残留思念

白神天稀

情影

目に映る全ては所詮ただの余韻であって、面影。線香の煙のように漂っているだけの分際が感情を露わにするのは、見るだけであまりにも鬱陶しい。残像の彼らは常に俺を陰鬱へと誘う。


人によって死生観とは大きく異なるだろう。輪廻転生を信じる者もいれば、死後は天国で安寧の時を過ごすと考える教徒もいる。

実際の所、魂が存在するのかは俺にはわからない。生前の人格の所在については何の確証もない故に、語ることは俺には出来ない。


でもこれだけは断言出来る。幽霊なんて存在しない。

幽霊という存在は死んだ者の魂を積んでなどいないのだ。


あるのは強い感情の面影、そして申し訳程度にインストールされた生前の記憶。人の心から搾りカスのように零れ落ちた情の蜃気楼に過ぎないのだ。


生前の感情に囚われた亡者達は意味もなく現世に留まっては、残された感情が消えるまで自らの資質を使い回る。



俺が今いる墓地なんてのは世間一般のイメージ通り、幽霊の博覧会になっている。


自身の人生に後悔がある青年の幽霊は惨めったらしく泣き喚き、遺族が買った自分の墓石に向かって拳を叩きつける。

無論、叩き壊すことで憂さ晴らしすることも、痛みを得て苦しみを紛らわすことも叶わない。

何より、青年の幽霊はただの幻影だ。青年自身ならまだしも、これでは救いようがない。


中年の女の幽霊はひたすらに懺悔していた。

唸るように蹲って頬を濡らしては、たまにやって来る中年男性と七歳ほどの男児に向かって土下座する。

垂れ流しているのは謝罪の言葉。家族を置いて先に逝った自分を責める気持ちの暗影が、彼女の家族の前で未だに残っていた。


だがこの墓地の中で唯一、後悔や悲哀に呑まれていない幽霊もいた。

八十歳すらとうに超えているような高齢の男。その幽霊は朗らかに笑っては墓石の上に座り、人の往来や雲の流れを鑑賞している。


その老人は相当満足に人生を終えたのだろう。墓参りには大勢の人間が来て墓掃除や供え物を置いていく。

孫と思われる子供、もしかしたら曾孫かもしれない。おじいちゃんに来たよと子供らは墓に向かって声をかけ、幽霊は一方的に「よく来たな、いつもありがとう」と感謝を述べる。


人生に満足し、自身を忘れない生者もいる。これは常人であれば幸福な事かもしれないが、俺には滑稽にしか思えなかった。


穏やかな温かさがあるのはその老人の墓周りのみ。この墓地は他の幽霊達の陰気臭い感情に覆われて見るに堪えない。

俺からすれば、幽霊は道化にも劣る生前の投影人形にしかならないのだ。



こんな場所にいても何も良い事などないが、それは街に繰り出しても同じ事だった。

常人には見えていないだけで感情の残像とは街中に現れている。


同じ人間の感情から複数の幽霊として顕現することもあれば、俗に言う地縛霊となって特定の場所に留まる幽霊もいる。


生前住んでいた家、思入れのある人物、大切にしていた物。居残るか、着いて回るか、幽霊によって異なるが、それを傍から見ることの出来る俺は見苦しく思う。


彼らは幻影、そうとしか思えない。この考えが変わることはない。



執着し、残留し、生前のように振る舞う人間の紛い者。それが幽霊。


でも奴らも元は人間から産まれ落ちた死の副産物だ。つまり生者であったとしても、俺には幽霊と等しく憂鬱の対象となる。



特ににいる人間達はいつ見ても、俺の陰鬱とした感情を加速させる。


俺が足を止めたのは、住宅街の一角に建つ二階建ての家の前だ。それなりに綺麗でごくごく一般的な外観の民家。

この家の前でここの所はずっと、ドラマのような見ていてもどかしいやり取りが繰り広げられている。



玄関扉の前で眼鏡を掛けた男が一人、額を地面に付けて泣いていた。その男の周りでは家の主である夫婦と、高校の制服を来た女が目を赤く晴らしながら彼を止めていた。


しかし震えた声で謝罪を続ける。額は擦れて血が滲んでいる。


「お父様、お母様、申し訳ございません。私が、私が彼をもっと気にかけてあげられなかったばかりに」


「先生、そんな事は止めて下さい! 頭を上げて下さい」


「先生のせいではありません。あの子が苦しんでいる事に気付かなかった私たち親の責任です」


その女、もとい母親は顔をくしゃくしゃにして涙を流し、遂には男の前で崩れ落ちる。


うるさい。無様に号哭する人間の声がなんとも煩わしい。


大人達がそれぞれ自身を咎める中、制服姿の女はこの中で1番に号泣しつつも彼らを立ち上がらせようと奮闘する。


「おじさん、おばさん、先生。みんな止めてよ。いくら自分達を責めたって、アイツが死んだことが変わる訳じゃないじゃない!」


女の言葉を聞き、彼らはより一層頬を濡らした。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


「ごめんな、ごめんな」


夫婦は嗚咽混じりに涙を拭う。しかしそれでも泣き止むことはしないで、玄関マットの染みは増える一方。


「許してくれ、許してくれ」


「なんで、死んじゃったんだよ。アタシに何も、言わないでさ」


ああ、鬱陶しい。何故何時まで経っても哀しみを抱いて後悔する。何をそこまで泣き喚いて許しを乞う。


俺には一切理解出来ない。いや、知らないというのが正しいだろう。


ふと俺の目線は玄関の奥へ向けられる。暗く閉ざされた家の中で1つ、外の光を反射する物体に俺の目に刺さった。


そしてまた俺は落胆して、更に憂鬱になるんだ。写真立ての中に飾られた俺の姿を見て。



幽霊という存在は感情の幻影だ。あるのは生前の感情の面影と、僅かばかりに搭載された生きていた時の記憶。


だがその記憶というのは人によって量が異なり、その誤差は非常に大雑把だ。

生前と変わらぬほど自身の記憶を覚えている物もいれば、俺のように自分について何も知らない者もいる。


感情なんてものは無駄に力に溢れていて、存

在自体も全くもって合理的でない。

それは人間が元々持っている性質なんだろう。



俺にはこの陰鬱な感情しかこの世に留まっていない。だが他に唯一あるとすれば、生前の俺を知りたいという願いだけだ。


もはや呆れるほどに煩わしく感じる彼らの目の前で、俺は大きな独り言をつらつらと語る。


泣いていないで教えろ、俺は一体どんな人間であったのか。

喚いてないで話せ、俺は生前に何をしていたのか、どう過ごしていたのか。

謝っていないで語れ、俺は何者として生きて死んだのか。

苦しんでいないで吐け、俺は何故死んでいったのか。


黙っていないで呼べ、俺という感情の余り物を生み出したの名を。



だが、どんなに俺が求めてもこの人間達は答えることは決してない。

他の幽霊に聞いても、当然答えられる筈がない。


そしてこの俺の行動に、意味なんてない。


俺は幽霊、死んだ俺が最期に生み出した生前の感情の幻影。


俺の問いが返って来ることは無く、鬱陶しいと感じながらただ現世に留まって無意味に過ごすだけの残像。


この感情は面倒なことに、これから先も消えることはない。俺という存在そのものが、憂鬱なんだ。


残留思念は溜め息をついて陰鬱を抱える。

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残留思念 白神天稀 @Amaki666

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