人は少なく、ボックスタイプの座席なので他人同士お互いの姿が見えにくい。
で、たぶん10人も乗っていないだろう。まずその時点で知り合いのいる率は低い。
ていうか、この電車で知り合いを見たことがないから率どころの問題ではない。
いない!十中八九どころか奇跡がないと知り合いはいない!!
そっと横目で確認。隣(通路を挟んで反対側)のボックスには、よくこの電車に乗っている、たぶん同い年だろう女の子がいる(僕は1年だが、彼女も1年らしい。この間近くにいた時、そんなことを話しているのを聞いた)。
知り合いがいない以上他人に頼るほかない。しかし、自分から話しかける勇気もない。
(僕に気づかない、よな)
何かしらの下心(前から思っていたけど、彼女はちょっと好み)在り気で確認する。
けれど、まぁ、案の定彼女はあせる僕の姿に気づかず、目も向けない。
ていうか、本読んでるし。
4人座りのワンボックス型の座席に座っているわけだし、隣とはいえまぁ、見にくいことは分かっているけども。
……よく考えなくても、一方的に興味を持っているっていうのはちょっと気持ち悪い状態だよなぁ……。しかも、相手が僕に興味持つとかな、うん。あんまないな……。背低いし……、って違う!!
はっ、としてポケットに手を突っ込みティッシュを探す作業に戻る。
それにしても、かばんの中にも制服のポケットの中にも(いや、わかってはいたことだけども)、ティッシュは入っていない。
そういえば、ここにもポケットが……、やっぱねぇわ!どうなっている!!
普段からめんどくさくてそういう系統のものを一切かばんに入れていない自分の性格に今更ながら罵倒したくなる。ていうか罵倒してる。全力で。
結局、左手で必死に鼻を押さつつ僕は焦る。
が、そんな僕に、
「大丈夫です…か?」
女神の声がかかった。
鼻を押さえたまま声のほうを向くと、隣のボックスに座っていたはずの少女が心配そうな顔をしながら、いつの間にか僕の近くに来ていた。目の離したすきに彼女は僕の境地に気がついたらしい。
マジかよこれは色々下心的なアレも騒ぎますよ、って違う。
彼女の顔をちゃんと見る。前から気になっていたから、同じ小学校中学校ではないことは元からわかっている。
僕の住んでいる地区は生徒が少ないから、同じ学校を卒業した奴らの顔くらいは何となくわかる。
たぶん他県から来ている子だ。
だからこそ、話しかけにくいし、どうしようか思いあぐねていたわけなんだけども。
ていうか、なんてこたえればいいんだこれ。
鼻血が出ちゃってあはは、とか、そのまんまだがめちゃくちゃバカっぽいなおい。
僕が口を開く前に彼女が驚きの声をあげた。
「え、ちょっ、鼻血?!」
赤く染まった右手の甲を見て、彼女は僕の鼻の異常に気がついたようだ。
よく考えたら、隣の席からじゃきっとかばんを必死にかき回して焦っている姿しか見えなかっただろうに。どうして彼女は僕に声をかけたんだろう。
もしかして善意のかたまり?お年寄りがいたら席を譲ったり、荷物おおくて大変そうな人がいたら率先的に手助けするような子?すごいな、僕にはできない。
そう思うと、彼女のが本当に天使に見えてきた、何このいい子。
結構可愛いうえに気がきくな―、と、心の中で鼻の下を伸ばしながら考えている間に、彼女は自分のかばんからティッシュと引っ張り出し、一枚出して僕に渡す。と思いきや、丸めて鼻に突っ込みやすくしてから僕に、
「はいこれつかって!!」
「あ、ありがとう」
ついどもりながら受け取る。
あ、よく考えたらこの時点で初めて声出した。
右手でどうにか(彼女が気を使わなかったら結構きつかっただろう)、鼻の穴に貰ったそれを突っ込んだ。ちなみに右のほうである、あ、僕から見ての話だが。
落ち着いてから、改めて左手をみると思った以上に血の色に染まっていた。思わずびくっとした僕を見て、彼女はもう一枚(今回は広げた状態である)ティッシュをくれた。
受取るときに触れた指先は、思ったよりもずっとあたたかだった。
その感触にどきりとする。
…言っておくが下心で触れたわけではない。偶然だ。
「えー、西富士宮、西富士宮です。お降りのお客様は……」
彼女にちゃんとお礼を言う前に、電車が駅に近づいた。そう言えば、あと3分くらいだった……。
とにかく何か言わないと、そうおもっていたのに、
「あ、降りなきゃ」
僕の口をついた言葉はそんなものだった。
これはひどい。
気の利かない僕に、善意のかたまりっぽい彼女は「西高なんだよね」という。
その通りだ。僕の学校と彼女の高校とでは男子の制服が学ランで一緒。その上、僕は学証つけてない。けれど、降りる駅ですぐわかる。
彼女はもう何駅か先に行ったところにある高校なのだ。
そして、その高校の生徒だと言うことは、彼女は僕より頭がいいということだ。
機会は今しかない。何を言うべきか。考える時間もシミュレーションする時間もない。
勢いで言葉を放つ。
「今日はありがとう、今度会ったときにお礼するよ」
なんとか笑顔で(とはいえ、鼻血まみれなわけだが)言えたと思う。
時間がなくて焦っているとはいえ、いい感じに決めれたんじゃないだろうか?
「そんな、気にしなくても…!」
彼女は焦ったように言った。
あれ、なんか間違えたかこれ?重くて気持ち悪いかこれ?!
惚れちゃったのかどうなのかまだわからないけど、僕の本能は彼女ともっと知り合いたい!と叫んでいた。だからこの出会いを無駄にしたくない。
…ええと、実はいま顔が赤いわけだが。振りきれ僕!
息をのんで彼女を見つめる。
そんな僕の様子に気圧されたのか、
「じゃあ、機会があれば……」
尻すぼみになる言葉。気付くと彼女まで赤くなっていた。
可愛い!二人で赤くなって向き合っている、と、
「ドアが閉まります」
電車のドアが閉まり始めた。
「やばい!じゃ、またね!」
「あ、ちょっ……」
かばんをつかみ、ぎりぎりドアを潜り抜け、僕が駅に足をつけた時電車は走り出した。
ゆっくりと左に動く電車の窓越しに彼女の顔が見える、反射でよく見えないけど、何となく、
――あれ、笑ってたのか…?
……とりあえず出会いのインパクトは強いよな。二次元だったらフラグっていう奴じゃねぇの?これ
――あー、どうなんだろ。よく考えたら言いすぎだったかなアレー。
彼女にどう思われたか全くわかんね。変人扱いとか?気持ち悪いとか?そんなんだったらどうすんだよ…。
顔のほてりが冷めると同時に現実的な思考に戻ってくる。テンションが下がってきたのか。
――いやでもしかし。でもしかし。考えても答えはもちろん出ない。
柱に手をつき、ぼんやりする。行ってしまう電車。彼女はいまどんな顔をしているんだろう。
オレンジと緑の電車はもう建物にかくれ、見えない。
名前も聞けない、多分たった3分くらいの出会い。
でも、ま。出会いは出会いだな。ぎりぎり過ぎてドアにぶつけた肩が痛いけど、さ。なぁ?
ポジティブすぎ、とか、気持ち悪い、とか、まぁ、置いといてください。
青春、どうせなら楽しみたいじゃん。
もしかして始まるかもしれない青春を勝手に夢想しながら、しまりのない顔で鼻を押さえつつ、僕はトイレに向かった。
鼻にティッシュ 宮明 @myhl
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます