まともな会話

青原支部支部内廊下、睡眠時間さえも余裕で削る尾上からの激務が取り消しになり、定時にも帰れる事になった昇太郎は溢れ出す開放感に身を預けるように事務室に向けて走っていた。


(美月さん、恐らく毎度の事だから今日もすぐに帰ってるんだろうなぁ。)


事務室に向けて走っていたのは美月と一緒に帰る為である。


定時という単語が頭にちらつきながらも「もしかしたら…」という不確定要素を信じ込み、段々と近付いていく事務室に向けて走り続ける。


「………!」


周りへの配慮の為、彼女の名前は呼ばずに無言で扉を開けるがそこにはいつも見慣れていた美しい長髪のあの娘はいなく、帰り支度したり残業したりしてる隊員達が何人かいただけだった。


(いないか…。

やっぱり帰ってしまったのか。

まぁいい。

さっさと荷物を纏めて外に出よう。)


昇太郎は一度落胆したものの、気を取り直して事務室のロッカーに駆け寄る。


早々に荷物を纏めると事務室を出て、そのまま玄関まで走り出した---


青原支部支部内玄関、いつもとは覇気がない力ない足取りでシューズボックスに向かう美月。


実のところ、昇太郎が今日こそは早く帰ってくるかもという希望的観測を抱きながら事務室で暫く待ってたが、その様子が露程も見られなかったので今日も今日とて一足先に帰ろうとしていたのだ。


そして、支部内の殆どの隊員達が帰り、程よい静けさの中、それはやってきた。


向こうの廊下から何かが駆けてくる音が聞こえたのだ。


その様子が気になり、その姿が現れるまで廊下側に目をやると、曲がり角からとても見慣れた顔が出てきた。


その顔を見た途端、美月の顔は今までの萎れかかった花が煌びやかに返り咲くように生気が戻ったのだ。


「せんぱぁあい!

竜胆せんぱぁぁあい!」


「昇太郎!」


そう、それはあの無茶振りとも言える激務に1週間も耐え、見事舞い戻った獅子谷昇太郎だったのだ。


「はぁ…はぁ…はぁ…!

ど、どうもすみません…!

でも…帰る直前で、良かったぁあ!

…って、先輩?

どうか…したんですか?

さっきから、ずっと…黙ったままですが…。」


何も返事がない美月を不思議に思い、疲れのあまり中腰になって俯いていた顔を上げると…


「………。」


「………。」


側から見ても分かるような嬉しさと歓喜に満ちた表情で輝きを取り戻していた。


だが、暫くして我に返り、普段の毅然とした態度で再度挨拶を交わす。


「はっ!

お疲れ様です、獅子谷さん。」


「えぁっ…はい!

お疲れ様です、竜胆先輩!」


(何だ、今の表情!

凄え可愛かった!

もう一回見せてくんねえかな?)


だが、昇太郎は瞬時に自分の中にある違和感を感じ取った。


1週間、まともに美月と会話していないおかげで今この場で何を話せばいいか分からなくなってしまったのだ。


それのおかげでただただ昇太郎は苦笑いを浮かべるしか出来ないのだ。


しかし、そんな可哀想な昇太郎にも美月は容赦なく攻撃を仕掛ける。


美月は挨拶を交わして数秒経つや否や昇太郎の横を通り抜け靴を用意して帰る準備をし始めた。


「それでは獅子谷さん、私はもう帰りますので。」


(くそぉ、全く話す内容が浮かばないけど、折角一緒になる時間が出来たんだ。

簡単に逃してなるものか!

とりあえず、一緒に帰るように声をかけよう。)


昇太郎はそさくさと靴の脱ぎ履きをする美月に何の計画性もない状態で声をかける。


「先輩!」


「何?」


目線だけを寄越す美月。


「今日は一緒に帰りませんか?」


その問いに美月は少し間を置いて返答した。


「………良いわよ、別に。」


美月は気怠そうな雰囲気で昇太郎の靴の脱ぎ履きを待ち、準備が終わるとやる気のなさげな様子で立ち上がって2人で悠々と帰路についた---

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綻びのこがね フジ @shihananimokangaenakuteii

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