暗夜異聞 微笑む者

ピート

 

 目の前に広がる光景……これは現実なのか?

 ほんの少し前まで、そこにあったのは平凡な日常だった。

 一体何が始まったんだろう?

 一体何が起こっているんだろう?

 さっきまで俺に微笑んでいた彼女は、今……血にまみれ、血煙の中で微笑んでいる。

 彼女はなんだ?アレは……人間なんだろうか?




 学校帰りの、いつもの見慣れた風景……ただ少し違ったのは、いつもは一人で帰るこの風景の中に、彼女がいるって事だった。

「さっき教えてもらったから、大丈夫。ここからは一人で行けるよ」

 彼女はそう言うと、俺に微笑みかけた。



 ほんの少し前、駅前でキョロキョロと、辺りと地図を交互に見比べている彼女に声をかけたのがきっかけだった。

 多分、観光か何かで来たんだろうと思って、声をかけてみた。

「何処に行くんですか?」

 この町はわりと観光客が多い。道を訊ねられる事は結構あったし、迷ってる様子の人に声をかけるのもこれが初めてではなかった。

 自分の住む町で、良い思い出を作って帰って欲しい。

 それが正直な気持ちだった。

 人の笑顔が好きなのだ。そして色んな人と話すのが彼は好きだった。

「!?」

 随分と驚いた様子で彼女は振り向いた。

 驚かせてしまったかな?……って、もしかして海外の人かな?

 迷ってるみたいだ。道を教えてあげなくては。

 その思いが強くて、よく見てなかった。日本語通じるかな?

「もしかして、道に迷ってるのかと思って声をかけたんですけど……」正面から見た女性……というより少女は、どう見ても日本人には見えない。

 西洋人形のようだ。そんな表現が、これほどしっくりくる外見もないと思う。

「そうなの。ここに行きたいんだけど、この駅であってるのかな?」

 彼女の口から出てきたのは、日本語だった、それもカタコトのではない、流暢な日本語だ。

「このメモが目的地なの?」

 良かった、話しかけてしまったものの日本語しか話せなかったから、もし会話出来なかったらどうしようかと思っていた。ホッと胸を撫で下ろすと、メモを見せてもらう。

『骨董の全般 ぼびーのみせ』メモに書かれた店名、その店の看板には見覚えがあった。

 どこが入口なのか?その上本当に営業してるのかよくわからない、あの変な店だ。

「この店なら知ってる。案内してあげるよ」

「道だけ教えてくれれば大丈夫」

 警戒されてるのかな?まぁいいや。

「ここ、結構入り組んだ場所になるけど大丈夫?」

「どう行けばいいの?」

「まずこの道を真っ直ぐいくと、この先で三叉路になってるんだよ。そこを右に進む。で、しばらく行くと、大きな交差点があるから、そこを左……ちょっと待って」

 あれ、二本目だったっけ?三本目だったっけ?

「ごめん、俺も記憶がうろ覚えだから近くまで送ってくよ。」

 普段気にもしない店だから、どの路地を入った所だったか、思い出せないでいた。

「近くまで行って、わからなかったら、誰かに教えてもらうから大丈夫よ」

 彼女はそういうと微笑む。

 天使の微笑みってのは、こういうのをいうんだろうな。

 クラスの……いや学校に、こんな風に微笑む娘はいないな。

 そんな事を思いながら、もう一度、案内を買ってでた。

「案内までしてもらうのは気が引けるから大丈夫。貴方を信用してないワケじゃないのよ」

 とても優しい笑顔だ、感謝してくれているのが表情からわかる。

 でも、こんな表情をされたら、尚更送らない訳にはいかない。

「何かの縁だと思うんだ、良かったら……あ!?ナンパとかじゃないからね?って言ってもそんな感じにしか聞こえないか……」

 彼女の立場になって考えてみれば、知らない土地でいきなり声かけてくるようなのは、やっぱり怪しんで当然だと思った。

「さっきも言ったけど、貴方を信用していないワケじゃないの。この『縁』はこの位で十分だと思うだけ……それに、その方が貴方の為にもなる」

 どういう意味なんだろう?付いて来て欲しくないという事なんだろうか?

 でも、無理強いは良くないか。

「わかったよ。でも、わかりにくい場所だから、迷ったらさっきの交差点まで戻って、コンビニか何かで行き方を聞いた方がいいよ。お店の人の方が対応は良いと思うから」

「ありがとう、貴方に声をかけてもらって本当に助かったわ」

 そういうと、彼女は先ほど伝えた方向へと歩いていった。

 この位で十分……か。なんか変な言い回しだな。

 彼女の後ろ姿を見送ると、彼はそんな事を考えながら家路に着いた。




 「相変わらず、商売をやる気はないみたいね」

 目的地に到着した彼女はそう呟いた。

 思わず口から出た言葉は、建物と看板を見てのものだった。

 民家にしか見えない建物に、どこが店の入口かわからない佇まい。

 そして『骨董全般 ぼびーのみせ』と書かれた、ふざけた看板。

 彼女は入口を探すでもなく、店内へと入っていった。

 「いらっしゃいませ……って、ルルドじゃないか」

「久しぶりね、まだボビーで良かったかしら?」

「あぁ、あの名前は捨てたままだ。連絡も無しに来店とは、今日はどうしたんだ?」

「シュウに呼ばれてね」

「珍しい事もあるもんだな」

「こっちに、自分から歩み寄ろうなんてしなかったのにねぇ」

 先ほど、少年と話していた時とは違い、少女の話し方は高齢の女性を思わせる話し方だ。

「外見にあった話し方をしたらどうだ?」

 ボビーは呆れたように肩をすくめる。

「中身に合わせた話し方をしてるのよ」

「これだから年寄りは困る」

「目上の人間は労わるものよ、ボビー」

「目上?ルルドの立ち位置を考えたら、恐れ多くて話も出来ないじゃないか」

「そんな軽口が叩けるようになるなんて……坊やだったのに随分と成長したんだねえ」

「そりゃあ成長するさ、ルルド。そうしないと、命がいくつあったって足りないからな」

「ふん。あんたの場合は私と出会ってなければ……とはいかないのが悲しいところだねぇ」

「ルルドと出会ったから、今の俺がいるのさ。そもそも、ルルドと会えるかどうかは資質の問題だろ?会おうと思ったって会えるワケじゃぁない」

「資質……あの子にもあったのかねぇ」

「誰かに会ったのか?」

「道案内を買って出てくれてねぇ、久しくあんな若い子とは話していなかったから、対応に困ってしまったわ」

「絡み取られちまうのか?」

「そこまでの『縁』ではない。と、思いたいもんだねぇ」

 遠くを見つめ少女は呟く。そこには願いも込められているようにも感じられた。

「シュウを呼ぼうか?」

「なに、今日出会う運命なら、シュウは呼ばなくてもくるさ。そういえば、ボビー、あの水晶はどうした?」

「あぁ、あの水晶か?好きにしていいって話だったから、シュウの彼女にあげたよ」

「あげただって?それも、シュウの彼女に?あんたはそれなりの目利きが出来ると思ったから渡しておいたのに」

「せいぜい先見が出来るくらいのもんじゃなかったのか?」

「やれやれ、過大評価してたみたいだね」

「まてまて!先見が出来る程度って言ったのはルルドだぞ!」

「素人でも先見程度なら出来るって意味で言ったのさ」

「!?素人でも?まさか、それじゃアレは……」

「想像してる通りのものだよ」

「まいったな」

「なぁに、シュウがついてるなら大丈夫さ。悪用なんかはしないだろうし……狙われたとしても、何とかするさね」

「何とかなるかもしれないが、それじゃ美亜ちゃんまでこっちに」

「シュウの立ち位置を考えれば、多分大丈夫さ」

「本当か?」

 心配そうにボビーが訊ねる。

「多分、と言ってるだろう?私は先見はしない事にしたんだ、ボビーだって知ってるだろう?」

「何か起こる気配は無いんだな?」

「今のところはね……ただ」

「ただ?」

「京の守人が、あんた達の後輩と何やら動いてるようだよ」

「後輩?」

「おや、知らなかったかい?会の総代だよ」

「ルルド、俺も色々と顔は利く方だけど、京の守人も、会もそうそう知り合う機会は無いと思うぜ?」

「長く生きてるだけで色んな知り合いは増えるもの」

「俺が関わる必要性は?」

「必要性?必然性があれば、否が応でも、関わる事になるだろうさ」

「確かに、愚問だったな」

「まったくさね」

「まったく、ルルドが来ると退屈しないで済むよ」

「ところでボビー、お茶はいつになったら出てくるんだい?」

「それじゃ、とっときの茶葉でも出すとするよ」

「じゃぁ、私も知りたい情報を分けてやるよ」

「そいつは有り難い」

「と、その前にここに来た用事を済ませておかないとね」

 ルルドは微笑むと何処からともなく取り出した古ぼけた銃をボビーに渡す。

「それは……霊銃ウィンザルフか!?」

「さすがに有名になり過ぎたんでね、アンタのトコにしばらく預けておくよ」

「いやいや、今みたいに狭間に置けばいいじゃないか」

「置いていくついでに、手入れを頼みたいのさ」

 霊銃ウィンザルフ、使用者の霊力を弾丸にすると云われているルルドの愛銃だ。

 「普段から手入れはしてるんだろ?そもそも俺はマジックアイテムの手入れなんかした事ないぞ?そういったのは専門外だ。俺に出来るのは真贋鑑定と極々簡単な修復だけだ。見たところ特に手入れも修復も必要無いだろ?」

 そう言いながら、ボビーは手渡された銃を慣れた手つきで確認していく。

「さっき話したように、アンタの後輩が何やら動いてる。私はその動きを確認したい。そこに武器を持っていったんじゃ歓迎してもらえそうもないからねぇ」

「武器?なるほど、確かにウィンザルフの名はちょいと有名になり過ぎてるかもな。だがなルルド、この銃は脅威かもしれないが、無手の方が俺は怖いと思うんだが?」

「それは相手の評価にも寄るだろうさ。ウィンザルフの名前が売れたおかげで、それを持っていないとなれば見くびってくれるんじゃないかしらねぇ」

「油断させたいと?」

「余計な揉め事はしたくないだけさね」

 そう言う彼女の笑みは、少年に見せた天使の微笑みとは違う。妖艶な、そして不敵な微笑みだ。

「それに、もし取り込まれてもボビーなら使い勝手が良さそうさね」

「なるほど……取り込まれるのか。通りで今までの所有者の行方がわからないわけだ」

「力を使い過ぎた代償さね。身の丈に合わない力は使うものじゃないのさ」

「なら俺は大丈夫だ。力なんぞいらないから名も捨てた。おかげでルルドとこうして茶が飲めるってもんだ。今準備するからのんびりしててくれ。そこのツボは依頼品だからイタズラしないでくれよ」ボビーはそう言うと厨房へと準備をしに行った。

「……イタズラねぇ」そう呟くルルドは幼い子供のような笑顔を浮かべている。





 ボビーに情報提供をし、店を出たルルドは久しぶりに来たこの街を散策する事にした。

 数か月だったが、ルルドはこの街で生活をし、ボビー達と出会った。

「懐かしの母校にでも行ってみようかしらねぇ」そう呟くと迷う事なく道を進む。

 駅前はすっかり様変わりしていたが、学校へと向かう道のりはそうでもないようだ。

 公園の横を抜けながら、思いをはせる。

 この街での数か月はルルドにとっては穏やかなものだった。

 シュウやボビーと何もなかったわけではないが、今は友好的な関係だ。

 数年先、この関係がどうなっているかはわからない。

 知る術はあるが、手に入れたその力をルルドは嫌った。

 この街を、ボビー達との今の関係をルルドは気に入っていた。

 気まぐれで過ごした数か月、それは心地の良いものだった。

 だからルルドは、この街で何かをするつもりはなかった。



「何か用があるのかい?って、さっきの少年じゃないか」

 視線を感じ振り向いた先にいたのは、先ほど道案内をしてくれた少年だった。

 この少年とは『縁』があるのかねぇ。

「公園で友達と遊んでたら姿が見えたから……ちゃんと辿り着けた?」

「おかげ様で友人と会う事が出来たわ。本当にありがとう」ルルドは天使の微笑みを浮かべる。

「それなら良かった。じゃ、旅行ってわけでもなかったのかな?」

「この街には住んでたことがあってね。その頃の友人に会いにきたのよ。用事も済ませたから、久しぶりに母校に行ってみようと思ってね」

「母校?」

「えぇ、緑陰って知ってる?」

「えぇ!!先輩なの?」

「じゃあ、少年は後輩になるのかい?」

「少年て・・・…」

「卒業生には見えないし、中等部でも出来たかい?」

「高校一年です。少年はやめてください。俺、いや僕は山川です。先輩は?」

「後輩だったとはねぇ。私の名前はルルド。先輩らしい事をしたわけじゃないから、先輩呼びはやめてもらいたいね」

「じゃぁ、なんて呼べばいいんですか?」

「ルルドでいいさ。それに母校を見たらまた他の約束もあるし、少年……いや、山川君とはここまでさ」そう言うとルルドは背を向けて歩き出す。

「ルルドって、あのルルド?」学校まで一緒に行きたいのか、山川は隣に並んで歩き出した。

「どのルルドの事を言ってるのかは知らないが、緑陰でルルドなんて生徒が他にいたって話は聞いたことがないね。で、どんな風に私の話は伝わってるんだい?」

「短い学園生活だったけど、他校から見に来るくらい可愛い転校生だったって。写真が残ってないから、どんどん話が大きくなっただけじゃないかって……」

「話が大きくねぇ?で、実物に会った感想はどうだい?」

「その……」

「なんだい?」可愛い坊やだ、耳まで真っ赤じゃないか。

「……」

「ガッカリさせてしまったかい?」

「そんな事ないです!伝説の美少女転校生は本当に綺麗だって」

「美少女転校生?伝説?」そんな風に伝わってるとはねぇ、シュウもボビーも色々と話ようがあったろうに。

「ルルド先輩本人なんですか?」

「さて、どうだろうねぇ」はぐらかすようにルルドは微笑む。

 10年は過ぎてる、そうでなくても幼い外見は当時と変わらないままだ。

「会えてよかったです。休み明け学校で自慢してもいいですか?」

「自慢?」

「えぇ、ルルド先輩に会えたって、伝説通りだったって」

「伝説ねぇ。まぁ、好きにするといいさ。じゃ、私は色々と見たい所もあるから、この辺でいいかな?」

「はい。お邪魔してすいませんでした。またこの街に来た時、見かけたら声かけてくださいね」照れくさそうだが、満面の笑顔だ。こんな笑顔を向けられたのは、何時以来だろうねぇ。

「えぇ、見かけたらね。じゃあね」

 手を振ると、今度こそ背を向けて歩き出す。

 さて、彼とは後輩ってだけの『縁』だといいんだけどねぇ。




 敵意は一切感じなかった。

 気付いた時には刺されていた。

 振り向くと、山川の手に握られたナイフがルルドに刺さっていた。

 山川自身驚いているのがわかる。

 なるほど、『縁』ではなく策謀だったわけね。

 この街に来てから緩んでいたのは確かだ。

「山川君、気にしなくていいわ。これは私が招いた事、貴方には一切の責任はないのよ」

「なんで?なんで?先輩?大丈夫?救急車、救急車呼ばないと」

「大丈夫よ。さて、可愛い後輩を操ってるのはそこにいる小僧かい?」

 山川に何事もないと安心させるように微笑むと、ルルドは木陰に隠れていた男に視線を送る。

「気付かれちまったか。まぁ、毒が回り始めてるはずだ。魔女だかなんだか知らないが、そのままおとなしく死んでくれ。そっちの小僧は無事帰したいんだろう?」悪意ある微笑みだ。恐れなど何一つ感じていない。優位に立っていると確信している者の瞳だ。

「そうだね、後輩は無事に帰してくれるかい?」

「なら、もう少しこいつを味わってもらわないとな」

 男はそう言うとナイフを投げ放つ。

「よけるなって事ね?」

「その通りだ!全て受け止めたら小僧は解放してやるよ」

「先輩!!」

 男が投げ放ったナイフはルルドに突き刺さる。何本も何本も、何十本も。



「小僧、魔女との約束だ。何もかも忘れて帰りな」

 さっきまで動かす事が出来なかった身体が動く。

「先輩!」

 何十本ものナイフを全身に浴びたルルドに駆け寄る。

「山川君、早く帰るがいい。あの男が約束を守っているうちにね」

「でも、先輩こんなに血が・・・…」

「あの男が言うように私は魔女さね。お前さんがいると邪魔なんだ。それともあいつの巻き添えになりたいのかい?」囁くように山川にそう伝える。

「…ルルド先輩」

「小僧、帰らないなら魔女と一緒にここで死にたいって事でいいのか?」嘲笑うように山川を見つめる。

「……帰りなさい」血を吐きながらルルドは呟く。

「…………ごめんさい!!」そう言うと山川は全力と駆け出した。

 この場から逃げるために、自分の身を守るために。

「……それでいい」山川が聞きとれたかはわからない。走り出す姿を確認したルルドは寂しそうに、そして安心したように呟いた。



「先輩を見捨てるとはヒドイ後輩だな?ロゼリア」逃げ出した山川を嘲笑い、ルルドを見下す。

「先輩の言う事をよく聞く出来た後輩さね。怖い思いをさせた事を謝らなくちゃいけないねぇ」

「あの世でか?」

「生かしておくつもりはないって事かい?」

「あぁ。顔もしっかり見られちまったからな。ルルドだけで良かったんだが、まぁ、後輩と仲良く心中した事にしてやるさ」

「心中だって?面白い事を言う小僧だねぇ。まさか私はこんな傷で死ぬとでも思ってるのかい?」ルルドは不敵に微笑む。

「それだけの出血にナイフの毒。どんな勝算があるっていうんだ?」

「傷?」そう微笑むルルドの身体に傷はない。

 突き刺さっていたナイフは押し出されるように、身体から外れていく。

「!?」

「このワンピースは気に入っていたんだけどねぇ」

 穴だらけのワンピースを見つめながらルルドが呟く。

 ルルドの身体に傷はない。血も流れていない。

「そ、そんな?さっきまでの出血は……」

「出血?まだそんな事を言ってるのかい?」微笑むルルドを血煙が包む。

「動くな!」

「さっきから言う事は聞いてやってるじゃないか。私は動いちゃいないさ」

 血煙が広がる。ルルドから流れ出た血が周囲を包む。

 赤い、紅い霧が男を包む。

「な!?」一瞬の出来事だった。

 男を包んだ霧が男を切り裂く。

 一片の肉片も残さぬように細かく、細かく。

 紅い霧が晴れた時、男がいた痕跡も、ルルドが流したはずの血溜まりも残っていなかった。



「さて、山川君。私は君に帰るように伝えたと思うんだけど?」

「……ルルド先輩?」怯え、恐怖、畏怖、ほんの少し前の親しみのある声ではない。

「どうして戻ってきたんだい?」

「だって、あのままじゃ先輩死んじゃうじゃないですか」

「言ったはずさね。魔女だってね」

「……魔女」

「そうさ。こんな風に命を狙われるのにも随分と慣れてしまった。哀れな魔女さね」

「……さっきの人は?」

「人?見ての通り、ここには私たち二人だけさ」何もなかったようにルルドは微笑む。

「だって、あんなにナイフが……」

「ナイフが?」全身を確認するようにくるりと回る。

 白いワンピースが揺らぐ。

 綻び一つ、血の痕跡など何一つない真っ白なワンピースが……。

「どうしたんだい?山川君?」ルルドが微笑む。そこには翳りなど何一つない。

「だって……さっきあんなに血まみれに……」

「血まみれ?汚さないように気を付けてるから真っ白なハズだけど?」何もなかったように、ルルドは微笑む。

 何も起きていないのだと、夢でも見ていたんじゃないかと……。

 彼女は優しく微笑んでいた。




 Fin

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