第19話

第19話 いつかの記憶②


 それは、いつかの記憶。

 確か、去年の冬くらいの出来事。


『ひーくん、死ぬ前に何食べたい?』


 恵美の何の脈絡もない質問に、俺の本を捲る手が止まる。


『待て! 話せばわかる!』

『問答無用!』


 そう言って、恵美は手に持ったマヨネーズを俺に向けて『バーン!』と銃撃してきた。

 

 久山秀人、享年17歳。


『あり? 死んだフリまではしてくれないんだ?』

『このレベルの茶番に、そこまでは恥ずかしくて出来なかった』

『茶番を始めたのはひーくんじゃんー』


 恵美が膨れっ面で俺の前に座る。


『それで、どんな意図の質問?』

『んー? ただの興味。で、どう?』

『死ぬ前か……そうだな……』

『あー! 待って待って、私が当ててみせる! えっとえっとー、ひーくんの性格と食の好み的に……』

『質問の意味よ』


 と言いつつも、俺は予め頭に答えを浮かべておく。


『わかった! シーチキンだ!』

『俺はいつから猫になった』

『ひーくんの性格的に、”今から俺が死ぬなんてまっさか〜”って現実逃避して、そのうち人間やめて猫のモノマネとかし始めそう』

『俺を何だと思ってんの!?』

『頭のおかしい彼氏?』

『おーけー、はっ倒される覚悟は出来たようだな?』

『わーっ、冗談だよ冗談!』


 俺が立ち上がって、手をわきわき。

 恵美はマヨネーズを向けてきて『来ないで!』と喚いた。

 さっきから何なんだ、そのマヨネーズ。


『オムライスでしょ?』


 自信を含んだ声で、恵美が言った。


『それも、ケチャップ感強めで、卵が硬いタイプの』


 ふふんと、勝ち誇った笑み。


『……まあ、死ぬ前に食べたいものってなったら、一番好きな食べ物になるよね』


 言い当てられて、ちょっと悔しい。


 でも同時に、嬉しかった。

 好きな食べ物の種類だけでなく、小さなこだわりの部分まで覚えてくれていることが。


 胸のあたりが温かくなる。

 

『ふふーん、見たかこの彼女力! ひーくんの食の好みなんて私にかかればイチコロよ!』


 前言撤回。

 悔しい!


『そういう恵美は、死ぬ前に何食べたいの?』

『何食べたいと思う?』

『マヨネーズ?』

『な、なんでわかったし!?』

『さっきからそんなに大事そうにマヨネーズ抱えていてそれ言う?』

『さすがひーくん、90点だよ!』

『10点は減点されてて草』

『流石の私も、マヨネーズ単品はねー』

『エビマヨとかマヨ唐とかマヨカレーとか、おおよそマヨネーズが付随した食べ物ってこと?』

『お! 98点!』

『後2点は……ああ、あれか、マヨせんべいか』

『ひゃくてーん!』


 ぱちぱちぱち!

 恵美が手を叩く。


 マヨせんべいというのは、近所のローカルスーパーで売ってる煎餅だ。


 マヨネーズをたっぷり練り込んだその煎餅はそれだけで懲役5年ものの罪の味なんだが、恵美はそれにマヨネーズを追加するという死刑並の味を作り出している。


『煎餅にマヨネーズをぶっかけ始めた時は流石に引いたよ』
『いやいやひーくんだって、目玉焼きにケチャップかけ始めた時は”正気か?”って思ったね』

『マヨラーとケチャラーの大戦争が起こらなくてなによりだよ』

『ほんそれ! もし勃発してたら世界を股にかけた大論争になってつぶやきったーの鯖落ちは必至だったね』

『ケチャップとマヨネーズに負けるつぶやきったーは見たくねえな』


 俺が苦笑いを漏らすと、恵美はぴゅーっと台所に引っ込んだ。

 なんだろうと首を傾げて戻す間も無く、恵美が戻ってくる。


『ひーくんには正解のご褒美に、お手製のオムライスを食べさせてあげよう』


 綺麗な形に整えられたオムライス。

 付き合い始めに初めて作ってくれた時はお世辞にも美味しそうとは言えない出来栄えだったのが、この二年で洋食屋さんも唸るほどの一品に成長していた。


 胸のあたりがもっと温かくなる。


『なんかさっきジュワジュワ作ってると思ってたら、オムライス作ってくれてたのか』

『さっきスーパー行ったらケチャップから目が離せなくなったから、これはもう作るしかないなって』

『ケチャップから目を離せなくなったってどゆこと!?』

『オムライス、作ってあげたくなったってことだよ』


 にっこりと恵美は笑った。

 その笑顔は、反則だ。


『ささ、冷めないうちに食べて食べて』

『いただきます!! ん……美味しい!』

『よかった』


 濃いめのケチャライス。

 硬めの卵。

 俺好みの味に、スプーンが止まらない。


『いや、ほんとうまいな、これ……?』

 

 不意に、スプーンが止まった。


『……? どうしたの、ひーくん?』


 気のせいだろうか。

 恵美の表情に、少しばかり物寂しげな色が浮かんでいるように見えたのは。


『なんかあった?』

『えっ? 別に? なんでもないよ?』


 ……気のせいか?

 それ以上は気にせず、そのままオムライスを食べ進める。


『ありがとうな、恵美』


 ごちそうさまをした後、俺は言う。


『んーん、どういたしまして』


 恵美が俺の肩に頭を預けて、上目遣いを向けてきた。


 長い付き合いの中でわかった、『撫でて撫でて』の合図。


 お望み通りに撫でてやると、恵美は気持ちよさそうに目を細めた。


 こんな日常がずっと続けばいい。

 心の底から、そう思った。

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