第1章:オートスコピーの声 - 1

 ドッペルゲンガーを見ると死ぬ、と言う都市伝説は非常に有名な都市伝説だろう。

 しかし、その都市伝説の話を聞くたび、疑問に思うことはないだろうか?

 

「ドッペルゲンガーを見たときに、死ぬと言うのは、誰のことを指すのだろうか。」


 一般的に広く”通じている”のは、ドッペルゲンガーと同じ姿をした、今を生きている当人のことを指すのだろう。しかし、この噂には主語がない。つまりは、もしかしたらドッペルゲンガー自身が死ぬのかもしれないし、その場に居合わせた人間、全然知らない人間が死ぬ可能性もあり得るのではないだろうか。さらには、死ぬ対象は人間に限らない可能性がある。

 まぁ、ドッペルゲンガーなんて、ただのファンタジー。ただのオカルト。非科学。

 医学的には「自己像幻視」と言われ、脳の障害で自身の姿を見てしまうという説もある。

 歴史を辿ると、芥川龍之介はドッペルゲンガーに殺されただとか、エミリー・サジェは何十人もの人間がサジェのドッペルゲンガーを見ただとか言う話もある。でも、そんなものは集団幻覚か何かだろう。

 ドッペルゲンガーはこの世にはいない。

 こんなものを信じるのは一部のオカルトに傾倒してしまった人間か、純粋な子供達くらいだろう。

 ドッペルゲンガーはただのオカルト、都市伝説、噂話だ。


 だったらどれほど良かったことか、と鏡像 空生かねかた あおは、”ドッペルゲンガー”という存在を調べながら考えていた。ドッペルゲンガーはいる。彼は確信を持って、それを信じられた。自己像幻視でも集団幻覚でもなんでもなく、ドッペルゲンガーという空想上の個体として存在していることを。

 鏡像 空生は、そんな自分自身のドッペルゲンガーを探していた。

 ドッペルゲンガーを見ると死ぬ、という都市伝説。

 彼はそんなドッペルゲンガーに、殺されることを望んでいた。



 鏡像は自身のドッペルゲンガーが存在することを、とある理由から確信を持って信じていた。

 そのドッペルゲンガー会うために、その存在を数年前から探してはいるものの、この世界に何億といる人間形態達の中から自身のドッペルゲンガーを見つけ出すという術すら見つけられていない。そもそも、数年前から探していると言っても、なんとなく街中を通学中に探したり、オカルト掲示板でそう言った噂が上がっていないかを調べている程度だった。会おうという決心がようやくつき、本格的に探そうと決めたのはここ最近の話だ。

 ドッペルゲンガーという都市伝説の存在を探すためから、大学は人の寄らないオカルト同好会に所属していた。今日は、なんらかの資料がないかと同好会室の本棚を漁るために、休みであるのに大学まで足を運んでいた。


 休みの大学は講義も少なく、人は少ない。そんな人気のない大学の廊下を、鏡像は一人歩いていた。センターわけの黒髪に、酷く整った顔立ち。白と青のオッドアイの瞳をキョロキョロさせて、鏡像は目的の場所へと進んで行く。大学の隅の方にある同好会室は、ここがオカルトスポットにでもなるかのように人気がなかった。何処と無く、廊下の明かりも暗く湿ったように感じる。正直非科学的なものはそんなに好きではない。いつもなら人々が賑わう学校どいう場所で、人気をなく感じれる場所があるというのは、少しばかりの怖さを感じなくもない。そんなことを考えながら同好会室の扉を開くと、想像通り誰もおらず、非常に静かだった。漫画でいう「シン…」という効果音が非常によく合う。そのまま室内に入ろうとしたちょうどその時。

「あ、鏡像も今日は顔出してたのか。」

 ぽん、と後ろから肩を叩かれた。

 人気のなさを感じていた上に、急なボディタッチに思わず肩をびくりと震わせてしまった。

「あぁ、ごめん、ごめん。他の奴の癖でつい。」

「本当勘弁してくれ。」

 そこには、同期の赤葉 心あかば こころがいた。癖っ毛のある茶色い髪に、赤いメガネがよく似合う青年。数少ない、オカルト同好会のメンバーだ。


 狭いものの沢山の本棚や資料で埋め尽くされた部屋に、オレともう一人、赤葉 心が集っていた。辛うじて同好会として成り立っているこの部活は、現在5名が在籍している。しかし、一人は悪魔がいないことを証明するために大学をほっぽって世界中を渡り歩き、もう一人は面白い情報があれば掻っ攫う程度の幽霊部員。今日はあともう一人集まればいい方だろう。集まったところで、面白い噂が立っていない限りは何かを調べたりすることもなく、ただ集まって駄弁っているだけだ。

 現在は夏休み目前。テストやレポートに追われる身で赤葉は、恐らく誰かにその勉強やレポート作成の監視を求めて、同好会に顔を出しているのだろう。

「ねーねーーーー鏡像はレポート出した?」

「ヨーロッパ文学特論以外は。」

「えっっら。俺あと3つも残ってんだけど〜〜〜あの授業とか寝てたからなんも覚えてね〜〜。」

「あぁ…あの授業は面倒だよな。講師はおじいちゃんでゆったり口調で眠気誘うし。」

「面倒な上に寝てたからなにかけってのか…二つは今日中に終わらせたいからまじで監視してて。頼むわ。」

生三いくみもこのあと来るだろ。生三に頼めよ。オレ、珍しくオカルト同好会らしい働きするから。」

 そういって、鏡像は赤葉から離れ机の周りにある椅子の上に鞄を置き、目的の同好会室にある資料棚に向かう。

「めっちゃめずらし。鏡像、なんでオカルト同好会入ったってくらい全然仕事してなかったじゃん。」

「ちょっとね、調べごとしたくて。ここ、オカルトにまつわる本やら資料、無駄に沢山あるから。」

「誰が集めたんだかわかんないやつねぇ〜。」

 赤葉も椅子の上に鞄を置くと、棚で資料を探すオレに近づいてくる。

「レポートは?」

「ちょっとのサボりなら誤差。」

「あとで苦しむのは?」

「俺。」

「……」

 にっこり笑顔をオレに向ける。

「鏡像は、なんのオカルト的事象を調べようとしているわけでしょうか。」

「…。……ドッペルゲンガー。」

「ドッペルゲンガー?」

 赤葉は、少しばかりキョトンとした顔をした。

「そう、ドッペルゲンガー。」

 構わず、鏡像は資料を探す。

「へぇ、ドッペルゲンガー。これまたよくある都市伝説にご執心なんだね。…あっ、えっ、会ったの!?」

「なわけ。」

「マジで会ってたらさ〜〜特大級のネタじゃん!ようやくオカルト同好会らしい面白いネタじゃん!って思ったわけだけど。」

「ドッペルゲンガーは非科学だ。」

 いない、とは言わないけれど。

「それ、ここで言ったら終わりだよ。」

加賀かが先輩って言う最強非科学主義者もこの同好会にいるけどな。」

「あの人は格が違うからさ…。」

 そんな雑談をしながら、鏡像はいくつかのドッペルゲンガーに纏わる書籍を見つける。

 やはり有名な都市伝説なだけあり、取り扱いは多いようだ。



ドッペルゲンガー【Doppelgänger】


自分とそっくりの姿をした分身。自己像幻視。

第二の自我を指すこともある。自分とそっくりの姿をした存在が、別の場所で目撃されることを指すこともある。

基本的にはオカルトの類として扱われるもの。

ドイツ語が由来の「ドッペルゲンガー(Doppelgänger)」とは、”二重の歩く者”という意味を持つ。

特徴としては、次のようなものが挙げられる。


・ドッペルゲンガーを見た者は、近いうちに死を迎える。

・自分以外の人間にはドッペルゲンガーが見えない。しかし、違う場所で同時に第三者が自分の姿をみる、というケースもあるらしい。

・ドッペルゲンガーは本人に関係のある場所に出現する。


また歴史的には、やはりエミリー・サジェの話が有名なようであるが、リンカーンやゲーテなど多くの有名な偉人たちも自身のドッペルゲンガーを見たという記録があるらしい。



「………」


“ドッペルゲンガーは本人に関係のある場所に出現する。”


「でもさー、鏡像はなんでよりによってドッペルゲンガーなんか調べてるわけ?」

 ようやくレポートに取り掛かった赤葉が、ドッペルゲンガーに関連する書籍を読む鏡像に問いかける。

「…オカルト同好会らしい活動がしたくなった、ってことにしておくのはどう?」

「それで納得するとでもー?」

ニヤニヤしながら赤葉がぐいっと鏡像の方へと顔を寄せる。

鏡像は非常に嫌そうに本でそれをさえぎ「ん?」

遮る前に、不意に赤葉が鏡像の顔を見て、じっとみつめた。

「な、何。」

「お前、」

赤葉は大きな目を見開いて、鏡像を見つめる。

「お前…………………………いや、なんでもないわ。ごめん、ジロジロ見て。」

「うん。やめて、マジで。」

「ごめんごめん。」

そう言いながら、赤葉は元の位置に戻った。

「いや〜でもうちの同好会でもNo.1やる気ない部員だった鏡像がついに真面目に活動をしてくれるなんて、感慨深いものがありますなぁ。」

「なんでお前がそういう親ヅラみたいなことしてんだよ…。」

「いやーだってさ!こんないかにもオカルト興味なさそうな真面目くんみたいな鏡像が自らオカルト事象について調べてんだよ!卒業までマジでただの幽霊部員かたまに荷物運び部屋掃除手伝ってくれるくらいの存在かと思ってたわ〜。」

「まぁ、ほぼそのつもりだったけど。」

事情が変わった。

「うわ、はっきり言うのかよ。じゃあなんのために入ったんだよ、こんな根暗オタクインキャ集団みたいなのがこぞりそうな同好会に。」

「……保険?」

「保険????」

 わかりやすく頭の上に?マークが出ているかのように、赤葉はキョトンとした。

「ほら、…えっと、就活とかでも同好会とかサークル入っとくと、履歴書に書けること増えるって言うじゃん。」

「あー、確かに。…確かに?オカルト同好会入ってて書けることとかある?絶対変な人って思われるだけじゃね?」

「”だらしがない部員が大半だったなか、几帳面な性格だった私は部室の掃除や整理をして綺麗な状態を保っていました。そのお陰か、資料を探す際はスムーズに探し出すことができ、作業の効率化に繋がりました。”とか?」

「わぁ。すごい。確かに書けそうだ。」

赤葉は感心したように拍手をし始める。パチパチパチと、静かな教室内に乾いた音が響く。

それを見た鏡像は、大きなため息をついた。

「それより、レポート、いいの?」

「よくねー!」

お喋りに夢中になっていた赤葉は、大人しくPCヘと顔を戻し、カタカタとレポートの作成に戻る。

鏡像も、本を読むのに戻った。

静かな時間。

赤葉の文字をカタカタ打ち込むタイピング音。

鏡像のペラりとページをめくる音。

二つの音だけが鳴り響く静かな時間。

鏡像の頭の中に、赤葉の投げかけた問いが流れる。


“でもさー、鏡像はなんでよりによってドッペルゲンガーなんか調べてるわけ?”


ふと。

「……いる気がしたんだよな。オレのドッペルゲンガー。」

ぽつりと漏らした。気がしたではなく、居るのだが。

それを聞いた赤葉は、少し驚いたように、鏡像を見た。

「意外。」

「ドッペルゲンガーは非科学だ。」

「ってさっき言ってたから。」

「そう。…………そうなんだよ…。」

ドッペルゲンガーは非科学だ。まがいもなく。正しく。

しかし、鏡像には、それが正しく存在して居ると言う確信があってしまう。根拠があってしまうのだ。

正直、その根拠すらもあまりに非科学的なようにも思えてしまうのだが、嫌なほどにそれらは筋が立ちすぎていて。

非科学だったものが、科学的なものになってしまって居るのだ。鏡像の中では。

正直な話をすると、この事実を知った時、あまりにショックだったのだ。

この非科学的なものが、正しく科学的にあることが。

それらを取り巻くものが存在することが。

自分が、それに巻き込まれて居ることが。

だから今、ぽつりと漏らしてしまったのだ。

「ねぇ、鏡像。」

「何。」

「死なないでね。」

「…”ドッペルゲンガーを見た者は、近いうちに死を迎える。”」

「俺、大学で友達 鏡像しかいないからぼっちになっちゃう。哀れなウサギのために死なないで。」

「自分のことばっかかよ。」

「ウサギは寂しいと死んじゃうんだからね!!」

 不安、未知への恐怖、わからないことへの怯え。

 しかし、鏡像は少しだけ、ふふっと笑った。

 『死なないでね。』多分それを守れる気はしない。だってドッペルゲンガーに殺してもらうつもりだから。でも、そう思ってくれる人が身近にいると言う嬉しさが、ないわけではない。こんな、ぐちゃぐちゃで歪な自分に、そう思ってくれる人がいる。

「できるだけの善処する。」

「それしないやつじゃん!」

 プリプリと赤葉は口を尖らせた。

「多分、自分が一番ドッペルゲンガーなんて非科学だと思っている。でも、それなのに、なぜか居るっていう、そんな予感が妙に強いんだ。居るわけないのにさ。」

「でも、いないことをいないと証明するのは難しいもんだよ。加賀先輩がやってることだ。」

「”悪魔の証明”ね。それを本当に証明しようって、加賀先輩正気じゃないよな、本当…。」

「それを証明できたらきっとでっかい賞取れちゃうね。」

「まぁ、だから、ではないけど。オレも居るわけないものを探すのは馬鹿馬鹿しいと思いつつ、探してみようとしてるわけだ。」

 …今回の場合は、99%居るだろうけれど。

 馬鹿馬鹿しい。

 そんな自分の思考の矛盾に皮肉じみた言い方をした鏡像に、赤葉投げかけた。

「─幼女ベリリウンヌは言いました。

”人間というものはおかしなものだね。幼女たちが死んでしまってからこのかた、もう何にも見えやしないんだからね。おまけにそれを不思議だとも思っちゃいないんだからね。”

…モーリス・メーテルリンクの『青い鳥』。幸せは良く見えてなくて、実は近くにあった、ってやつだね。」

「お前がそういうの知ってるの意外だったわ。」

「うーわー、失礼な。本くらい俺だって読むわ。

 …つまりは、さ。逆を言うと、追いかけないと見えないものだって存在するってことなんだよ。近くにあることにようやく気がついたのは、チルチルとミチルが”探した”からだ。

 …まぁ、なんか手伝えることがあったら言ってよ。レポート終わったら手伝うから。」

「単位落とさない程度に力貸してもらうかな。」

「お任せを。」

 そういって赤葉はニコッと笑った。

 

「オレ、そろそろ家帰るわ。探し物は見つかったし。もし生三にあったらオレが本何冊か持ってったこと言っといて。」

「りょーかい!」

「そんじゃレポートがんば。」

「いや、本当まじで頑張るわ。単位という大学生にとっての命かかってるから。……あ、鏡像、そういえば。」

「?」

「最近、この街で失踪事件増えてるらしいんだよ。マジで気をつけてね。」

やけに赤葉は真剣に、そう投げかけてきた。

「…ご心配、どうも。」

そういって、鏡像は部室を後にした。


 コツコツと、人気のない廊下を進んでいく。

 ドッペルゲンガーがいると言われる場所。

 

 “ドッペルゲンガーは本人に関係のある場所に出現する。”

 はっきりと場所に心当たりがあるわけではない。しかし、その場所へとたどり着くための情報の出所には心当たりがある。


 鏡像は基本的に非科学的事象を信じていない。もちろん。オカルトも含まれ、ドッペルゲンガーも含まれる。それなのにいま、自身のドッペルゲンガーが存在することに確信を得ているのには、当たり前だが理由がある。

 それは、両親たちだ。


 心理学者である両親たちは、オカルトにも傾倒していた。そんな彼らは、鏡像が生まれた頃、鏡像に相対するドッペルゲンガーが存在することを知っているかのような資料を残していた。それを、たまたま最近両親の部屋に入った際に、見つけてしまったのだ。そこに残されていた資料の内容は中々に酷いもので、今でも思い出すたびに吐き気がする。

 研究気質で好奇心が旺盛過ぎた両親たちが残した歪なオカルト記録。

 それは場合によっては非人道的とも取られかねない内容。

 いや、もう日人道的なのかもしれない。

 そんな彼らは恐らく、ドッペルゲンガーの居場所に関わる何かも持っているはずだ。だから、家に帰宅後、こっそりと彼らの書斎を漁ろうと、鏡像は画策していた。


 きっと、鏡像がある程度大人になるまで、この事実は隠そうとしていたのだろう。それを鏡像は、彼らが思っていたよりも早い段階で見つけてしまったわけだが。そして、こうしてドッペルゲンガーについて調べているわけだが。

 どちらにせよ、きっといつか強制的にでも傀逅することになっていた存在たちなのだろう。

 実の子供を、両親は玩具にして遊ぼうとしていたに違いない。

 あぁ、もうそんなところから吐き気がするのだ。

 誰かに縛られるのは嫌だ。名前に固執されるのは嫌だ。自分が自分らしく、彼らのいう鏡像空生らしくあるなんてまっぴらだった。

 だから鏡像は、自らドッペルゲンガーを探し出して出会おうとしているのだ。

 そしてあわよくば、殺してくれれば。


 それが良い。


 無意識に、鏡像の奥歯がギリと音がなる。

 無意識に、握る手の力が強くなる。

 そんな気持ち悪さ、嫌気、ぐちゃぐちゃとした感情を抱えながら、鏡像は帰路に着くのだった。

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現代童話 漂本 @N2_0328

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