時間国家

 乾いた風が吹く、廃墟の山々の狭間。黒い馬に乗った二人が行く。

 騎手はダブルスーツを着こなす、黒猫の紳士。腰のベルトに、黒猫を模した柄の杖を差している。

 その前に座っているのは、黒い長髪の少女。黒いジャケットが風に揺れ、白いシャツが見える。ニーソクスの上で、スカートがヒラヒラと舞っていた。

 大通りに人は一人もいない。街道に埋め込まれたレンガの隙間から、雑草が伸びる。通りの左右に広がっているのは、増築を繰り返したと思わしき、いびつな高層建築たち。外壁が薄汚れていることや、多少の弾痕が刻まれていることを加味しても、壮観だ。

 建築物の窓のほとんどは、ガラスが剥がれ落ちていた。かろうじてへばりついているガラスも、ひび割れた物ばかり。張り巡らされた配管も、折れるか、破れるかしていた。屋根や、壁面から伸びている煙突たちも、さびて赤黒く染まっている。

 この廃墟群に、妙な共通点があった。それは、どの方向から見ても必ず一つは大時計がついていることだった。

 小売店や、カフェ、駅をはじめ、どの建物にも必ず時計がついていた。それも、二つ並んでいたり、幾何学的に配列してあったりと、飾り方もさまざま。

 少女が、感嘆のため息をついて言った。

「よっぽど時間に追われていたのかな?」

「過剰を通り越して異様だな。ただ、もう一つ気になることがある」

「ええ、わたしも感じる」

 視線。常に何者かに見られているような不快感。

黒猫紳士は辺りを見まわす。

 古風な街路灯や、放棄された自動車、ゴミ箱、消火栓、謎の信号機──ありとあらゆる場所に時計がつけられていた。よく見ると道路にも、時計らしき絵が描かれている。

少女が、立体駐車場の跡を指さした。廃車はみな蒸気式だった。

「それにしても、なんでこの都市は滅びたんだろう。こんなに高度な文明を有していたのに」

「とりあえず人を探そう」

 高層建築が並ぶ大通りを進んでいく。大半の建物に、パイプが接続された巨大モニターがついていた。

「広告を映すためのモニターだろう。となると、ここは商業施設群か」

 しばらく進むと、マンションと思わしき建物が増えていった。例外なく高層であり、時計だらけだった。

「ゴミ捨て場にも、いくつか時計が捨ててあったね」

「ああ、それに見てみろ、アレ」

 廃マンション群の狭間に、教会らしき建築物があった。正面には、金の装飾がなされた大時計。教会の柱には、時計をモチーフにした彫刻が刻まれている。壁面には、溶けた時計のモチーフが、大量に描かれていた。

 馬を止めて、内部を視察。祭壇と木製の椅子が並んでいる様子は、一見他国の教会と大差ない。だが、まつられているものが異様だった。

 全体にちりばめられた、無数のボタンやランプ、そして歯車。側面から配線や銅線が滴っている。奇妙な装置の中央に取り付けられているのは、やはり時計。銀の縁取りの丸時計だった。

「祈ったら、何かいいことでもあるかな?」

 少女は身をかがめ、手を組み、目を瞑る。

「わたしたちがこの町を無事抜けられるように」

「ずいぶんと控えめな願いだな」

「これくらいがちょうどいいのよ」

 少女は目を開けると、祭壇の下に手を伸ばした。

「ほら、見て? 祈らなかったら、わからなかった」

 時計のツマミのパーツ。少女はそのままジャケットのポケットにしまった。

 少女の強運に驚きつつ、教会を後にする。馬で疾走しているにも関わらず、一向に街の端が見えない。

 ひと際大きなマンションの前に、地図らしき看板があった。

 黒猫紳士は、地図の下の方を指さした。

「南の商業地区から入って、居住区まで北上してきたらしいな。あの教会、街の中央にあったのか」

「西の工業地区が気になるね」

「行こう」

 教会があった場所まで戻り、西へ馬を走らせる。ただの森林と化した自然公園が、背後へ消えていく。銅の歯車を装飾に使った橋を、数本渡った。

 さらに、街路樹に囲まれた道路を行くと、遠くに時計塔が見えてきた。

「ねぇ、あの時計塔、街で一番高い建物よね」

「私たちを監視するなら、あそこほど適した場所はなかろう」

 検問所らしき建築物に、たどり着いた。灰色の武骨な建物で、巨大な二つの時計が屋根にひっついていた。それぞれ示している時刻が違う。

 検問を潜り抜けると、半透明の膜が張られていた。どうやら、工業地区全体を覆っているらしく、膜の端は見えない。黒猫紳士は試しに、腰に携えた杖を引き抜き、触れてみようとした。しかし、触れなかった。何の感触もない。

 膜の中に入ろうとすれば、簡単に入れそうだった。

 膜の内側には、工場らしきものが見える。気になるのは、劣化具合だった。外とは比較にならないほど、廃墟化が進んでいる。地図を見ていなければ、鉄くずの山としか、認識できなかっただろう。

「金属を腐食させる微小生物か、気体でも充満しているのか?」

「工場だけ他国から攻撃されたとかは?」

「なさそうだ。見た限り、経年劣化だろう。放置されたからもしかしたら、百年近く経っているのかもしれない……む?」

 工場地区を、かなりの速度で動く、何かが見えた。車に近い早さだ。

 少女が目を見開いて、こちらを向いた。

「ねこさま、見えた?」

「見えた」

「なんだった?」

「髪の大半が白髪の、壮年の男だ。茶色のマントを羽織って、背中に大きなリュックを背負っていた」

「見間違いじゃない?」

 時計の見すぎで病んじゃった? とでも言いたげな顔だった。そう思うのも無理はない。車並みの速さで『歩く』などという芸当ができる人は、黒猫紳士も知らない。

 インク馬が三歩ほど後退した。前に座っていた少女が『ひゃ』っと声を上げて、後ろにのけぞる。黒猫紳士は、左手で優しく彼女を支えると、馬の前方へ向けて笑顔を向けた。

 膜越しに、壮年の男が立っていた。男は膜を超えると、口を開いた。

「ようこそ、クロノポリスへ。その様子だと、旅人さんかな? まあ、とぼけたって無駄だがね」

 男は腕時計を弄りながら、笑い声をあげた。笑うにつれて、みるみる若返っていく。

「ねねねねこさま!?」

 驚きのあまり呆然としてしまった。老成に差し掛かっていたはずの男が、四十歳程度の姿に早変わり。

「単純作業は老後の時間を、頭を使う作業は若い時の時間を、使った方がいい。そうだろう?」

 それができれば苦労しない。

「知りたいのは、この国が滅びた理由。違うかな」

「その通りだ」

 黒猫紳士は、あえて視線の話には触れなかった。少女の肩を軽くたたき、警戒するよう合図を送る。

男は得意げに話し始めた。

「誰もが時間を欲した。一日が倍の長さになれば、自由に使える時間が増えて、人はみな幸福になると。だからクロノポリス民は、時間圧縮装置が開発された時、人々は歓喜したよ」

「時間圧縮?」

 少女は早くも眉間にしわを寄せ、首を傾げた。

「時間圧縮装置は起動している間、周囲の時間の進み方を五倍にする。範囲は大体街分くらいだ。一日が五日。一年が五年。あらゆる技術は、爆発的に発展をとげ、高層ビルが立ち並び、車は全て自動化された。まあ当然、デメリットもあった。なんだと思う?」

「時間の流れの差による価値観や、格差の相違が生まれることか? 例えば、時間圧縮空間に一年出張すると五歳年を取る、というふうに」

 男は、こちらに大げさな拍手をしながら、話をつづけた。

「もっと単純なことだよ。圧縮空間の中では五倍速で恋愛が進み、五倍速で子供が生まれる。圧縮空間は土地を節約するため、工場と研究施設しか建てられなかった。必然的に、圧縮空間の外で、子育てをすることになる。故に、人口は爆発的に増加。人が増えたことでまず、土地が足りなくなった」

 そうなると局所的な老朽化は、時間圧縮の影響か。検問の二つの時計も、膜の内と外の時差を、示していたのだろう。

「圧縮空間は、十倍速で資源を消費する。その上、人口爆発によって、国全体で消費する食品や物の量も増えた」

「でも、五倍の速度で、研究開発しているんでしょう?」

「五倍の速度で食糧問題を解決しようにも、そのためには五倍の量の研究費と材料が必要だからね。すでにこの国に、そんな力は残されていなかった」

 なんとなく、このあとの展開は想像がついた。

 少女も察したようで、ぼそりと呟いた。

「ないなら、奪うしか……」

「そうだよ。戦争だよ。相手が十年かけて作る兵器を、一年で作れるんだから、負けるはずがない。周辺国を次々取り込んで、資源を奪っていった。もっとも、戦争で手に入る程度の資源量では、その場しのぎにすらならなかったがね。最終的に、資源枯渇で困っているところを、配下の国がクーデターを起こし滅亡した。町を見てわかる通り、実に平和的革命だったよ。みんな、心の底では思っていたからね。時間だけあっても、幸福にはならないと」

 男は、うんうん、と自分で何度もうなずいた。

「オレは、数少ないおこぼれにあやかるため、毎日こうしてジャンク漁りをしている身だ。……では、これで。いい旅を」

 彼が再び腕時計を操作した、瞬間だった。

 地面に男が伏している。そして、少女が男の腕を踏みつけていた。黒猫紳士は馬から飛び降り、男の左手を背中に回し、手前に引く。ついでに後頭部を足で押さえつけた。これで、もう身動きは取れない。

「まさか、時計のパーツを……!」

 少女は腕時計を奪うと、足で踏み潰した。男は抵抗するのをやめ、おとなしくなった。

 黒猫紳士は、少女の方を向き、疑問を口にした。

「こいつは、何をした?」

「ねこさまの動きを止めて、トランクを奪い取ろうとしたの。だからわたし、そいつを馬の上から突き落として、時計をいじられないように、手を踏みつけてやった」

 男が嫌味ったらしく言った。

「違う、お前の動きを止めたんじゃない。時間を止めたんだ」

「大層な能力だな。準備に時間がかかりそうだ。長話も、能力発動のための時間稼ぎだったりするのかな?」

「ああそうだ。最もお前らが警戒しまくっていたせいで、台無しだったがな。

 吐き捨てるように言うと、男は大きなため息をつく。そして、地面を拳で叩きつけると、叫んだ。

「一体何で、オレがお前らを狙っているとわかったんだ!」

「この街に入ってからずっと、視線を感じていたからな。誰だって警戒する」

 男の顔から、急に赤みが引いていく。体を震わせ、じたばたし始めた。

「待て、それはオレじゃない。まっ、まさか……時計塔の!」

 取り乱した男は、「離せ!」「助けてくれ!」などと叫び暴れはじめた。黒猫紳士はポケットからスカーフを取り出すと、男の口に近づる。しみこんだ薬品を吸い込んだ男は、すぐに寝息を立て始めた。

「この街、早く出た方がよさそうね」

「ああ。ネタ集めはこれで十分だ。これ以上ひどい目に遭わないよう、さっさと逃げよう」

 黒猫紳士は、時計塔と時間加速ドームに背を向け、馬を走らせた。時計だらけの大通りを抜け、街の外に出る。

 瞬間、意識が飛んだ。


 巨塔に、鈍く光る無数のパイプが、いばらのように絡み合っている。大時計の文字盤には、植物のツルが、からみついていた。金属の軋む不気味な音が、内側から聞こえてくる。中央には、金具で補強された木製の扉があった。

 時計塔前の広場には、頭蓋がつぶれた白骨が、山積みになっていた。

「また、ここに戻ってきちゃった」

「何度見ても悪趣味だ」

 街の外に出ようとした瞬間、時計塔の前に戻される。いろいろと試行錯誤はしてみたが、無駄だった。

 黒猫紳士は、再びインク馬を走らせようとした。しかし、インク馬は数歩歩いた所で、座り込んだ。広大な街を、何回も横断したのだ。むしろ、ここまで頑張れたことをねぎらうべきだろう。

 黒猫紳士は先に馬から降りると、少女の下馬を手伝った。

「ありがとうね、インク馬さん」

 インク馬は、黒猫紳士たちに対し申し訳なさそうに頷くと、インク瓶へと戻った。

「やれることは全部やった。後は……」

「行くしかなさそうだな」

 舌打ちしながら、さびた扉に手をかけた。扉の留め具が外れ、内側に倒れる。

 黒猫紳士は内装を見た瞬間、硬直してしまった。動いている。歯車はかみ合い、芸術的な駆動恩を奏でている。一点も錆はなく、どの歯車も金、銀、あるいは銅色に輝いていた。

「そんなばかな」

 内部構造に圧倒されながら、螺旋階段を上る。途中、いくつか部屋があったものの、いずれも鍵がかけられて、開かなかった。

 気づいたら、最上部にたどり着いていた。目の前には、重々しい金属製の扉がある。やはり、時計の装飾がついている。時計の針は三本とも高速回転しており、時計としての役割を果たせていない。

「あれ? 百段も登ってないよ? もっとあると思ったのに」

「この時計塔の建っている土地、時間はおろか空間もおかしいらしいな」

 扉を開けると、またしても階段。十段ほど上がると、こじんまりとした個室に出た。位置的には、大時計の上部らしい。

 大きな窓が開いており青空が見える。窓からは人々の喧騒が聞こえてくる。時計塔の外に広がるのは、廃墟だけだというのに。

その窓の淵に、少年が腰かけている。

「やあ!」

 少年は、白いシャツにコルセットをつけ、茶色のジャケットを羽織っている。ズボンのベルトには、いくつもの時計をぶら下げていた。額には望遠ゴーグル。何より眼を惹く、人間離れした美貌。

 黒猫紳士は、直感で悟った。間違いない。彼だ。彼の茶色い瞳が、私たちをずっと監視していたのだ。

 少年は、ほっそりとした腕を広げて、窓の外を見るように促してきた。

黒猫紳士は少女の手を引き、ゆっくりと窓際まで移動。

「見てよ、これ、きれいだろう? 今は最盛期の少し前だね」

 街は蒸気で覆われていた。煙の狭間から、行きかう人々や、乗り物が見える。

「この窓には、時計塔の誕生から、街の荒廃までが、映し出されるんだ。繰り返し、繰り返し……」

 目を真ん丸にしたまま、少女が口を開いた。

「いつからここにいるの?」

「ずっと昔。ここにきてから、一年数えて止めた。それ以降はわからない」

「出られないの?」

「抜け出す方法は、まあ、ご察しの通りさ」

 と、少年は窓の外に手を伸ばすと、細く、繊細な人差し指を下へ向けた。

 少年は黒猫紳士たちに、妖艶な笑みを向けた。

「まあ、ここにいるのはそんなに悪くない。この町ができた当初から、現在まで、何度も繰り返し見てきた。でも、何度見ても、新しい発見があって飽きないんだ。あと数年待てば、君たちがこの町にやってきた様子も観測できるはず。楽しみだなぁ……」

 濡れた唇から声がこぼれ、部屋を満たす。その音には、異様な響きが混ざっていた。

察知した黒猫紳士は、少女を窓から引きはがし、自身の背後に押しやった。

「ぼくがここで、窓を観測している限り、クロノポリスはここに在り続ける。たとえ、外がただの荒野でもね」

「あなたは、この町に生きた全ての人々の思いを、背負っているのね」

 少女の声には哀れみが混じっていた。少年はゆっくりと首を縦に振る。

「でもね、少し寂しいんだ。ずっと一人だからね。だからさ、君たちも一緒にこの町の様子を見てようよ。ずっと……ずっと……」

 手を広げて、ゆっくりと迫る少年。黒猫紳士たちは、出口へ向けて後ずさる。

「残念だが、私たちは旅を続けなければならない。見聞きしたことを、旅行記にしたためるために」

「長居はできないの。ごめんなさい」

「いいよ、気にしなくて」

 黒猫紳士は少女の手を引き、階段を下り、扉を開けた。しかし、一瞬眼前がぐらついた。首を振ってから前を見る。窓の淵には、少年が腰かけていた。

「な……っ」

 再び、階段を駆け下りる。やはり、少年がいる部屋へ戻ってきてしまった。

「だから言ったでしょ? 気にしなくていいって。もう、君らも出られない。ささ、一緒に街を眺めようか」

「何か手はあるはずだ」

 肉球が汗でヌルヌルする。窓から漏れる人々の声が、集中力をかき乱す。何か、何か手は? ちらりと少女の顔を確認。真っ青で目の焦点が合ってない。今にも叫びたい、と言った様子だった。彼女にとって、この怪奇現象は、殺人現場よりも恐ろしいらしかった。

「ないよ。ぼくが許可せず、ここから生きて出られた旅人さんは、一人たりともいない」

 少女は、今にも泣きだしそうな顔で、時計のツマミを取り出した。胸に抱き、祈り始める。

 すると、少年の目の色が変わった。

「それは……そうか、そういうことか」

 黒猫紳士は、微かな変化を見逃さなかった。

「帰り道を教えてくれ」

「いやだね」

 少年は、露骨な嘲笑を浮かべる。黒猫紳士は挑発に乗らず、冷ややかな視線を送った。

「君は賢いね」

「感情に身を任せて、露骨な誘導を見落とす程、私は馬鹿じゃない」

 突き落とせば倒せる。そんな、単純なことがあるわけがない。一介の泥棒ですら、時を止めたのだから。

 黒猫紳士は考える。交渉して何とか丸く収められないものか。

「もし、この少女より相性がいい友達を見つける手段があるとしたら、知りたくないか? おまけにこの街の知名度も上げられる、そんな方法がもしあるなら……」

 少年の姿勢が、少し前のめりになった。

 黒猫紳士は、自信ありげに微笑を浮かべる。

「私たちはトラベルライターだ。この町を出たら、君のことを書いた、本を出版するつもりだ。そうなれば、この町は書籍を介し、多くの人々の記憶の中に在り続ける。それだけじゃない。興味を持った人がここへ、旅行しに来るかもしれない。その中には、この窓から身投げせず、君と一緒に居てくれる人もいるかもしれない」

 少年の美顔が、ほんの少し揺れた。黒猫紳士はここぞとばかりに、追い打ちする。

「あと、もし逃してくれるのであれば、このトランプ一式と、ポケットサイズ一人遊び大百科をプレゼントしよう!」

 黒猫紳士はトランプを、右手から左手へシャラシャラと飛ばした。いかにも愉快そうな表情を浮かべながら。

 少年は、空に手を伸ばし、何かを摘まむようなしぐさをした。すると、カードが一枚出現。柄はジョーカー。少年と同じく、にやりと笑っている。

「へぇ、面白い提案だね、君。うん、ずいぶんと質のいいトランプだ。気に入ったよ。そのアイデアも。ただ、本当に売れる本を書ける実力があるかどうか、示してほしい」

 黒猫紳士と少女は、インク馬や、旅館について語った。旅の途中でとった、メモやノートも彼に見せた。もちろん、書き途中の原稿も。

 少年は一通り見終わると、満足げに二度、手を叩いた。

「君の熱意はよくわかった。ぼくの思い以外に、たくさんのことを背負って旅をしているんだね。いつか、僕のことが書かれた、本を持った旅人さんが来ることを、楽しみにしているよ」

 少年が手にしたトランプが、黒猫紳士の物であったと気づいたのは、それから数秒後のことだった。

「目を瞑ったまま、階段を降りるんだ。それだけでいい。街から出るときも、おんなじさ」

 黒猫紳士は深々と礼をすると、少年に背を向けた。少女も、黒猫紳士と共に歩き出そうとしたが、足を止め振り向く。

「来た旅人さんを閉じ込めるのではなく、伝聞させた方がいいんじゃないかしら」

 少女はそう言いながら、少年に手を差し出した。手のひらの上には時計のツマミ。少年は少し驚いた様子で微笑むと、少女の指先を軽く撫でた。そして、少し名残惜しそうに、手を引いた。

「そのパーツは君に上げるよ、記念にね。あと最後に一言お礼を言わせておくれ」

「お礼?」

「あの教会で、僕に、祈ってくれて、ありがとう」

 二人は、少年に手を振ると、目を瞑って階段を降りた。

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