とある酷評家のドッペルゲンガー殺し
津蔵坂あけび
第1話 ドッペルゲンガーとの出逢い
二〇二一年、五月某日、午前九時。
まだ他の店舗が開いておらず、閑散としているショッピングモールを訪れる。この日が公開初日となる、ある映画を見るために朝早くからここに来た。
映画の原作は、週刊誌で連載されていた少女漫画で、鳴かず飛ばずといった具合の人気。打ち切りの危機があったのか、編集の意向が見え見えの急展開(俗に言う、テコ入れというもの)を経て、なんとか支持を獲得。さらに某人気アイドルが好きな漫画として挙げたことで人気に火が付き始める。
そこから名の通った芸能事務所が目をつけ、事務所に所属している演技未経験のグラビアアイドルにティーンズモデルといった、素人同然の役者を出演させる条件で映像化プロジェクトが立ち上がった。
どうだ、この映画製作に至った経緯は?
完璧なまでに地雷臭がするだろう?
この映画の公開をどれほど待ちわびたか。
粗という粗を探しまくり、思う存分にこき下ろしてやろう。それを映画コラムにして、大量の広告と抱き合わせてページ数を稼いだサイトに掲載する。自分で言うのもなんだが、まじでクソみたいな仕事だと思う。芸能人のゴシップばかりを漁るライターと同等の腐り様だ。この作品を見てよかったと思う人間全員からは、「死ねばいいのに」と思われることだろうが、そんなことは構うものか。
そうやって俺は、閲覧数を稼いで、編集もついて食っていけるようになったんだ。
俺は、生きるために酷評を書かなきゃならない。
もう夢なんて見たって無駄だ。
この映画は、良い映画ですね。そんな内容を書き連ねたところで、酷評には敵わない。なんたって酷評は素晴らしい。
たとえ、その作品に興味がなくても、嘲笑いながら読んでくれる。
その作品を愛していても、怒りの感情を持ってもらえる。その怒りを抑えきれず、「ひどい記事」だと拡散してくれれば、これほどまでに好都合なことはない。自分を説得する自分への辟易が、わざとらしいぐらいの溜息になって出てきてしまった。すぐさまそれを、咳払いで取り繕って席に座る。
スクリーンに近日公開される映画の予告編が流れ始めた。
ぼやぼやして眺めているようではいけない。食い入る様に見つめ、次のネタを探さなければ……。
これが中々に難しい。映画を見に行ったら、本編よりも予告編の方が面白かった。なんてことがよくあること。思うところ、作品というのは、それに触れている間だけ、人間を楽しませることができれば、後に何も残らなくとも勝ちなのだ。悪い作品というのは、触れている間に人間を退屈させ辟易させる。その点、“展開の引き”だけを繋いだ予告編は、注意深く見ていないと、“地雷原”を探しにくい。比較的分かりやすいのは、“全米が泣いた”だの、“今世紀最高”だの、大袈裟な煽り文句が目立つ予告編だろうか。こういうものには、香ばしさを感じてしまってたまらない。香ばしいものがあれば、ひっそりとスマートフォンのメモアプリに打ち込む。流石に本編上映中は、マナーに反するのでできないが、予告編の途中ならば、ぎりぎり許されるだろう。
それから、観賞中のマナー徹底を訴えるショートムービー、提供を経ていよいよ本編が上映される。上映時間は百二十八分。
途中でトイレに立ってしまったりなどしないようにと、願いを込めて水分を奪うポップコーンをひと掴み、口に投げ入れた。
***
――いい映画だった。
主演の男性ティーンズモデルは、中性的で清潔感溢れる美少年。昨今では感染症対策のため開催が難しくなった応援上映会でもあれば、女性客から黄色い声援を送られるような存在感だ。だが、演技となれば表情が妙に堅苦しく、笑顔が下手だ。表情を使った演技にまだ慣れていないからだろう。写真で魅せる顔つきと、映像で見るものを引きこむ表情は違う。
ここら辺はヒロインを演じていた役者の方が、地下アイドルやグラビアアイドルを経験しただけあって数段上手だった。
まあ、どちらも声の抑揚が駄目だったが。
――などと喫茶店で見た映画の駄目だしをノートに書き連ねている時間が最高に楽しい。新型感染症が流行し、皆がマスクの着用を習慣化しているこのご時世、有難いことに喫茶店の座席で独り薄ら笑いながら筆を走らせていても、誰も気にも留めない。
ひとしきり悪いところを書き連ねた紙面を眺めて、にやけた後、表情を殺しながらマスクを取る。
アイスコーヒーで喉を潤し、鼻に抜ける香を目を瞑って愉しんでいたところで、向かいの席から声が聞こえた。
「あなたも見たんですか。あの映画を。いやあ、いい映画でしたね」
聞き覚えのある声だった。いや、それよりも、俺は相席なんぞしていない。
声は、俺にひどく似ている。いや、ちょっとばかし、向こうの方が若いか。飲酒をもう少し控えていたか、ここまで捻くれた人間に成り下がらなければ、そんな声だったかもしれない。
眼を開けると、気の好さそうな三十代前半ぐらいの男性が向かいに座っていた。
傍から見れば、マスクもしているわけだから、分からないとは思う。
でも、気味が悪いほど俺に似ている。そう感じた。
腕のいいボクサーに顔面を数発殴らせて、眉間に彫刻刀で十数本皺を刻み込めば、今の俺の顔になると思う。
「失礼ですが、どなたでしょうか」
「これはこれは、紹介が遅れました。数年前に親睦会でご一緒していたものですから、名乗るのを忘れておりました」
そう言って渡してきた名刺には、“水野まるお”という、かの有名な映画評論家の名前をもじったペンネームが記されていた。自分と同じくWEBライターとして活動しているらしいが、見たことがない。だけど、どこか懐かしい名前だ。
「同じ映画を見ていたのも何かの縁でしょうから、少し話しませんか」
こういう横のつながりは持っておくべきだから、断る理由はない。
だが、少々気味が悪い。彼は、確かに心からそう思っているようなトーンで、あの映画をいい映画だと称えた。今回も最高のアンチ記事をこれから書き殴ろうとしている、“酷評ライター”で名が通ってしまっている俺とは対極の存在。まさに水と油といった具合のはずだ。いったい、どういうつもりで、俺と話そうというのか甚だ疑問だ。
が、彼が、あの映画の一体どこを見て、いい映画だと思ったのか、興味はった。そこで、互いに名刺を交換し合った後、相席を許すことにした。
「水野さんは、あの映画のどこを見て良いと思ったのですか?」
「そうですねええ。原作の長さの関係上、どうしても途中のエピソードだけを映像化した形になってしまいましたが、そうした際の視聴者にとっての障壁となる要素、原作未読者への配慮や、話のまとめ方が上手かったですね」
確かに言われてみれば、思うところはあった。
ストーリーだけで言えば、原作よりも面白いと感じた。漫画と実写映画を比べるのも、どうかとは思うが。
「加えてキャストも原作のキャラクター像に近く、原作を読みこんでいても違和感が少なかったです。役者の演技に関しては、これからという印象ですが、脚本とプロデューサーは、大変に良い仕事をしたと思います。役者も脚本も上手い映画が良いのはもちろんですが、やはり、企画がしっかりと地盤を固めたところで役者がキャリアに拘わらず、のびのびと演技ができている作品がないと、これからの邦画は育ちませんよ」
彼の口からは、的を得ていて説得力のある賞賛がすらすらと出てくる。
自分も気づかなかったわけではない。昔の俺ならその観点の意見も書いていた。だが、それがバズる確率が低いと気づいてしまった今の俺では、言及すべきことではないと捨ててしまう。きらきらした表情でそれを語る彼を見ていると、ものすごく死にたくなる。
これで意見交換を求められたら、俺のメンタルはボロボロなわけだが、当然避けるわけにもいかず、「あなたは、どう思いましたか」なんて調子の良い声で聞いてきやがる。
――正直、全て先に向こうに言われてしまっているんだよなあ。
咄嗟に後頭部を掻きむしろうと挙げた右手を、慌てて下ろす。こちらが焦っていることなど、意地でも悟られたくない。
ようやっと意見が固まって、それを吐き出そうかとしたところで、向かい合った席に誰も座っていないことに気づく。彼の姿が忽然と消えてしまっていたのだ。
テーブルの隅に置いていた彼の名刺だけを残して。
***
――不思議なことがあるものだ。知らぬ間にうたた寝をして、変な夢でも見ていたのか。
自室に着いた後、首を傾げながらデスクに向かい、ノートに記した内容をワードに打ち込んで記事の骨組みを作る。そこから記事の見出しを考え、それぞれの話題のパワーバランスを決めていく。
ある程度、記事の論旨が固まったところで、少し気分転換に気になっていたことを調べてみた。あの喫茶店で体験した、白昼夢のような出来事に出てきた登場人物“水野まるお”というライターについて、だ。
検索をかけるとヒットしたのが、二〇一三年に書かれた、それも無料ブログのフォーマットを使用した個人記事であった。
『水野まるおの映画評論館』というペンネーム以外は何の捻りのないタイトルを見た瞬間に、戦慄が走る。
自分が大学生時代に書いていたブログだ、と気づいてしまった。
それから名刺に乗っていた、ありとあらゆる連絡先を調べた。事務所の所在地は、自分が就職活動で面接を受けた出版社のもの(ちなみに、面接では落とされた)。SNSのアカウントは七年前から放置していた自分のアカウント。どれもこれも過去の自分を切り貼りしたような内容だった。
まるで、ストーカーが仕組んだ質の悪いイタズラみたいだな。
心の中で呟いたところで、ある事実に気づく。俺は、彼と名刺を交換してしまっていた。それも個人の連絡先が記された物を。
「~♪ ~♪」
BGMも流していない中で自室に響く、年がら年中つけっぱなしの換気扇の回る音を着信音がつん裂いた。
思わず生唾をごくりと飲み込む。
スマートフォンの画面には、まだ登録はされていないが、見覚えのある電話番号が映っていた。あの名刺に書いていた番号だ。
「どうもお昼は楽しかったです。あなたはきっと私のことを、さぞ薄気味悪く思っていることでしょう」
「水野さん、あなたは何者なんですか?」
震える声で、恐る恐る尋ねる。
電話の向こうで、彼が、にたりと笑って、唇が擦れ合う音が聞こえた気がした。
「私ですか? あの日、夢を捨てなかったあなたですよ」
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