過去編:大嵐、あるいはおしよせる大海

 その日の第四層の天候は雨だった。

 幸か、不幸か。あるいはそのどちらでもなく。


 ――その大嵐はやってくる。


 積層都市GGCの天候管理システムに嵐はない。

 彼らにとって嵐とは、都市の外を通り過ぎていく気候現象に過ぎず、感心を持つのはわざわざ外へ出る物好きくらいのものだろう。


 だが今ここに、嵐がある。

 機人ひとの形をした大嵐。雨を伴って現れるその姿は見るものに畏れを抱かせる。

 《皇帝》アルマディス。

 第五層を支配する、無慈悲な暴力の権化。

 星に魅入られ、掴めるものを求めた夢見人ロマンチスト

 他者ひとに望まれ、強大で在ることを使命とした愚か者。


 先日の宣戦布告の通り、第五層の勢力を引き連れて第四層へとやってきたのが今日である。

 精鋭たちが第四層の兵を蹴散らす中、悠然と、皇帝は向かう。そびえ立つ巨大なそれへと。


 大嵐を阻むがごとくそびえ立つ、巨大な壁がそこにある。

 それこそが、第四層の最終防衛機構たるヘカトンケイル。第四層主、《大公》ヨルムグが駆る巨大兵器である。今や誰も知ることはないが、遠き遠き過去にて、天を守り通した武装兵器、その一つ。

 その身の丈は第四層の高層ビルと並ぶほどだが、《皇帝》アルマディスの歩みは悠然としたままだ。


 ヘカトンケイルの巨大な機体が唸り、アルマディスがそれを迎え撃った。


◇ ◇ ◇

 

 ――結果は散々たるもので。

 幾世紀もの間そびえ立っていたヘカトンケイルの強靭な壁は、《皇帝》アルマディスによって打ち砕かれた。

 崩れ、倒れ、機能停止するヘカトンケイルを多くの兵が、驚愕と、そして崇敬とともに見ていた。


 内部では、あらゆる箇所が破損し、無数の歪な音を立てている。

 第四層の守手であったヘカトンケイルはもう動かない。

 そして、それを繰っていた《大公》ヨルムグもいずれ同じ末路を辿る定めにあった。


 衝撃で全身が痛み、意識がぼんやりとする。大破したヘカトンケイルの部品が腹部を貫通しているのが分かる。幸い、体内の麻痺機能が働いて痛みは遮断されていた。まったく、思ったより酷い負けっぷりだった。ヘカトンケイルを失ってもいくつか策はあったのだが、自分の身がこうであってはどうにもならなそうだった。


『何故逃げぬ』

 ヘカトンケイルに向かう前、腹心の放った言葉が死にかけの頭に響いた。

 お前のような自分勝手で、傲慢で、他者を搾取することに何の躊躇いもないろくでなしの層主がどうして命を張るのかという意味だった。

 ヨルムグはそれには答えなかった。己でもすぐには言葉にできなかった。

 死にゆく今、思考してみる。

 恐らく――自分は欲深すぎるのだ。

 金、道楽、地位、尊敬、友愛、名誉。すべてを望んでいたし、それなりに手に入っていた。

 だからまあ、第五層の侵略から逃げた層主として名を残すのはかっこわるい。

 在任中に四層はそれなりに栄えさせたから、できれば引き継いでくれる者も欲しいし。

 それに友人に失望されるのもちょっと嫌だ。


 友人。すなわち、彼を今討滅さんとしている相手。第五層主、《皇帝》アルマディス。

 ヨルムグは内心ため息を吐く。

 ――愚鈍なアルマディスめ。一体余に何を期待しているというのだ? 余はおまえのように強大ではないんだぞ。まあ……だいたい全部余が悪いのだが。あの皇帝がまだ何も持ち得なかった頃、賢人面であいつに近づいた。あれこれもっともらしいことを言って、あいつにすっかり余のことを信用させた。前任の第五層主が随分厄介だったから、余のことを信用しているこいつを新しい層主に仕立ててしまえば厄介事がなくなるんじゃないかなーという策謀で、その目論見は先日まで正しく機能し、そして誤算も招いた。とはいえ今まで立派な友人だと騙してきたのだから最後まで騙しきっていたい。層民にも立派な層主だと思われていたい。うん、そんなところだ。

 我ながら本当に欲深いことだなあ。命を捨ててでも見栄を張りたいとはね。


 金属がひしゃげる音がして、ヘカトンケイルの外部装甲が引き剥がされる。

 外気が入り込み、降り注ぐ雨の雫と、それを遮る灰色の巨躯がそこにあった。

 表情の読み取りづらい視線が、無惨に横たわるヨルムグの姿を捉え、残忍な腕がぐったりとした機人の首を掴んだ。なんという、無慈悲で圧倒的な暴力性!

 享楽と暴力を好む第五層において、層主は強大であるべきものであり。すなわち他層を蹂躙する者である。

 そう望まれたから、そう応えている。まったく、馬鹿馬鹿しいほどに愚直なやつ!

 第五層の頂点に上り詰めてなお、望みの在り処がわかっていない。まあ余も教えてやらなかったんだけどね。そのほうが都合がいいと思ったんだよなあ。間違えたなあ。

 おまえの人生をしっちゃかめっちゃかにしたが、余は責任を取るのは苦手だからね。くれてやれるのは言葉の一つくらいなもんだよ。薄れゆく意識の中、ヨルムグの視界にアルマディスの青い目が映った。深く、感情の見えない色だ。あーあ、と思う。バカなやつ。自分の気持ちくらいそろそろ理解しておくべきだぞ。


「一つ……友人として忠告しておこう。おまえ、欲しいものを見誤っているぞ」


 まあ余が言えたことでもないが――。

 そう考えて、目の前の大海のような目と、遠くにある幽霊のような部下のことを思いだした。

 ――いやあ、そうでもないな、欲しいものは大体手に入れている。

 じゃあ、おまえもそうなるよう祈るよ、アルマディス――我が友人。

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メタルアッシュ短編集 十月吉 @10dkt

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