ファイブコートの小休憩
第五層の雑然とした町並みに立つ、薄灰の機体。若い風貌ではあるが、汚れたビルの前に立つその機人の背筋はピンと伸びて、落ち着いた雰囲気で、しかしながら身に纏わせた小洒落た布地からは新しい
五層民の半数はそれが誰であるか分かるかもしれない。残りの愚鈍な半数は気付くこともないだろうその機人はサハースポット。
かつては前第五層主《皇帝》アルマディス直属の部下であり、今は反現層主を掲げた組織、
道にゴミが散らばり、壁にはつまらない落書きが施されつつも賑わいのあるこの区域は、五層の中では平均的と言えよう。
カジュアルな嗜好食の店や日用品、機体のパーツを販売する店(五層において多くの場合は安全性に欠く改造品だ)が立ち並んでいる。こんな場所にサハースポットが何の用か、と言えば、実際サハースポット自身に目的があるわけではなかった。今日はアルマディス――今は皇帝の身分を追われながらも、サハースポットが唯一として仰ぐ主の付添であった。サハースポットが背にする映像や音楽を扱う店に、アルマディスは用があるのだった。こういった新しい映像や音は、破壊以外でアルマディスが意欲的になる数少ないものだ。時には理解できないようなもの……例えば前第六層主のアイドルソングだとか……などを手にすることもあるが、サハースポットはアルマディスの趣味の邪魔をしないようにはしていた。そもそも、人の好みに口を挟むのは品が良くない。
そして、今日もアルマディスの「仕入れ」に付き合っているのだった。先程店に入ったばかりだから、あと30分ほどは待つことになるだろう。みっともなく騒ぎながら通り過ぎる五層民たちを眺めながら、サハースポットは静かに店の前で待つ。と、そこに人を寄せ付けぬ雰囲気を放つサハースポットに、近寄る足音があった。
「おや、サハースポットか」
その声に、サハースポットは思わず振り返る。暗闇の底を撫でるような声。懐かしくも憎いその相手を間違えることはない。
「ブラックヴェイル……!」
そこに立つ闇より暗い機体。あらゆる悪を抱えた第五層の頂点に立つ層主の姿を、サハースポットは睨みつけた。
「よくボクの前に顔を出したな」
「はて、貴様に顔向け出来んような事をした覚えはないな」
事実だった。ブラックヴェイルは――少なくともサハースポットに対しては――恥ずべき行いなど、憎まれるべき行為などしていない。
ブラックヴェイルが《皇帝》アルマディスの部下だった頃は、様々な
かつてブラックヴェイルが前層主《皇帝》の首を刎ねようとしたとしても――第五層に規定された数少ない『ルール』の上で行われたことであるのだから、責められる道理も、
だが、それが厳粛に行われた『決闘』であろうと、サハースポットは許容しなかった。
サハースポット自身も驚くほどに、《皇帝》アルマディスが失われることを認められなかった。
「覚えはない? そうだろうとも。だがそれがどうした。ボクはボクの理由でお前を非難している。例えアルマディス本人にすら理解されなかろうと、関係ない。それが第五層だろう」
「ハ、いい面構えだ、サハースポット。流石、
ボクが率いているんじゃない、というお決まりの返事に、ブラックヴェイルはひとしきり楽しげに笑い、それから冷めた排気をした。
「まあしかし――俺にはどうでもいいことだ」
そうだろうな、とサハースポットは言おうとした。だがそれより早くブラックヴェイルが動いた。サハースポットが反応するより早く、その胸元にムギュ、と軽い何かが押し当てられた。
「……何?」
結局、喉から漏れたのはそんな間の抜けた声だった。サハースポットは視線を下ろす。そこには白く軽い紙箱が押し付けられていた。
「……なん、だ?」
似たような言葉を繰り返すサハースポットに、ブラックヴェイルが笑みを浮かべる。
「何だ、とは間の抜けたことだ。よく見ろ、ケーキだろうが」
ケーキ、ケーキだって? 突拍子もない単語に目を白黒させる。そういえば先程からずっとブラックヴェイルは何か小さな箱を携えていた。《暴君》ブラックヴェイルは常から放蕩の限りを尽くし、遊びというものなら大抵一度は試してみる。エネルギー摂取以外の食事――嗜好食もその愉しみの一つで、ことさら菓子のたぐいを好む。それが今、ボクに向けられているのか? 何故?
困惑するサハースポットがなにか言うより先に、ブラックヴェイルは答えた。
「うむ、俺が買ってきたのだがな。ここで会ったのも縁だ、貴様にくれてやろう。何、安心しろ。いい店のものだぞ、味は保証しよう」
「どういう理由だ、こんなものを渡されるような話の流れじゃなかっただろう」
「気にするな、あとで貸しだのなんだと言ったりはせん……多分な。久々に会った貴様が立派にやっているようで俺も嬉しくなったからな」
ブラックヴェイルは機嫌よく言った。袂を分かったとはいえサハースポットにとっては昔からよく知った相手だ。その顔を見て嘘偽りなく、機嫌がいいのだとすぐに分かってしまった。一人で機嫌がよくなって一人で押し付けてきて、勝手なことを。何か言ってやろうとしたが、先んじてそれを察したブラックヴェイルはひらりとサハースポットから距離をとった。気づいた時には文句を言うには距離が離れた位置に逃げられていた。
「おまえ……!」
「ではな、そう渋い顔をするな。殺し合う仲とはいえ、ケーキを渡して悪いということはなかろう」
悪いに決まっている、と言おうとした時には「また会おう」と言葉を残して、ブラックヴェイルは道の向こうへと立ち去っていた。一瞬追いかけて突っ返してやろうとして、そうはいかないことを思い出して足を止める。アルマディスを待っているのだ。場所を動くわけにはいかなかった。とは言え身勝手に渡されたものを受け取る気にもなれない。こうなったら捨ててやるしかない、とゴミ箱を探す。荒れ果てた五層ではあるが、よくよく探せば公共のゴミ箱くらいは一応あるものだ。区域からいって、ブラックヴェイルの管轄――すなわち、ブラックヴェイルの指示で回収・整備されているゴミ箱であるのは気に入らなかったが、周辺に一つ見つけたそれに近づこうとする。
「どこへ行く、サハースポット」
間が悪かった。ないしは、タイミングを逸した。一歩踏み出そうとした時、サハースポットにとってけして蔑ろに出来ない存在が戻った。サハースポットを見下ろす巨軀の手には、安っぽいビニール袋。購入したコンテンツデータの早期特典だろう、と察する。
「アルマディス、すまない、少し……」
「嗜好食……ショートケーキとオレンジピールが一点ずつ、か」
これを捨ててくるから、と言う前に、アルマディスは固有の探能力から箱の中身を分析し終えていた。そしてサハースポットの返事を待たずに、のそりと機体を揺らし歩き出す。
「アルマディス、どこへ?」
「それを食すのだろう」
アルマディスの視点はサハースポットの持つ紙箱に向けられる。サハースポットは観念し、ケーキの入った箱を丁寧に抱えなおした。
「……わかった。そうしよう、アルマディス。ボクが場所を探してくる」
◆ ◆ ◆
そして、二人は今、少し離れたベンチに座っていた。
離れたファイブコートのアジトまでケーキを無事に運べるかわからなかったし、構成員にこの品のいい紙箱を見られるのも面倒だったし、ついでにブラックヴェイルの寄越したものをファイブコートに持ち込むのも癪だった。
道すがらスーパーで手に入れた使い捨てのフォークと皿をアルマディスに渡す。箱を開ければ、本当にショートケーキとオレンジピールのチョコレートケーキが一つずつ並んでいた。五層にありがちなけばけばしい色のケーキではない。柔らかな白いケーキと、アクセサリーのように品のいい光沢のあるケーキだ。
「二つあるけど、どちらにする?」
「では、ショートケーキを」
選んだ方をアルマディスの皿に乗せ、もう一つを自分の方へ寄せる。
「どんなものかはボクも知らないが。味は悪くないと思うよ」
「そうだろうな。ブラックヴェイルの気に入りの店だ」
アルマディスの言葉から飛び出したその名前に、サハースポットは伸ばしたフォークを思わずケーキに突き刺しそうになった。
「あ、アルマディス、気づいていたのか、そのこと…!」
「その箱のロゴは、六層の店のものだろう。あの短時間で御前が六層まで行くはずもなし。そして六層まで菓子を買いに行く物好きも多くない。であれば、通りがかったブラックヴェイルに押しつけられた、と見るべきだ」
まったくもって、アルマディスの言う通りだった。ブラックヴェイルに多くの教育を授けただけあって、あれの行動パターンは手にとるようにわかるらしい。このケーキが六層のものだということに、サハースポットは気づいていなかった。いや、ブラックヴェイル自身に気を取られていて観察を怠った、というべきか。元々受け取るつもりなどなかったのだから、仕方ない。
「あいつ……六層の嗜好食なんて人に押しつけて」
「そう嫌うな、品質は良い。御前も時折、六層に出向くだろう」
「そうだけど。ボクもあの層の商品自体は嫌いじゃないさ。だが、大抵の五層民は六層を嫌っているか、馬鹿にしている。だというのに、説明なしに六層のものを押し付けてくるあいつが気に食わない」
「そうだろうな。あれは昔から変わらぬ」
「昔も注意した」
「では、次に会ったときにその旨、伝えるがいい」
「しないよ。もうボクの部下じゃない。あいつの振る舞いなんて知ったことか」
大きな手でショートケーキをすくい上げるアルマディスが少し笑ったような気がして、サハースポットは誤魔化すように、ケーキを咀嚼口に運ぶ。
「どうだ」
「まあ……味はいいよ、たしかに」
「そうか。そちらは新商品とのことだ」
「アルマディス、何故それを?」
「今、ブラックヴェイルが短波通文を」
「あいつ!」
ブラックヴェイルはアルマディスの通信にショートメッセージを送り、ケーキについての蘊蓄を披露したらしかった。あまりのふてぶてしさにサハースポットは額を抑えた。
「そのメール、ケーキ以外の部分はろくな事が書いていないでしょう」
「うむ。吾であれど、とても御前には見せられぬ、と理解出来る」
余程とんでもない文が添えられているようだった。おそらく、今日訪れた六層やサハースポットについての、本人は褒めているつもりの愉快がったあれこれが書かれているのだ。
「あいつ、いつか二度とあの減らず口を叩けないようにしてやる」
「うむ。楽しみにしている」
サハースポットは打倒
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