第10話


 身体が浮遊感に襲われた。

 自分を抱える細くても力強いその腕から私は空中へと放り出される。


 一瞬呆けて、何とも言えない声が出る。

 魔法発動は完了し、後は閉じ込めるだけに至った。


 神聖束縛魔法【セイント・カージプリズム】は対象を定めて封じる事に特化した神聖魔法。本来なら魔王を束縛し、一時的に味方に支援するだけの時間を稼ぐ為に存在する。『魔』に特化した神聖魔法で唯一、敵を封じる事に特化した聖光牢。十六の光の柱が繋がり、球体型となり巨大な牢となる。


「えっ?」


 聖光牢の完成までのごく僅かな時間。

 空中に放り出されたミラは、龍の爪がルージュに振るわれた光景が目に焼き付いた。

 

「ルージュさん!!!!」


 叫んだ所でもう遅く、聖光牢の完成と共にルージュの小さな身体は龍の爪に引き裂かれた。空中に鮮血が飛び散り、ルージュは力を失ったかのようにただ真っ逆さまに地面に落ちていく。この高さを頭から落ちてしまえば即死だ。


「第四階梯【アクア・ウィップ】!!」


 ミラが第四階梯の水魔術を唱える。

 右手に展開された魔方陣から凝縮された水の鞭がルージュの腕に巻きつく。ミラは力強くルージュを手繰り寄せる。乱暴かもしれないが、頭から落ちて死ぬよりマシだ。このまま抱えて風の魔術で着地を。


「第三階梯【ウィン…グ……!?」


 ぐにゃりと、視界が歪む。

 空中にいるにも関わらず、倦怠感に身体が重くなり、頭痛により思考が纏まらなくなる。この症状をミラは知っている。


「(魔力…枯渇…!?こんな時に……!)」


 当然ながら神聖魔法は燃費が悪い。

 そもそも、魔法は魔術とは違い、神聖魔法は感情によって形成される人智を超えた力だ。魔術以上に魔力を消費する上に、更には五十メートルもある巨体を封じ込めるだけの聖光牢を創れたのさえ魔力残量を考えれば奇跡と言っていい。

 だが、当然ながら魔力を消費し過ぎた。補給した魔力も切れ、手繰り寄せたルージュを抱えながら意識が遠のいていく。しかも此処は上空、このまま落ちれば二人とも落下で即死だ。死ぬくらいなら生命力を代価にして魔力を絞り出そうと右手を動かしたその時、ミラの耳に馴染みのある声が聞こえた。


「うおおおおおおっっ!?」


 それは《運び屋》のザックの声だ。

 馬車の荷台を動かし、着地地点に強引に荷台を走らせる。車両がギャリリリッ!!と地面に擦れて嫌な音を出しながらも、二人の着地地点まで間に合い、バフッと馬車の布地に乗っかり、二人は地面への激突を免れた。


「あっぶねえな!?大丈夫か聖女サマ、ルージュも!?」

「うっ、私は大丈夫です!それよりルージュさんが!」

「!?」


 ガシャン、ガシャン!!と聖光牢の中で龍が激しく暴れ出す。思わずミラもザックも二度見していた。聖光牢は龍が暴れようと壊れる事はない、牢に触れると弾かれ、獄炎の吐息も牢の中で反射し、龍が自ら身体を焼いている。


「あの聖光牢、いつまで保てる?」

「多分、一時間が限界です!それよりルージュさん達を!!」


 馬車の荷台の布地が血で滲み始める。

 ルージュを抱え、ミラが地面に優しく降ろす。ルージュの容体を見るにザックは目を細めて顔を歪めた。爪の直撃は避けたようだが、振り下ろされた軌道に風の刃が飛んだのだろう。ルージュは風の加護がある以上、風圧や風の抵抗は大抵は無効化出来るが、それでも完全な無効化と言えるわけではない。


「傷が深いし、出血が酷え…。聖女サマ、魔力は?」

「もう空っぽです。生命力を還元して魔力を」

「止めろ!生命力まで使えば魔力の回復自体が遅れる。アンタ抜きじゃアレを止めるのは無理だ」

「でも……!」

「とりあえず、俺の持ってる上級ポーションで試してみる」


 ルージュの服を持っていた護身用のナイフで裂き、胸元の傷を曝け出し、上級ポーションをかける。初級なら軽傷を、中級なら火傷や腐食なども癒し、上級なら例外を除いて病や重傷も治せる。


 だが……


「クソッ、やっぱこの傷、心臓部近くまで届いてやがる。上級ポーションでもここまでの傷は無理だ。それに血が足りねえ」

「ルージュさんの血液型は」

「分かるわけねぇだろ!?坊主の事を俺たちはよく知らねえ。増血薬も間に合わねえ」

「そんなっ!」


 増血薬はあくまで貧血や血を流し過ぎた時の応急に過ぎない。それ以外では輸血でなければ不可能。聖女の回復魔術には血を補填する魔術もあるが、魔力が全く無い中では使い物にならない。


「……ん?」

「どうしたんですか!?まだ何か…!」

「ホムンクルス…坊主、コイツ魔王討伐前に逃れたクチか?」


 ザックは神妙な顔をしながらルージュを観察する。肌は白く、胸元は血に染まっているが、小さな結晶のようなものが埋め込まれている。フードを被っていたから顔がよく見えていなかったが、やや幼い。


「ホムンクルス?」

「ああ、まあザックリ言えばだ。ホムンクルスは短命である代わりに人間より成長しやすい」


 考えてみれば、精霊の加護を貰っていて、魔術を多少使える程度しか、この少年を知らなかった。ザックはある程度取り引きとして少年に依頼した。素性の知れない相手に聖女を任せるのは危険である上に、魔獣を単体で殲滅させるだけの力を持っていた以上、下手に素性を知り、面倒な事が起きてしまうよりは利害による一致で動いた方がいいと判断していた。だから敢えて踏み込まない方面でルージュと接していたが、蓋を開けてみればザックもその正体に驚いていた。


「(にしても、ホムンクルスか。あんな場所に居るのもそうだが、ホムンクルスが精霊の加護を持つ?そんな話、聞いた事ねえ)」


 ホムンクルス。

 それは人間を母胎を使わずに人の手によって生み出された人造人間。人間とは違い寿命が短命であるが、その分、身体能力や治癒力は人間を遥かに上回り、戦士として量産された存在。特徴としては胸に特有の結晶が埋め込まれているのと、肌や髪が 白子化アルビノによって白い所だ。

 ホムンクルスは人類でも有能なもので、ある時には兵器として魔王軍の侵攻を食い止めてきたが、魔王討伐前に魔王軍によってホムンクルスを生み出す研究施設は根こそぎ破壊され続け、研究者達が遺したデータも全て焼き尽くされ、再び量産は不可能とされていた。ホムンクルスの技術で今も活かされているのは、ホムンクルスはどんな血にも対応出来る万能血液という所だ。それのおかげで死者は多く減り、その恩恵は今も生き続けている。


「(なんであんな場所に居たのか、精霊郷からあの場所に来る意味はねえ筈だ。外は『焉寂えんじゃく』が蔓延してるし、精霊郷以上に安全な場所はねえ筈だ)」

 

 ホムンクルスは今や絶滅危惧種だ。

 ホムンクルスを造った『錬金術の天才』と呼ばれた男、シルバーズ・ハーウェイが生み出した人間の擬似霊魂の作製は今となっては誰にも出来ず、命令に忠実なホムンクルスは王族の命令には逆らえない。ましてや、自我などというものが存在しない筈だ。


 だが、ルージュには自我が確かに存在する。

 ホムンクルスは知識が既にインプットされており、この世界の常識などに詳しいはずだ。だが、最近の事象に全くと言っていいほどの知識がない。明らかに怪しい。


「(…いや、今はそんな事どうでもいいか。確かに怪しい部分はあるが、最悪聖女サマを逃がせるのがコイツに掛かっているのも事実だ。とりあえず傷を塞がねえと)」


 仮に国がどうしようもなくなってしまった時、聖女であるミラだけでも逃さなければならない。あの巨大な龍は全戦力をかき集めて殺せるかどうかだが、全戦力が消耗しすぎている。最悪国を捨ててでもミラは生きていかなきゃならない。人類終焉のチェックメイトはもう迫っている。逆転のカードが失われたらもうゲームオーバーだ。


「傷もそうだが、一番の問題は血だな」

「足りないんですか?」

「ホムンクルスは万能血液だから、逆に言えば多分どの血液型でも適合出来る。だが生憎、輸血するほどのパックは俺にはない。となると、直接輸血するしかねぇが…」


 親指を馬車に向ける。

 ミラが視線を向けるとそこには血塗れとなって寝かされていた人の姿だ。それも二人。


「ジークさん!ミーナ!?」

「俺の持ってる輸血パックは全部二人に使ってるし、取り外せねえくらい重傷だ。直接となると俺は血が足りてねぇ」


 ザックも圧倒的に血が足りていない。 

 ゲテモノ魔獣の肉を食って増血したはいいが、それでも足りない。本来なら増血してすぐに動くのだって危険だし、ザックだって本調子ではない。正直まだ激しい運動などが出来ない中で、血を失うのは危険だ。


「っ!」

「はっ!?おまっ、何してっ!?」


 ミラはルージュの腰に据えたナイフを借り、自分の左手に突き刺し、ルージュの左手首を切り、強く握る。


「聖女サマ…」

 

 直接輸血。

 残念ながら輸血出来る注射器などの医療道具は切らしている。強引で、危なっかしいやり方ではあるが、手首を切り、出血部分で抑える事で血を少しでも増やそうとする行為だ。治療法としてはかなり間違っているし、そんな事しても輸血出来る量などたかが知れている。だが、ミラは諦めたくなかった。


 応急処置として縫い針で血肉を強引に塞ぎ、上級ポーションをかける。やり方はアレだが、傷が塞がり、血が止まるならまだ応急でも価値はある。だが……


「クソッ!やっぱ傷を雑に縫って治るわけねえし、治癒力も限度がある」

「やはり生命力を…!」

「アンタが死んだら聖光牢も解除されるだろーが!血も失ってんだし、危険過ぎる。こっから坊主を回復出来るだけの魔力持ちを探すしか」

 

 それは現実的ではない。

 ハッキリ言って、不可能だろう。民達が避難所や家に篭っている中、魔力を分け与えられるスキルを持った人間を探す。医療系や薬剤師などの《職業》である人間が偶に発現するスキル。『魔力譲渡』を使える人間は結構希少だし、何より聖女が神聖魔法を使う為の魔力を補える人間なんて世界に指で数えるくらいしかいないだろう。


 一体どうすればいい、そう悩んでいる二人を我関せずと聖光牢を壊そうと暴れる特級魔獣ウロボロス。このままじゃ数時間どころか三十分も保たない。檻の中で暴れ、その衝撃波が髪を揺らし、恐怖を振り撒いていく。


 チリン、と音が聞こえた。

 衝撃波の風に揺られ、ペンダントが持たされた十字架のロザリオとぶつかって、音を鳴らした。

 

「あっ!ジークさんのペンダント!!」

「あっ?ペンダント?…っと言うと『古代魔導具アーティファクト』のアレか?こっからあの場所まで着く前に坊主が保たねえぞ」

「そうじゃなくて共振!ペンダントが二つあるなら!」


 ルージュが言っていた。  

 もしかしたら、『古代魔導具アーティファクト』と共鳴する水晶のペンダント二つを掛け合わせているせいで供給出来る魔力パスのラインが長くなっている可能性がある。

  

 寝かされているジークのペンダント。ザックにナイフを渡し、ジークの服を裂かせる。裂いた先には聖女と同じペンダントがジークの首に掛けられていた。


「コイツか!?」

「それです!ください!」


 右手でそれを掴み、自分のペンダントと共鳴させる。『古代魔導具アーティファクト』の水晶に近づけただけで魔力が供給出来るなら、ペンダントの水晶同士を合わせれば同じ事が出来る筈だ。


 問題は距離と、リソースの奪い合いだ。

 この距離から魔力を供給出来るか。空を飛び、落ちた場所は『古代魔導具アーティファクト』がある場所から少し遠い。

 

 そして、蓄えられた魔力のリソースを奪っているのは間違いなく空に浮かぶ龍の魔獣だ。絶えず魔力を奪っているからこそ、あれ程強大な魔力を放っている。


 あの時とは違い、同じ条件。あとはどれだけ『古代魔導具アーティファクト』に溜め込まれていく魔力を供給出来るか。



「お願い…!」


 聖女の繋ぐ魔力パスが伸びていく。

 崩れ去った地下から一直線に膨大な魔力がミラに送られていく。送られてきたと思ったら魔力は徐々に少なくなる。蓄えられた魔力はここが限界のようだ。


 ミラが手に入った魔力は精々三割。

 だが、今はそれだけで十分だ。ルージュを回復させるだけの魔力は手に入った。


「第七階梯【リヴァイヴ・フォーミラー】!」


 時間回帰にも等しい治癒魔術がルージュの身体を修復していく。心臓部に届きそうだった傷は元に戻っていく。傷が塞がり心音を確かめる。トクン、トクンと正常な心音が聞こえ、ホッとする。魔術じゃ血までは回復こそしないが、命に別状は無さそうだ。

 

 ガシャン!ガシャン!バキッ!!


「えっ?」


 聖光牢が軋む音が聞こえた。

 空を見上げると、龍が爪を聖光牢に突き立てている。数時間は拘束する聖光牢に罅が入っていた。


「……嘘、だろ」


 バキバキバキッ――!!!


 一瞬だった。

 聖光牢に罅が入った瞬間、龍の爪を振り抜かれ、呆気なく砕け散る。砕け散った光の破片と、聖光牢から出てきた空の暴君が雄叫びを上げた。

  

 ミラは魔術でルージュを回復させ、魔力は殆ど残っていない。ザックは戦闘出来る人間ではない為、論外。


 空の暴君は大きく息を吸い始めた。

 そこに集まる膨大な魔力と太陽を思わせるような熱が口の中に凝縮されていく。最早、あの龍にとって、無駄に追いかける意味などない。魔力を凝縮し、国ごと一息に焼き尽くせば、それで殺せる脆弱な蟻にも等しい。


 地を這う蟻が如何に群れようと天に届かない。空の暴君の息吹が地に向けて吐き出された。


「クソッ、駄目か…!」

「(魔術じゃ駄目!神聖魔法で――)」


 ミラが神聖魔法で防ごうとするが間に合わない。アレだけの大出力、それに対抗できるだけの魔力も圧倒的に足りない。


 ザックもミラも、『死』を覚悟した。

 最早、手立てなど無く、打開策も無い。空の暴君の息吹は止まらない。


 死ぬ。その事実は変わらず、恐怖を植え付けられて死ぬ事を怖れ、ミラは目を閉ざしていた。 


「――――」



 その時だった。

 ミラの頬を撫でるように風が吹いた。


 業火が降りてこない。

 恐る恐る目を開けると、業火が風に遮られていた。圧倒的な火力を誇る龍の息吹が熱すら通さずに風に受け止められていた。


「ルージュ……さん?」

 

 右手を上げ、治ったばかりのルージュがゆっくりと立ち上がる。悠然としていたルージュを見て様子がおかしいと察したミラが何か声をかけようとした次の瞬間、右手で《『空をなぞった》》。


「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!??」


 放たれた風の斬撃に龍の息吹が裂かれ、更に、龍の顎を斬り裂いた。アクトと戦っていた時に使っていた風の斬撃。だが、それとは規模も出力も違い過ぎる。


「坊主、なのか?」


 ザックがルージュを見て、本人なのかわからないと疑問が浮かぶ程に変わった彼を見てそう呟いた。白髪だった髪の一部が赤く染まり、オッドアイであった左眼は深蒼色ネオンブルーは鮮やかな深紫色ディープパープルに変貌していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Blue Record《ブルー・レコード》 アステカ様 @sugilion

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ