生物兵器

 黒猫紳士の脳内に、依頼者である町長の言葉が反復される。

『宗教過激派組織が、最新鋭の兵器を輸入した情報を入手しました。本隊が施設を制圧した後、起動前に処理していただきたい。起動されたら、この町はおそらく……』

 今まで訪れた場所の中でも、特に心温まるお国柄。報酬も魅力的。協力したいのは山々だが危険すぎる。そもそも、政治や宗教関連の事件に首を突っ込むのは、旅行作家としてどうなのか。

 黒猫紳士はもちろん断ろうとした。しかし、自分の命より他者の人命を優先する彼女が、断るはずもない。


 その結末がこれだった。

扉の先に広がっていたのは、撃たれ散った兵士と研究者たち。それを彩る電子機器の残骸の山。

 最奥にいたのは、檻の中に閉じこもる白髪ショートの娘だった。半袖短パンといった年相応の服装だが、腰のベルトには銃器が収納できるホルダーがついていた。使い込まれたクマのぬいぐるみに頭を埋めている。

「馬鹿な、これを一人で?」

「嘘……」

 黒猫紳士はどうみても、これが兵器だとは思えなかった。連れの少女も、困惑している様子だ。

 構えを解き、杖を腰のベルトに刺し戻す。

「大丈夫、あなた! 今、外に出してあげるね。ねこさま!」

 先ほどまでの憂鬱さが嘘のように少女が言った。

 自身の痛みを差し置いて、弱きものに尽くす。黒猫紳士は、称賛と羨望と驚愕と苛立ちを同時に感じた。息を吸い、深く吐き、自分に問いかける。今、何をすべきか。

 黒猫紳士はかがんで、娘と目線を合わせた。

「私たちは、君を場所から助け出そうと思っている。いいかな? もしよろしければ名前を教えてほしい」

 娘は顔を上げた。丸みを帯びたあどけない顔だったが、気力が感じられない。

「ハカナ。わたし、ハカナ」

 娘がうなずいたのを確認し、お姫様抱っこした。少女の視線が痛かったが状況が状況だ。

 施設を出てテントの群れ、即ち前線基地まで帰還した。


 ハカナは、机に山盛りにされたパンを、一心不乱にかじっていた。よほど、お腹がすいていたのだろう。見た目からは想像がつかないほどの、豪快さを秘めていた。

 依頼主である町長の手から、食べかけのパンが滑り落ちた。

「これが……兵器!?」

 少女が依頼者をにらみつけた。依頼者は、はっとした様子で咳払いするとこう提案した。

「街の西にある、テロリスト被害者の会に相談してみたらいかがでしょう。行政と連携し、孤児院への手配なんかもやっていたはずです」


 早速、こじんまりした木造建物の受付へ。彼女が保護を受けられないかどうか、受付の男性に相談。

「名前も、親も、住所も、戸籍も、わからないのではこちらではどうしようもありません」

「そんな! この子は帰る場所もないのに」

 今にもとびかからんばかりの勢いの少女。黒猫紳士は手をかざし制止した。

「研究所の資料が本当なら、この国には彼女を止められる人も組織も存在しない。一人の被害者のために、施設全員の命を犠牲にするリスクを背負わせるのはあまりにも酷だ」

「ええ。あなたの言う通りです。あんまりだ。あまりにもあんまりすぎる。改めて、我々の無力さを痛感させられました。受け入れはできませんが、できる限りの支援はいたしましょう」

 ハカナの表情が少し明るくなった。その様子を見て、少女も落ち着きを取り戻したようだった。


 黒猫紳士たちは、町から少し離れた宿を手配した。

 高い金額を払っただけあり、快適そうな部屋だった。キッチン、トイレもあるし、公衆浴場も近い。早起きすれば、テラスで日の出を見ながら、のんびりと朝食を食べることもできるだろう。難点は、山が近いせいでハネアリとカメムシがしょっちゅう侵入してくること程度か。

「さあ、ここが今日から君のお家だ」

 ハカナは家の中をパタパタと駆けまわると、ソファの上に横になった。少女もついていき、楽しそうに話し始めた。

 黒猫紳士は、例の施設で見つけた手記を開く。

『殺しのための道具を、普通の女の子として扱うなんて偽善だとわかっている。でも、たとえ体の半分以上が人工物で造られていたとしても、心は思春期の女の子そのものだ。大義のために命を散らせ、などと命令できるはずがない。私は彼女の主として、勤めを果たす。あの国の平和ボケ具合には吐き気がする。しかし、我々よりはマシだということが分かった』

 手記から顔を上げた。少女とハカナは、お絵かきして遊んでいる。ハカナの絵はどうやら、集合写真の様子を描いたものらしかった。

 中央にハカナ。背後にはたくさんの友達。右隣に赤髪の女の子。左隣には、この手記の持ち主によく似た人物が描かれていた。持ち主の顔色は、黒猫紳士が実際に見た時よりも、大分いい。

「銃を携えていなければ、子供らしい絵なんだがな……」


 夕方、ドアをノックする音がした。扉を開けると野菜の山。

「もしよければ、みんなで食べてください。活躍と事情は、新聞で拝見しました」

 山の後ろからひょっこりと、おばさんの顔が現れた。

「ありがとうございます」

 黒猫紳士は、栄養食と保存食しか作れないため、料理は少女に全部任せた。手記の分析をしていると、少女とハカナの笑い声が聞こえてくる。

 しばらくして、おばさんの温かさは野菜鍋へと姿を変えた。

「ハカナちゃん、食べて」

「でも働いてない」

 ハカナは、クマのぬいぐるみを抱き寄せ、首を振った。

「料理を手伝ったろう、その報酬だ」

「でも……」

「ハカナちゃん、冷めちゃうよ」

 ハカナは『役に立っていない』ことを理由に、首を振り続けた。しかし、そんなことでめげる黒猫紳士と少女ではない。情で攻める少女と、論理で攻める黒猫紳士。旅の途中、数多の値引き交渉をしてきた二人に、この程度の説得は朝飯前だった。

「んぐ」

 ハカナの最初の一口、白菜を食べた時のリアクションが印象的だった。何回か噛んだ後、目を大きく見開き、動きを止めた。そして、唐突に立ち上がり、少女に拍手を送ったのである。

「おいし! おいし!」

「そんなに褒められちゃうと、照れちゃう」

「今まで食べられなかった分、たくさん食べろよ」

「ねこさまは、料理してないくせに」

 笑いながら三人で鍋をつついていると、不意にハカナが言った。

「みんなにも食べてほしいな」

 目を瞑って微笑むハカナに、少女が聞いた。

「みんなって?」

「ベニちゃんとか、あの人とか。一緒だった、仲間」

 あの絵といい、この子に必要なのは戦いではなく、人とのつながりなのではないか。


 黒猫紳士は、とにかくハカナを、戦いや争いから徹底的に遠ざけることを決めた。代わりに、彼女が人と接する機会を増やすことにした。暴走されたら、始末するほかないからだった。

 毎日の日課である少女への武術の指導を休止。朝の素振りの時間も筋トレに変更。

 その成果もあってか、ハカナは徐々に人間性を取り戻していった。少女の精神も、ハカナと触れ合うことで回復しているようだった。

 とにかく時間がない。一か月が限度。それまでに決着をつけなければ。


 三日目。

 少女とハカナの二人で買い物へ行くことを提案した。黒猫紳士はもちろん、二人に気付かれないように追跡。路地裏から駄菓子屋の様子をうかがう。

 ハカナは、化け物じみた身体能力に加え各種戦闘技能も習得している。その上、徹甲弾で毒でも撃ち込まれない限り、どんなに傷ついても戦闘続行可能。人の護衛程度なら、たやすくやってのけるだろう。

 少女も護身くらいは楽々こなせる。街は昼夜問わず兵士が警備しており、不安要素はほぼない。昨晩、見回りは一通り済ませている。とはいえ、何が起こるかわからない。心配だ。

 二人は、目の前に広がるお菓子たちを前に、信じられないといった様子だった。顔を紅潮させながら、さまざまなお菓子を手に取っていく。瓶に入った串菓子、飴、グミ、ヨーグルト、飲み物、揚げ菓子……。

「ハカナはともかく、あの子もああいう表情をするとはな」

 駄菓子屋の会計所に、二人が立っていた。ハカナは片手で、お菓子が山盛りになった袋を持っている。

 店員はハカナを見るなり硬直した。顔が引きつり、目の焦点がぶれている。

「これ、ください」

 ハカナは袋を差し出した後、お金を数えて渡した。一連の動作を終える頃には、店員の表情も緩んでいた。

「ちょうどだね、はい。どうぞ」

 少女が隣で、ふぅと息を吐いていた。こちらも一安心だった。

「お嬢ちゃん、その人形かわいいね」

 ハカナは誇らしげに答えた。

「私の、宝もの! 親友から、もらった。想い、詰まってる。離れていても、一緒!」


 黒猫紳士は素知らぬ顔で、帰宅した少女と娘を出迎える。

「お菓子、買えた!」

 買い物かごを持ったハカナを見て、思わず頬が緩んだ。

「よくやったぞ、ハカナ。君も付き添いありがとう」

 ハカナは嬉しそうにジャンプしてから、少女の手を握った。

「うん! この子の、お陰」

「わたしは見ていただけ。あなたの力よ!」 

 黒猫紳士は、二人と交互に視線を合わせ、ゆっくりうなずいた。

「二人とも、無事でよかった」


 少女とハカナは、テーブルの上にトランプを広げていた。クロンダイクと呼ばれる一人遊びゲームだった。ハカナの表情は真剣そのもの。視線は鋭く、口角は微かに吊り上がっている。一方少女は目を白黒させており、まるでわけがわからないといった所だった。

 黒猫紳士はペンをくるくる回しながら、様子を眺めていた。カードをめくっては唸る二人。

 二人を見ていると、だんだんと視界がぼやけてきた。瞼が重くなり、どこからか、声が聞えてくる。毎日、頭蓋を通して聞いている声。


『すべては、君を旅へといざなった私の責任だ』

『君の夢を、願いを、わがままを、もっとかなえてあげたかったのに!』

『愛する人を、死から遠ざける術を学ぶには……紳士になるしかない』


 後頭を床にぶつけた。受け身は取ったものの、何が起きたか一瞬わからなかった。

「ねこさま、どうしたの!?」

「はわ、はわわわわ!?」

 笑いを必死にこらえている二人を見て悟った。どうやら、椅子から転げ落ちたらしい。

「痛ッ……最近、夜中に原稿書いてるせいで寝不足でな。昨日も八時間しか寝られなかった」

 少女が自信ありげに言い放った。

「猫の睡眠時間は、二十時間だもんね」

「いや、それは子猫」

「じゃあ四時間」

「それは、熟睡している時間」

「人の三倍!」

「じゃあ私はいつ起きているんだ!」

「ええっ、と」

「十四時間前後」

 反射的にハカナの方を向く。少女も大げさにのけぞりつつ、ハカナを見た。

「えへへ、へ」

 当てた本人は手で顔を覆い、照れ笑いしていた。


 五日目。

 昨晩、見回りの時に感じた、誰かに見られているような不快感が、いまだに抜けない。その感覚が本物なのか、偽物なのかはわからない。睡眠障害を再発し、五日ぶっ通しで熟睡できておらず、自分の感覚に自信が持てないからだった。

 筋トレ、毛づくろい式瞑想法、不安や心配の書き出し、自己受容日記、入浴、ストレス分析……自分が知り得るあらゆる不安解消法を試したが、一向によくならない。

「このままではいけない……」

 マタタビ込めた煙管を吸いつつ、カフェインレスコーヒー飲む。ふぅ、と息をついた所で、少女が駆け寄ってきた。手には算術の問題集。

 今朝から、教科書を使い勉強も始めた。先日、心優しい匿名の方から送られてきたものだ。ちょうど、買うかどうか検討していたところだったので、ありがたい。

「ねこさま、見て! ハカナちゃん、また満点だったの。すごい!」

 少女の背後から、照れくさそうに、ハカナが姿を見せた。黒猫紳士はカップと煙管を置き、かがんで二人の視線に合わせた。

「ハカナ、やってみて、どうだった?」

「難しかった。でも、平気。先生が、教え上手だから」

 そんな、と少女の顔も赤くなった。

「二人とも頑張ったんだな。問題を解く時間も早くなっている。私は嬉しい」

 素養は悪くないようで、じきに学力も追いつくだろう。……時間がないのが惜しい。


 レストランで昼食を済ませた後、少女とハカナをインク馬に乗せた。黒猫紳士は借馬で同行。街を疾走する馬二頭。街路を歩く人々の中には、手を振る人もいた。

 少女は、インク馬を完全に乗りこなしていた。洞窟でインク馬への不満を垂れていた人と、同一人物とは思えない。

 インク馬を繰り、手綱を握る少女。その腰に、ハカナが抱き着き、不安げな視線を送っている。

「怖くないよ。インク馬さんは、とっても安全で、心強いんだから」

「彼女も、最初は怖くて震えていたが、今はこの通りだ」

「えっ……本当に!?」

「ちょっと、ねこさま!」

「にゃはは、事実だろう」

 強化骨格と、人工筋肉で強化された彼女の体は、落馬程度では傷ひとつつかない。しかし、ハカナはそのことを忘れるほどに、乗馬に夢中になっている。

 もう少しだ、もう少し。あと数日で社会復帰できるはず。そうなればハカナ、君はもっと幸せになれる。

 周囲の人々も彼女の変化に気づいたらしく、街のいたるところで気にかけられるようになった。


「にゃぁ?」

 深夜、家の側で掃除していた時、またしても何者かの視線を感じた。その後、どんなに家の周囲を捜索しても不審者は見受けられなかった。小川の眺めながら、家へ向かって歩いていると、警備隊の男から声をかけられた。

「毎晩ずっと警備している上、昼間は少女たちの相手をしていると聞いているのですが、本当ですか?」

「ああ、報告している通りだ」

「……少し、休んだ方がいいのでは? 街の警備は、我々が責任を持って担っています。あなた一人で、全てを背負い込まなくていい。私たちは、あなたの仲間です。ぜひ、頼ってください」

 よほど、心配だったのだろう。男は、涙声で何度も念を押すと、去っていった。

 もし、他人が今の自分と同じ立場に立っていたら、彼と同じことをアドバイスするだろう。おそらく、それが正解であり自分のすべきことだと黒猫紳士はわかっていた。しかし、頭ではわかっていても、心の奥底から無限に湧き出る不安の波が、それを許さないのだ。


 七日目。

 寄せては引く波に、夕日の色が混じる。青と赤のコントラストが、目に焼きつく。

 ハカナはクマのぬいぐるみと斜陽を、交互に見つめる。白い髪が夕日に照らされ、橙に輝いていた。

「ベニちゃん、赤い髪だった……」

「友達なの?」

「このぬいぐるみを、くれた。あなたたちとも、あわせてあげたい。仲間思いで、頼れる。一番の、親友」

「あなたの親友なら、とても優しい子なんでしょうね」

「うん」

 ハカナは遠くを見つめて、独り言のように、呟いた。

「戦っていた頃。辛くて、大変だった。でも、楽しかった。みんなと、一緒だったから。頑張れば、ほめてくれる。仕事が終わったら、おしゃべりできる。外へ出る自由は、なかった。けど、幸せだった」

「大切な思い出ね」

 少女は夕日を見つめながら、ハカナの肩に手を添えた。ハカナはその手に、自らの手を重ねた。

「今も、大切」

 昼の青は消え、海が黄昏に染まっていく。どんなに止まってくれとせがんでも、時計の針は止められない。残された時間は、少ない。


 その夜。

「起きろ!」

「何? 敵襲!?」

「逃げられた」

「嘘!」

 黒猫紳士は、寝台にあった置手紙を少女に突き付けた。

『わるいひと、やっつけます』


 ベッドに残った匂いをたどる。方角を定め、インク馬で全力疾走。街の東側から山へ向かった。寝不足でさえなければ、たやすくハカナが起きた音に気付けたはず。トラウマに振り回された結果、より状況を悪化させてしまった。

 前に座る少女が、自身の前髪を払いながら言った。

「わたし、なんとなくわかる気がする。ハカナちゃんが出て行った理由」

「聞かせてくれ」

 黒猫紳士は、軽蔑の言葉を覚悟した。しかし、少女の口調は穏やかだった。

「彼女はきっと、生物兵器として生まれ変わってから、ずっと戦いの技術を磨いてきた。戦えば戦うほど、周りからほめられた。そんな彼女が、真っ先に思いつく、わたしたちへの恩返しは……」

「戦うこと、か。きっと彼女は、自分が戦えば、私たちが喜んでくれるだろうと思った。だから、子供が親にプレゼントをあげようとして、通学路で寄り道するような感覚で、出撃した」

 ここまで話して、黒猫紳士は思い至った。夜感じた視線の正体に。胸が締め付けられ、悔しさで顔が歪む。ハカナであれば自分に気付かれないよう尾行するなど朝飯前。そんなことにも思い至らないとは、視野が狭すぎる。

 失敗だ、大失敗だ。

失う怖さから生じた過保護、過干渉、それに付随する過労による自滅。これでは──

「紳士……失格……」

「ねこさま?」

 少女の言葉で自己嫌悪のループが途切れた。首を左右に振り、前を向く。起きてしまったことは仕方ない。反省会は後だ。とにかく、今は目の前に一点集中しなければ。

「寝起きのせいで、めまいがしただけだ」


 山の中腹で道を外れた。馬から降り、獣道をしばらく行く。やがてハカナの匂いに、硝煙が混じってきた。

 爆発音や悲鳴。

 山腹に隠されていたはずの建造物が、赤々と燃え上がっていた。

 燃え上がる建物の前に、ハカナが立っていた。片手にクマのぬいぐるみ、もう片手には片手持ちの銃。

「あっ……」

 ハカナが何かを言った瞬間。見えない力に背中を強く押されたかのように、ガクンと傾く。そのままゆっくりと前のめりに倒れた。

 ハカナの背後から、赤髪の推定十四才ほどの少女が姿を現した。凛々しい顔、差すような目つき。右手に持つ長柄の銃の口からは、硝煙が立ち上っている。

 煤で汚れた袖なしシャツ。年相応の短パン。右足は煤でも被ったのか、黒く変色している。腰に巻いたベルトには、複数の銃器とマガジン、手りゅう弾などがセットされていた。この分だとバックパックの中身も、兵器の類だろう。

「ごめんね、ハカナちゃん。ぬいぐるみ、大切にしてくれてありがとう」

 赤毛の少女はライフルを捨てると人形を拾い、左わきに抱いた。目から、緋色に照らされた涙がとめどなくあふれている。

「アタシの名前は、ベニ。ハカナの親友。よろしく」

 黒猫紳士は、常人にはとらえることのできない速度で杖を抜き、横に振る。杖は銃弾を弾き、カカカンッと、乾いた音を響かせた。見事な早打ち。銃を抜く仕草が視認できなかった。

「私は、ハカナの友達だ。よろしく」

 ベニは、黒猫紳士が無事だと、確認するやいなや、銃を連射しながら、岩陰に隠れた。

 少女がその隙に、黒猫紳士の脇をすり抜け、ハカナをめがけて、視界の外へ消えた。

 黒猫紳士は焦ることなく、ゆっくりと、ベニへ近づく。

「君はなぜ泣く?」

「友達が死んだもの、泣くに決まってんじゃん」

「なぜ殺した」

「任務だもの。ここを見た者、侵した者を、生かしておけない」

「任務を与えたものはどこだ」

 ベニは答えなかった。変わりに、岩陰から飛び出し、二発撃ち放った。

 黒猫紳士は軽く体を逸らし、弾を回避。歩を進める。

「死者の言葉に従う意味はあるのか?」

「わからない」

「降伏してくれ。でなければ、君を殺さねばならない」

「それは無理」

 ベニは、黒く変色した足の皮膚を一気にめくった。現れたのは筋肉ではなく、鎧のような金属板。

 強化骨格。手記では読んだが、実際に見たのは初めてだった。

 これをどう突破すればいい。生憎、例のペストマスクのような強力な毒薬も、徹甲弾も、持ち合わせていない。周囲に転がっていた銃器もベニによって、全て破壊されている。

「普通の女の子じゃないアタシたちは、敵を倒すことでしか、必要とされないの。だから……アタシの敵として、消えろ」

 ベニは接近しながら銃を乱射。黒猫紳士はその場で全て弾を弾き飛ばした。

 猫の動体視力は、人間を遥かに上回る。可聴域も倍。加えて、髭で空気の振動や、微妙な平衡感覚を感じ取れる。人間よりは簡単に、先の先を読むことができる。幸か不幸か、熟睡したおかげで体力は回復していた。

「その上で、なお互角とはな!」

 足払いは前足を上げることで避け、飛び回し蹴りを背腕で受ける。

 銃弾を弾きながら前進。袈裟斬りを試みる。肩に当たるも効果なし。皮下の緩衝材がクッションとなり、衝撃が吸収されてしまっている。

 気にせず追撃。撃ち、払い、突く。連続して攻撃を当てたものの、やはり決定打にはならない。呼吸が次第に大きくなり、息切れし始める。

 逆にベニは、黒猫紳士の動きに慣れ始めたのか、攻撃の精度がどんどん上がっていく。息はいっさい乱れていない。血液や、肺も、弄っているらしかった。

ベニの技は、一撃一撃が必殺の威力。このままではいずれ、体力切れで負ける。

 これ以上は無理だ。黒猫紳士は、杖を持つ手に力を込めた。目を細めてこちらを見るベニを、明確な殺意でもって睨みつける。

「ただの人で、ここまでやるなんて、あんた何者?」

「黒猫紳士だ!」

「嘘!? じゃあ、まさかその杖!?」

 ぎこちなく後退したベニ。対して黒猫紳士は、一瞬で間合いを詰めた。

 左足へ向けて杖を振る。ベニは動揺しながらも、驚くべき速さで反応した。杖はベニの足先を掠っただけだった。

「えっ……」

 足先が消失。ベニの態勢が崩れる。右手を掴み、関節を外す。左肩に杖を突き刺し、腕の動きも封じた。

「貴様は私の、最も大切なものを奪うと言った。ならば私は、持ちうる全てを賭して、貴様を殲滅する!」

 黒猫紳士は、杖を振りかざし、流れるように斬り──。

「ねこさま、だめっ!」

 突如、少女が割って入った。戦いに集中するあまり、まったく気づかなかった。

「手足の自由は奪った。これ以上は、ただの処刑だわ」

「ハカナはどうした!?」

「死んだ人を悼む暇があるなら、生きている人を救う方が、百倍大事よ!」

 少女の背後。ベニの左手から、クマのぬいぐるみが抜け落ちる。代わりに、何かが服の袖からスルリと降りた。

 黒猫紳士は、とっさに少女を突き飛ばしていた。そのあと何が起こるのか、直感で分かったのかもしれなかった。

 世界が白に包まれる。黒猫紳士が知る中で、この現象を引き起こす道具は一つ。閃光弾だ。

 間もなく、右肩、右腹、左大腿、から力が抜けた。糸が切れるかのような、唐突な脱力。撃たれた。

「ヴアアアァァァ!!」

 黒猫紳士は、見えない目を見開いたまま杖を突きだした。勘だった。幾戦もの身体記憶に裏付けされる、無意識の一撃。杖越しに鉄の感触。外した。まずい!

 そして、地面に突っ伏した。

 次第に目が慣れてくる。脇でベニが見下ろしていた。ふらふらだが歩行に問題はない。右手の関節も、いつの間にか戻っている。

 ベニは、弾き飛ばされた銃をゆっくりと拾い上げた。銃口をこちらへ向ける。しかし、引き金は引けなかった。少女がベニの左足を払ったからだ。

 銃が落ち、回転しながら地面を滑る。ベニは、膝をつき苦しそうに左肩を押さえた。

「ねこさま、こんなことになってしまって、ごめんなさい。あとは、わたしがどうにかするから見てて」

 少女は、銃を蹴りベニから遠ざけると、手を差し伸べた。

「わたしたちと一緒に、やり直そうよ。新しい場所で、新しい仲間を作って、新しい思い出、作りましょう? 戦いなんかしなくても、あなたのこと、褒めるから。認めるから。よりそうから。必要とするから。あなたの居場所になるから! だからお願い、手を取って!」

「仕事の休みの日、みんなで一緒におしゃべりしたり、買ったもので遊んだり、一緒においしいものを、食べたりした。訓練はつらかったけど、みんなや、ハカナと一緒だったから、耐えられた。花を摘みに行ったり、街を自由に駆け回ったりはできないけど! 人殺しでしか、他人の役に立てないけど! それでもあたしたちは、幸せなんだっ!」

 ベニはベルトからナイフを抜き、少女に突き付けた。

「あなたを殺せば、また明日から幸せな日常が返ってくる。だから、お願い。アタシのために死んで!」

 黒猫紳士は、すさまじい速度で思考する。

 あの子は過去に、機械兵器や自殺志願者たちを説得してみせた。ベニを説得できる可能性はないとは言いきれない。

 ……何を考えている。私はもう、愛する人を失いたくない! やろう。すでに目は回復した。最低限、体も動く。杖に殺意を込める。これを投げれば、すべてが終わる。あの子からは恨まれるだろうが、それでもいい。あの子が生きている方が、その百倍大切なのだから。

 ダメだ。それでは今までと何一つも変わらない。ハカナの悲劇を、また繰り返すつもりか! あの子を信じなければ。愛する人を信じずに何を信じる?

 少女は、ベニのナイフをまったく恐れず歩きだす。

「あきらめて。そうしないとわたしは、あなたを倒さなければならなくなるの。でも、あなたが死んだら、わたしは悲しい」

「なんで?」

「わたしは、あなたが悪い人には見えない。すっごく苦しんでる。同世代の、普通の女の子にしか見えない。それに……それに!」

 少女はクマのぬいぐるみを拾い、抱きしめると叫んだ。

「ハカナちゃんの遺言だから!」

 一瞬、ベニの体が震えた。微かだったが確実に揺れた。

「わたし、知ってるわ。もともと、機械に頼らなければ生きられないことも。メンテナンスなしでは一か月も生きられないことも。そして何よりも、大切な人との絆を尊重することも! それでも、わたしはもう、あなたに戦ってほしくない。友達と袂を分かつことが辛いのもわかる。でもね、一番大切なのは、あなた自身の人生なの。だから! たのむから! おねがいだから! 自分をあきらめないで……わたしの手を握って!」

「でも、でもでもでも! あたしは、あんたの友達を殺したんだよ? 大切な人を撃ったんだよ? あんたを殺そうとしたんだよ? なんで、そんな奴に、手を差し伸べられるの?」

 そうだ、今更変われるわけがない。仲間たちの行いが間違いだったと、受け入れる決断など、奴にできはしない。幼少のころから十年以上抱き続け、大切に磨いてきた信念を、たった数分で捨てるなどできはしない。

「何をしても過去は変えられない。ならわたしは、この現状を受け入れて、最善を尽くすだけ。目の前に広がる惨状も、過去も、あなたが変われない証明にはならない」

 殺意を手に込め、言おうとした。

『消えろ、鉄くず!』

 しかし、発することはできなかった。どんなに力を込めても、手は動かなかった。

 黒猫紳士は今、変わろうとしているのだ。ベニと同じように、昨日まで行いを反省し、古き信念と決別し、新たな道を歩もうとしているのだ。ベニの変化を信じなければ、自分の可能性も、少女の想いも、何もかも全て否定することになる。

 黒猫紳士は杖から手を離した。

「だからお願い。ハカナちゃんがそうしたように、ベニちゃんも手を伸ばして!」

 ベニはふぅ、とため息をついて、黒猫紳士を見た。その表情は、ひどく穏やかだった。

「あなたの主様は、ずいぶんと甘いんだね」

 黒猫紳士は思わず、顔を逸らした。奥歯をかみしめ嗚咽を飲み込む。胃が締め付けられ、胸に鈍痛が走る。

 少女は首を横に振る。

「わたしの主はわたし。わたしの人生は、わたしが決めるわ」

「そう、じゃあ、あんた甘すぎ。甘すぎて、あたし、もうお腹いっぱい」

 ベニはナイフを捨て、ベルトを外し、少女の手を取った。

「ベルトの小物入れの中に、注射器が入ってる。それをハカナの腕に刺して」

 少女はベニの指示のもと、ハカナの筋に液体を注入。びくっと、ハカナの全身が痙攣、胸が上下し始めた。

 黒猫紳士は、首を動かしてベニの方を向いた。

「解毒剤!? まさか、ハカナは撃たれて死んだわけではなかったのか!」

「まさか、銃の一発や二発じゃ死にゃしないよ。強毒を撃った方が早い。それでも、完全に死ぬまでには時間がかかるけどね」

 ハカナはあっさりと目を覚ました。周囲を見渡した後、ベニに呟く。

「べにちゃん……わたし、あの人を……」

「いいの、もう済んだことだから」

 ベニは、ハカナの肩を力強くつかんだ。

「あの猫を背負って、この子と一緒に逃げて。いい?」

「ベニちゃんは?」

「ハカナたちが、平和に街で暮らせるよう、準備があるの」

 ハカナは、ベニをぎゅっと抱きしめる。ベニも、ハカナの背中に手を回す。

「わかった。気を付けてね」

「……ん」

 ベニは、ハカナの背中を撫でながら少女の方を向いた。

「この子、あたしたちの誇りだから、よろしくね」

「ええ。何も気にせず、全部わたしに任せて」

 少女は、決意の眼差しをベニへ向け、力強くうなずいた。

「さあ、行った行った! 振り返らないで走って! 早く」

 ベニは、ハカナから離れると急かした。

 ハカナに背負われた時、痛みと共にこの光景が脳裏に浮かんだ。あの山奥の宿だった。言うとしたら、今しかない。

「待ってくれ」

 黒猫紳士は、後ろを見ずに口を開いた。どんな表情をすればいいのか、わからなかったからだ。

「すまなかった、ベニ。私は信じることが……あの……どう、何を言えばいいのか」

 言葉が続かなかった。途中で嗚咽に変わってしまった。

「ありがとう。あたしを、待ってくれて」

 思いもよらぬ言葉に、思わず顔を上げた。黒猫紳士が見たのは、燃える炎に負けぬ、花のような笑みだった。

「ああ、ああ! こちらこそ、ありがとう、ベニ。……さよなら」

 やり取りを見ていた少女は、辛そうに立っていた。そんな彼女の背中を押したのは、ハカナだった。

「二人とも、行こう。ベニ、ぬいぐるみ、大切にするね。……バイバイ」

 三人はひたすら山を下り、途中でインク馬に乗り換え、街へ戻った。


 その後は静かな、しかし、小さな幸せに満たされた日々だった。

 主要拠点を失った過激派団体の活動は、一気に鎮静化。ついえるのも時間の問題だった。

 黒猫紳士は、傷の療養を理由に旅を中断。町の人々に支えられながら、三人で平和な日々を過ごした。

 そして、ハカナと初めて出会った日から、ちょうど一か月たった頃、ハカナはこの世を去った。ベッドの上で眠ったまま、二度と目覚めることはなかった。

 黒猫紳士は、ハカナが死んだという実感のないまま、トランクにクマのぬいぐるみをしまった。

 きっと、気持ちは後からついてくるのだろう。ふとした時に、思いがけぬ鮮烈さで。

「行こう、スピネル」

「ええ、ねこさま」

 彼女たちの生に意味を与えるべく、二人は今日も旅をする。

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黒猫紳士旅行記譚 ユゥル @the_yuru

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