第3話

 突然のことに、俺は気が動転どうてんしていた。

 俺のかかえた想いは届くことなく玉砕ぎょくさいだと決め込んでいたから、頭の中では俺が置かれている状況を整理するだけの容量が足りていない。


 彼が俺の下ですすり泣きながらも、両腕で俺にしがみつき直す度に、俺の劣情は熱を増す。

 不謹慎ふきんしんだとは分かっているけれど、好きな相手に抱きつかれて我慢できる男は、この世にはいない。

 俺は俺の中の獣をなだめながら、彼に問いかける。

「お前、彼女が……、女が、好きなんだろ」

 彼は呼吸を整えながら、涙声で答えた。

「お、お前を諦めるために、女と付き合った。……でも、結局だめだった。心も、体も……」

 彼は再び泣いた。

 

 今までの彼の行動は全て、俺が理由だった。けれど俺は、自分の身に起こったことに未だ戸惑とまどっている。

 彼は俺の首に回している両腕の力を再び強くして、涙に濡れている頬をり寄せた。

 俺が思考の回復を待つ間にも、彼は何度も繰り返す。

「好き、好き」

 脳内で反響する彼の言葉で、俺はようやく幸せを噛みしめた。


 子どものように高い彼の体温を、俺は全身で感じている。

 彼との今日までの日々が、走馬灯そうまとうのように俺の中を駆け巡った。

 幼い頃の泣きじゃくった顔、怒った顔、俺へと笑いかける彼の顔が、大人になっていく。

 そして今、俺の腕の中に彼がいる。

 全てが愛おしく、尊い。


 俺は彼への誕生日プレゼントを思い出す。

 しがみつく彼を俺は抱き起こした。互いが座るベッドの上で、俺は両手で彼の涙を拭う。

 立ち上がった俺は、ベッドサイドに置いていた緑がかった水色の紙袋を手に取った。

 俺の想いの込めた贈り物。俺は彼へと紙袋を差し出す。

 俺は部屋の明かりを点けた。

 彼は重い前髪を揺らしながら目をこすると、不思議そうな顔をして俺を見る。その姿も愛らしく、俺は胸の奥から穏やかに温かいものが広がっていくのを感じた。

 落ち着きを取り戻した彼は、紙袋から白い太いリボンの掛かった紙袋と同色の小箱を取り出す。

 彼はその時、小箱が自分へのプレゼントだと理解したようだった。

 彼は俺に驚いた顔を一度向けると、静かにリボンを解いて小箱を開ける。

 片方だけの銀色のピアス。

 勢いよく顔上げた彼は、花のような笑顔を浮かべていた。

 彼は早々にピアスを付け替えて、再び俺に笑顔を向ける。


 俺は彼の隣に腰を下ろした。

 不意に、彼になぜ突然ピアスを開けたのかと理由をたずねてみる。

 彼は今度は照れた素振そぶりでうつむいた。

「中学生の時、高校生になったらお前を諦めることに決めたんだ。だけど辛くて……。一人で教室で泣いた」

 あの夕日の中の教室での、彼の涙の意味。彼を泣かせていたのは自分だったと、胸が張り裂けそうになる。

「……だけど、結局諦めきれなくて。ピアスは『一生お前が好きだ』ってことと、あとはいつか『お前が俺を好きになればいいな』って願かけ。俺……、本当に叶って驚いた」

 彼を貫いたピアス。俺のために開けた彼の決意に、心がしびれた。

 彼は続けて言う。

「そういうピアスだから、二個しか持ってないんだ」

 俺の贈ったピアスを、彼は喜んでくれた。

 彼は先ほど付けていた朱色のピアスを手の平に乗せた。お守りの代わりとして購入したことを教えてくれて、付いた石は彼の誕生石だった。

 もう一つの金色のピアスは、ピアスホールを開けた後に付けるだけのものらしい。

 俺は気分がよくなって、彼に言いたくなった。

「これ、もう片方は俺が持っている」

 俺は彼の左耳に触れる。

 彼は再び瞳に涙を溜めると、俺に抱きついた。


 俺は彼の両肩を少し離す。彼のあごを持って、俺は静かに唇をかさねた。

 彼との初めてのキス。世界の誰よりも幸せな男だと、俺は今すぐにでも大声で叫び回りたいくらい。けれどそれをすると、彼の唇を離さなければいけなくなるので、やめておく。

 軽く重ねた口と口。俺は彼の唇を少しずつ甘く噛む。

 柔らかく温かい彼の唇に、俺は夢中になった。


 再び、俺は彼を組み敷いていた。『親友』ではなく、『俺の恋人』になった彼を。

 彼の唇からひたいまぶたへと口付けた。頬から唇に戻ると、首筋へと滑らせて鎖骨へと吸いついた。

 鼻元に心地よい彼の匂いが漂う。香水のような、甘美かんび脳天のうてんを突き刺すみたく、俺の全てを満たす香り。

 彼が吐息といき混じりの甘い声を小さく上げた。

 俺だけが、この世界で彼とキスできる唯一の男だと、優越感ゆうえつかんひたされる。

 俺は何度も彼に唇を重ねた。彼でなければ、俺は今、こんなに幸せな心地にはならなかっただろう。

 俺の目がとらえる彼の茶色の髪。俺は唇を離して、彼の髪に触れた。

「髪、染めたかったのか?」

 彼は照れたように体を小さくねじる。

「色が変われば、お前の視界に入ると思って」

 赤らんだ顔を隠す彼の両腕を、俺はためらいなく解いた。

 俺は再び、静かに彼へと口付ける。

 今日彼を組み敷いてよかったと、俺は想いを噛みしめる。


 満足そうに笑う彼の姿は、俺の幸せを体現たいげんしている。

 彼の長い睫毛まつげや柔らかな頬を、俺は優しく指で触れていた。

 不意に、時計の時刻が目にまる。

 あと数時間で、彼は十七歳。

「もうすぐ、誕生日だな。愛してるよ」

 俺がそう言うと、彼は少し驚いた顔を見せる。それからすぐに彼は小さく笑みを浮かべて、俺に抱きついた。

 互いの恋が、しかも初恋が、成就じょうじゅしたところに立ち会うだなんて、何だかおかしな気分。

 けれど、彼のその相手が他の誰でもなく『俺』だということが、嬉しくてたまらない。

 俺の初恋は彼のもの。そしてまた、彼の初恋も俺のもの。

 こんなに素晴らしいことはない。

 そんなことを思っていると、彼が頬をふくらませる。

「もうお前は今日から俺のものだからな。この黒い髪一本だって、俺のものだから」

 彼らしい照れ隠しの返事だと、すぐに分かった。

 俺は可愛い怒り顔を見せている彼を抱き寄る。

 日付が変わったら、ケーキにキャンドルをともし立てよう。歌も歌って、彼の誕生日を祝い直そう。


 俺はこの先も、彼を組み敷くことをやめない。

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バースデーイヴ 水無 月 @mizunashitsuki

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