第2話 ドッペルゲンガーの思惑

「私ですか? あの日、夢を捨てなかったあなたですよ」


 妙な感覚だった。普段なら薄ら笑いしてしまいそうな陳腐な嘘っぱちを言われているのに、背中を虫が這うような感触に襲われた。

 考えてもみろ。あの日違う道を選んでいた自分が接触してくる? なんて安っぽいオカルトなんだ。冷静になれ。


「悪い冗談でも言っているのですか?」

「そう思うでしょうね。でもこれは事実です」


 気丈に振舞って発した警告が、敢え無く叩き落とされた。相手の方が、俺よりも何百倍も冷静だ。

 それから、彼は頼んでもいないのに、俺の生年月日、通っていた学校の名前、引っ越しの遍歴まで、ありとあらゆる情報をつらつらと語った。その全てが正確な上に、自分でも忘れている情報も多い。彼は、俺以上に俺に詳しかった。


「お分かりいただけましたか。私は、あなたのことなら何でも知っています」


 もうそんなことを言われても、何の疑いようもない。事実を突きつけられているだけだ。部屋の中は、まだクーラーを入れるのは早すぎるかと悩むくらいの生暖かさ。なのに、震えが止まらなくなってしまった。

 俺が落ちた出版社に所属していて、俺が捨てたアカウントを使っていて、俺のことは何でも知っていて、まともな評論を書いている。そんな彼の存在が、気持ち悪くて仕方がない。彼から接触してきたことも含めて。

 

「いったい、どういうつもりなんですか?」

「あなたは今、さっき見た映画についての記事の大枠を書き上げた頃でしょう」

「それがなんだって言うんだ?」

「同じ監督が撮った別の作品は調べましたか?」


 それはもちろん、デビュー作どころか専門学校の卒業制作まで洗いざらい調べ上げた。何本かは事前に鑑賞し、作品の癖まで事細かに分析している。


「でもそれは、その監督の悪い癖を見つけて、今回の作品を酷評する根拠とするためでしょう?」


 ああ、その通りだ。それが俺の辿り着いたやり方だ。

 そう言い返すための気力が、一瞬沸いた気がしたものの――


「私は、それは監督が作品を通して何を伝えたかったか。どこに注力したか、の判断材料として使います。良い評論とは、クリエイターの意図を掴み、それを読者に伝えるものです。でも、あなたはこう言うのでしょう?」


 ――そんな記事は、バズらない。


 脳裏に浮かんだ言葉を、丸っと言われて、気力が引っ込んでしまった。俺の思考回路が、完全に読まれてしまっている。


「だから、あなたは膨大な資料や作品を調べ上げても、わざと重箱の隅をつつくような表面的な批判しか書かないようにしている。閲覧数を稼ぐなら、その方が楽ですからね。では、聞きましょう」


 質問に対して、質問を返してきたくせに、また質問を重ねるのか。イラついて頭を掻きむしる。脂ぎった頭皮から剥がれ落ちたフケが爪の間に挟まった。多分。


「あなたの記事に、愛読者はいますか?」


 いる訳がないだろ。俺の記事を気に入ってくれるのは、「ある程度の閲覧数が固い」と言ってくれる編集ぐらいだ。おかげで、コンスタントに仕事が舞い込んでくる。俺にはそれで十分だ。彼の言う綺麗ごとだけやっていても、食いっぱぐれて野垂れ死ぬだけだから。


「本当に、心からそう思っていますか? いるんじゃないですか? 表面的な批判にとどまらず、クリエイターに寄り添った奥行きのある評論を書いていて、あなたよりも地位や名声もある評論家が」


 そんなもの、それこそ空に輝く星の数ほどいる。見上げればキリがない。そのうちに首を傷めてぽっきりと折れてしまうんだ。だから俺は、諦めた。諦めたはずなのに。なのに――


「あなたが嘗て憧れていた存在が」


 なんでこいつは、それを蒸し返してくるんだ! 

 俺の傷を抉って楽しんでいるのか? なんて悪趣味なんだ。堪らず上げたくなった声を歯を食いしばり抑え込む。


「それが私だと言ったら、あなたはどうします?」


 そこで、俺の中で沸き上がっていた苛立ちが、困惑に姿を変えた。――話が読めない。こいつは、俺に何を伝えたいんだ?


「いったい何を言っているんですか?」

「もう一度、言います。私は、あの日、夢を捨てなかったあなたです。薄っぺらい批判しか書けない今のあなたでは、私には勝てないでしょうね」


 俺への挑発か? こいつは、そんな嫌がらせの目的で、俺に電話をかけてきたのか? なんて陰湿な奴なんだ。初めて喫茶店で会ったときの人の好さそうな印象は、とんだまやかしということか。

 そう確信したところで、迷惑な電話は、ぷつりと消えた。

 去り際の挨拶さえしないとは、心底失礼な奴だ。向こうは明らかな悪意を持って接触してきている。もし、こんなことが続くようであれば、出るとこでさしてもらうぞ。心の中で唾を吐きかけ、ため息をついてから原稿と向き合う。

 

 ――いよいよ、骨組みに肉をつけていく作業だ。文体は、基本的に“である。だ。”調。初歩的だが、気を抜くと未だに“です。ます。”が混じるのだから、油断ならない。ここの論旨は、入れ替えた方が読みやすいか。いろいろなことを意識しながら、記事を組み立てていく中で、頭の中に声が響いた。

 

“あなたの記事に、愛読者はいますか?”


 自分が書いた文章をまじまじと見つめる。


 実績のない新人の役者ばかりを起用したせいで、作品に厚みがない。原作からそうだった以上仕方ない部分もあるが、唐突な展開が多い。

 どれもこれも、的を得ていても短絡的な意見ばかりで、奥行きがない。いったい誰が、こんな記事ばかりを愛するというのか。

 いいや、待て。俺は、読者に愛されることを捨てたんだ。自分の記事を一回だけ、いいや、もっと言えば、誰が書いたかなんて気にも留めない大多数に読まれるために。なのに、なのに――


“薄っぺらい批判しか書けない今のあなたでは、私には勝てないでしょうね”


 なんで、あんな奴の安い兆発を、真に受けてしまうんだ!

 気をしっかり持て。どんなに自分の書き上げた記事が、安っぽく見えても、顧みてはいけない! ライターを死亡していた学生時代、目の敵にしていた酷評家に自分がなってしまっていることも、全力で目を背けろ。今までそうやって生きてきたじゃないか。


 そんな鼓舞をいくらやっても、虚無感が増すばかり。

 もう目で字をなぞっていても、頭に内容が一切入ってこないようになってしまった。

 ――気が付いた頃には、陽は落ち、窓の外には夜の帳が降りていた。あいつは、俺に呪いをかけて、今日という日を浪費させた。その恨みを晴らすべく、ゲーム機を立ち上げる。そして、ビールを片手にオンラインFPSをプレイし、素性も知らない相手を蜂の巣にしてやった。 


 

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とある酷評家のドッペルゲンガー殺し 津蔵坂あけび @fellow-again

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