彼女を殺したのは、私
平 遊
彼女を殺したのは、私
「あーもう、ほんと死にたい。」
席に着くなり、舞香は言う。
殆ど恒例と言っていいほど、毎朝のことだ。
「まーた始まった、舞香の『死ぬ死ぬ詐欺』。」
後ろの席から、美早紀がニヤニヤしながら舞香の席にやってくる。
これも、日課のようなもの。
「詐欺じゃないしっ!ほら、見てよ!昨日ここ切ったもん!」
制服の袖を捲り上げた舞香の腕には、うっすらと新たな傷がついている。
「でも死んでないじゃん。」
「・・・・痛くて・・・・」
「ばっかみたい。余計な傷増やしただけじゃん。」
舞香を見る美早紀の目は、冷たい。
「何よっ!何にも知らないくせにっ!」
「知るわけないでしょ、聞いてないんだから。」
呆れたように笑って、美早紀は言う。
「知って欲しいなら話しなよ。ほら。」
舞香の机の前にしゃがみ、美早紀はいつものように舞香の顔を覗き込む。
「うん…昨日、パパとママがね…」
舞香は昨夜の出来事を、美早紀に話し始めた。
舞香と美早紀は、高校入学後にクラスメートとなり、初めて知り合った。
毎日のように『死にたい』と愚痴をこぼす舞香には、友人と呼べる人は数えるほどで、その友人は皆それぞれ他の高校へ進学し、同じ高校に友人と呼べる人はいなかった。
美早紀は、人を寄せ付けない冷たい雰囲気を纏わせながらも、『死にたい』を繰り返す舞香が気になったようで、先に声を掛けてきたのは美早紀の方だった。
「何でそんなに死にたいの?」
放課後。
誰もいない教室の席で机に突っ伏し、1人『死にたい』を繰り返し呟いていた舞香は、唐突に掛けられた声に驚いて顔を上げた。
その顔には見覚えがあった。確か、同じクラス。美早紀という名だ。
「あんたに関係ない。」
顔だけ確認すると、舞香はそう言って再び机の上に顔を伏せる。
そう言えば、もう何も言ってこないだろうと思っていた。
だが。
「確かに。でも気になる。」
再び聞こえた声に再度顔を上げると、美早紀はまだそこにいて、興味深そうに舞香を見ている。
「何なの?何にも知らないくせに。」
苛つきを露わにして発した言葉にも動ぜず、美早紀は言った。
「当たり前でしょ。何も聞いてないんだから。だから、気になるって言ってんの。」
机の前に回り込み、美早紀はしゃがみこんで舞香の顔を覗き込む。
「ねぇ。教えてよ。何でそんなに死にたいの?人間なんて、そのうち死ぬのに。」
野次馬根性剥きだしという訳でもなく、興味深々という訳でもなく。
ただ真っ直ぐに舞香を見つめる瞳に、舞香は降参して溜め息をついた。
「変な人だね、あんた。」
「うん。そうだと思う。毎日『死にたい』連発のあんたには、言われたくないけど。」
一瞬間を置いて、2人同時に吹き出す。
これが、舞香と美早紀の初めての会話だった。
「昨日もさ、パパの帰り遅くて。帰ってくるなり、ママと怒鳴り合いのケンカだよ。ここんとこ毎日。もう、うんざり。あの人たち、少しは娘の気持ち考えないのかな。私のことなんて、どうでもいいみたい。」
校舎の屋上で、舞香は膝を抱えて胸に溜まった澱を吐き出す。
朝の短い時間だけでは全く足りず、舞香と美早紀は早々に教室を抜け出して、校舎の屋上へ場所を移動していた。
「っていうか、問題はママなんだよね。パパは結構冷静に話そうとしてるんだけど、すぐカッカするの、ママ。そんで、怒鳴るの。そのうち、物が飛んでくるの。昨日はとうとう、ハサミが飛んだみたいだよ。朝リビング行ったら、床に落ちてた。やばくない?うち。」
「うん、それ、ヤバいやつだ。」
舞香の隣で、足を投げ出して座る美早紀が、小さく笑う。
「笑いごとじゃないって。そのうち、ニュースに出るよ。激昂した母親、夫と娘を惨殺!とかって。」
「やだなー。ニュースで舞香の名前見たくないなー。」
「でしょー。」
言いながら、いつの間にか舞香も笑っている。
美早紀と話すといつもそうだ。
死にたいと思うほど辛い事もイヤな事も、美早紀は全て受け止めて、笑ってくれる。
話し終わると、舞香はいつも思うのだ。
そんな、死ぬほどの事でもないか、と。
美早紀はいつも言っていた。
「人間なんて、放っといたって、そのうちみんな死ぬのにね。なんでみんな、そんなに死にたいのかな。」
だから、舞香には最初、信じることができなかった。
美早紀が、自殺をしたなんて。
『いろいろ、ごめん。』
そんなたった一言のメッセージだけを残して、美早紀は死んだ。
舞香のスマホがメッセージを受信したのは、舞香が美早紀の死を知る前夜。
突然入ったメッセージの意味が分からず、『なにが?』と気軽に返したメッセージは、既読になることは無かった。
翌日、いつものように登校した舞香は、担任から美早紀の死を告げられた。
担任は言葉を濁してはいたが、自殺であることは間違いなさそうだった。
(なんで・・・・何やってんの、美早紀。)
空いたままの美早紀の席を見ても、舞香はなかなか受け入れる事ができなかった。
(人間なんて、放っといたってそのうち死ぬって、あんたが言ってたんじゃん。)
母親と共に参列した美早紀の葬儀。
遺影の美早紀は、澄ました顔をしていた。
だが、舞香といる時の美早紀は、もっと笑っていた。少なくとも、この写真よりははるかに、笑っていた。
もっと笑っている写真は無かったのか。これではまるで、別人のようだ。
悲しいと思うよりも先に、舞香はそう思った。
『奥さん、離婚したんじゃなかったかしら?』
焼香に並ぶ列の後ろの方から、参列者の声が聞こえてきた。
『まだだったみたいよ。美早紀ちゃんが独立するまでは、って言ってたみたいだし。まぁでも、こんなことになっちゃったから・・・・すぐにでも別れるかもしれないわね。』
(美早紀のところも・・・・?)
親族席の最前列に、美早紀の両親は並んで座っていた。
二人とも、悲しみのためか精神的ショックのためか、虚ろな目をして俯いてはいたが、よく見れば確かに、不自然とも思えるほどに接触が無い。並んで座ってはいるが、お互いに微妙に反対方向に視線を向けているような。
親なんてさ、元気で生きていてさえくれれば、それだけで十分じゃない?
舞香が両親のケンカの愚痴を吐き出す時、美早紀は最後は決まってそう言っていた。
それはもしかしたら、舞香に向けて言うのと同時に、美早紀自身に向けて言っていた言葉だったのではないだろうか。
そんなことを思いながら、舞香は焼香台の前に立ち、隣の母親の動作を真似て焼香を行う。
帰り際、参列者の列からまた、先ほどと同じ声が聞こえてきた。
『でもあれでしょ。最初の旦那も自殺なんでしょ。なんか、そういう血ってやつなのかしらね。』
『そうそう、怖いわよね。奥さん、お気の毒にねぇ。』
(え・・・・)
思わずその場で、舞香の足が止まる。
(自殺・・・・?最初の、旦那って・・・・?)
振り返って、舞香は美早紀の遺影を見た。
遺影よりもっと全力で笑っている美早紀の顔なら、舞香はたくさん見てきた。
でも。
(私、美早紀のこと全然、知らなかったんだ・・・・)
考えてみれば、話をするのはいつも舞香で、美早紀自身の話は、ほとんど聞いた事がなかった。
(ごめん、美早紀・・・・)
美早紀の死を告げられてから初めて、舞香は泣いた。
(ごめんって、何?美早紀は何を謝ってたの?)
スマホに表示した美早紀からの最後のメッセージを眺めながら、舞香は考えた。
あの日に美早紀に聞いてもらった話も、確か両親のケンカの事だったはず。
(私、なんて話してたんだっけ。美早紀に謝られるような事なんか、あったかな。)
いつでも思うままに話をしていた舞香は、話し終えた時には、話した内容などほとんど忘れてしまっている。
なにしろ、最後にはいつも、美早紀と一緒に笑いあっていたのだから。
けれども、必死に記憶をたどり、舞香はあの日の美早紀との会話を思い返し始めた。
「うちもう、ダメかも。」
「何が?」
校舎の屋上。
舞香の隣に足を投げ出して座りながら、美早紀は空を見上げている。
「パパとママ。離婚確定だと思う。」
「そっか。」
今日の朝ごはん、パンだったんだ。という言葉への相槌のように、美早紀は軽い口調で相槌を打つ。
「パパ・・・・浮気してたんだって。若い女と。・・・・信じられないよ。サイテー。もう、死にたい。」
「舞香はパパ大好きだったもんね。」
「・・・・うん。」
両膝を抱えて座り、体を丸めて俯いた舞香の頭を、美早紀は優しく撫でた。
舞香の両親は再婚で、舞香がパパと呼ぶ人は本当の父親ではない。だが、まだ舞香が幼い頃に両親が再婚したため、舞香は本当の父親のように、もしかしたらそれ以上に、養父を慕っていた。
淡い恋心のようなものさえ、抱いていた。
それだけに、発覚した養父の浮気は、舞香には相当に堪える事実だった。
「もう、死にたい。」
「舞香が死んだところで、何も変わらないよ。」
舞香の頭を撫でながら、美早紀は言う。
確かに美早紀の言う通りだ。そんなことは、舞香にだって分かっている。
「じゃあ。」
舞香が自分でも驚くほどに、低い声が出た。
「死んでくれないかな、相手の女。」
舞香の頭を撫でる美早紀の手が、一瞬止まる。
「そうだね。」
そう言って、美早紀は再び舞香の頭を優しく撫でた。
(ないよね、美早紀が謝ることなんて。)
一晩かけて必死に記憶を遡ってはみたものの、美早紀と交わした会話の中には、美早紀が謝る理由が見当たらない。
美早紀のいない学校は何の張り合いもなく、学校を早退してきた帰り道、近所の主婦の会話が舞香の耳に入ってきた。
『やっぱりあのお宅、美早紀ちゃんのお葬式の後すぐ、離婚したらしいわよ。』
『あら、そう・・・・やっぱりね。あれでしょ、旦那さんが出て行ったんでしょ。奥さん、これからどうするのかしらね。』
(うちも、パパとママが離婚したら、あんな風に言われるんだろうな。)
そう思いながら、舞香は自宅のドアを開けた。
「ただいま。」
家の中からの応答は無い。
両親共働きなのだから、当然だ。
そしてその両親は、昨晩も怒鳴り合いのケンカをしていた。
『じゃあ、これは一体何なのよっ!』
ひと際激しい母親の怒鳴り声が、舞香の部屋まで響いてきていた。
親友が亡くなっても、両親が怒鳴り合っていても、死にたいって思っているこの瞬間も、体が元気であればお腹は空くらしい。
何か食べ物でも無いかとリビングに入った舞香は、ダイニングテーブルの上に何枚かの写真があることに気付いた。
(浮気の証拠・・・・とか?)
大好きな養父が、大好きだった養父が、一体どんな女と浮気をしていたのか。
自虐的な好奇心が沸き起こり、舞香はダイニングテーブルの写真を手に取った。
そして。
(あ・・・・)
美早紀の最後のメッセージの意味が、ようやく分かった。
養父に体を預けるようにして、穏やかな笑顔を浮かべていたのは、美早紀だった。
(そっか。)
今までに見た事がないほど、幸せそうな笑顔を浮かべる美早紀の姿。
養父と寄り添う美早紀が写る写真を見ている自分が、冷静でいられていることが、舞香は不思議だった。
だが、直後に気付いてしまった。
死んでくれないかな、相手の女。
(そっか・・・・そうなんだ。)
舞香の手から、写真がひらひらと舞い落ちる。
(美早紀を殺したのは、私だ。)
彼女を殺したのは、私 平 遊 @taira_yuu
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