邂逅

 やってしまったな、と。

 真っ赤に染まったハンドルを見ながら、私は心の中で呟きます。天気は晴れ、穏やかな気候に合わせるようにゆっくりと走るバギーに乗りながら、私は世界から取り残されたような気分でいました。


 身体は、あんまり動きません。吐血なんていつぶりでしょうか、痛くて痛くて、アクセルを踏んで誰か見つからないか試すのが精一杯です。

 次に呪いが暴れるまで、まだ猶予があると思っていました。人通りの少ない道を選んでいたのが悪かったのでしょうか、だとしたらもう反省したので、そろそろ許してほしいところです。


 ……まあ、ほんの少しだけ。終わるならこんな感じだろうな、と考えたことはあります。元より、無謀な状態での旅ですし。

 しかたない。ああ、どうしようもなく仕方ない。何かいい感じのことをしてから、みたいな区切りはほしかったですが、もう十分やったでしょう。


 だから、そう、そろそろ安心して眠りましょう、それでは──。


「あ、あー……そこの、バギーの人……」


 ぼんやりとし始めた視界を前に向けると、目の前に青年が立っていました。

 より厳密に言えば、立ち上がってきました。先ほどまでここで倒れていたようで、起き上がる足はがくがくと震えています。


「食べ物、持ってないですか──って、おい。大丈夫か」

「……鞄、の。中、瓶がある、ので」


 渡してください、という前に。ふらつく足取りで、青年はバギーの横に回り込みました。私がアクセルを緩めると、彼は鞄の中から瓶を取りだして私に近づけます。


「開ければいいか?」

「ええ、それで……大丈夫、で」


 なんというか、結構お人好しな人のようです。それだけ奪って、とまでは行かなくても自分の食料を優先するんじゃないかと、そう思っていたので。

 ──おかげさまで、生き残ってしまいました。瓶から溢れた感情を取り込んだ私は、数回深呼吸してから感謝を告げます。


「助かりました、ありがとうございます。携帯食料なら分けられるので、どうぞ」


 私の言葉に、彼も強く感謝の言葉を。先に助けてもらったのは私なので、そんな畏まらずともいいのに。

 旅人にはあまり人気の無い携帯食料を、青年はすぐに平らげます。本当にお腹がすいていたのでしょう。食べ終わって、ちょっと休んでから。私は彼に話を振り始めました。


「改めまして。助かりました、私の名前はアルスといいます」

「こちらこそ。俺の名前は──ああ、ちょっと待ってくれ」


 そう言って、彼はポケットから一枚の紙を。そこには、ちょっと拙い書き方で、名前と年齢が記されていました。


「そう、俺の名前はトイだった。よろしくな、アルスさん」

「ええ、よろしく……失礼かもしれませんが、トイさんは記憶が?」

「察しが良いな、奇妙なことに書き置きがあったから、多分自分の名前と年齢はわかるんだが」


 それ以外のことは、何にも。

 と、彼は寂しそうな顔をして言いました。不思議な話です、名前を残すのはともかく年齢まで書いた紙を置いておくものでしょうか。まるで最初から、記憶を失うことがわかっていたかのような。

 それに、不思議なことがもう1つ。


「そんな状態で旅に出るのは、危険では?」

「……バギーで血を吐く様な状態の人に言われたくないんだが。まあそうだな、俺だって危険だと思う」

「では、何故?」


 私の問いかけに、彼は答えに少し悩んだ様子で頭を掻きます。ちょっとした間、どう説明するかを決めたようで。


「正直に言うと……起きた時から国の外だったんだよ。それも、近くに国の影も形もないような場所」

「……それは、確かに奇妙な話ですね」


 国外で寝ていた、というところはわかります。記憶を失ったのも、野盗に頭を襲われたなどの理由付けが出来るでしょう。

 そこに書き置きが加わると、意味がわかりません。誰が、何故? これではまるで──、


「そんな感じで、一人旅をしてるわけだ。さっきみたいな状態になりながらな」

「──辛くは、無いのですか?」


 そう締める彼の言葉に、私は思考を切りかえて応じました。


 無謀な旅を続けることの辛さは、知っているつもりです。現実的にも先が見えないことの辛さも。

 だから、私は思わず聞いてしまいました。あんまり言っていいことでは無いでしょう、どう取り繕うか考えを回そうとした私を他所に、青年は強い意志を持った声で答えました。


「辛いけど、それ以上に……帰る場所が、欲しいんだよ」


 故郷につけば、向こうが気付いてくれるだろ? なんて言葉を話す彼の目は、どこか遠くを向いていて。

 帰る場所が欲しい、安心出来る場所が欲しい──故郷に、帰りたい。その気持ちは、私にはわかってしまいます。そしてそれは、私にはもう手に入らないもので。


「……もし、よければ、ですが」


 共感、だけではありませんね。

 久しぶりに、一際強く死を実感して。私は、人恋しくなってしまったんだと思います。私は、目的が欲しくなってしまったんだと思います。


「あなたの旅、私に手伝わせて貰えませんか? こちらとしても、横に人がいる方が安心できますから」

「……いいのか、こっちからしたら願ったり叶ったりだが」

「いいんですよ、私は目的地がある訳でもないですから」

「──じゃあ、よろしく頼む、アルスさん」


 こうして、私達は旅を共にすることになりました。

 祝福も、魔導書作りも。お互いがお互いのことをまだ知らないで、よくこんな珍しい組み合わせになったものだと思います。


「ああ、そうですね。1つだけ」

「なんだ?」

「私のことは、先生と呼ぶように。昔、私の先生にもそう言われたものですから」



 ──こうして、私は。

 自分の出来る、いい感じの何かを。終わるための、区切りを。


 手に入れたのでした。

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