後編
痛いくらいの静寂に恐怖心をあおられ、充の呼吸が浅くなる。心細さが一気に押し寄せ、体が小刻みに震えだした。
充は自分の胸に手をあてると、
「大丈夫……大丈夫だから……」
と、うわ言のように何度もつぶやいた。それが、落ち着きを取り戻す唯一の方法だとでもいうように。
しばらく唱えていると、少しずつではあるが落ち着いてきた。
深呼吸を一つしてから、京介が向かった場所を考える。
外に逃げ出せる場所が一階にはないことは、先ほど確認済みだ。なので、一階のどこかの部屋に逃げ込んだ可能性は低いだろう。では、まだ探索していない二階に行ったのだろうか。
(まさか、魔女にさらわれた……?)
最悪の事態が頭をよぎる。
すぐさま、それを否定するように、充は頭を二度三度と振った。たぶん二階にいるはずだと、京介の無事を祈りながら階段へ向かう。
薄暗い階段をスマートフォンのライトで照らしながら慎重に上がっていくと、二階の廊下に着いた。一階と同様に薄暗く、静寂に包まれている。
ライトで照らしながら周囲を確認すると、ドアがすぐ左側に一つと正面に一つ、右側の奥に一つあった。
とりあえず、左から順に確認していくことにしてドアを慎重に開ける。
そこは、カーテンが閉められているのか真っ暗だった。ライトで照らすと、部屋の床には円形の紋様が描かれている。ファンタジーでよく出てくる魔法陣というものだろうか。
部屋の左側に視線を移すと、天井まで伸びた本棚に所狭しと本が並べられている。
(……魔導書みたいなやつかな?)
背表紙だけでは判別がつかないが、仮にも魔女の家にある本なのだから、おそらくそうなのだろうと勝手に判断する。
本棚の反対方向へ視線を向けると、大きな棚があった。それには、
(これも、魔法で使う物……なのか?)
そんなことを考えていると、それを肯定するかのように飾られているナイフの刃がキラリと光った。
「――っ!」
息を呑んだ充の背筋に悪寒が走る。
「こ……ここには、いないな!」
不気味なほどの静寂に何か音が欲しくて、そうつぶやいた。だが、その声は思った以上に震えていた。
そそくさと部屋をあとにして、階段の正面に位置するドアへと向かう。
二つ目のドアを開けると、室内は真っ暗だった。ライトで照らしながら進んでいくと、室内に窓はなく、四つの大きな棚が等間隔に並んで置かれている。その一つ一つに、多数のハードカバーの本が隙間なく収納されていた。どうやら、ここは書庫らしい。
ここに収められている本達が、いったい何の本なのか気になったが、今はそれどころではない。京介を求めて室内を探索する。しかし、彼の姿はどこにもなかった。
(ここにもいないのか……)
充は小さくため息をつくと、書庫を出て廊下を歩く。静寂の中に一人きりだと、やはり心細い。
(……ったく、京介どこ行っちまったんだよ)
一刻も早く、京介の顔を見て安心したい。そう思いながら、充は最後のドアを開けた。
そこは、今まで見てきた部屋と同様に薄暗いが、二階の他の部屋よりも広い。壁際にベッドとちょっとした棚があり、部屋の中央付近にはテーブルとソファーが置かれている。どうやら、魔女の自室のようだ。
ライトで照らしながらくまなく探索していくが、ここにも京介はいない。ベッド横にある大きな窓を確認してみるも、開けた形跡はなかった。
「本当にどこ行ったんだよ、京介」
今にも泣き出しそうな声でつぶやくと、後ろからカタッという音がした。
勢いよく振り向いて、音がした方を確認する。ベッドサイドの上に、何やら置いてあるようだ。
それが気になった充は、ベッドサイドの前に移動する。そこに置かれていたのは、しずく型の水晶がついたペンダントだった。
何気なくそれを手にした充は、
「あれ? さっき、こんなのあったかな……?」
と、疑問を口にする。
その瞬間、部屋の外から悲鳴が聞こえた。
「――っ!? 今の声……!」
聞き覚えのある声に、とっさにペンダントをズボンのポケットに入れた充は、弾かれたように部屋を出た。
声がした方へと向かうと、そこは先ほど探索した魔法陣が描かれている部屋だった。ドアを勢いよく開ける。
「――京介っ!!」
室内にはなぜか灯りが灯り、そこに京介はいた。魔法陣のちょうど真上、床から一メートルくらいのところに横たわっている。いや、空中に縫いつけられていると言った方が正しいか。
充は、無我夢中で京介のもとへ駆けていく。京介は安らかな表情で、眠っているように見えた。しかし、彼の白いシャツが赤く染まっているので、それが錯覚なのだと否が応でも突きつけられる。
「京介、うそだろ? 目、覚ませよ。なあ!」
そう声をかけながら、京介の体を揺さぶろうとするがびくともしない。
(なんだよっ、これ!)
京介の体を空中から引きはがそうと躍起になっていると、
「きひひひひひひっ」
背後から女の笑い声が聞こえてきた。
瞬間、充の動きがぴたりと止まった。
(い……今までいなかった、はず)
背後の気配と声に、呼吸が浅くなり心臓が早鐘を打つ。
ゆっくりと後ろを振り返ると、そこには紫紺の長袖ワンピースを着た黒い長髪の女性が立っていた。いつの間にか、ドアは閉まっている。
「ま……魔女」
充が思わずつぶやくと、彼女はすっと顔を上げて充を見つめる。その目は深淵のように真っ暗で、先ほどから笑い声を発している口元は異様に口角が上がっている。
充は短い悲鳴をあげると、蛇ににらまれた蛙のように指一本さえ動かせなくなってしまった。
(こ……これ、マジでヤバくね? どうしよう……どうしたらいい?)
恐怖のあまり、思考回路が正常に機能しなくなった充の脳内では、どうしようという言葉だけが堂々巡りをくり返す。その間も、魔女は狂ったように笑い続けていた。
(考えろ……考えるんだ。どうやったら、この部屋から脱出できる?)
浅い呼吸をくり返しながら、先ほど確認したこの部屋のレイアウトを思い浮かべる。だが、いくら思い返してみても出入口は魔女の背後にあるドアだけだった。
そんな絶望的な状況に、充は小さく舌打ちをする。それを合図に、魔女は静かに充に迫ってきた。
驚いた充は、彼女を避けるように駆け出し部屋を出た。
捕まったら殺されると、本能が告げる。だから、充は必死に逃げた。階段を転げ落ちる勢いで駆け下り、玄関まで走る。たとえ開かないとわかっていても、もしかしたらと
玄関に到着して開けようとするが、やはり開かなかった。
(くそっ、開いてくれ! ……頼むから開いてくれよ!)
内心、懇願しながらドアを開けようとする。だが、どうやっても開かない。
何度もノブをひねりながら開けようとしていると、背後に迫る気配を感じた。
弾かれたように振り向くと、目と鼻の先に魔女がいた。相変わらず不気味な笑いを浮かべている。
「く……来るな!」
震える声で告げる充だったが、彼女には届いていないようだ。
じりじりと距離を詰める魔女。追い詰められ逃げ場を失った充。
このままでは殺される!
そう思った時だった。充は、ズボンのポケットにしまい込んだ存在を思い出した。
彼女から視線をはずすことなく、ズボンのポケットからそれを取り出す。それは、先ほど見つけたペンダントだった。
充はそれをちらりと見ると、思い切り魔女の後ろへと放り投げた。それが、どういう効果を生むのかはまったくわからない。だが、彼女の気をそらすには十分だった。
乾いた音とともに、ペンダントが彼女の後ろへと落ちる。瞬間、彼女は後ろを振り向いた。今まで聞こえていた不気味な笑い声もぴたりと止まっている。
魔女の意識がペンダントに向いているのを確認すると、充は後ろ手でドアのノブをゆっくりと回す。そして、そっと後ろに体重をかける。すると、今までびくともしなかったドアがゆっくりと開いた。
(やった! これで出られる!)
そう思った矢先、彼女が振り向き充へと音もなく迫ってきた。
「ひっ……!」
充は短く悲鳴をあげると、転がるように外へと駆け出した。門付近に置いた通学バッグの回収も忘れない。一瞬、京介のバッグが視界に入り、胸が締めつけられる感覚を覚えた。しかし、今はそれを気にしている場合ではない。とにかく逃げなければと、必死に走る。
どれくらい走っただろうか、息があがり心臓が痛い。これ以上は無理だと判断した充は、立ち止まって荒い呼吸をくり返す。
しばらくして呼吸が整うと、充は周囲を見た。空は暗くなり始め、夜の訪れを告げている。どれほどの時間、あの家にいたのかはわからないが、探索を始めたのが放課後なのだから辺りが暗くなっていても不思議ではない。
ふと、住宅の中に交番を見つけた。無機質に灯る蛍光灯の光に、大げさではなく助かったと緊張の糸が解ける。
生きている誰かに早く会いたくて、充は交番へと駆け出した。
そこには、制服姿の警察官が一人いた。暇なのか、のんびりと調書らしきノートを見ている。
「す、すみません。助けてください!」
息せき切って充が駆け込んでくると、その警察官は驚いた顔で立ち上がった。
「ど、どうしました!?」
「実は、追いかけられてて……」
そう言って、充は外を確認する。だが、そこには誰もいない。
「そうですか……」
急に冷静になった警察官はそう言うと、
「それはこんな人物ですか?」
「え……?」
思わぬ言葉に充が正面を向くと、そこにいたのは警察官ではなく黒髪の女性――魔女だった。きひひという、あの不気味な笑いを浮かべている。
充は絶叫し、すぐさまその場から逃げ出した。走って走って、足が動く限り走り続ける。
どこをどう走って来たのかはわからない。だが、気がついた時には高校の裏門にいた。
門に背中を預けてその場に座り込むと、荒い呼吸をくり返す。
(何だったんだよ、あれ? 人間じゃねえ。やっぱり、うわさ通りの魔女だったのか?)
そんなことを考えていると、京介の笑顔がよぎった。
「京介……。マジで、ごめん」
つぶやく充の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
京介の最期の姿を思い出し、あの時、行こうなんて言わなければよかったと後悔する。いくら後悔しても取りかえしがつかない。自責の念に駆られ、充はさめざめと泣きだした。
どのくらいそうしていたのか、辺りはすっかり暗くなっていた。
前方から強い光があてられ、
「君、どうしたんだい?」
と、男に声をかけられた。
顔を向けると、そこには警察官が立っていた。
「ひっ……!」
短く悲鳴をあげると、充は怯えたように震え出した。
「大丈夫かい?」
彼は、心配そうにそうたずねて充の肩に手をかけようとした。
「……く、来るな! やだ……嫌だ、死にたくない!」
充はひどく怯えて、警察官の手を振り払おうともがき暴れる。
「こ、こら! 暴れるな!」
警察官は、やっとのことで暴れる充を取り押さえる。大丈夫だからと言い聞かせると、いったい何があったのかと優しくたずねた。
ようやく落ち着きを取り戻した充は、魔女の家で起こったことをぽつぽつと話し出した。
すべてを話し終えると、魔女の幻影を見てまた怯えだす。そんな充を見かねて、警察官は充を家まで送り届けることにした。
移動中、彼は絶えず、もう大丈夫だと充に声をかける。そのおかげか、家に着くまでの間、充はどうにか平静を保っていられた。
「明日、君の友達を探してくるよ。もし亡くなっていたとしても、このままじゃ浮かばれないからな」
充の自宅に到着すると、警察官はそう言ってその場を後にした。
怯えた表情を浮かべた充は、小さくなっていく彼の後ろ姿を見送らずに自宅へ入る。夕食も取らずにそのまま自室に行くと、布団を頭まで被って震えながら夜をすごした。
翌日の午後、警察官が充宅を訪れた。昨日、充を保護した警察官である。
「それで、あいつは……京介は見つかったんですか?」
昨日よりも落ち着いている充が応対し、不安そうな顔でたずねた。
「それが……」
彼は言いにくそうに言葉を切ってから、
「京介君のバッグは見つかったけど、本人はどこにもいなかったんだ」
と、申し訳なさそうに告げた。
愕然とした充は、その場にへたり込んでしまった。
すまないと謝罪すると、警察官は一礼して帰っていった。
(京介……)
虚空を見つめる充の視界に、人影が見えたような気がした。視線を向けると、そこには紫紺のワンピースを着た女性がいた。
「――っ!?」
充は、声にならない悲鳴をあげて自室に駆け込む。それ以来、充は自室から一歩も出ることができなくなってしまった。
魔女の幻影に怯えたまま……。
魔女の住む家 倉谷みこと @mikoto794
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