第9話
その視線があっただけで『死』を覚悟した。ミラは《聖女》だ。聖女としての才覚だけなら歴代の中でも遥か上。しかし、《聖女》としての職業を経たのは二年前、ミラが十二歳の頃だ。そこからひたすら王城で魔術や魔獣の討伐。
現在、彼女のレベルは71。騎士団長ジークが職業を経てから二十年かけてレベル94まで至った事を考えると、とてつもない偉業であり、まさに天才と呼んでも過言ではないだろう。
だが、そんな彼女は誰かの後衛としては優秀でも、一人であんな巨大な魔獣を倒せる程の力はない。《聖女》とは後衛職の頂点、全魔術適正、治癒力の効果の増幅、『魔』や『悪』に対しての特攻と誰かを支援、後ろにいる限り負けさせない圧倒的な職業スキルを持っている。
それはつまり、後衛として強くても前衛に出てしまえばそれほど強くはない。神聖魔法の行使も、前衛で使用するには構築の時間に無理があり、魔術を使って攻撃する前衛としては敵の動きを読み、躱しながら魔術を放つ為のフィジカルが圧倒的に足りず、剣を持つにしても人より使えるだけの拙い剣技。
元々この世界を狂わせた『
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
「っっ!!」
ルージュがミラを抱えて風を操作し、見張り台から飛び降りる。その一瞬の判断が無ければ、二人は死んでいた。飛び降りた直後に見た光景に二人は絶句する。
「っ、見張り台が!?」
「捕まって、もっと飛ばす」
龍が此方に突っ込んできた。
あの巨大に似合わない速度で噛み付いてきた。見張り台に突っ込む勢いを止められず城まで、硬い素材で第五階梯の魔術でもびくともしない壁を諸共せず貫通する。
「じゃなきゃ、死ぬ」
ルージュは抱える力を強め、更に空を駆ける。此処から離れなければ被害が拡大する。かと言って、上手く撒ける自信はない。あの巨体が暴れても問題ない場所まで追い風で飛び続ける。
「っ!」
「きゃああああっ!?」
突如、龍の口元が膨張する。
それを見たルージュは龍の口が開くと同時に急降下する。飛んできたのは熱線。炎の吐息が光線となって此方に放たれていた。
「な、此処まで離れたのにこの熱量!?」
「『怪奇の森』が…」
超高熱の光線が怪奇の森を抉っている。此処からあの場所まで射程が届く。離れていてもこの熱量、まともに戦って勝てる存在ではない。
「(おかしい。幾らなんでも強すぎる。特級魔獣といっても進化直後、此処まで強くなるなんて…)」
恐らく、最初に確認した大蛇が進化した存在だろう。ある程度雰囲気で分かるが、それにしては超越し過ぎている。
「(しかも、こっちを狙ってる)」
進化した魔獣は基本的に獰猛だ。
ただ、破壊衝動に動かされ、欲求に従う。だが、あの龍は間違いなく明確な殺意を持って此方を追いかけている。
此方を視認しただけで狙ってくるなど、普通に考えてあり得ない。知性がある魔獣であっても、何もしていないミラやルージュをいきなり襲ってくるなど、理解が出来ない。まるで二人を殺せと命令されているようだ。
「とはいえ…いい状況でもある」
此方を狙ってくるのは好都合だ。このまま引き付けて、王都から離れれば被害は最小限に食い止められる。ミラもそれについては理解しているのか、出来る限りの神聖魔法の準備をしている。
「ソレで、動きを止められる?」
「多分長くは止められません」
だが、今は時間が欲しい。
体制を立て直す為には時間が必要だ。避難に武器の支給、配列の組み直し、救命の為の人手も欲しいが、それは時間が無ければ呼び込む事すら出来ない。現在、民達は避難所へと動く事が出来ず、家に塞ぎ込んでいる。避難所には結界が張っており、そこまで移動すれば家に塞ぎ込むよりはまだマシだが、この状況下では動けない。
「わっ!?」
「っっ…!第二階梯【アイスウォール】!」
龍の大尾が二人を叩きつけるように振るわれる。ルージュは咄嗟に第二階梯【アイスウォール】で氷壁を空中に生み出し、攻撃を紙一重で逸らす。とはいえ、氷壁は晒すだけで粉々、真正面の防御に使っていたら砕けた氷壁が2人に突き刺さっていたかもしれない。
「まだ?」
「あと少し…です!」
ミラの神聖魔法は自身が動かない事が前提の魔法。魔術と違って魔法は理論ではなく、魔法は感情によって力を形成する。故に発動がとても難しく、雑念一つで形成した魔法が霧散する可能性だってある。ルージュが抱えながら逃げている状況下でミラは雑念を一つも出さず、恐怖していた心を強引に奮い立たせて魔法を使おうとしている。
魔法の使用可能まであと十秒。ミラの両手に溜めた圧縮された『聖』の魔法が龍を脅かす。残りの魔力総力の全てを使った神聖束縛魔法が展開され始める。
「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」
「っっ!?」
特級魔獣ウロボロスは吠えた。
距離を取るどころか獄炎の
ルージュならギリギリ躱せる速度。熱量も射程もとんでもなく、直撃すれば即死は免れないが、追い風で飛ぶ事の出来るルージュはウロボロスが炎を口に溜め切る前に方向転換して予測している。逃げるだけなら不可能ではない。
「ブオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」
「がっ……!?」
――発動まであと八秒。
ルージュが突如、風の制御を失った。
ウロボロスの叫びが空に衝撃波となって響き渡る。ルージュは風を操作し、真空の膜を創り出す。音による爆音攻撃はルージュの対応が遅れ、音はギリギリ防げたが、衝撃波によって操っていた風そのものが乱れ、二人は空から落ちていく。
「っ!!」
「あと、少し!!」
――発動まであと五秒。
風を再び掌握。体制を立て直し、ウロボロスを見上げる。その龍の口元には巨大な魔力が溜まっていた。
「避けっ」
一秒後、獄炎の
「うわあああああああああっ!?」
「こ、こっち来たああぁぁぁぁぁ!?」
「逃げろおおおおおおっっ!!!」
思考が止まる。
この位置が最悪だ。結界が張られている事を感知したルージュが後ろに視線を向ける。そこには、多くの住民がいた。躱してしまえば、斜線上にいる住民が獄炎に殺されてしまう。躱せる筈のルージュの思考が止まる。躱せる筈なのに、自分の命と他人の命を一瞬でも秤にかけてしまった。
――あまりにも致命的な隙だった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!」
――発動まであと四秒。
ルージュは風を最大限に操作し、獄炎を散らすように風壁を生み出す。だが、ルージュの風壁が押し負けて、ルージュの腕が焦げ始めた。顔を顰め、歯を食い縛りながら、ミラを身体で包み、右手を掲げて風で押し返そうとする。風で熱量を散らしているが、全てを防げず、白い肌をした右腕と、深緑色のローブが徐々に焼き焦げていく。
「っ、ああああああああああああっ!!!」
――発動まであと三秒
ルージュが叫びながら風の出力を限界以上まで引き出す。感情の薄いルージュが叫ぶ事にミラは僅かに驚きながらも、風が獄炎を押し返していく。限界以上の力を引き出そうとすれば身体に負担がかかる。加護とは精霊が一回のみ授けられる特権であり、その出力はレベルによって左右される。血涙を流し、出力を上げて押し返す。
――発動まであと二秒。
「っ、ハァ、ハァ……っ!?」
獄炎の
それと同時に龍の爪が此方を向いた。出力を上げ過ぎて身体に負担が掛かり過ぎ、動くには遅過ぎた。
「えっ?」
――発動まであと一秒。
此方に振るわれる爪の回避が出来ない。風の操作が間に合わず、ルージュは咄嗟にミラを後方に投げ飛ばした。呆気に取られたミラ、発動が完了される魔法、そして――ミラをその場から離脱させられた安堵の微笑み。発動された魔法と同時にミラは叫んだ。
「ルージュさん!!!!」
ザンッ!!と、龍の爪はルージュの小さな身体を斬り裂いていた。
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