記憶の魔女とあなたの魔導書(中)

「それじゃあ、あなたのお話を聞くためには、私の力が必要なのね」


 招かれた魔女の家で、私たちの談笑は静かに始まりました。

 旅の話は程々に、話題はすぐにトイに対してのものへと移ります。仕方の無いことでしょう、2年ほど旅をしている私でも『祝福』を持った人と会うのはこれで2人めです。


 同じ特別な力を持つもの同士、興味は私が持つものより大きいはず。問題は、トイに記憶が無いことですが……それも、解決出来そうですから。


「最初、その力があると知って、どう思ったかしら」

「どうって……いや、特に何も。当たり前のものだと思ったな。物に言われて初めて特別な力だって知ったくらいには」

「ああ、やっぱり。そこは共通みたいね。私も、呼吸をするみたいに当たり前の事だと思ってた」


 出されたコーヒーを啜りながら、私は2人の会話に耳を傾けます。共通点があると知って、少し嬉しそうな声のトイ。対して、魔女の言葉は少し暗めな気がします。


 詮索をするつもりは、とりあえずはありません。気を損ねてしまっては、本来の目的が果たせなくなりますから。


「副作用……ということは、ないと思うわ。私の体に異変が起こったことは無いもの」

「そうか……まあ、何が起こったかは今から思い出せる、だろ?」

「ええ、普段はお金をとるのだけれど……今回は特別に、無料でしてあげるわ」


 トントン拍子で話が進む中、私の頭にひとつ疑問が。

 まあ、これくらいは聞いても別に怒られないでしょう。どうせすぐに分かることですし。


「あなたの、記憶を辿る祝福ですが……具体的には、どのような?」

「そうね……あんまり人に説明をすることは無いのだけれど」


 少し考えるような素振りを。手を頬に当てる仕草すら似合って見えるのは流石と言うべきでしょうか。

 曰く、相手のしてきた経験や見てきた物、1度でも記憶に納めた物をのぞき込むことが出来る力。そして、それを自分以外の人に見せる……もっと言えば、体験させることが出来る。そういった力だそうで。


「なぜ記憶を失ったのか、それはわからないけれど。何も問題は無いわ、白紙からでも書かれていた文章を復元できるような、これはそういう力なの」

「理屈は、まあ全然わからないが。そういうもんだもんな──それじゃあ、よろしく頼む」

「ええ、わかりました」


 と、その言葉と共に、魔女がトイの頭に手を乗せます。


「私も、ご一緒してもよろしいですか?」


 そこに割り込むように、私は声をかけました。彼女は少し驚いて、しかし納得したような顔を浮かべます。


「バディですものね、構いませんわ」


 さて、そういった彼女は私の頭にも手を乗せて。そして静かに、しかしハッキリと聞かせる声で一言、こんなことを言うのです。


 ──本当に、よろしいですか? と。

 私に、それを止める権利はありません。トイは、大丈夫だと一言返して。


 私たちの意識は、一瞬遠のいていきました。



 ◇



 家があった、あまり大きくない家だ。大人が2人と自分が住んでいる、きっとこれは両親なのだろう。


 自分が言った。

 お母さん、内緒でアイス食べてたでしょ、と。


 何で気づいたの? と困った表情を浮かべる母親に、自分は告げる。

 机が教えてくれたんだ、と。


 何度か、そういうことがあった。最初は冗談を言っているのだと思っていた両親も、だんだん自分が嘘をついていない、本当のことを言っているのだとわかったようだった。


 母が言った。目の前で、物と喋ってみてほしい、と。

 言われたから、その通りにした。あんまり人前で喋るのは好きじゃないけど、お母さんの頼みだったから。


 父が言った。もっと大勢の前で、喋ってみるつもりはないか、と。

 褒められたから、その通りにした。苦手なことを頑張ったから、いっぱいお金がもらえた。



 ずっと、そんな生活が続いて。自分はこんなことを喋っていた。

 もう疲れたよ、なんでこんなことしなきゃいけないの? 面倒だよ、と。


 気がついたら、自分の目の前に牢があった。今まで住んだことのないような広い部屋で、でも外に出ることは出来なくて。

 あなたは特別なんだから、と母が言った。

 お前はいろんな人を助ける義務がある、と父が言った。


 当たり前のことだと思ってた。物と話すこと、物の話を聞いてアドバイスをしてあげると、こと。


 全部、全部普通じゃなかったみたいで。

 母と父は、自分のことを神様みたいにもてはやして。

 母と父は、自分のことを話せる物みたいに扱った。


 削っても、削っても。手の痣はとれなかった。これさえなくなればって、何度も何度も削って削って。


 2人に見つかったから、そういうことは出来なくなった。代わりに、住む場所が少し良くなった。床と壁はふかふかのクッションで、いろんな物が、話し相手が渡されて。

 それでも、外には出してもらえなかった。たまに父と母に連れられて、いろんな物と会話を、大勢の前で何回も何回も何回も。



 8、ずっとずっとそのままだった。

 あの2人と会話することはなくなって、物とだけ話してた。


 ある日、部屋の観葉植物が自分に質問をしてきた。だから、自分はそれに答えた。

 ある日、部屋の道具入れが自分に質問をしてきた。だから、自分はそれに答えた。


 ある日、部屋の全てが自分に聞いてきた。


「ここから出たい?」


 だから、自分はそれに答えた。


「うん、出たいな」


 無理だってわかってたけど、驚くほど素直に口から出た言葉だった。それを聞いた部屋の物達が、次々と自分に言葉を──質問ではなく、お願いをしてきた。


 紙に自分のことを書くこと。

 車輪をつけた道具入れの中に入ること。

 そして、植物の葉っぱをかじること。


 言われたこと、全部に従って。

 ……意識が、ゆっくりと、点滅して。



 ──ああ、ここから先は、私も知っています。

 知らない場所で目が覚めて、何も思い出せなくなって。お腹をすかせながら、徒歩で旅を続けるうち、一台のバギーに──。



 ◇



 意識が浮かび上がって。

 最初に、魔女の顔が映りました。悲しそうな顔をしていました。


「ああ、なんだ」


 隣から、声。


「帰る場所なんて、最初から無かったんだな」


 私の隣の青年は、そんな言葉を呟いて。

 椅子を蹴り飛ばすように立ち上がると、そのままどこかへ走り去ってしまいました。

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