記憶の魔女とあなたの魔導書(下)
「……追いかけなくて、いいの?」
静まり返った部屋の中、魔女が私に問いかけます。
「どちらにせよ、追いつけませんから。待ちますよ、彼は賢い生徒なので」
座ったまま、私は答えます。
全力で逃げるのであれば、私に追いかけることは出来ません。それは身体能力的な意味でも、乗り物的な意味でも。
それでも、私は知っています。彼が、なんの言葉もなく立ち去るような人間では無いことを。
「ですから、先にあなたとお話がしたいです」
「……どんなお話かしら」
「あなたの吐いた嘘の話、など」
魔女は不思議そうな顔を浮かべて。しかし、私がじっと見つめていると、観念したように話し始めます。
「なんで分かったの? 参考までに、聞かせてくれると助かるわ」
「トイの背中には、鞭で打たれた傷がありました……見せてもらった両親は、そんなことをしてなかったので」
「……ああ、少し優しすぎたかしら」
寂しげに、しかし笑みを作りながら、魔女は私に語ってくれます。
記憶を読み取る力、記憶を追体験させる力。その事に、偽りは無いと。
隠していたことがひとつ、追体験させる記憶は多少いじることが出来るようで。本人が、そういえばそんなことをしたなと本気で思い込むような、そんな記憶の改変が行えるのだと。
「大筋は、弄ってないわ。ただほんの少し、痛いところを切り取った、それだけ」
「……なるほど、通りで。ご配慮、ありがとうございます。私も、彼が苦しむところは極力見たくないですから」
話を聞いた私は、彼女に頭を下げました。だから、顔は見えません。それでも困惑の表情が伝わってくるような、そんな声で魔女は私に聞きました。
「……怒らないの?」
私の力なら、もっと苦しませないような。そんな記憶を見せることも可能でしたのに。
少し、言葉につまりながら。しかし言わなきゃいけないことだというようにハッキリと。
魔女の言葉を聞いて、私は顔を上げて視線を合わせます。
「怒りません、が……聞きはします、何故?」
その問いの答えは、既に自分の中に持っていました。だって、彼女はわざわざ、自分と同じように祝福を授かった者を探していたんですから。
私が察していることに、彼女も気づいているのでしょう。彼女が返してきたのは、質問の答えになっていないような、そんな言葉。
「望まずに得た力のせいで、周りの自分を見る目が一変する経験を、あなたはしたことがあるかしら」
私は、首を横に振ります。
それはきっと、私の経験したそれとは別種の地獄でしょうから。
「信仰も、畏怖も。行き過ぎれば暴力に変わるの、私は──そして、おそらく彼も。幼い頃にそれを体で覚えさせられた」
彼女を覆ってたものが剥がれて、素の彼女が顔を出します。
私は、その様子をじっと見つめていました。
「そしてね、それを何とかしてしまえるほどの力が、実際にあったの。それって、酷く悲しいことじゃない?」
記憶を辿る、その人の根源的な所へ触れる力。それがあったから恐れられて、その力を使って全部上手くいった記憶に改変した、と。
彼女は寂しそうに語りました。いえ、寂しいのでしょう。寂しかったのでしょう──同じ経験をした人を、探そうとしてしまうくらいには。
「幸せな記憶に、そうじゃなくても辛くない記憶に変えてあげることが出来た。そもそも、周りが蓋をするための記憶喪失だったんだもの」
それを、仲間が欲しいからと掘り起こしたのは、私です。
そう、魔女は言いきって。そして、頭を下げました、まるで首を差し出すように。
「取り返しのつくことではありません、好きな罰を、お受け致しますわ」
「──では、こうしましょう」
だから、私は優しく微笑んで。魔女の手を両手で握ります。そしてそのまま、祈るような形へ。
「祈ってください、これから上手くいくように……いずれにせよ、そのうちやる必要があったんです」
「……なにを、なさるつもりで?」
「大事なことを、ですよ」
◇
魔女の家を出てみれば、バギーが1台エンジン音を鳴らしたまま止まっていて。
乗ってくれ、と書かれたメモ用紙が1枚挟まっていました。
「乗れ、とだけ言われましても」
なんて独り言を呟いてから運転席に乗り込むと、バギーがひとりでに動き始めます。
物と会話する能力の、延長でしょうか。時折アクセスとブレーキだけをしながら、しばらく。そこは国から出て少しの、綺麗な海岸でした。
「記憶が、戻ってさ」
そして、そこに。
「こんなことも出来るようになってた、便利だよな」
彼が立っていました。少し、悲しそうな笑みを浮かべて、立っていました。
「海を背景に、なんて。浪漫がありますね、随分と」
「街の中で叫ぶわけにもいかないだろ、迷惑になる」
至って普通を装って、トイは私と会話をします。
「でも、いい景色だよな。先生はこういうの、何度か見た事があるのか?」
「ええ、何度か。話しながらは初めてですが」
「そっか、そりゃあ……新鮮な体験ができたな、感謝してもいいんだぞ」
「ふふっ、ありがとうございます」
少しバツの悪そうに、彼は頭を軽く掻きました。そして、苦笑いで言葉を。
「でも、あれだな。俺は先生に謝らないとな」
「おや、どうして?」
「答えのない旅に付き合わせちまっただろ? 土地ごと消えたわけじゃないから、着く可能性はあったとはいえ」
あそこはもう、俺の帰る場所じゃなくなってた。
その一言には、きっといっぱいいっぱいの感情が詰め込まれていて。だから私は、なんでもないように言葉を返します。
「構いませんよ? おかげで色んな景色が見れました」
「そうか、そりゃよかった」
「……ねぇ」
「でも、もう大丈夫だ。わざわざ俺に付き合わなくっても大丈夫、先生は好きなことしてくれ」
「トイ」
「俺は、ほら。まあ、帰ったら何されるかわかんないしさ。普通に旅でもしてみるかな、楽しかったし」
「私は」
「ああ、もちろん徒歩でだぞ? 食料は……悪い、多少分けて貰えると助かる。空腹は案外きつかったからな、無理にとは言わないが──」
「あなたを故郷に帰したら、死ぬつもりだったんです」
「──は?」
私の言葉に、トイが固まります。
私は……今、どんな顔をしているでしょう。
「母親を、殺して。だから、生きてなきゃって思ったんですよ。奪って手に入れた命ですから、適当に理由をつけてでも」
トイは、言葉を出すことが出来ないようで。
「でもね、生きる意味なんてなかったんです。痛いし、苦しいし。終わらせるのは怖かったから、ずっと終わればいいと思ってました」
それをいいことに、私は言葉を重ねます。
「あなたと会って、区切りを手に入れたなって思ったんです」
私の生きた理由、親の夢を奪ってまで生きたのは、彼を故郷に導くためだと。
それが終わったら、私の役目も終わって、キリよく死ぬことが出来るのだと。
私はそう思っていました。死ぬために必要な終わらせる勇気は、何かを成し遂げることで手に入るのだと、そう思っていました。
「──でもね、トイ」
私は、彼をじっとみます。基本、隣にいることが多いですから。こうして真正面から向き合うってことは、あまり無いかもしれませんね。
「誰かがいる夜が、あんなに楽だとは思わなかった。誰かと囲む食卓が、あんなに楽しいとは思わなかった」
誰かとする旅がこんなに面白いとは思わなかった。
言います、全部、全部。どこかで言わなきゃいけないことだったので。この機会に、全部ぶちまけてしまいます。
「あなたは、自分がいなくなったあとの一人旅を、心配してくれましたが──無理ですよ、もう」
「……なんだ、それ」
ようやく、トイが口を開いて。
「なにか、と言われれば。告白ですけど」
私は今、不謹慎にも。笑っているんだと思います。
「私はあなたがいないとダメなので、そばに居て欲しいです。代わりに、私があなたの帰る場所になります……なんて、それじゃダメですか?」
私が、笑ってそう言って。
彼も、釣られるように笑いました。
「……は、ははっ、あっははは、なんだよ、悩んでたのが馬鹿らしくなってきた」
「む……私は、真剣なんですが」
「そういう言葉、どこで学ぶんだよ。俺より2歳下だろ」
「あなたより2年多い、旅の時間でですかね」
少し決めるように言って、トイはもう一度笑いだします。やや、しばらく、間があって。
「──愛されてたかった、両親に」
溢れ出すような言葉が。
「記憶の中の俺がさ、そんなふうに泣いてるんだ。まだ、泣き止んでくれないんだ」
「……分かりますよ、その気持ち──席を、外しましょうか?」
「……いや、そばに居てくれ。見ててくれると、助かる」
「……はい」
そして、彼は泣きました。
いっぱいいっぱい泣きました。消えていた記憶の分を、供養するように泣きました。
◇
海沿いの道に、エンジンの音がなり始めます。
「……それじゃ行くか、先生」
「ええ、いつも通り、目的地はないですが」
いつも通り、荷物の確認。食料、そして瓶を確認した時に気づいます。
「あー……感情、いっぱい補給出来ましたね」
「……風情の欠片もないな」
感情いっぱいになった瓶。それを見て、私は少し考え事を。
そして、閃きました。
「前払いは、受け取ったので」
白紙の本を1冊取りだして、彼の前に掲げてみせます。
「あなたのための魔導書を、1冊作ってみませんか?」
魔導書作り、承ります 響華 @kyoka_norun
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