記憶の魔女とあなたの魔導書(上)

 潮風の吹く海沿いの道を、一台のバギーが走っています。

 穏やかで心地の良い波の音に反して、バギーは騒々しくエンジン音を上げていました。潮風は、あまりいい影響を与えませんから、出来るだけ早く離れる予定です。


「そんで、本当にそんなやつがいるのかね」

「あなたと私が言えることじゃないでしょう、それは」


 運転席の青年と、助手席の少女はのんびりと話をしています。青年……トイはゴミが入らないようにゴーグルをつけて、助手席の美少女──つまり私は帽子が飛ばないように抑えながら。


 今回は、珍しく特別な目的を持って次の国を目指していました。ずばり、人捜しです。


 以前立ち寄った国、雷の国と私たちが名付けたそこは、呪いによる異常気象が原因で雷がよく降る国でした。なにせ、数秒前まで晴れでも突然雨雲が出来るほどでしたから。

 そんなところじゃ、もちろんまともに住むのは難しい……と、思いきや。街の中に多数置かれた避雷針の影響で、結構普通の生活を行っていました。気になるのは騒音だけだとか。


 さて、そんな国に住むおじさんから、私たちは奇妙な話を聞きました。

 なんでも、雷の国から2つほど川を挟んだ向こうの国に、自らを魔女と名乗る不思議な女性が住んでいるとの事で。


 何でもその魔女は、辿魔法──忘れたことを思い出させたり、過去の出来事を追体験させる、そんな技を使えるのだとか。

 随分と絵空事のような話ですが、そのおじさんが実際に体験した話らしく。そしてそれを聞く私たちは、魔法使いの様な服装で魔導書を作る少女と、祝福と呼ばれる魔法の様な力を授かった青年です。


「まあ、もし記憶を取り戻すことが出来たら、その時は先生ともお別れになるのかね」

「ふむ……どうします? 住んでた国がとんでもなく遠かったら」

「先生に泣きながら頼む」

「素直なのはいいことです」


 お前とも、もうしばらくでお別れかもな。と、トイはバギーのハンドルを軽く撫でます。実際に物と話せる彼の言葉ですから、きっと他の人にはわからない重さが込められていることでしょう。


 ボーアと名付けたバギーがなんて言葉を返したのか、それは私には分かりませんが。

 エンジン音をさらに上げながら、周囲の景色を置き去りにするバギーの上。私達は、大きな城壁に囲まれた国を見つけました。


「なあ、先生」

「なんですか?」

「俺が居なくなったあとの一人旅、飯とか忘れないようにしろよ?」


 先のことを考えすぎて、少し照れてしまったのでしょうか。誤魔化すような声で告げられたその言葉に。


「なんだと思ってるんですか、私のことを……まったく」


 ──私は、答えを返しませんでした。



 ◇



「はい、滞在中の商売に関しては制限はありませんよ。最後にひとつ確認ですが」


 入国審査は特に問題なく進み、審査官の人にこの国にいるという魔女のことでも聞こうとした、ちょうどその時のこと。

 もったいぶったようなその言い方に、私は少し警戒を強めます。ここまで来て国特有のルールで弾かれる、なんて御遠慮したいですし。


「ええ、構いませんよ」


 まあ断る権利は旅人には無いので、私は人あたりの良さそうな笑みを浮かべて、審査官の次の言葉を待ちました。


「おふたりの中に、生まれた時から痣のある方はいますか? 魔女様がお呼びです」


 そうして飛んできたその言葉を聞いて、私はトイの耳元で、


「……トイ、昔魔女に何をやったんですか」

「いや、やったとしても記憶が無いんだが……」


 そんなやり取りを挟みます。


「まあ、大体検討はついているので。名乗り出といてください」

「説明して欲しいんだが……まあ、魔女さんに会うチャンスでもあるしな」


 納得半分、不服半分といった表情を浮かべながら、彼は右手の甲を。そこにある痣を審査官に見せました。

 聞いたはいいけど本当にいるとは思ってなかったのでしょう、審査官の人が驚いたような表情に変わります。


「おお! 今まで色んな旅人が訪れましたが、見せてくれたのはあなたが初めてです! 早速魔女様に連絡しないと!」

「あー、待ってくれ。なんでそんな人を探してるのか、説明が欲しいんだが」

「あっ、それはこちらにも分かりませんので! 失礼します!」


 ドタドタと慌ただしく去っていく審査官を見送って、トイが助けを求めるような顔でこちらを見てきました。


「……物と会話する祝福を使う時、痣が赤く輝くでしょう? 恐らくですが、それは力の証明の様なものなのでしょう」


 そんな小動物みたいな視線に耐えられず、私の方から話し始めます。

 その一言で、彼は全てを察した様子。


「魔女の力も祝福によるもので、仲間がいないか探していた?」

「私の考えだと。そうなると、記憶を辿る力というのに、現実味が湧いてきますね」


 この力自体、現実味のない話だけどな。そんな軽口を叩いていると、再びバタバタとした足音が。

 先程までと違うのは、その後ろからもうひとつ、落ち着いた足音が聞こえてくることです。


「魔女様をお連れ致しました! 後はあなたがたでどうぞ!」


 早口で言って戻っていく審査官とすれ違うように、一人の女性が姿を現しました。

 背の高い女性でした。ドレスのような衣服が不思議な程に似合っています、腰の長さまで伸びた金の髪は、魔女というよりお嬢様と言った風貌で──その左頬には、特徴的な痣。


「ごきげんよう、旅人さん。あなたがたも、魔女の噂を聞いてきたのでしょう?」


 柔らかくて、どこか冷たさを感じる声。作っているな、と感じました。必要だったから作り上げた、どこか人を寄せ付けないキャラクター。


「歓迎しましょう、代わりに旅の話を聞かせてくださるかしら? ──それと」


 ドレスの裾を摘んで、一礼。

 随分と様になるその動作を済ませたあと、彼女はトイの方を向いて、


「初めまして、私のお仲間。あなたの話も、ぜひ聞かせて欲しいわ」


 言葉と同じくらいの、冷たさの混ざる笑みを浮かべて言いました。

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