私がアマデウスを殺した【1】

 かの有名な音楽の天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの死因は、140以上の説がある。その中でもよく知られているひとつの『毒殺説』。神に与えられた才能を持つモーツァルトに嫉妬したアントニオ・サリエリがモーツァルトに毒を盛るのだ。今ではもう、その説は否定されてしまったが、私がもしもサリエリならば、モーツァルトを殺していただろう。いや、私も殺していたしまったのだ。

――私のアマデウス、黒川 百合を。




 私と黒川 百合は、3歳からの付き合いだった。お母さんはピアニスト、お父さんは指揮者の家に生まれた私は、2歳から母にピアノを習い始めた。上達するのが早かった私にお母さんは「あなたは天才よ」と、毎日褒めてくれた。     


 習い始めて1年経った日、知らない女性が小さな女の子を連れて、家を尋ねてきた。それが百合だった。

百合は覚えるのが早く、5歳になる頃には既に私よりもはるかにレベルの高い曲を弾いていた。小さなからだで楽しそうに弾く、百合の演奏が私はとても好きだったのを覚えている。お母さんは私と百合が一緒に弾くのを見て「天使が2人いるわ」と、微笑んでいた。そんなお母さんのこともとても好きだった。



 けれど、そんな日々は長く続かなかったのだ。小学生になってすぐ、私と百合は初めてコンクールに出ることになった。まあ、少しでも賞にかすればいいほうだろうと思っていた。しかし、そんな考えは甘かった。

コンクールの結果は、これからの私の人生を最悪な方向に向けていった。私は、何も賞に入ることが出来なかったが、百合は1位を取ったのだ。その瞬間、幼かった私でも、お母さんの目の色が明らかに変わったのがわかった。

 その日から百合は、毎日お母さんとレッスンするようになった。3時間、下手すれば6時間以上部屋から出てこないこともある。百合がいなくなった食卓では、決まってお母さんが百合の話をしていた。「あの子は天才だわ」「いずれ世界に行くことになる」私にはレッスンをしなくなり始め、百合にばかり夢中になるお母さんを見て、お母さんを奪われた気がした。それが嫌で、お母さんがまた私を見てくれるように必死に練習をした。



 12歳のコンクールで、大きなコンクールに出た。これで良い結果を出せなければ、もう諦めようと思っていた。白いドレスを身にまとった百合は会場で私を見かけると、すぐに駆け寄ってきた。

「真理、いよいよだね。私、真理が頑張って練習していたの知ってるよ。きっと大丈夫、真理の演奏大好きだから!」

濡羽色の髪を揺らしながら一生懸命に応援してくる百合に、その時はだいぶ励まされた。

 



 百合に声をかけられて、緊張がほぐれたのだろうか、今までの中で1番いい演奏をした私は、百合と一緒に予選、本選を通過し、残すは東京本選のみになった。お母さんは「私の子供はなんてすごいの」と、頭を何回も撫で、褒めてくれた。




 東京本選に向けて練習をしている最中、百合がレッスン室から手を抑えて出てきた。鍵盤を押す度に手首が痛むというのだ。お母さんが慌てて医者に行くと、『腱鞘炎』だと言われた。練習をしすぎて、手首に負担がかかったようだ。あと1週間だと言うのに全治するのに2週間だと診断され、百合は本選を棄権せざるおえなくなった。

 コンクールに出れなくなった百合が落ち込んでないか心配になったが、思っていたよりもケロッとしていて呆気にとられた。

「百合、あんなに練習したのに本選出れなくなって悲しくないの?」

思わず気になって尋ねると、百合は笑いながら話した。

「練習した分だけ自分が上手になるのが嬉しくて、必要以上にしてしまったからバチが当たったみたい。コンクールはいつでも出れるけど、私はゆっくり真理の演奏を聴く機会ができたみたいで嬉しいな。」

言葉が出なかった。私の演奏が聞けると喜んでいる姿を見たからじゃない。今、百合はコンクールは"いつでも出れる"といった。私があんなに必死に掴んだコンクールの出場権も"いつでも"と。百合に対して表現出来ないようなモヤモヤとした気持ちが私の心に渦を巻いた。

これが私が『サリエリ』になる始まりだったかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒川 百合が死んだ。 ただの佐藤。 @sato_tada

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ